ゾーンの決まりごと その2
「なんだ。久しぶりに電話をよこしてきたかと思ったらそんなことか。構わないよ。どうせ置いてきたものだしな」
貴意が電話をかけた向こうからそんな回答が届く。
「機会があったら顔を出すよ。それじゃあな。きーちゃん」
こうして電話は切れた。
機会があったら、か。
貴意はざらつくような不快感を押し殺すと、自身を切り替えるように、両の頬をパンパンと叩いた。
ハンデルの食堂に冷えたビールを届けるために、貴意はかつて自治会館であった自宅の向かい近くに立つ、友人の父親が経営していた水産加工品販売会社の施設を使うことにした。
ここには冷蔵施設がふんだんに残されている。
それと保冷ボックスを上手に使えば、ハンデルが食堂で冷えたビールを切らすことはないだろう。
施設内の清掃はギリードをはじめとするウォーキングウィード達が行っている。
もちろん貴意は『ただ働き』などはさせない。
金をいただくときはいただき、払う時は払うと貴意は決めている。
なぜなら、下手な無料サービスはトラブルの元になりかねないからだ。
但し、いただくときはがっぽりと、支払うときは最小限にがモットーでもある。
ちなみに今回のウォーカーウィード達への報酬は『災害用20リットル折り畳み式ポリタンク』
お値段は500円程。
こいつを水のお持ち帰り用に一人一個ずつ提供することで合意した。
合計100個。購入額は50000円と、まあこんなもんである。
なお、100人での施設清掃は人数が多すぎるので、今後のためにと近隣の工場跡や倉庫跡の清掃も一括して任せることにした。
「ねえきーちゃん、それは何?」
貴意の冷蔵庫再生作業を器用に手伝っていたプドルフが指さしたのは、駐輪場に残されたもの。
「こりゃあ自転車だ」
「乗り物?」
「そうだ。こうやって乗るのさ」
貴意はママチャリのハンドルを握ると、油が切れたチェーンをきこきこ言わせながらプドルフの周辺を回ってみる。
「ねえきーちゃん。僕も乗っていい?」
「ああ、ここのは使っていいと許可を取ったからな。好きなようにしろ」
実は既に貴意のゾーンにある施設や道具の所有権は、法的にはすべて放棄されている。
なので貴意はわざわざ昔の友人に電話をしなくても、残された施設は使い放題なのだ。
だが貴意は敢えて元の持ち主に電話をした。
その理由は貴意にしかわからない。
どうやらプドルフは自転車の構造を一発で理解したらしく、さび付いた自転車数台の整備をあっという間に行ってしまった。
「すごいな。魔力なしに走るとは!」
それに興味を持ったのがナハルッド。
「無駄に体力を消耗しちゃうだけでしょ」
逆に全く興味を持たなかったのはシルベール。
「ということで、自転車の練習に行ってきます」
貴意にツーリングの許可を求めるプドルフにナハルッドも同調する。
「同行させてくれ!」
「私は行かないからね」
「ついでにゾーンの限界を知ってこい」
貴意はナハルッドとプドルフにそう声をかけると、シルベールに目配せをした。
さて、30分ほど経過しただろうか。
貴意とシルベールが買い物リストを作成しているところに、ナハルッドがプドルフを抱きかかえ、血相を変えて茶の間に飛び込んできた。
「プドルフが倒れてしまった!」
その慌てた様子に貴意とシルベールは、そりゃあそうだろうなといった表情になる。
なぜなら、ナハルッドは右腕にプドルフを抱え、左腕に自分自身の頭を抱えていたのだから。
「ごめん、驚いただけなの。だって鳥居の前に飛ばされたと当時にナハルッドさんの首がころりんなんだもん!」
目を覚ましたプドルフがちゃぶ台の上に置かれたナハルッドの頭に何度も土下座をしている。
「気にするな。自分の首が切れていたことを失念していた私も悪いのだ」
続けてナハルッドはちゃぶ台の首を両手で挟み、貴意の方に向けた。
「きーちゃんは魔法効果が切れることも知っていたのか?」
「さあな」
「でもありうるわよね」
貴意のはぐらかしにシルベールが納得したような表情を重ねる。
ゾーンから出た場合、ゾーン管理者のそばにいなければ強制的にゾーンの扉に戻される。
それはナハルッドもプドルフも聞かされていた。
だから二人は、貴意が「あの辺がたぶんゾーンの限界だ」と指摘した場所まで自転車をこいでみたのだ。
戻るのは自分たちだけなのか。それとも自転車も戻るのかという実験を行うため。
結果、二人は自転車ごと戻ってきた。
シルベールがナハルッドの首に施した『硬化魔法』はゾーンから出ると切れてしまうという実験結果も伴って。
にやにやとしているシルベールの横で、貴意は考え込んでいる。
今後ゾーン外に買い物に出る機会が増えるのは間違いない。
既に先ほどだって酒の量販店から大量のビールを買いこんだり、エリア外のコンビニ受け取りに指定した100個ものポリタンクを運んで来たりしているのだ。
これを一人で扱うのは非常に大変である。
ちなみにシルベールは労働力としては、全くあてにできないし、プドルフやギリードたちは、見た目から問題外。
なのでとりあえずは人間とほとんど見た目が変わらないナハルッドをこき使おうと貴意は考えていたのだ。
異世界人がゾーン外に出たらどうなるのか、ある程度までは実験を済ませていた。
まずは当然のことながら翻訳の効果が切れるので、異世界人はまるっきり文字が読めなくなるのと同時に会話もおぼつかなくなる。
これは日本語はもちろん、看板などに併記されている英語、韓国語、中国語等もまるっきりわからない生粋の外国人が日本に突然放り出されるのと同じ状況。
但しありがたいことに、管理人自身はゾーンの能力を維持しているらしく、キーマンと異世界人の一対一の会話は可能である。
異種族同士の会話についてはこれから調査するつもりであった。
ここでナハルッドの首ころりんである。
ある程度は予想していたが、久しぶりのころりんを目の当たりにすると、慣れているはずの貴意でさえちょっと腰が引けるのだから、万一ホームセンターのど真ん中でこれをやらかしたら、パニックは間違いないだろう。
さすがに『キソちゃんの仮装大賞の物まね』という言い訳は通じないだろうし。
どうしたものかなと考え込んでいる貴意の横で、プドルフがナハルッドに断面を見せてほしいとお願いしている。
普段は恥ずかしくていやなのだが、先ほど驚かせてしまった負い目があるのだろう。
ナハルッドもおとなしく断面をプドルフに見せている。
するとプドルフは腰の道具袋からメジャーのようなひもを取り出すと、ナハルッドのあっちこっちを測り始めた。
「魔法無しでなーちゃんの首が固定できればいいのだよね?」
プドルフの確認に貴意はピンとくる。
「おう。必要なものがあったら適当に持っていけ。その前に昼食でも済ませておくか」
皆で昼食を済ませた後、プドルフは工場から何やら持ち出すと工房に戻っていった。
シルベールもギリード達から譲ってもらった魔晶珠の利用方法を検討すべく、久しぶりに自身のゾーンに戻っている。
残されたナハルッドは、出かけた貴意を見送ると、一人留守番となった。
自由に使っていいぞと渡された貴意からタブレットで、こちらの世界で売られている様々な品物を見て回る、いわば引きこもり式ウインドウショッピングがナハルッドの最近の楽しみとなっている。
ちゃぶ台の首の前に両手で器用にタブレットを立て、お気に入りのサイトを検索しながら一人楽しんでいるところに、プドルフが何かを抱えて戻ってきた。
「戻ったぞ」
夕刻前に貴意が家に戻ると、三バカトリオがきゃあきゃあと何やら姦しく騒いでいる。
「なんだ。新たなキーマンでも来たか?」
茶の間をのぞき込んでみると、ナハルッドの首が元に戻っている。
「プドルフの細工か?」
「そうだよ」
どうやらプドルフは工場からプラスチックや真鍮などを持ち帰り、ナハルッドの首を胴体に固定する台をこしらえてきたようだ。
形は全身鎧の首部分と胸部分に似ているが、素材のベースは裏に布を張ったプラスチックで、要所要所を金属で補強してある。
上部に作られた深さ5センチほどの、布を張られた皿状の部分に頭側の首がすっぽりと入り、それを胴体側から延ばしたメガネの柄のような部品を後ろから両方の耳に回し、固定する。
さらにその上からプドルフが別にこしらえてきた、銀製のチョーカーを首に巻いてやれば完成である。
体側の支えはさすがにある程度の重さはあるが、普段から全身鎧を着用していたナハルッドには屁でもない重さである。
また、各部は鎖骨や肩関節の動きを妨げないように工夫されており、プラスチック部分もナハルッドの白い肌とほぼ同様の色で塗装されているので、見た感じは銀製の首飾りを巻いた、きれいなおねーちゃんにしか見えない。
「こりゃあ、お犬様の殊勲だな」
これならばナハルッドをゾーン外でもこき使えるだろうとにやりと笑った貴意は、今晩の献立をプドルフの好物に切り替えたのである。