8 コレット嬢は、名を名乗る
コーネリアは階段を上がった場所の奥にある扉の前に立っていた。その場所から、ミシェルと犯人を見下ろしている。
すっぽりとローブをかぶり、幽霊のような姿になっているため、月明かりに照らされたそれは、本物の幽霊そのものだった。もしエミリーが起きていたら、恐怖で卒倒してしまったかもしれない。
「その人を放しなさいって言ってるの!」
コーネリアはもう一度叫ぶが、犯人がそれに素直に従うはずもない。犯人はミシェルのこめかみに銃口を近づけた。
「アンタ、コイツの仲間か?」
「そうよ……とりあえずその人を放しなさいって言ってるでしょ!」
犯人は若干呆れているようである。
今さっき仲間だと言った人物がこめかみに銃を突きつけられているというのに、物怖じしない姿、この銃が玩具だとでも思っているのだろうか。もしくはコイツにさほど思い入れが無いのか。
「アンタ、自分の立場分かってんのか?」
犯人は言った。それに対して、コーネリアは何か言いかけてそれを飲み込んだ。それからしばらく考えてから、ローブのボタンに手をかけた。
「……立場が分かってないのは、そっちの方よ」
コーネリアはローブのボタンを全て外すと、ローブを脱ぎ、右手で遠くに投げた。ミシェルは驚愕の表情を浮かべてそれを見ていた。その一瞬が、何時間にも引き延ばされたような気さえした。
煌めく長い金髪。熟れた果実のような赤いドレス。親譲りであろう透き通るような白い肌。それら全てが眩いばかりの月明かりに照らされて、神々しいまでの輝きを放っているようだった。
「私の名前はコレット・セヴニール・オリヴィエ・クラメール・ド・セルーシュ・セルニア。次はあなたの番よ。名前を教えて?」
「なっ、コレット、だと!?」
ミシェルは頭を抱えていた。犯人はそれを気にとめる様子もなく、コレットの方を見ている。それどころか、さっきまでのミシェルよりも驚いた表情をして、釘付けになっているようだ。
それも当然のことである。今目の前で名を名乗ったのは、セルーシュ王国第三王女で、つい先日パーティーから逃げ出した、コレット嬢その人であり、自分が銃口をあてがっているのはその仲間なのだから。
いくらか小心者だった犯人は、意を決してコレット嬢に銃口を向けようとしたその瞬間、どこか遠くからサイレンの音が聞こえた。
「今なら見逃してやらんこともない」
ミシェルは犯人を見上げた。誰にでもわかる、不敵な笑みを浮かべている。
「……クソっ!おい!逃げるぞ!」
もう1人の犯人は、下っ端らしく「はいっ」と威勢のいい返事をすると、階段の裏にあった裏口から逃げて行った。
コレットは足早に階段を降りると、ミシェルに駆け寄った。ドレスの裾は、パーティーから逃げ出した時に膝まで破いたから気にしなかった。
ミシェルはズボンについた埃を払いながら立ち上がり、倒れたままのエミリーを見た。何も言わずにコートを脱ぎ、エミリーに被せた。
「これくらいなら、バレないだろう」
コレット嬢は、え、何が?と言いかけて口を噤んだ。
ミシェルは、今回の事件に自分が関わった事を警察に知られたくないのだ。理由は分からない。でもコレット嬢はそれ以上何も聞かなかった。
「さて、行くぞ」
コレット嬢は、ついさっき捨てたローブを拾い上げると、もう一度着込むと、ミシェルに向かって頷いて見せた。
◇◇◇
コレット嬢が2回転びかけた以外は、おおよそ問題無く事務所まで行く事ができた。
飲みかけだった紅茶はすっかり冷めてしまっていて、アイスティーだと言えば隣のレストランで出せそうだった。最もこの時期アイスティーを飲む人などいないだろうが。
帰ってきたミシェルは、身を投げ出すようにしてソファに座った。
しかしコレット嬢は扉をくぐったところで突っ立ったまま、動こうとしない。
「ねえ、なにしてるの」
「休憩だ」
「そうじゃなくて!私は失踪中のコレットよ?その、警察とかに突き出さなくていいの?」
「興味ない」と言ってミシェルは立ち上がった。それから小さく伸びをすると、キッチンの方に向かい、お湯を沸かし始めた。そのうち、ヒューとお湯の沸く音が聞こえた。
コレットはローブは着たままフードを外すと、行儀よくソファに座った。しばらく骨董品ばかりの事務所を見渡してから、意を決して言った。
「ねぇ、そろそろ教えなさいよ」
「なんのことだ」
ミシェルはキッチンの方を向いたまま答えた。コレット嬢は続ける。
「その、なんかよく分からないんだけど、違和感が、その」
「なんでそう思った」
「だから分からないっての。でもミシェルは気づいているんでしょう?」
キッチンからカチャカチャと陶器のぶつかる音がする。
ミシェルは新しいティーカップを2つテーブルに置くと、ポットから紅茶を注いだ。湯気が上がり、立ち上って消えていく。ミシェルは紅茶の注がれたティーカップをコレット嬢に差し出してから、自分の紅茶を飲んだ。
コレット嬢も喉が渇いていたので、とりあえずそれを口に含んだ。普段家で飲んでいるものとは格の違う一般庶民に普及しているものだが、コレット嬢はそもそも紅茶に対してそこまでの関心がなかったので、全く気にならなかった。それどころか身体中の疲労が消えていくようだった。
「ちょっと」
「チッ」
ミシェルはそれとなく話を逸らしたつもりだったのだが、コレット嬢には通じなかった。
「はぁ……仕方ない。教えてやる。コレット嬢に逆らったと言ったらどうなるか分からないからな」
「別に何もしないわよ。私は」
「私は」と言ったのはわざとである。ミシェルはカップをソーサーに置くと、ゆっくりと話し始めた。
「エミリー誘拐は、狂言誘拐だったんだよ」




