別れ①
――ネロやエレナがそれぞれのデートしていた頃……
エレナの実家である伯爵邸の数ある部屋の一つの扉が、コンコンと優しくノックされる。
「メリル、いるかい?」
その声に、部屋の仮の主であるメリルが返事をすると、静かに扉が開かれる。
扉が開くと一人の少年が中へと入ってくる。
肩まで伸びた美しい金髪に、エメラルドのような緑色の大きな瞳、初対面の人間が見たら性別に迷いが生じるほど中性的な顔立ちで、それは今までメリルが見てきた中で最も美しいと思える人物である。
「あら、いらっしゃい。ピエトロ。」
メリルが小さく微笑み挨拶をすると、ピエトロは一瞬立ち止まり、瞳を大きくした。
後ろにあるベランダの窓から入る光の逆光を背に立つメリル。
その背景に合わせて蛇の髪を持ち微笑む彼女の姿は美しいピエトロとは対照的な醜い怪物を彷彿させた。
「あら、どうかしたの?」
「……いや、その姿も中々魅力的だと思ってね。」
悪戯っぽく笑って尋ねたメリルに、ピエトロがそう返す。
皮肉とも捉えられそうなお世辞であったが、メリルは怒ることなく嬉しそうにその言葉に同意した。
「でしょ?はじめは酷く動揺したものだけど、いざ鏡で見てみるとこれはこれで妖艶さがあって美しかったわ。」
そう言ってメリルは少し得意げな笑みを見せると、メリルの感情に反応したのか頭の蛇たちも小刻みに動いて見せる。
その光景にピエトロは思わず苦笑いを見せる。
「でも、本当にいいのかい?今ならまだ治せるよ?」
「いいのよ、この蛇達にも愛着も湧いてきたし……それにこれは私の今までしてきたことに対する戒めでもあるから。」
メリルが髪ながら自我を持つ蛇を撫でながら後ろに振り返ると、そのまま太陽の光が零れるベランダの方へと歩き出す。
「……私、わかったのよ。私の体に変化が起きたあの時、頭の中には今まで私が血を浴びてきた人間達の色んな記憶と感情が入ってきたわ。私に対する恐怖と憎しみ、そして私に殺される前の最後の記憶、あの時の彼女達から見た私の姿は今の私以上に化物で醜い姿をしていた。あんな姿をした人間が、どれだけ自分を磨いたところで、美しくなることなんて不可能だって、美しくなるためにしてきた私の行いは私をより一層醜くしていたと言うことを。」
メリルは儚げな表情を浮かべ、ベランダから海を見渡す。
「……だからね、逆にこれでよかったのよ。それに私が醜くなったことで、周りにある何もかもが凄く美しく思えるようになったの。」
そう言ってメリルはそのまま太陽の光に反射し輝く海へと手を伸ばす。
「私の美へ思いはこれからも変わらない、これからも美しいものを求め続けるもの。でも、これからはその手段にすら美しさを求めていくわ。」
伸ばした手を閉じて、メリルはその手の中に光る海を収める。
醜い化け物の姿で行われたその仕草であったが、ピエトロはそんなメリルにほんの少し見惚れていた。
「それで、私に何か用があったんじゃないの?」
「ああ、また君に少し頼みたいことがあってね。」
「なら、また見返りもあなたでいいのかしら?」
「残念だけど、それはにもうできないよ、僕にもやることができたからね。ただ、この話は君にも決して悪い話じゃないと思うよ。」
「へえ……詳しく聞かせてよ。」
――
……それから三日後。
縁談のためミディールを訪れていたミーファスは帰国のため、テトラの町から少し離れたところにある平地で、相棒のグリフォンに乗って飛び立とうとしていた。
「それでは短い間でしたが、大変お世話になりました。」
ミーファスは見送りに来てくれた縁談の相手のネロとその関係で知り合った婚約者であるエレナ、そしてわざわざ城を抜け出してまで見送りに来た国の王であるカラクに頭を下げて別れの挨拶を告げる。
「もっと、ゆっくりしていけばいいのに。」
「いえ、縁談が破談になった以上、もうこの国にいる理由もないですから。私とてオルダ王国の誇る最強騎士団の団長を務めている身、理由もなく何日も空けてられないですから。」
「えーと……その話に関してはご期待に答えられる返事ができなくて、すみません。」
その言葉がチクリと刺さったのか、ネロが気まずそうに謝罪してくる。
「気にすることはない、あの時言った君の言葉は真っすぐで、私の胸にも大きく響いた。おかげですぐに受け入れることができたからね。……まあ、それだけに少し惜しくもあったが。」
ミーファスはあえて聞こえないよう最後の一言はポツリと呟いた
「それに最後に君の婚約者殿と改めて話もできたのもよかった。」
そう言って、ミーファスがネロの隣にいるエレナの方を見る。
エレナと話したのは街からこの場所までの行きしと言う短い時間ではあったがそれでだけでも彼女の人柄は十分理解できた。
エレナは婚約者と呼ばれただけで今にも爆発してしまうのではないかと思うほど真っ赤になっている。
――本当に純粋な子だな、この子が彼の特別になるのも頷ける。
そんなエレナの姿を見て、ミーファスは断られた時のネロ言葉を思い出していた。
『結婚ってのは互いが互いの特別な関係になるって事なんで、そんな出会ってまもない相手と婚約を交わして、自分の中の特別を安請け合いしたくない。』
――特別な関係か……政略結婚が主流となりつつあるこのご時世に何ともロマンチストな考え方だ。
「まあ、ミーファス殿は美人だし、すぐに新しい人が見つかるよ。」
「フフッ、それはそれで少し複雑ですね、何せ私の結婚の相手は私より実力が上でなければいけませんから」
カラクの言葉にミーファスが悪戯っぽく皮肉を交えて返すと、カラクも思わず苦笑いする。
「では、この辺でそろそろ。」
「ああ、オルダの国王にもよろしく言っておいてくれ。」
「ええ……では、機会があればまたお会いしましょう。」
最後に一礼をした後、ミーファスはグリフォンに跨ると、そのまま上空へと飛び立った。
――……果たして、私にもそのような関係になれるものは現れるのだろうか?互いの特別になれるような存在が……
――
「行ったか……」
「ああ。」
ミーファスの姿が見えなくなるまで見送った後、ネロとカラクが呟く。
「しかし、ほんとうによかったのか?あれだけの美人中々いないお目にかからないってのに。エレナとだって、仲良くなれそうなのにさ。」
「そ、それは……」
実際エレナ自身もミーファスと話してみて、非常に話しやすい相手であったことは認めていた。
ただ、それだけにエレナもカラクの言葉に少し複雑そうな様子を見せる。
「別にいいさ、そんな簡単に特別な存在が出てきたら特別な価値が下がるからな。」
ネロがそう告げると、カラクも「そうか」と一言呟くとそれ以上何も言わなかった。
「ところで、例の森についてだけど、知ってるやつが見つかったぞ。」
「例の森?」
身に覚えのない話にネロが首を傾げる。
「なんだ?お前からの依頼じゃなかったのか?お前らがダルタリアンへ出発する前に、ピエトロにトリンドルという森について調べてほしいって言われて調べておいたんだが。」
――トリンドルの森……
説明されてもいまいちピンとこなかったが、再度考え込み、その名前の事を思い出すと、ネロとエレナが同時に「あ!」と声を上げた。
「妖精の森か……そういえば、忘れてたな。」
「私も、色々あったから……でも、流石ピエトロだね。」
思い出せた事で二人がすっきりした様子を見せる。
「なんだ、いらなかったのか?」
「いや、そんなことはない。と言うことは場所が分かったのか?」
「ああ、だが場所が場所だけに行くのは少々厄介みたいでな、こっちでもそれなりの準備をしておくからだから、お前たちも一度家に戻って準備を済ませておくといい。」
「準備ですか?」
「というより厄介って、一体何処にあるんだ?」
「お前らの探してるトリンドルの森のある場所、それはルイン王国にあるモールズ領だ。」




