トリンドルの森②
ネロ達は危険を冒してまで案内を申し出てくれた男にお礼と別れを告げた後、トリンドルの森へと足を踏み入れる。
森の中はネロがカイルだった時に通っていたころと変わらず、中に生き物らしきものは一切見当たらなかった。
「なんだか、不思議なところね。こんなに環境の良さそうな森なのに生き物の姿どころが鳥の鳴き声一つ聞こえない。」
無風で草が揺れる音すら聞こえない森の中で強調された自分達の土を踏む音に、エレナもこの森の異常性にすぐさま気づく。
「これは妖精族が張ってる結界の影響ね」
「結界?」
「ええ、ラルターナの森に幻術をかけてたように、この森には外部からの生物の侵入を防ぐための結界が張ってあるわ、と言っても微弱だから侵入を防げるほどの力はないけど、ここに来た生物たちは不快を感じて、自然と遠ざかってるのよ。」
前世から持っていた疑問についてエーテルが答えを言う。
まさか、こんな些細な事が妖精の仕業だなんて誰が思うだろうか。
前世からネロもベルモンド兄妹たちもそんな風に感じなかったことから、恐らく結界は微弱過ぎて人間には効果がないようだ。
しかし、生き物のいない森にわざわざ足を踏み入れる者もおらず、更にこの場所がモールズ邸の近くということもあって、結果的に人間をも遠ざけていたこととなっていた。
「そういえば、最近ここであった争いでモールズ公爵家の人達が亡くなったって話だったけどここで戦闘は無かったのかしら?」
今度はエーテルが周囲に全くと言っていい程痕跡がない事に疑問を持つ。
流石に自分が十五年前に鍛錬で斬っていた時の痕跡は残っていなかった。
「まあ、ここはあまり戦闘にも向いてないからな。」
「そうなの?森って言えばよく奇襲の場所ってイメージがあるけど?」
「こんな生き物のいないところじゃ、音が目立ちすぎて潜むのは難しいし、王国でよく使われる魔法罠も兵器も仕掛けるにしてもこんなところで発動したら周囲の被害も大きくなるから仕掛けられないしな。」
「なるほどね……」
……と。一応それっぽいことは言って見せるが、実際の所は分かっていない。
クソ親父ことレインだけならまだしも、義母までもが巻き込まれて死んだいう話だったので、とりあえずこの辺りで争いがあったはずなのだが、それにしてはこの付近はあまりに地面が整い過ぎていた。
ルイン王国は魔法兵器と魔法罠という二つの武器で成り立ってきた国だ。
持ち手のマナを火種に強力な武器となる魔法兵器と、あらかじめ魔法を入れておき、仕掛けた場所にいつでも誰でも好きなタイミングで発動させることができる魔法罠。
この二つの技術が長い歴史の中、強力なアドラー帝国と対等に争え、今日まで存亡できていた要因と言っていいだろう。
そして、この二つの強力な武器は、当然内戦でも使われている。
しかし、この辺りはその二つの道具を使った痕跡が全くと言ってほど見当たらなかった。
使わなかったという事もあるが、自分の知る限りレインが使っていないなどありえない。
――もしかして、モールズ夫妻の死因は暗殺だったのか?
そう考えれば辻褄は合うが、この夫婦をわざわざ暗殺するメリットが、思い浮かばない。
何せ行きに聞いた話では、レインは領地の統治に失敗し、借金も膨れ上がっており放っておいても潰れるほど没落していたという話だ。
息子が国王という事もあって、まだ力は保っていた物の、殆どのモールズ派だった貴族たちはモールズ、ルイス、に並ぶ三大貴族の一つ、リンドーア公爵の元へと乗り返っていったらしく、味方もほぼいなかったらしい。
平民の扱いも特にひどかったため、反乱軍からの攻撃も集中しており、レインたちが亡くなる前には八割の領土が反乱軍の手に堕ちていた。
そのため、死ぬ間際のモールズ家は領地をすべて放棄し隠れるようにひっそりと暮らしていたとのことだ。
例え多くの人間に恨まれていようとも態々そんな落ちぶれた貴族相手に暗殺命令を出すようなものもいないだろう……
――ま、いいか。
色々あれこれ考えていたが話はまとまらずネロは考えることをやめた。
そして長考から我に返ると、いつの間にか前を歩いていた二人の声が聞こえなくなっていることに気づく。
「……あれ?」
咄嗟に辺りを見回し二人の姿を探すが、そこで更にネロは今の状況に首を傾げた。
周囲には二人の姿はないのは勿論、それどころかネロは何故か森の入り口付近に立っていた。
――
「ネ、ネロが消えたぁ⁉」
目の前で起きた出来事に、エレナはパニックに陥っていた。
エーテルの先導の元、妖精の泉を探していたが口数の少ないネロを不思議に思い振り返ってみると、突然ネロの足元が光り出し、そのままネロが姿を消した。
「落ち着いてエレナ。今のは恐らく簡易的な転移魔法よ、ネロのマナもすぐ近くに感じられるし、心配するほどでのことでもないわ。」
「そ、そう……」
エーテルの一言にエレナは少し落ち着きを取り戻す。
「それより、今のはなんだったの?マナの感覚からして、魔法なのは確かみたいだったけど術者が見当たらなかったわ。」
「今のは恐らく、魔法罠ね。魔法の封印された札を使っていつでもどこでも魔法を発動させられるルイン王国の道具よ、ちなみにミディールでも使われてるわ。でもこんなところに転移魔法の罠が仕掛けてあったってことは誰かがこの先に行かせたくないために仕掛けたのかな?」
そう言うと二人はこの先にある道の方に眼を向ける。
目の前には何の変哲もない草木の道がが続いている。
「こっちは泉の方向だけど……その前に誰かいるみたい。ちょうどネロのマナもこっちから感じるし、行ってみる?」
エーテルの言葉に、エレナは一度考える。
――相手が誰かわからない以上危険だけど、ずっと待っているだけじゃダメよね?
そう判断するとエレナはコクリと頷き、足を進めた……
――
一方その頃、ネロの方も足を進めていた。
と言ってもネロが向かっているのは森の中ではなく、すぐ近くにあるモールズ公爵邸だった。
ネロが魔法により転移した場所は森の入り口ではあったが、自分達の入った場所とは逆の入り口だった。
本来ならすぐにでもエレナ達のところに戻らなければならないと思いつつも、現在のモールズ邸への興味の方が勝り、気づけば逆方向に足を進めていた。
「……着いた。」
ネロが屋敷前まで来るとポツリと呟く。
そう呟いたネロの顔に嬉しさや喜びなどは一切なかった。
かつてのじぶんの家だった場所は、今は燃えて無くなり、焼け落ちた瓦礫だけが残っていた。
「……反乱軍にやられたのか?」
「その通りさ、貴族の少年よ。」
独り言のつもりで呟いた言葉に返答が返ってくると、ネロはその声に反応し後ろを振り向く。
そこには、貴族服に身に纏った青い髪の男がにっこりと笑みを浮かべながら立っており、ネロと目が合うとゆっくりとネロの方に歩み寄ってきた。
そしてそんな胡散臭さを感じる笑みを浮かべる男にネロは心なしかどこか懐かしさを感じていた。




