本音
エレナへ告白をした翌日、エリックは早速彼女の婚約者であるネロ・ティングス・エルドラゴと話をするため、彼女を通してネロを昨日行った喫茶店に呼び出した。
昨日と同様呼び出し時間の三十分前に着いたエリックは、先に店に入り、周りにあまり客がいない席に座りネロを待っていた。
ネロと会うのがこれが初めてではあるが、エリックはネロの事についてある程度知っていた。
エリックはダルタリアンから救出され国に帰った後、自分を救ってくれたエレナの事について調べていた。
ガガ島と言う小さな島の領主である貴族の御令嬢で、祖先は英雄カーミナルの血を持つなど家柄はそれなりに有名ではあったが、社交界デビューもまだの彼女自身はそこまで知られた人物でもなく、彼女に関して真っ先に出てきた情報は、自分が捕まっている間に将軍になったというネロ・ティングス・エルドラゴと言う男の婚約者ということだった。
将軍というからには百戦錬磨の初老のような男をイメージし、てっきり政略結婚による年の離れた相手だと思っていたが、聞いた話では相手は自分より五つ年下の少年という事だった。
かつてのミディールの将軍であったバッカス・エルドラゴの一人息子であり、最近行われた武王決定戦の優勝者にして歴代最年少で将軍の地位についた少年、そして今回のダルタリアンの救出作戦成功の立役者ともいえる人物。
ネロ・ティングス・エルドラゴは今この国で最も話題となっている人物であった。
婚約者がいる時点で身を引く事も考えていたエリックだったが、どうしても諦めきれず、ネロとエレナの関係性を知るためにネロの方も調査した。
幸いネロの父親であるバッカスが、叔父である国王のカラクと剣の師弟関係にあった事から、二人はカラクと交流があるという話だったのでエリックはカラクからも二人の話を聞いていた。
カラクはネロとエレナを実の弟妹の様に溺愛しており、話を聞いた時は少々面倒くさかったが、その分二人の事について詳細に話を聞くことができた。
そして話によれば二人の関係性を聞くとやはり、政略結婚による婚約の様だった。
元々半分に分かれた島の領地を統合することが目的の結婚らしく、カラク曰く二人の仲は良好だがそこに恋愛感情があるかはわからないとの事。
政略結婚による婚約関係ならば、目的の条件さえどうにかできれば解消することも難しくないだろう。
自由国家と言えど一応王族であるそしてエリックにはどうにかする力もある。
エレナの方は向こうが良いなら受け入れるといってくれた。つまり、二人の関係はそこまで深いものではないはずだ。
ネロを待つこと三十分、指定時間とほぼ同時刻になると、店に白髪の薄い褐色肌の少年が店に入ってきた。
予め聞いていた容姿と酷似していることからエリックはこの少年がネロだと断定すると、その人物に声をかけた。
「こっちだ。」
誰かを探すように、店内の入り口の前で中を見回す少年が声に反応すると、その少年に対して手をあげる。
「君が、ネロ・ティングス・エルドラゴ殿だね?」
「はい、ではあなたがエリック・ローレス殿ですか?」
「ああ、とりあえず座りたまえ。」
呼び寄せた少年に名前を確認してそう促す。
ネロはエリックの向かい側の席に着き店員に注文を入れる。
「わざわざ呼び出して済まない。改めて自己紹介をしようローレス公爵家の長男、エリック・ローレスだ、宜しく。」
「エルドラゴ伯爵家の一応当主のネロ・ティングス・エルドラゴです、ネロでいいです。」
お互いが自己紹介を交えた挨拶を交わす。
「そうか、ならネロ君、今日君を呼んだのは他でもない、一度君と話をしておきたかったからだ。」
「話ですか?」
「ああ……」
ネロの言葉にエリックは頷く。尋ねてはいるが、恐らく彼自身呼び出された理由に察しが付いているだろう。
だがエリックは、本題に入る前に一度、その場で深く頭を下げた。
「この度のダルタリアンの一件、自分及びミディールの民たちを救ってくれたことを心から感謝する。」
これはネロが今回の一件の立役者だと知った時に真っ先にしないといけないと思っていた事だった。
頭を下げた自分に対し、向こうは予想していなかったのか、キョトンとしている。
「いえ、自分は将軍としての務めを果たしたまでです。」
「それでもだ。あの時君たちが助けてくれなければ、もしかしたら私はもうこの国に戻れなかったかもしれない。だからここに迷惑をかけた事と、救出してくれたことに対し、改めて深くお詫びと感謝を申し上げる。」
もう一度頭を下げると、ネロが少し恥ずかしそうにそっぽ向きながら、顔を上げてくださいと言うと、エリックは顔を上げる。
「それで、話はそれだけですか?」
「いや、どちらかと言えばここからが本題になる。」
この流れから本題に入るのは少し気まずいが、それとこれは別だと言い聞かせ、エリックは一度咳払いをした後本題を切り出す。
「君は、昨日私が君の婚約者であるエレナ嬢と一緒にいた事は知っているかい?」
「ええ、一応エレナからは聞いていました。」
「そうか、本来婚約者がいながら二人っきりでお茶にお誘いするなど貴族として失礼なのは承知だ。だが、パーティーで姿を見かけた時、誘わずにはいられなかった。」
エリックは一度言葉を区切るとネロの眼を見てハッキリと口にする。
「私は、エレナさんに恋をしている。」
その言葉に対し、ネロはあまり反応を見せることなくただ無言で聞いていた。
――この反応、やはりあまり興味がないのだろうか?
先ほど注文したコーヒーに口をつけるネロを見ながらエリックはそのまま話を続ける。
「そして昨日、失礼ながら私はエレナさんに結婚を前提にしたお付き合いの告白をした。」
「……エレナはなんて?」
「君が構わないなら……と。」
「そうですか。」
聞いてないわけでも関心がないわけでもなさそうだが、やはりこの言葉にもネロは大して反応は見せなかった。
「……それで、どうだろう?もしよければエレナさんとの婚約を破棄してもらえないだろうか?」
緊張気味にそう伝えると、エリックは勢いのまま畳み掛けるように言葉を続けた。
「二人の事は知人を通して色々聞いている。そして話によると、君は小さい頃から婚約者としての関係でありながら婚約者らしいことはしてないみたいじゃないか。はっきり言って君がエレナさんに関心があるとは思えない、だが僕は本気だ、本気でエレナさんを愛している!それならば本気でエレナさんを愛している僕の方がエレナさんを幸せに出来るはずだ!」
「……」
「君たちの婚約は島の領土を統一させるための政略結婚と言う話も聞いている。そこでどうだろう?島の領土は全て君に譲るという事で手を打たないか?君たちの家には僕から言っておくから。君にはエレナさんの他にオルダ王国の騎士との縁談の話もあるからそちらを――」
「ミーファス殿との縁談なら断わりましたよ。」
「え?」
今まで無言で聞いていたネロから出た言葉にエリックが思わず言葉を止まった。
「でもまあ、いいですよ。エレナとの婚約は破棄しても。」
「ほ、本当かい?」
その言葉にエリックは思わず机に手をつき前のめりになる。
「……と言う事はやはり君は彼女に特別な感情は持ってなかったんだね?」
「いいえ、あいつは俺にとっての特別です。」
無関心の様な態度はそのままにはっきりと否定したネロに、エリックは一瞬硬直する。
「な、ならどうして彼女を僕に譲ると?」
そう問いかけると、ネロは今日初めてエリックの眼を真っ直ぐ見て話し始める。
「特別だからこそです、俺が望むのは何よりもあいつの幸せなんですから……だからもし、あんたが俺よりもあいつを幸せにしてくれるというのなら、俺は喜んで譲りますよ。」
そう告げたネロは先ほどの淡々とした態度が嘘のように優しい雰囲気を感じられた。 しかし……
「……でももし、俺よりも幸せにできないというのなら……俺はあんたを世界の果てまで行っても追いかけて殺す。」
その瞬間、今度は今まで味わったことのないほどの恐怖がエリック体を走る。
エレナの事を思い感じたネロの優しさと恐怖、それだけでネロがどれほどエレナの事を大切に思っているのかがわかった。
「……どうしてそこまで、思っているなら彼女を……」
「今はまだ、あいつを幸せにできる自信は俺にはありません。……だからその自信がついたとき、改めてエレナの気持ちと向き合ってみようと思います。」
そう答えたネロは、残りのコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がり、「では、話はこれで」と強制的に切り上げる様にしてそのまま店を出て行った。
ネロのエレナに対する想定外の想いを知ったエリックも、少し呆けた状態のまま席を立とうとするが、その時に近くの席で見知った顔を見つける。
「エ、エレナさん」
そこには顔を真っ赤にして席で縮こまっているエレナがいた。
「あ、あはは……すみません、来ちゃいました。」
見つかるとエレナは誤魔化すように少し照れながら笑う、そして立ち上がるとエリックに対して頭を下げる。
「すみません、婚約の話、やっぱりお断りさせていただきます。」
「……理由を聞いてもいいですか?」
ネロの言葉と話を聞いていたと思われるエレナの反応をみればもう察してはいるが、エリックは吹っ切る為にも敢えて聞いた。
「だって、ネロ以外の男の人と結婚してしまうとその人がネロに殺されちゃいますから。」
そんな、物騒な話をエレナは今まで見たことないほどの笑顔で告げると、ネロの後を追うように店を出た。
エリックが最後に見たエレナの笑顔は今まで見て来た女性の中で最も美しく愛らしい笑顔だった。




