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9 限り無く前途多難な探偵稼業

「それだけじゃわからないでしょ。ちゃんと説明しなさいよ」


 ミシェルは小さくため息を吐くと、ゆっくりと語り始めた。


「メアリー誘拐事件は、2度起こっているんだ」


「それってどういう…」


「1度目の誘拐は計画されたもので、2度目の誘拐は1度目の計画者が予期したものではなかった」


 コレット嬢は「どういうこと?」というような顔をしながら紅茶を飲み干した。慣れない手つきで紅茶を注ぎ足すと、ティーポットを静かに机に置いた。重たい音がした。ミシェルは続ける。


「1度目は、メアリーの両親が計画した。あの屋敷にいた二人組はおそらく雇われたのだろうな」


「そんな……!?一体何の為に……」


「お前、あの犬の種類、俺が言ったの憶えてるか?」


「チベタン……なんだっけ?」


「チベタンマスティフだ。あの犬な、場合によっては1千万フランすることもあるんだ」


 コレット嬢は首を傾げた。

 ミシェルははっとした。そうだ、こいつお嬢様だった。と。


「ええとだな。庶民としてはしばらく遊んで暮らせるくらいの額なんだ」


 コレット嬢は、ミシェルのしたことに気がつくと、慌てて「ごめんなさい」と言った。


「別にいい。おそらく、あの家は没落しかけていたんだろうな。それで、金が欲しかった。だから、散歩に出かけた時に、メアリーごと犬を誘拐しようと考えた」


「それで犬だけどこかに売ろうとしたのね……」


 コレット嬢は悲しそうな表情を浮かべて呟いた。

 ミシェルは立ち上がって、骨董品の棚に向かった。少し乱雑に並べられたそれを、記憶を頼りに元に戻していく。


「しかし、だ。この雪で道が凍った。そのせいで誘拐に使う予定だった車が事故った。更に、それに驚いて、犬が逃げ出したもちろんメアリーも着いていった。ここからは昼間に話した通りだ」


「1度目の誘拐は失敗したのね。じゃあ、2回目の事件ていうのは?」


「ここからは俺の妄想に過ぎない」


 ミシェルは銀色の小箱に被せられた埃にふっと息を吹きかけた。その後軽く手で払うと、元の場所に戻した。どうやら動いていないものまできれいにしていくつもりらしい。


「車を失った実行犯は改めて計画を実行することを提案した。しかしよほど切羽詰まっていたんだろうな。そこで口論になってしまった。報酬を払えないというような話を切り出したのかもしれない。逆上した実行犯は何らかの方法で車を入手して、メアリーを見つけ出して誘拐したんだ。そうすれば身代金を要求できるからな」


「でもミシェル、交番で犯人は身代金目的じゃないって言ってたじゃない」


 ミシェルは持っていたビスクドールを棚に戻した。口元が少し歪んだ。コレット嬢は首を傾げている。


「お前、本当にわからないのか?俺がなんで嘘をついたのか」


「えっ?ええと……」


 コレット嬢はまず、あれは嘘だったのかと思った。なんとなくそんな気はしていたけれど、どうしてと聞かれても皆目見当もつかない。


「もしあそこであの親どもが何の反応もしなかったら、俺は何もしなかったよ」


「試したの?」


 目を細める。


「世の中には自分の事を心配してくれる奴の気持ちも考えないで家出する馬鹿者がいるらしいからな。そいつに見せてやろうと思ったのさ」


◇◇◇


 ミシェルは探偵事務所の隣にある《野うさぎの家》という変わった名前の店で、コーヒーと共に軽い朝食をとっていた。


「あ、ミシェルの兄貴!朝刊見ました!?」


「まだだ」


 まだ雪の残る窓の外からミシェルを見つけて店に入ってきたのは、事象夢を追う旅人のヤンだった。朝刊を手にミシェルに駆け寄っていく。


「ほら!これ!見つかったみたいっすよ。コレット嬢」


 ミシェルに朝刊を渡すと、ヤンは店員に向かってテイクアウト用のコーヒーを注文した。


『コレット嬢!無事見つかる!

数日前から行方不明になっていたコレット嬢が、昨日深夜、何事も無かったかのように帰宅したとのこと。本人に怪我は無く「心配してくれる皆さんの事を考えました」と話しているそう……』


 ミシェルは何も言わずにコーヒーを飲んだ。


「あれ、なんか反応薄いっすね」


「別に」


「まあいつものことっすけど。じゃ、自分はそろそろ……」


 立ち上がったところでうさぎみたいなちっこい店員が、コーヒーを持ってきた。ヤンは小銭を渡すと、それを受け取って、足早に外に出た。しかしすぐに戻ってきて、ミシェルのところに駆けていく。


「ミシェルの兄貴、なんかしたんすか……」


 なんのことだとヤンに連れられるまま外に出ると、《アダムス探偵事務所》の前には人がごった返していた。


 人の波をかき分けて最前列にやってくると、事務所前の段数の少ない階段には、フリルとレースのついた赤い豪奢なドレスを身につけた金髪の少女が座っていた。幾重にも重なったフリルが人の波の風に揺られてお菓子の袋みたいに膨らんでいる。

 隣にはベルトのついたトランクがいくつも重ねられている。


「おはよう!ミシェル!」


 少女はミシェルに向かって笑って手を振った。


「お前、何してる……」


「探偵の助手って、面白そうじゃない?それに……」


「はぁ?」


 金髪の少女、もといコレット嬢は、太陽より眩しい笑顔で言った。


「私、ミシェルと結婚する事にしたから!」


 悲鳴とも歓声ともつかない声が、辺りに響いた。


 ミシェルとコレット嬢の探偵稼業は、限り無く前途多難である。

最後まで読んで頂きありがとうございます!

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