時の魔法
「え……うそ……」
それは時間が止まったような錯覚だった。
規定違反を犯したブランに対し容赦なく振り抜いたカイル・モールズの一太刀は巨大な大剣ごと打ち砕き、ブランの体に斜めの大きな傷を入れた。
傷口から噴き出す、大量の血と倒れ込むブランの姿、その光景はブランの死を彷彿させ、目の前で見ていたリグレットの呼吸、思考と言ったあらゆるものを停止させる。
そして、リグレットはその悲痛な思いに耐え切れず自然と声を吐き出した。
――
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
リグレットが悲鳴をあげるとともに膝から崩れ落ちる。
彼女の悲鳴に釣られ、あちこちからも悲鳴が上がる。
リングに倒れこんだブランの体からは、これまでにないほどの大量の血が流れ、周囲をどんどん真っ赤に染め上げる。
血を見慣れていない者にはこの状況は刺激が強く、中には気絶する者や気分を悪くする者もいた。
そんな血まみれになったブランにいち早く駆け寄ったのは意外にもネロだった。ネロは道具袋の中にある、ありったけの回復アイテムをブランに飲ませたり振りかけたりと精一杯の処置を施す。
しかし傷が深すぎるため、効果は薄い。
「クソっ!全然足んねぇ。おい!ここに治癒術師を呼べ!」
「え?で、でも」
「いいから早くしろ!」
ネロが近くにいたあたふたしている衛兵に怒鳴りながら指示を出す。
するとそんなネロに、観客席の最前列からカラクが身を乗り出して呼びかける。
「ネロ!医務室に運べ!そっちの方が早い!そこなら薬もベッドも治癒術師も待機してるはずだ!」
「わかった。」
カラクの言葉に頷くと、ネロはブランを肩にかけて、負担をかけないようにゆっくり焦らず医務室へと歩き出す。
「クソ、何やってんだよてめぇは……偽物なんかにムキになりやがって……お前の仇敵はなぁ……ここにいるんだよ……」
――
「ネロ!」
医務室にブランを運んだネロの元へ観客席にいたエレナ達が駆けつける。
「容態はどう?」
「ダメだ、どれだけやっても血が止まらない。このままではやばいかもしれん。」
「そんな……」
「悲しんでいる暇はないよ、とりあえずできることをやろう。」
ピエトロの言葉に一同が力強く頷く。
「ふむ、して我らは何をすればいい?」
「なら、会場で上級回復魔法を使える人を探してきてくれないかい?これだけの人数だ、何人かはいるだろう」
「承知した。」
バオスがピエトロの指示を仰ぎ大きく返事をする。
「で、エレナは他の人たちと一緒に回復魔法を、エーテルは幻術魔法を使って、五感を惑わして痛みを和らげてあげて。」
「了解」
「わかったわ」
そして今度はエレナとエーテルがピエトロに応える。
しかしそこで、外に出ようとしていたバオスの足が止まった。
「エーテル?」
初めて聞く名前にバオスが一度を振り向く。
後ろではエーテルが姿を現し、ブランに魔法を唱えていた。
「⁉妖精……だと?」
エーテルの姿に一瞬驚きを見せるが、バオスは今やることを思い出すと、すぐに外へと出て行った。
エーテルの魔法により少し傷みが和らいだのか荒くなっていたブランの呼吸が少し落ち着く、しかし流血自体は一向にと止まることなくこうしている間にもブランの命は刻々と削れていく。
「クソっ、どうすれば……」
「皆……ブランの容態はどう?」
後ろから掛けられた声に振り向くと、ダイヤモンドダストのメンバーの一人である魔法使い、リンスがこちらにやってきた。
「リンスさん、他の二人は?」
「……リグはブランが斬られたショックで、ここに来れる状態じゃない。そしてロールはリグに付き添ってるからこっちには来れない。」
「あのリグレットが?」
「無理もないわ、目の前で仲間が斬られたんだし」
「リグの場合はそれだけじゃないから……」
リンスが少し意味深な言葉をポツリとこぼす。しかしそれに対し答えることなくリンスは話を進める。
「それより、状況は?」
「出血多量で危険な状態だよ、今はとにかく時間がない。早く流血をどうにかしないとこのままでは危ないかもしれない。」
「……とりあえず今は流血を止めればいいのね、なら任せて。」
「任せてって一体何を……」
リンスはネロからの質問を答える間も無く詠唱を始める。
「ディム、アル、ケア、ユーズ……」
リンスがゆっくり目を瞑ると聞いたことのない言葉の呪文を唱え始める。
そしてそれに対してピエトロとエーテルが反応を見せる。
「この呪文は、古代言語……」
「なにこれ?リンスの周りにすごい量のマナが集まる……いえ、かき集められていくわ。」
驚く周囲を気にすることなくリンスはそのまま詠唱に集中していく。すると、リンスの身体が軽く宙に浮かびあがった。
「……クロックスローク」
リンスが呪文を唱えると、ブランの周りを時計のような模様の魔法陣が囲う。ブランの身体がピクリとも動かなくなった。
「なにこれ?ブランが固まった⁉」
「ちょっと時を止めただけ。」
「はぁ?時を止めたって……」
「嘘でしょ⁉︎そんなの神話レベルの魔法じゃない⁉︎」
「とにかく、これで少しは持つはず、その間に上級治癒術を使える人を探さないと。」
「でも、そんなすぐに見つかるのか?」
「それも任せて。」
そう言うと今度は普通の言葉で再び詠唱を始める。
「……ゴッドビジョン!」
リンスが魔法で会場の上空から、治癒魔術が使えるもの達をしらみつぶしに探していく。
「……いた、この会場の観客席西側エリア、杖を持ったシスターが超級治癒術を使える。」
「超級治癒術⁉わかった、ならすぐに行ってくる!」
そう言うとネロはすぐさま医務室を飛び出し西エリアへと向かった。
――
ネロはリンスに言われた場所付近へ着くとそれらしき人物を探す。
しかし周りは観客で一杯で、とてもではないが探せる状況ではない。
「一体どこにだよ、クソ!」
いくら魔法で時間を遅くしたからって効果にも限度がある、その事もありネロは少しでも早くと必死でそれらしい人物を探す。
すると……
「あの……何かお困りごとでしょうか?」
ふと女性に声をかけられる。
「ああ、今ちょっと人を探してて……」
そう言いかけるとネロは相手の姿に目が止まる。
それはリンスが言っていた通りの杖を持ったシスターだった。ただ、その杖は魔法使いが使うような杖ではなく、盲目の人が使う白い杖をついていた。
――いた!杖ってこっちの杖かよ!まあいいか。
「なあ、あんた。治癒術は使えるんだよなぁ?」
「え?はい、それなりには」
「なら一緒に来てくれ、助けてもらいたい人がいるんだ!」
「わかりました。」
ネロの言葉に詳細などを一切聞くことなく、シスターは返事をする。その事に対しネロは少し驚きを見せる。
「あんた、疑ったりしないのか?」
「あなたのその焦り様を見れば嘘かどうかくらいはわかりますよ。」
そう言うとシスターはニッコリとほほ笑えんだ。
「……あんた、目が見えるのか?」
「はい、今は。未だに杖を突いているのは過去の自分を忘れないようにするためです。」
――
ネロがシスターを連れてブランの元へ戻ると、全員が深刻そうな顔でこちらを見つめる。
「その人がリンスの言っていた人かい?」
「うん、間違いない。」
シスターは皆の顔を窺うと、先程と同様に優しい笑みで笑いかける。その笑顔はまさに天使の微笑みと言っていい程優しく、温かくて、焦りの表情を見せていたエレナやエーテルから自然とその表情が消えていた。
そして女性は寝ているブランの前に立つと静かに眼を閉じた。
「グランツ・ブライアン将軍様、まさかこんなところで会えるとは……これも女神の導きでしょう。」
そう呟くと、女性は膝を突き祈りを捧げ始める。
「……かの者に生命の息吹を……レイズ・ノヴァ」
ブランの周りに白いオーラに包まれる、それを見計らいリンスが魔法を解除すると、時が動き出すと共にブランの傷口が一瞬にして塞がっていった。
「……これで大丈夫ですよ。」
シスターの笑みと共にその言葉を聞くと、緊張の糸が切れたネロはその場で腰を下ろし、他の皆も安どの様子を浮かべていた。
「よ、よかったぁ~」
「あ、ありがとうございます。」
「ふふ、お役に立ててよかったです。」
皆から感謝の言葉を告げられるとシスターも嬉しそうにお辞儀で答える。
そしてふとピエトロが思い出したようにシスターに名前を尋ねる。
「ところで、あなたは?」
「そういえば自己紹介がまだでしたね、私はオゼット・イクタス。ルイン王国反乱軍直属の最上級回復術師です。」




