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僕の彼女は点と線

作者: 飴坊

 世の中には真実がある。


 ――これは果たして真実だろうか。


 僕は、世の中には真実があると信じている。大した根拠があるわけじゃないけど、そう信じたいから信じている。別に哲学的な問答を始めようってわけじゃない。僕はそんな頭がいい人物じゃないし、専門的な知識があるわけでもない。一つ言えるとするなら、僕は嘘が存在することを知っている。だから、嘘が存在するという真実があると思っている。強いて言うなら、これが僕が真実があるということを信じる根拠かもしれない。でも、人の感情の中の一種信念といえるそれくらいは、根拠がなくたっていいんじゃないかとも思う。むしろ、ワザとらしい根拠をつけるとその信念はどこか汚れてしまっているような気もしてくる。

 僕がこれから伝えたいのは、僕に少し前までいた恋人の話だ。期待している人にはすごく残念なお知らせになってしまうんだけど、別に甘ったるくもないし、派手で壮大なドラマが始まるわけでもない。どこにでもいるような――いや、むしろどこにもいないような――そんな僕の元彼女の話。元、というのが大事なところだ。今の僕は完全にフリーで、何故だか自分の体を支えることが妙に息苦しい。そこらの道路、人がひたすら踏みつけて歩くアスファルトに身を投げ出して、誰かの救いを待ちたいと思ってしまうような、そんな気分だ。ちなみにフラれたわけでもフッたわけでもない。だからといってそんなに涙ぐましい話になるわけでもない。僕はシリアスな映画や小説、そんなものはあんまり好みじゃないんだ。


 僕が彼女と会ったのは、あるツアーに参加したときのことだ。旅行といえば旅行だけど、普通の旅行じゃないあるツアー。簡単に言ってしまえば廃墟巡り。僕は決して廃墟マニアってわけじゃないけど、心がやさぐれていたある日、たまたま見かけて参加を決めてしまった。偶然の塊といえばそれまでだけど、人生なんてのは偶然しかないんじゃないのかって思う。どんなに緻密に計算したって、分からないものは分からないし、出会う人には出会ってしまうんだ。それを望んでいようと望んでいまいと、僕らの意志にかかわらずどっかの誰かさんの言うとおりに。

 前置きの愚痴は僕の癖だ。こんな風に話しておいて、思わせぶりにしておくのが僕の常套手段。不快な人には深いかもしれないけど、それなら大人しくこの話から逃げ出した方がいいと思う。僕はここまで聞いてくれただけでも十分嬉しいし、わざわざ見ず知らずの他人を不幸にしようというほど性格は悪くない……悪くないはずだ。良くもないかもしれないな、いや、少なくとも良くはない。良かったらもっと……やめておこう。僕は彼女の話をするためにいるんだ。


 話を戻すと、そのツアーの参加者は10人に満たないくらいのものだった。知り合い同士で来ている人もいたけど、彼女は僕と同じく一人で参加していた。参加者の中には雄弁な人はいなかったし、ガイドの人もあまり積極的に話そうとはしなかった。不快な、居心地の悪い静けさではなくて、僕はその世間離れした静寂が割と気に入った。先に言った通り、僕はこの時割と痛めつけられた後だったんだ。個人的で詳しいことは話せないけど、色々あった。そんなことはいい。問題はツアーの最後、それまで誰とも会話しなかった彼女が僕に話しかけてきたことだ。


 彼女のルックスについてごちゃごちゃと書くのは不可能だ。何故なら、僕は彼女の存在を最初から最後まで余すことなくつかみきれなかったからだ。見えていたのか? と聞かれれば見えていた。でもそれは、視覚で捉えているだけ、とでも言うんだろうか。とにかく、いつの間にか廃墟に溶け込んでしまうような、そんな存在だったって思ってくれればいい。君たちにも、好きな女性のタイプがあるだろう。それを当てはめてもらっておいても構わない。人間は見たことのない人の顔は想像できないとも聞いたことがあるし、どんな難解な説明をしたところで君たちに彼女は捉えられない。

 ただし、性格については別だ。僕は彼女を理解することなどできてはいないし、この先一笑できないだろうけど、多少彼女と触れ合ったという事実はある。うわべだけの姿じゃないかという人もいるかもしれない、でも僕にとってそれは彼女の本質だ。うわべなんて存在しない。いや、うわべしか存在しないと言った方が正しいんじゃないだろうか。どれが真実で、どれがうわべなのか分からなくなってしまうこと、君たちはないだろうか。自分が一体どんな人間だったのか、忘れてしまうことはないだろうか。そういうわけで、僕はある程度彼女の性格について言及したい。それが君たちのイメージづくりの助けになれば幸いだ。精々お好みの幻想でも見るといいさ。


 彼女はまぁ、一言でいえば奥手だと思う。少なくとも僕の目の前にいた時間の限りでは。初めて話しかけてきたときはそれはもう、緊張に固まってしまっていたし。かくいう僕も彼女以外の女性経験はほとんどない。だから偉そうなことは言えないんだけど、少なくともグイグイ押してくるタイプではなかった。気は利いて、何かしようとしてくれるんだけど、それが正しいのかどうかわからなくなっちゃって、結局何もできない。そんなタイプだった。それでいて、そんな自分が気に入らないのだ。周りに気を使わせない……いや、気にされないとも言えるかな。まぁ何となく伝わってくれれば構わないんだ。この話の肝は、僕がどうして彼女と別れたかにある……のかな。


 話した内容は大したことはない、どうしてこのツアーに参加したんですか、みたいな感じだった。僕のところに来た理由は最後まで聞かなかった。今となっては知るすべもない。いや、知りたくはないのかもしれないな。僕は普通の男だし、あんまり他の男と比べられたくはない。正直、勝ち目を感じられないんだ。自信を持て、とか努力しろ、とかよく言われるけど、そんなこといわれてできるならもうやってるんだよっていうのが僕の本音だ。こんなことを恥ずかしげもなくのたまうあたり、器の大きさが露見するな。

 その後は順々に進んだ。お互い他に異性遍歴もなかったし。廃墟ツアーに参加したり、時には二人で本を読んだり映画を見たり。彼女が雨が好きだと言ったから、僕らはわざわざ傘をさして公園を歩いたこともあった。今思うと、とても楽しかった。毎日に色がついていた。過去も未来も考えることなく、二人で過ごす今だけを感じていられた。きっと幸せだったんだろう。


 さぁ、もうあまり時間もないんだ。僕が伝えたいことを全部吐き出しておきたい。とりとめのない話になってしまうかもしれないけど、僕はこれだけは誰かに話しておかなくちゃいけないから。


 僕が彼女と別れたのは、ただ彼女の存在に不安を持ってしまったから。その理由までは、僕は知ることができなかった。知りたくもなかった。知るべきじゃない。知るな。忘れろ。僕は僕から逃れられないし、僕は僕でしかいられないとしても。怖くてたまらない時でも、すべてが面倒になって雨の中で大の字に寝転がりたくなった時でも。僕は結局僕という枷から外れられない。知りたいのに、知りたいのに知っちゃいけないなら。知らないことで僕は知ろうじゃないか。

 とりあえずこれだけは言っておこう。彼女は間違いなく僕の隣にいた。そう、「いた」だ。そして、もういない。今どこにいるかって? さぁ、僕には見当もつかないな。西も東も、北も南も僕らにはもう知られてないじゃないか。僕らは何も知らないじゃないか。何が真実なのか知らない程度の僕らなら、もうすべて信じちゃえばいいじゃないか。僕は何も知らないし、彼女だって何も知らない。僕は僕でしかいられなかったからこそ、彼女は僕の隣にいた。失った。失くした。言い方なんて関係ないよ。結局「今」があることは事実なんだから。誰か教えてくれないだろうか。僕はどうしてあそこにいられたのかを。僕はどうしてあそこから出てきてしまったのかを。


 残念だね、時間がないみたいだ。僕が伝えたいことはなんだったっけ。忘れるくらいなら、きっと大したことじゃないんだろう。君たちには感謝しないよ。わざわざ、僕の傷を抉るように中まで入ってきたんだから。そうだね、一つ頼むとしたら……彼女にあったらこう伝えてくれ。


「次は僕の番だ」



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