台所に巣くうモノ
「よしお前ら、そこに整列」
これはやばい。
シルベールもナハルッドもプドルフもよーくわかっている。
表情のない、腐った魚のような目で、棒読みに指示してくるときの貴意はマジでやばい。
三人はそれぞれ貴意が怒り狂っている原因を考えてみる。
シルベールは、貴意やウォーキングウィード達に「必ず役に立てるから」と宣言しながらも、一向に進まない魔晶珠の研究に対して、とうとう貴意がブチ切れてしまったのかもしれないと、黙って整列しながら涙を浮かべた顔を覆う。
ナハルッドは、もしかしたらプドルフにこしらえてもらった胴体と首のアタッチメントの代金が自身の借金になっていたのではないかと悪寒を覚えながら、収入についてハンデルにまじめに相談しようと心に決めつつ、無言で背筋を伸ばし整列する。
プドルフは、もしかしたら自由にしていいと言われた自転車を改造して、ギリード達のポリタンク運搬チャリをこしらえたことに対して、ウォーキングウィード達から使用料を徴収していないのが貴意の逆鱗に触れたのかもしれないと、頭を両手で隠しながら言われるがままに整列した。
「で、正直に申し出たらお兄さんは怒らないぞ……」
やばい。
やばいやばい。
これはマジでやばい。
自身のことを『お兄さん』と上から目線で表現する貴意はおそらくマジ切れモード。
三人は覚悟を決めた。
「ごめんなさい。魔晶珠の分析はもうすぐ結果がでるはずだから……」
シルベールの懺悔にも貴意は無表情。
「そんなことはじっくりやればいいさ。それよりも思い出さなきゃならねえことがあるだろ?」
「すまん。このアタッチメントの対価はなんとしてでも用意する。だからもう少し待ってはいただけないだろうか」
「そりゃあプドルフがお前のためにこしらえたもんだろ。俺は関係ねえ。それより胸に手を当ててもう一度思い出せ」
「自転車を改造してごめんなさい。もうしません」
「ああいうのはもっとやれ。率先してやれ。ところでそれよりもお前ら、いつまでしらを切るつもりだ?」
やばい。貴意の怒りマックスだ。
すっかり涙目となった三人は声をそろえた。
「ごめんなさい謝るからなんで怒っているのか教えてください!」
「だから俺のチョコレートブラウニーを食ったのは誰だって聞いているんだよ!」
……。
あれ?
三人は急に冷静になる。
なぜなら、そんなものは見たことも聞いたこともないから。
「ねえきーちゃん。『チョコレートブラウニー』ってなあに?」
勇気を振り絞って小声で発したシルベールの質問に、貴意はふっと我に返った。
そういえばこいつらがあれの存在を知っているはずがない。
昨日貴意は、三馬鹿へのお土産にと、東の街と西の街で一店舗ずつ出店している、地方の割にはお高いけれど、とってもおいしい菓子を売っている店でケーキと焼き菓子とアイスを買った。
一番舌が肥えているシルベールには、この店定番のスパイスが効いたチーズケーキ。
おこちゃま舌のナハルッドには、優しい味のチョコレートとバナナのタルト。
刺激物がダメかもしれないプドルフには、原材料がシンプルな瓶入りの濃厚プリン。
自分用にはふわふわしたスポンジに季節限定アレンジを加えたシフォン。
あいつらが旨い旨いとケーキやプリンを食べている間に、明日のデザートにしようなと、アイスクリームをわざわざ見せびらかせて冷凍庫にしまいながらカモフラージュしつつ、貴意はそっとウイスキーボトルの後ろに彼の大好物を隠したのだ。
それは『チョコレートブラウニー』
チョコレートをたっぷりと練り込んだ生地に各種のナッツを加え、固めに焼いた焼き菓子。
その晩、三人がそれぞれのベッドに入ったところで、そいつをそっと取り出し、ウイスキーをちびちびやりながら堪能した後、ラップをかけて再びウイスキーボトルの後ろに隠したのだ。
貴意は考える。
あいつらがつまみ食いするとしたら、もっとわかりやすいものからだろうと。
さらに自身がチョコレートブラウニーをあいつらから隠した理由も思い出す。
それは三馬鹿にとってチョコレートブラウニーは決して最上ではないだろうと予想したから。
シルベールからは「甘いのでお酒飲むの?」と小馬鹿にされそうだし、ナハルッドは「ちょっと苦みが……」と顔をしかめそうだし、プドルフには練り込まれたナッツがケダモノにはよろしくないかもと考えたのだった。
自分の大好物で他人に気を使うほど馬鹿馬鹿しいことはない。
「お前ら、ちょっと来い」
貴意は三人を台所に連れてくると、三人を試してみる。
「お前ら、ここで一番食べたいものを食っていいと言われたらどうする?」
まずはプドルフが冷蔵庫の扉を開け、扉の裏を指さした。
「牛乳を飲みたい」
次はシルベールが今は乾物置き場になっている食卓テーブルに置いてある箱の一つを指さした。
「うなぎのパイを食べたい」
最後にナハルッド。
普段は一番わかりやすいおこちゃま舌が、今は腕組みをしている。
「どうしたナハルッド」
「一番食べたいのは冷凍庫にあるお土産のはちみつナッツアイスクリームだが、今はそれよりも気になるものがある」
同時にナハルッドは右手の人差し指をそっと口元に立てた。
そのわかりやすい合図に一同は黙り込む。
ナハルッドは、音を立てないようにゆっくりと食器棚の横に回る。
と、おもむろに棚の後ろに手を突っ込んだ。
「ふぎゅう!」
絞め殺されるような悲鳴を上げつつ、何かがナハルッドに掴みだされた。