商売上手なハンデルさん
ハンデルの案内で鳥居をくぐると、彼の店と食物庫の間にある通路に出た。
「それじゃ、ちゃっちゃっと『保存魔法』をかけちゃおっか」
そう言いながらシルベールが腰のポーチから魔晶珠を取り出したのを見てハンデルは目を剥いた。
「シルベールさんは魔晶珠をお持ちなのか!」
「まあね。それで30日分でよかったかしら」
「ちょい待ち」
驚かれたのがうれしいのか、さっさと魔法をかけてしまおうとしたシルベールを貴意が止める。
「まずは見本に1日分だけ唱えてやれ。延長するのはその後だ」
不満そうなシルベールに貴意はにやりと笑いながら何かを耳打ちする。
すると貴意の企みに納得したのか、シルベールは再びハンデルに笑顔を向けた。
「それじゃ1日分を唱えてみるからね!」
続けてシルベールは宝物庫に向かって呪文の詠唱を始めたのである。
彼女の詠唱はハンデルが老魔術師から何度も、何十度も耳にした呪文。
しかし老魔術師よりもこの少女からの方がはっきりと詠唱が伝わる。
最後に少女が宝物庫を指さすと同時に、宝物庫は青い光に包まれ、そしてゆっくり光を吸収していく。
納得したかのような表情のハンデルに、貴意はぞんざいに話しかけた。
「それじゃあおっさん。今度はおっさんの番だ」
開店前の店内で、貴意たち四人はテーブルに座り、メニューに目を通している。
どうやら店内はすべてハンデルのゾーンらしく、貴意にもメニューが読める。
メニューにはファンタジーでよく目にする魔物の名前が至る所に登場している。
そして金額も。
通貨単位は『ブロス』と記載されており、例えば最も値段の安い『刻みスライム寄せ』は『30ブロス』と記載されている。
ざっと目を通すと、昼営業では50ブロスから100ブロスの価格帯。夜営業のメニューでは70ブロスから200ブロス、中には物騒な料理名とともに500ブロスや800ブロスのメニューも記載されている。
ちなみに最もお値段が高いのは『キマイラステーキ三種盛り』というもの。
「確かキマイラってライオンとヤギと毒ヘビだったよな……」
貴意のつぶやきにナハルッドは頷いた。
「魔素の強い地域で稀に捕獲されるのだがな。美味いぞ」
そうですか。
ヤギはともかく、ライオンとヘビの肉は食いたくねえなあと思いながら、貴意はその他のメニューにも目を走らせてみる。
さて一方のハンデルは、プドルフが担いできた様々なツナの説明書きを順番に読んでいる。
「ゾーンでは読み書き会話が共通化される」という貴意の説明通り、見たこともない文字であるにも関わらず、ハンデルの頭に説明書きの内容が入ってくる。
あちらの世界では保存魔法がない分、保存方法に色々と工夫を凝らしているらしく、おそらくはティンプレートであろう小さな金属容器で密閉されたこの魚の缶詰とやらは、長期間このままで保管が可能らしい。
ハンデルは先ほどの三種類の味を思い出しながら食材の組み合わせを考えてみる。
「まずはシンプルに仕立ててみるとするか」
しばらくの後に、ハンデルが「おまちどう」とあいさつしながら、6本の腕を器用に使い、貴意たちの元に全ての料理を運んできた。
テーブルに並べられる料理からは、貴意にとっては初めてであり、シルベールとナハルッドにとっては懐かしい香りが漂ってくる。
「素材比べという趣旨だからな。シンプルに仕上げてみた」
片方にシルベールとナハルッド、もう片方に貴意とプドルフが並んでいる間に椅子を引きずってくると、ハンデルもそこに座り、料理の説明をしていく。
「油漬けは味が強いからな。フレークとかいう身が細かいのを使ったぞ」
まずハンデルが指差したのは細かいツナの身と緑色のゼリーを細かく刻んだようなもの。さらには玉ねぎのような半透明の刻み根菜を和えたもの。
そこに茶褐色のソースがかけられている。
「ツナとスライムとツィベルねぎのタルタルステーキだ。茶褐色なのはツナのオイルにガルム酢を混せてさっと火を通したソースだ」
続いて二皿目は何かの衣をつけてこんがり揚げられたもの。
そこに赤いソースがかかっている。
「それはツナ水煮のブロットフライだ。ファンシーとかいう塊の肉を使った。十分に水気を切った後、衣をまぶしてから高温の油で揚げた。肉の味があっさりしている分、こちらの辛味野菜ソースが合うと思ってな」
赤いソースはこちらの様々な野菜で仕上げた香辛料が効いたソースだとのこと。
最後はボウルに注がれたスープ。
「そいつは油控えめのツナを漬け汁ごと使った煮込みだ。ツナが漬け込まれた野菜スープに良い味が出ていたから、そのままベースに使用した。具が物足りなかったのでカロニンジンとカルトジャガイモを一緒に煮込み、味を調えておる。肉のサイズはチャンクとかいう一口タイプだ」
四人の前に良い香りが漂う。
「さあ、試してくれ」
ハンデルの合図と同時に四人は添えられた大きめのスプーンと二つ又のフォークを手に取る。
「これは旨いな!」
貴意は正直驚いた。
まさか異世界の方が自身の世界よりも料理が旨いなんて思っていなかったのだから。
タルタルステーキは食べなれたツナの旨味にスライムゼリーのプルプルとした食感と玉ねぎのサクサクした歯ごたえにほんのりした苦みが口を楽しませ、そこにかけられたソースのオイルを纏った酸味が何とも言えない。
フライも上品なマグロカツにスパイシーなサルサソースをかけた印象だが、衣のサクサクした歯ごたえやソースの深みが素晴らしい。
煮込みについては、そもそもツナをベースに煮込むという発想が貴意にはなかった。
人参とじゃがいもに似ているがそれらよりも野趣深い味が、ツナの旨みを盛り立てている。
貴意は突然思いついた。
「おっさん。食事中に無礼なのはわかっているが、一旦向こうに戻る。すぐにこっちに戻ってくるから、俺に扉の使用許可を出しておいてくれ」
そうハンデルの両肩を叩くと、貴意は扉へと走って行ってしまった。
すぐに貴意は戻ってきた。
両手にコンビニ袋をぶら下げながら。
「おっさん。これを試してみろ」
貴意がコンビニ袋の中から差し出したのは、銀色の円筒。
「なんだこれは?」
持たされた円筒から手に伝わる氷のような冷たさに驚くハンデルの前で、貴意も同じものを手に持ち、自分の席に戻った。
机の上に置かれたコンビニ袋からは、シルベール達も待ってましたとばかりに何かを取り出している。
「こうだ」
貴意は筒の上に据えられた円環を指先で器用に引っ張り上げる。
すると「プシュ!」っと良い音が響き渡る。
続けて貴意はタルタルステーキをひと匙すくい、口の中に放り込むと、続けて筒を口に押し当て、上を向いていく。
「やっまりうめえ! 最高だ! ほら、おっさんもやってみろ」
言われるがままにハンデルも筒の円環を持ち上げ、口に運んでみる。
うおっ!
口の中に残っていた料理の残滓が刺激的な液体によって一気に押し流され、喉に運ばれていく。
「こりゃあ『イエル』か? しかし何でこんなに冷たいのだ!」
驚きながら筒を見つめるハンデルにシルベールが教えてやる。
「それは向こうの世界の『ビール』という飲み物よ。こっちのイエルより味は薄いけれど、冷やして飲むととってもおいしいわ」
どうやらシルベールも同じものを楽しんでいる様子。
「そんな苦いだけのものの何が旨いのかよくわからんがな」
どうやらナハルッドはビールとやらを好まないらしい。
彼女の手に持たれている筒には『りんごサワー』の文字が見える。
「僕はお酒が好きじゃないから」
とプドルフが手にしているのは円筒ではなく、上側が細く絞られた透明な容器に半透明な茶色の液体。
そこには『たっぷり麦茶』と書かれている。
「味はそうだが、どうやってここまで冷やしたのだ? まさかシルベールさんは『寒冷化』の魔法も使うのか?」
「使えるけれどはずれ。もっと楽な方法なの」
楽な方法だと?
驚愕した表情のハンデルに向かって貴意は指先で合図をした。
「よしおっさん。商談と行こうか」
貴意はハンデルから、まずは彼の世界で通貨として使用されているらしい『ブロス』という単位について説明を受ける。
「これらがこちらで使用されている貨幣だ」
ハンデルは銅貨や銀貨、そして金貨を並べていく。
「で、さっきのビールは冷えた状態でいくらなら店に出せる?」
「通常のイエルが一杯50ブロスだからな。当初は珍しさもあって200ブロスを出す連中もいるだろうが、年中提供するなら80ブロスから100ブロスが落としどころだと思う」
「なら50ブロスで卸してやるよ」
「そいつはありがたい!」
「それからさっきの料理はいくらで店に出せる?」
「正直なところ肉はこちらの方が旨いから出せんな」
「ならこっちの肉で作ったあの料理はいくらになる」
「ステーキは100ブロス。フライは80ブロス。スープは50ブロスというところだ」
「合計230ブロスか。よし、シルベールの魔法は1日あたり230ブロス換算の料理で手を打とう」
ここでミソなのは、230ブロス現金支払いではなく、料理だという点。
ハンデルは考える。
これまで老魔術師にも毎日三食を提供してきたのだ。
ならば1日230ブロス分の料理というのは十分アリだ。
料理の原価は3割ほどだから、実際の持ち出しは70ブロス程で済む。
そんなのはさっきのビールを1日二杯も売れば元が取れるのだ。
「わかった。その条件を飲もう」
貴意とハンデルはがっしりと握手を交わしたのである。