ネロとエーコ
「はぁ~」
ガガ島の東側に立つ巨大な屋敷、その二階の海を見渡せるバルコニーで屋敷のメイド、エーコは柵に手をかけながら海に向かって大きくため息を吐いた。
「こら、エーコ。溜息なんて吐いてないでさっさと掃除にかかる!今日は三ヵ月ぶりにご主人様が返ってくるんだから」
「いや先輩、それが憂鬱なんですよぉ。」
エーコが先輩メイドに対してダレた声で返す。
つい先ほど、西側領主のカーミナル伯爵から受けた連絡。それはこの屋敷のの主であるネロが帰国したという知らせだった。
そしてそれに伴い、メイドたちは出迎えの準備をしていた。
「あんたねぇ……この三ヵ月、主のいない屋敷を何のために、せっせと掃除してたと思ってるのよ、全ては私たちの雇い主、ネロ・ティングス・エルドラゴ様のためよ。」
「ネロ様ねぇ……」
主の名前を呟きながらエーコはネロの事を思い出す。
年齢はまだ若く、 腕っぷしは異常なくらい強いが、性格は最悪で平民であるメイドたちは口を聞いてもらえず、近くにいてもまるで見えないかのように振るわれていたものだ。
そしてネロがいる屋敷の中は常に重い空気が漂っていた。
――またあの環境に逆戻りか……
「はぁ~」
「ほら言った傍から溜息を吐かない!さっさと持ち場の掃除をする!あとそれが終わったら市場でガガリンゴを買ってくること、あのリンゴで作るアップルパイ、ネロ様の大好物らしいから。」
「はーい、わかりましたよぉ~」
エーコはふてくされた顔をしながら渋々屋敷の掃除へと戻っていった。
――カーミナル伯爵邸
「お父様!お母様!ただいま戻りました」
「おお、エレナ!よくぞ戻った!」
三ヵ月ぶりの我が家の門を叩いた愛娘の姿を見るや、父リング・カーミナルがエレナを強く抱きしめる。
「もうエレナ、勝手について行ったら駄目じゃない、私たちがどれだけ心配したと思ってるの」
「ごめんなさいお母様、でも私、どうしても自分の眼で世界を見ておきたくて」
「まあ、いいじゃないか、こうして無事に帰ってこられたんだし」
「もう、あなたってば相変わらずエレナに甘いんだから……」
久々に揃うカーミナル一家の間に団らんとした空気が流れる。
ネロは三人から少し距離を置いていたが、リングがネロの存在にも気づくと、ネロの傍へと歩み寄る。
「ネロもよく無事に帰ってきた。」
「はい、お気遣いありがとうございます。」
エレナの時とは違い少し厳格のある声色で接するリング。
ネロはリングの労いの言葉に対し軽く一礼する。
「どうだ?この三ヵ月、何か得られるものはあったか?」
「……自分が望んでいたものはまだ見つかっていません。が、この三ヵ月、外の世界を知ることで自分の中の価値観が少し変わった気がします。」
「……ふふ、そうか、どうやら心身共に成長したようだな。」
ネロの答えにリングも満足そうに頷く。
そしてネロもリングの言葉に小さく笑みを作った。
「……この礼儀正しい男は誰?」
――……
が、隣から聞こえた声にネロは笑みを浮かべたまま硬直する。
ネロの隣にはエーテルが礼儀正しい態度をとるネロをもの珍しそうに頰を手に乗せながら見ていた。
「ネロは元々目上の貴族の人には礼儀正しいよ。」
「えー、うっそだぁ⁉︎だって旅してた時はネロっていっつも目上相手でも俺様態度で物言って……」
「エーテル、少し黙ろうか?」
ネロが凄みのある笑顔でニッコリと微笑むと、危機を察したエーテルが身震いし、体をさする。
エーテルが姿を現したことで、リングとアリサがエーテルの存在に気づく。
「まあ!あなたまさか妖精?もしかしてあなたがエレナが手紙で言っていた新しい友達の……」
「うん、私、妖精族の王女のエーテル。エレナのお母さん、よろしくね。」
「まあかわいい~、妖精なんて初めて見たわ!私はアリサよ、エーテルちゃん、宜しくね」
挨拶を交わしたアリサとエーテルはそのまま和気藹々と話し始める。
「ふむ、新しい仲間が二人できたとは聞いていたが、その一人がよもは幻と言われている妖精族とは、して、もう一人の子は?」
「はい、少しアドラーで調べ物があるということなので、後から遅れて来る予定です。」
「そうか、なら今日は自分の一度屋敷に戻るといい、これからの事はまた後日改めて話をしよう。」
「はい、そうさせていただきます。」
ネロは最後にもう一度礼をするとカーミナル邸を後にした。
――
屋敷への帰り道、ネロはいつも通っていた道へと進む。このルートは正規のルートではなく、屋敷までの距離は近いが、行く手には小さな森があり、モンスターも出現するので、基本島の人間はこの道を通ることはない。
ネロがこの道を通っていたのは近道な事もあったが、理由はそれだけではなかった。
ネロはふと立ち止まる。
このまま真っすぐ進めば問題なく屋敷に着くであろう。 しかしネロは正規ルートであるもう一つの道に興味を示す。
正規ルートは今進んでいる道よりも遠回りになるが、比較的に安全な道だ、そしてネロがこの道を通らなかった理由はその道の途中にあった。
このルートに沿っていくと必ず島の中心である港町を通り、市場を通らなければならない。
そして市場には毎日島の住民から魚を仕入れる漁師などでたくさんの平民達が訪れていた。
ネロは平民との接触を避け、今まで一度も通ったことがない。
しかしネロはこの三ヵ月の旅で平民への接触方が変わり、人混みへの抵抗も薄れていた。
そして最近は食い歩きにはまっている。
「そういや、久々にリンゴが食いたいな」
そう考えると、ネロは生まれて初めて島の市場へと向かった。
――
ネロが市場に到着する。
やはり市場は買い物客でそれなりにぎわっているが、アドラーの街に比べたら比でもないのでネロは躊躇することなくへ足を踏み入れる。
――果物コーナーはどこだ?
辺りを見回してもあるのは魚の売っている店だけ、ネロは近くの店の店員に声をかける。
「なぁ、ここら辺で果物売ってるのってどの辺だ?」
「なんだ、あんた、見ない顔だねぇ、ガガ島には観光かい?果物ならそっちの方だよ。」
「……ありがと」
ネロは小さくお礼の言葉を述べるとそのまま急ぎ足で果物売り場へと向かう。
――見ない顔、か……
少し女性の言葉が胸に引っかかったが、ネロはすぐに切り替える。
そしてネロは女性に教えられた店へと行く。
するとそこは島のリンゴだけでなくガガ島のありとあらゆると果物が売られていた。
ネロはその中から一つだけ残っているリンゴへと手を伸ばす。
すると横からもう一つ、別の手が伸びてきネロの手と同時にリンゴを掴んだ。
「ん?」
「む?」
横を見れば隣でメイド服を着た小さなツインテールの少女がネロを睨んでいた。
――……見たことない顔だな?観光に来ている貴族のメイドか?
互いに睨み合いながらリンゴから手を離さない状況が続く。
「……ちょっとその手、どけなさいよ。これは私が先に手にしたのよ。」
「ふざけたこと抜かすな、これは俺が先に手にしたんだ。」
少女がネロからリンゴを奪おうと力を込めるがネロは微動だにしない。
「んぎぎ……あ、あんたねぇ、レディファーストって言葉を知らないの?」
「女性優先だろ?だからお前から先に手を放させてやるよ」
「そう言う、優しさは………いらないから……んぎぎ!」
「なんだよ、レディファーストといったかと思えば優しさはいらないとか言ったりめんどくさい奴だなぁ」
会話をしながらも少女は力を緩めない、そしてネロも絶対放さないと、リンゴをがっちり固定する。
「ハァハァ……この子供のくせになんて力を……あんた、どうせ自分で食べるんでしょ?こっちは仕事で必要なのよ、だから大人しく渡しなさい」
「そっちの都合など知った事か、欲しけりゃ力づくで奪ってみろ」
「……言ったわねぇ!」
ネロの挑発に乗り少女が全体重をかけてリンゴをネロの手から引っこ抜こうとする。
顔を真っ赤にしながら精一杯力を入れるがネロの手からリンゴが抜けることはなかった。
「ほれほれ、頑張れー」
「ムキー!こうなったら……ピヨピヨハンマー!」
「なに⁉」
ピヨピヨハンマーにネロが反射的に避ける、そしてその隙にメイドがネロの手からリンゴをもぎ取った。
「よし!」
「しまった!」
ネロがすぐさま取り返そうとリンゴを掴むしかし……
「「あ……」」
つい力を込めてしまったネロが、そのままリンゴを握りつぶした。
「どうすんのよ!これが残り一つのリンゴだったのに!」
「俺だけのせいにすんなよ!もとはと言えばなぁ……」
「あんた達……喧嘩する前にまずいう事があるんじゃないのかい?」
ネロ達の喧嘩に突如割って入ってきた第三者の声。
声の方を見ると、リンゴを潰された店の店員が鬼の形相で二人を睨んでいた。
そして周りを見て見るとそこには二人を中心に小さな人だかりが出来ていることに気づいた。
「「ごめんなさい、ごめんなさい」」
二人はひたすら謝った。
――
「どうすんのよ、私まで怒られたじゃない」
「当たり前だろ、お前がでかい声でギャーギャー喚いてたのが原因なんだから」
「きいぃ!ムカつくやつ!決めたわ、あんたはこれから私のギャフンと言わせてやるリストのナンバーツーに入れてあげるわ、光栄に思いなさい」
「なんだそれ?しかも一番じゃねぇのかじゃねえのか」
「残念ながら一位は断トツで私のご主人で決定だからね」
――なんてメイドだ……
「いい、覚えておきなさい、この島にいる間、このスーパーメイドのエーコちゃんのプライドにかけてあなたをぎゃふんと言わせてあげるからね覚悟ししておきなさい!」
それだけ言うとエーコと名乗ったメイドはその場から立ち去って行った。
――……しかし、いろいろとすげぇメイドだな……あいつの雇い主って何者だ?
そんなことを考えながらネロはエーコと同じ方向の道を歩いて行った。




