奇跡(6)
「ミランダに会った? あの子、元気でやってる?」
「はい。ああそうだ、……あの……」
マリアラは言葉を探した。聞いていいのか。そもそも、聞いてどうなるのか。フェルドの身辺を詮索する権利など、マリアラにあるのだろうか。
しかし、このまま仕事を続けることは難しい。ジェシカの意見など気にしないにしても、ミランダの気持ちは気になる。といって、下手な聞き方して、ディアナに面白がられるのも不本意だ。
「なあに?」
「……あの。いっ、一般論として、……なんですけど」
ディアナは微笑んだ。「ええ、一般論ね。それで?」
「自分と付き合っている人に、異性の相棒ができるのは、……嫌なものですか?」
ディアナは目を丸くした。
マリアラはラッシーを飲んだ。飲んで、飲んで、ストローがずずずずっと音を立てるまで飲んだ。はあっ、と息をついたとき、優しい声が聞こえた。
「一般論で言えば……。今まで“独り身”だった彼に、女の子の相棒ができたとき、その彼女はどう思うか、って話よね。そうねえ、まあ……内心、ちょっと不安になったりはするものかもしれないわね。相棒と一緒に過ごす時間の方が格段に多いわけだし。あなたはどう思うの?」
「わからないです。経験がないもの」
「うーん。でもあなたに関してはそんなこと、心配することないんじゃない? フェルドに彼女ができたなんて話、聞いたことないけど?」
「でもあの、あの、ミランダは――」
「ミランダとフェルドが付き合ってるって? 初耳だわあ」
ディアナは大げさに目を丸くして見せ、マリアラは戸惑った。
「でも、言われたんです――」
「誰に? フェルドに? ミランダに?」
「……違う子に」
「じゃあミランダに、聞いてご覧なさい? わかんないわ、もしかしたら心境の変化があって付き合いだしたのかも知れない、あたしがそこまで把握してないってだけかも。ミランダはね、ああ見えてすっごくいい子なの。きっとあなたと仲良くなりたがってると思うから、気になることがあるならえいっと聞いちゃった方がいいわよ。やきもきするよりずっと建設的」
ディアナはビールを飲み干し、手を挙げて店員を呼んだ。ビールをもう一杯頼んで、マリアラにはスイカのジュースを勧めてくれた。それから身を乗り出して、微笑んだ。
「んー、つまり、あなたにそれを伝えた子は、あなたを攻撃したかったってことじゃないかしら」
図星だ。マリアラは目を丸くし、ディアナはうふふふ、と笑う。
「この世にはね、あなたみたいな子が想像したこともないくらい、根性がねじくれた人間ってのは存在するものなのよ。理由なんかないの。ただ単に、あなたの存在が気にくわない、なんとかして引きずり下ろしてやろう、そういう意識の人間ってのはねえ、残念だけど存在するの。なんだかんだ取り繕ってもっともらしい理由を並べて、私があなたを攻撃するのはあなたが悪いからだ、とか何とか言うだろうけど」
ディアナはとん、とテーブルを指で叩いた。
「理由なんてどーでもいいのよ。ただ単に、あなたを傷つけたいだけなの」
とんとん、指が続いてテーブルを叩いた。
「その子はあなたを思い悩ませ、フェルドから距離を置かせ、同時に、ミランダへの気後れを植え付けようとしたんじゃないかしら――不当な手段でフェルドとミランダの邪魔をしているのだ、という印象を植え付けようという魂胆よ。冬の魔女は皆多忙だから、あなたがミランダに会いに行く手段は殆どないし、あなたは新人だもの、どこへ行けばミランダに会えるのか、という情報もまだ把握してない」
「は、はい」
「フェルドの方からバレるという可能性もあるけど、そうじゃなかった場合、何ヶ月もの間、あなたは、この相棒という地位は自分が占めるべきではないのかもしれない、という、かすかな気後れを持ったまま仕事を続けることになる。たったの一言で、その子はそれだけの影響をあなたに与える。その子に不運にも目を付けられたという、ただそれだけの理由でよ! バカバカしいと思わない?」
「はい、思います」
「でしょー。だったら、本人たちの口から聞くのが一番だわ。もし付き合っていたなら、そりゃあ、今後についてミランダと話し合った方がいいかもしれないけどねえ。んー」
ディアナはことりと首を傾げた。
「……ミランダと、フェルドねえ……そうねえ……しっくりこないなあ」
「そ、そう……ですか?」
「ミランダはとても穏やかな子なのよ。家の中でお菓子を作ったり本を読んだり刺繍をしたりするのが幸せって子なの。……フェルドねえ……うーん。休みのたびに無人島にサバイバルしに行くあの子がねえ、ミランダとねえ……?」
そうなの?
マリアラはきょとんとした。放浪児、という評価は確かに聞いたことがあるけれど、無人島でサバイバルなんて初耳だ。
ディアナは微笑んだ。
「ま、そーゆー余計な情報を吹き込んであなたを思い悩ませようとする、底意地の悪いお邪魔虫には、早々にご退場いただいた方がいいんじゃないかしら」
「た……退場、ですか」
「そういう子には身の程を思い知らせてやるのが一番よ。あなたがミランダと仲良くなって、フェルドともいい相棒関係を築いていくことが、その子にとっての一番のダメージになる。あなたは自分の居場所を勝ち取りなさい、マリアラ。憶測や噂話を根拠に理不尽な攻撃をしかけてくる相手に、負けちゃいけないわよ」
「……はい」
マリアラは頷いた。ディアナはふふふ、と笑った。頬が赤い。だいぶビールが効いてきたらしい。
ディアナもそういう理不尽な相手と戦ってきたのだろうか。ふと、そんなことを思った。
理不尽な攻撃をはねのけて、自分の居場所をつかみ取ってきたのだろうか。
やがて、テーブルの上の食べ物も飲み物も、綺麗に片付いた。
「今度また、うちの治療院に遊びに来てよ」
有無を言わせず会計を全部自分ひとりで済ませた後、別れ際にディアナはそう言った。マリアラは頷いて、頭を下げた。
「ごちそうさまでした。それから、ありがとうございました」
「うんうん。今度は中華のお店に行きましょ。ミランダもフェルドも連れてきてね。テーブルにお皿いーっぱい並べて食べましょー」
「はい」
「それじゃー」
ディアナはとても機嫌良さそうに、ふらふらと歩いていった。ちょっと心配だ。ちゃんと帰れるだろうか。
*
夜になって帰ると、ベッドサイドに、小さな箱が置いてあった。
マリアラの留守中に誰かが訊ねてきたのなら、〈アスタ〉がそう言うはずだ。だからこれは、ルームメイトからのプレゼント、ということになる。
マリアラは緊張してその箱を手に取った。手のひらに載るくらいの、小さな箱だ。
蓋を開けると、幅広の指輪がひとつ入っていた。その周囲を囲むように、細長いリボンのような紙もあった。広げてみると、文字がタイプされている。
〈こないだはカップケーキをありがとう。お礼に、武器を贈ります〉
マリアラは目を見張った。武器? 指輪が?
〈理不尽な言いがかりをつけられたとき、この武器が役に立ちますように。そんな機会がないことを祈っています。使い方は裏面です〉
裏返すと一転、流ちょうな――と言うより事務的かつ機械的な、取扱説明書の文言が書かれていた。それを読むと、どうやらこれは、魔力計測器、らしい。指に嵌めて数秒で、数値が表示される。医局などで正式に使われている魔力計測器を簡略化したものだが計測方法は【魔女ビル】指定の魔力値情報取扱法に採用された数式を採用したもので――云々。
魔力計測器と言えば、普通はもっと大きい。医局にある血圧計や体重計を彷彿とさせるデザインで、キャスター付きで移動できるようになっているものが一般的だ。
それが、こんなに小さくなるなんて。
「すごいな……」
これがどのように武器になるのか、いまいちわからないが、ラセミスタの気持ちは伝わってくる。マリアラは嬉しくなって指輪を親指に嵌め、レターセットを取り出し、お礼の手紙を書いた。古来、親しくなるためにはまずは文通から、と決まっている。
『武器を受け取りました。本当にどうもありがとう。』
書いている内に、ぽっ、と親指の指輪が光った。しゃららららら、とかすかな音を立てて数値が表面にカウントされていく。先日健康診断で計ったときに見たのと似た数字がはじき出され、マリアラはその小ささと正確さに舌を巻いた。
それから、見とれた。数字は三秒点滅した後、指輪の表面で細かな粒子になって飛び散ったのだ。細かな粒子はキラキラと指輪の表面を彩った。とても綺麗だ。
微笑んで、続きを書いた。
『とても綺麗で、見てるだけでも楽しくなります。大事にします。ありがとう』
サインして、封筒に入れ、ラセミスタのベッドサイドにおいた。それからベッドに仰向けに寝転んで、指輪を眺めた。説明書を読んで、使い方を研究する。とんとん、と二回叩くとモード選択ができるようになる、らしい。
計測モード、指輪モード、通常モード、とある。今は通常モードになっている。計測モードではただ魔力値を計るだけだ。数値は飛び散らず、指輪を外すかモード解除をしない限り表示され続ける。指輪モードは粒子がランダムにちらちら踊る『お遊び用』らしい。
お遊びモードにすると、粒子が拡散した。指輪の表面いっぱいに様々な模様が浮かび出た。万華鏡のように変幻自在で、とても綺麗だった。
マリアラはそれからしばらく、指輪を眺めていた。
直接お礼を言って、一緒にこれを眺められたらいいのに――と思った。
2017/3/6 ディアナの名前を修正しました