マダムの訪問
「なあおっさん」
「なんだいきーさん」
「何で今日もいるんだ?」
「息抜きは大事だろ?」
どうやらこちらも異世界も時間の流れはほぼ変わらないらしく、今日も蜘蛛腕族のハンデルは自身の店を使用人たちに任せると、貴意の住まいを訪れている。
まあ、ハンデルのおっさんは貴意の元を訪れるたびに、貴意からすると珍しい食い物、特に「舌に絡みつく濃厚な葡萄酒らしき酒」を持ってきてくれるので、彼もハンデルの訪問自体に文句を言うつもりはない。
ハンデルも恐らくは貴意たちとの取引に関して、向こうでは色々と隠さなければならないことにストレスが溜まっているのだろう。
どうやら向こうで内緒にしておかなければならない分を、こちらで色々とぶちまけている様子である。
ちなみに普段は好奇心旺盛なシルベールや、一人はもうごめんだというナハルッドや、置いて行かれるのを怖いと思っているプドルフも、貴意とハンデルのつまらない飲み会に付き合うのには飽きたらしく、しばらく前からこの二人が夜半まで酒を飲んでいても、三人とも気にすることはなくなった。
「で、何が受けた?」
「それがな、乾杯の時は『梅』とか『檸檬』とかの酒だったんだがな。今は『回転運転手』とかいうオレンジ色の酒や『塩漬犬』とかいった透明な酒が領主たち男どもには絶賛大受け中だ」
そう言いながらハンデルはにやりと続ける。
「どうやらお目当ての女性に飲ませる『媚薬』には最適らしいな」
「知るか」
貴意も恐らくはそうなるだろうなとは予感していた。
ホームセンターで口当たりがよい割に度数がやたら強いカクテルを次々とカゴに入れていったハンデルの様子を眺めていた時から。
「こいつは生粋の商売人だな」
と、貴意がハンデルの『野生のカン』に感心していたのは内緒である。
「ところでさ、なんでおっさんはあいつらに『気になることがあったらすぐに鳥居をくぐれ』と言ったんだ?」
それはネコ娘三人が貴意の持たせた『計算器』を大事に抱えて彼女たちのゾーンに戻っていく直前のこと。
しかしハンデルは少し眉間にしわを寄せた後、すぐに明るい表情になる。
「まあ気にするな」
「気になるさ」
貴意の魚の腐ったような目線を受けてハンデルは考える。
あの台詞はあいつらにとって最悪の状況を想像し、つい漏らしてしまったもの。
しかしハンデルは再び考える。
自身の最悪の想像については事前に貴意たちに説明しておいた方がいいだろうと。
自身が属する世界の現状についてほとんど知らないらしいシルベールちゃんやナハルッドちゃんたちのためにも。
ちなみにハンデルは心の中ではシルベールとナハルッドは「さん」ではなく「ちゃん」呼ばわりである。
なお、プドルフのことは基本無視である。
なにより、ハンデルが思い至ったことに対し、貴意はともに笑いながら「ならどうすっかおっさん」と言ってくれるのではないかと期待したから。
貴意は『異世界人』だから。
「なら説明だけはしておくか。きーさんは他の『二本腕』とは違うだろうからな」
まさか異世界だからってそこまではねえだろうに。
ハンデルの突拍子もない説明に質問を重ねながら動く貴意の鼻を眺めながらハンデルは笑う。
「まあな。でもあいつらはどこで恨みを買っているかわかったもんじゃねえからな」
一通り雌猫族の説明を受けた貴意は、ハンデルに対し素朴にこう言い放った。
「そんなに言うなら、おっさんがあいつらをかくまってやればいいじゃねえか」
「そりゃあ男の理想だ。だがな、世の中は男ばかりじゃねえ」
続けてハンデルは、情けなさそうな表情で続けた。
「あいつらを雇える甲斐性があれば……。な……」
その晩はこうして少し湿っぽい空気の中、お開きとなったのである。
「さて、どうしたもんかな」
貴意は異世界との商いで稼ぎ、山と積まれた金銀のブロス貨幣を前に腕を組んでいる。
貴意に神社本宮から支払われる給料は税引き後で18万円ほど。
しかしメインの収入は別にある。
褐色小妖精達が内職で1日3万円、月収で平均90万円超を稼いでいるのだ。
なので貴意達の月収は108万円となる。
一方、ハンデル向けのビールやカクテルは領主へ納める分も含め、1日に平均5ケース120本が必要になっている。
この代金は約2万円で、こちらも月平均で60万円超となる。
クロプスの町向けのカップうどんは、現在は落ち着き、こちらも1日5ケース60個ほど。
こちらの代金は約6千円、月間18万円ほど。
ついでにギリード達の植物活力液は1ヵ月に4本で4万円也。
なので日本円は収入合計108万円に対し、支出が82万円。
つまり貴意達の生活費は26万円である。
家賃負担はないが、食費や水光熱費などを考えると、そうそう贅沢はしていられない。
いざというときはナハルッドの城にある金板やプドルフの工房にあるプラチナ入りの粉を売ればいいのだが、それは何かのときにとっておきたい。
一方でブロスは貯まる一方。
ハンデルからのビール代金は1ケースあたり1200ブロスなので、月間150ケースで18万ブロス。
クロプスからのカップうどんの代金は1ケース600ブロスであり、こちらも月間150ケースで9万ブロス。
この他にハンデルがクロプスの町に卸している食料や弁当の鳥居通行料が1日当たり250ブロス、月間で7500ブロスが支払われる。
ということで貴意は毎月28万ブロスほどを貯め込むことになる。
これは日本円換算で280万円と、結構な金額である。
食事を全てハンデルの店で済ませ、日用品をクロプスの町で購入すれば多少は円の出費を抑えられるのだが、それにも限界はある。
いっそのことクロプスの町に引っ越ししてしまうという手もあるが、日本の文化にどっぷりと浸かってしまっている貴意にとっては、余り魅力的な話でもない。
すると部屋の外からシルベールの声が響いた。
「きーちゃん、お客さんよ」
「わかった」
貴意は『金庫室』と名付けた部屋から出ると、念のため鍵をかけ、シルベールが呼ぶ方向に向かっていく。
そこには先日のネコ三人娘に加え、もう一人の姿。
彼女は他の三人娘とは一味違う。
碧緑に光るアーモンド型の瞳と、白に黒のストライプが入った背の体毛によって、独特の妖艶さを醸し出しているのだ。
娘と表現するには失礼であろう落ち着いた面持ち。
『ご婦人』、いや『マダム』の形容が最も近いであろうか。
その姿に見とれ、思わず無言となった貴意に、彼女は頭を下げた。
「私はこの者たちを束ねる『ジプシャ』と申します。この度は村をお救い頂き、感謝に堪えませぬ」
彼女はど底辺オブ底辺村の村長であった。
「いてててて!」
「ほらきーちゃん、しっかりなさいな!」
いつの間にか横に並んでいたシルベールが貴意の尻を後ろからつねっている。
「おや、ベルガたちか」
神社の掃き掃除を巫女姿で行っていたナハルッドもほうきを抱えながら姿を現した。
「戻ったよー」
荷台付自転車をこいでギリードたちの水運びを手伝っていたプドルフも鳥居から姿を現した。
「まあ立ち話もなんだし、とりあえず上がってくれ」
貴意は四人を広間に案内する。
この部屋は元々自治会館だった貴意の自宅の中で最も広く、おおよそ30畳ほどある。
これまでは広すぎて使用していなかったのだが、体がでかいクロプス達が出入りするようになったので、今ではこの部屋を異世界人とのメインの交流の場にしているのだ。
そこで貴意はハンデルからのアドバイスをふと思い出した。
「まあ座ってくれ。おいシルベール、お前は茶を入れるのをちょっと手伝え」
「わかったわ!」
先ほどまで貴意がジプシャ達をでれながら見つめる姿になぜかむかついていたシルベールだが、貴意が呼んでくれたことによりご機嫌はすぐに戻った。
その様子に貴意は安堵する。
ハンデルのアドバイスとは「『雌猫族』がそばにいるときは、特に他の女性に気を使え」というものである。
どうやらそれが功を奏したらしいなと独り言をつぶやきながら、貴意はシルベールと台所に向かった。




