少しだけ……
ぼんやりとした意識の中、その声はどこからともなく聞こえきた。
『ごめんなさい、シリウス……ごめんなさい……私が未熟なばかりにあなたを……』
今自分の目の前には闇が広がっており、声だけが脳内に伝わるように聞こえてくる。
『泣かないでください、私の愛しき女神さま、私はあなたのそんな優しいところに惹かれお慕いしていたのですから』
泣きじゃくる美しい女性の声と、それをやさしく慰める若き男の声、いったいどこの誰の声なのかもわからないその声に、何故か懐かしさを感じた。
その声がなんなのかわからないまま、何も映らない暗闇の中に、突如小さな光が現れる。
その光は少しずつ大きくなっていき、大きくなればなるほど目の前が明るくなり、やがてその光が視界いっぱいまで膨れ上がると、眩しさが視界を覆いつくした。
先ほどまで暗闇で真っ暗だった視界が次は光によって真っ白になる、その眩しさに思わず目を閉じようと思った瞬間、その光はパッと消えて再び目の前が真っ暗になった。
――
ネロはハッと眼を開く。
「……ここは?」
目を覚ましたネロはまだぼんやりとしている視界のまま視線を泳がせる、しかし視界は先ほどと同様に闇で覆われていた。
だが先ほどとは少し違うことに気づく、先ほどまでの闇は自分が気を失い目を閉じていたからだろう、そして今見える闇は単純に光が遮断されているからだった。
「そうだ……確か俺は」
ネロが徐々に先ほどまでの記憶を取り戻していく。
――レミナス山の頂上でレアードと対峙して、そこで体が動かなくなったかと思うと地面が突如割れ始めて俺はそのまま……
「……」
状況を思い出すとネロは今の自分の状態を把握する、おそらく今自分は崩壊したレミナス山の飲まれ、そのまま埋もれてしまっているのだと。
あの状況で山が崩壊するなど普通なら考えられない話だ、だがそんな普通じゃ考えられない状況に陥る可能性があることをネロは知っている。
――あの意識がなくなる前に感じたあの感覚、間違いない
記憶はないが今まで何十回と前世で自分を襲い、殺してきた最悪の存在。
ネロは自分に不幸が起きたのだと察した。
不幸が起きるのは毎回自分の十五歳の誕生日、だが自分の記憶ではそれはもう少し先のはずだ。
何故今起きたかはわからないが、幸いまだ生きている。
ここから出られれば運命を乗り越えられる可能性はまだある、そんな希望を胸にネロは体を起こそうと力を入れるが体は全くと言っていいほど動かなかった。
どうやら自分は予想以上に深く埋もれてしまっているらしい。
いくら規格外のネロでも規格外の高さを持つ山の下敷き状態から抜け出すのは容易ではない。
それに加えて山を登った際の疲労もあってか力が上手く入らない。
更には長く気を失っていたのか腹の虫が小さく鳴く。
――そうか、そういうことかよ。
ここでネロは何故今不幸が起きたのか気づく、きっと不幸はこのままの状態で身動き取れないままで体力と精神を削り、そのまま自分の誕生日までじわじわと命を削られていくのだろう。
かつてピエトロが言っていた言葉を思い出す。
『どれだけ最強の力を持とうとも、僕たちが人間である限り死なない事なんてあり得ない』
どれだけ強くなろうと、人間である限り空腹や疲労には勝てないと、そこを狙われたんだろう。
――……ふざけんなよ、絶対ここから抜け出して生きて帰ってやる。
時間はまだあるし、意識もはっきりしている。
ネロは一度心を落ち着かせると、ここから這い出るため、もがき始めた。
――
それからネロはここから出るため様々なことを試みる。
強引に立ち上がろうと体全体に力を入れて踏ん張ってみたり、水魔法で土をぬらし指で少しずつ土を掘ってみたりと、しかしどれも機能せず無駄に体力を削ってしまう一方だった。
――大丈夫だ、まだ大丈夫……
ネロは言い聞かせるように心の中で呟き、時間をかけて作業を続けた。
――
暗闇の中に入ってから随分と時間が経った。
正確な時間はわからないが軽く数日は経っている、
長時間、起き上がれないまま空腹と暗闇で過ごす日々はネロの精神を大きく蝕んでいった。
――死にたい、早く死んで楽になりたい。
生きようともがくネロの中に少しずつ諦めの言葉が浮かび始めていた。
――
体の動かし方を忘れたネロは目の前の景色を見ていた。
見る景色は目を閉じても開けても変わらない、星の光に照らされている夜の暗闇とは全く別物の本当の闇だ。
この何も見えないと言う状況がどれほど恐ろしいもなかというのを改めて実感する。
体が動かないので死んでるのか生きているのかも迷うほどだが、唯一聞こえる自分の呼吸音が自分がまだ生きていることを教えてくれる。
逆に言えばそれくらいしか生きていることが証明できない。
だがらと言ってここからどうすることもできない。
――自分はこのまま、この黒の中で死んでしまうのだろう……
そんな不安に負われながらネロは今日も生きようと必死に体に力を入れ続けた。
――
――……俺がここで目を覚ましてどれくらいたっただろう?
動けずにこうやってボーっとしているだけの生活にも慣れてきていた、地上から遮断されて、空気もなく、呼吸もままならないこの状態で生きているのは規格外のステータスに合わせて、エレメンタルランドでもらったアイテムによるものだった。
皮肉にも、生きるために身につけた力で生き延び苦しんでいる。
――態勢はきついし腹が減って今にも死にそうだ……何も考えられない、考える気力がない……今回はもう諦めたからさっさと死んで次の来世に逝かせてくれ。
ネロはそんなことを考えながら今日ももがいていた。
――
――体はもう動かない、喉も乾ききっている、なのに辛い、苦しいという感覚すら感じない……少しずつ意識も遠のき始めている。
おそらく近々俺は死ぬのだろう、ということはもうすぐ俺の誕生日か……
今思えば非常につまらない人生だった。
不幸を乗り越えるために強くなることに必死になり、やりたいこともしないまま、ただ強くなることだけを求めて生きてきた。
楽しいことなど一度もしたことなんてなかった、こんな人生に未練なんてない、そう思っていた……
……なのに何故だろう?なぜ俺は今も抵抗しているんだろう?
ネロは未だに自分の体が抜けだそうと精一杯抵抗していることに気づく。
――こんな人生に未練なんてないだろう、諦めろよ。
ネロが無意識に抵抗する体の説得を試みる、しかし体はまだ起き上がることを試みている。
――とっとと死んで来世に行こう、そうすればきっと――
前世のような楽しい人生が待っている、そう言い聞かせようとした瞬間、ネロの脳裏に旅をした時の走馬灯が駆け巡る。
――……ピエトロにエーテル、カトレアにカラクにダイヤモンドダストの面々、それにエーコも……
乾ききったはず頬に一粒のしずくが流れる。
――ああ、そうか……そうだよな、こんなに楽しかったんだもんな……まだ……死にたくないよな……
かつてのネロは人が死ぬことを何とも思わないでいた、死んでも来世があるから問題ないと。だがそれは違うと今になって気づく。
来世があろうが前世の記憶を持っていようが今生きている自分は一人なんだ、今ここにいるのは記憶を持っていようがカイル・モールズではない。ネロ・ティングス・エルドラゴなんだと。
この思い出はネロ・ティングス・エルドラゴの記憶だ。
そして、その記憶の中にはいつも一人の少女がいた。
――……認めたくはないが、やっぱり俺はあいつを……いや、だけどもう手遅れだ。
あんな酷い別れ方をしたんだ、あいつも俺のことをもう嫌ってるだろう。きっとあいつだって今頃……
…………
……
……ダメだ、あいつが俺を嫌う想像が、できない。
……それもそうか、あいつが俺を嫌っているところなんて見たことがないんだから。
あいつはいつも俺を……
……
……もしも、もしも、だけど……
……もし、もう一度、あいつと会うことがあれば……
……その時はちゃんと謝って……
……そして、少しだけ、優しく……してやろうかな……
……ほんの少し、だけどな。
…………
……
…
――
ここまで見てくださった方、ありがとうございました。
次回、二章のエピローグに入ります




