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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
仮魔女物語
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第一章 仮魔女と友人(6)

 へへへ、とリンも笑う。


「マヌエルに詳しい友達がいるんだよ。同室のね、ダリアって子なんだけど」

「ふうん」

「『月刊マヌエル通信』って雑誌を定期購読しててね、メニュー一覧をコピーしてくれたんだ。どれもこれも美味しそうですっごく迷ったんだけど、ホットサンドがさくさくで熱々で、魔女によっては中の具材を色々選ばせてくれるってあって、やっぱこれでしょ! って」

「ふふ」


 マリアラが笑って、リンは身を縮める。


「……ごめん、やっぱ図々しいよね」

「そんなことないよ。昔からそうだったなって思って、懐かしくなっただけ。前からリンは、美味しい食べ物に詳しかったなあって」

「そ、そうだった?」

「うん、あそこのパン屋さん、今も行ってる? あそこの新商品、わたしが気がついたときにはもう絶対リンが食べてて」

「そ、そうだった?」

「リンはいつも、美味しいときだけすごく話すんだよね。普通だったときは口数が少ないの」

「そ、そうだった!?」

「わたし、リンが、好きなものの話をしてくれるのが楽しみだった。嫌いなものの話を聞くより、好きなものの話を聞く方が何倍も楽しいもの。リンに教えてもらった食べ物って、いつも本当に美味しくって、すごいなって」


 言いながらマリアラは向かい合わせになった鋳鉄の焼き型を開いた。そこにスライスしたパンをのせ、さて、と言う。


「何のせる? ゴルゴンゾーラの他に」

「コンビーフ!」

「美味しそう。じゃあ、タマネギのスライスも入れよう」


 マリアラはパックをいくつか取り出した。既に切られた野菜が種類別に入っている。リンは感嘆した。やっぱり、魔女は違う。


 コンビーフとタマネギのスライスを混ぜ合わせてパンにのせ、その上にゴルゴンゾーラチーズをのせ、さらに普通のとろけるチーズものせて、パンを重ね、焼き型を合わせてしっかり閉じる。簡易炉にのせて、マリアラが炉に両手をかざすとぽっと火が灯った。


 リンは居住まいを正した。いよいよ夢にまで見たあのホットサンドが……!

 するとマリアラは、驚くべきことをあっさりと言った。


「もうひとつは何にしよう。やっぱたまごかな?」

「も、もうひとついいの!?」

「もちろん。何個か作って、半分こしよ」

「わーい!」


 歓声を上げるとマリアラはまた嬉しそうに笑った。




 程なく、食卓が調った。ホットサンドが三種類(コンビーフ+チーズ、スクランブルエッグ、ベーコン+トマト)、コンソメスープと、レタスのサラダ。『月刊マヌエル通信』の記者の書いていたとおり、魔女のホットサンドはとても美味しかった。パンがさくさくで、中身はとろとろ熱々で、材料も器具も市販のものとは違うのではないか、と、思わずにはいられない。どれも本当に美味しかったが、特にスクランブルエッグのホットサンドが絶品で、リンはしばらく真剣に悩んだ。明日の朝ご飯のリクエストを考え直すべきか――できるだけたくさんのメニューを食べたい――いやここはやっぱり決めたとおり、とろとろオムレツのままにすべきか――こんなに美味しいならもう一度食べたい――いやいや、トーストととろとろオムレツの組み合わせでは、ほとんど今食べているものと同じだ。どうしよう。


「あー! もう! 悩ましい!」

「えっ」


 突然のリンの大声にマリアラが驚き、リンは悶えた。


「ああどうしよう……どうしてあたしの胃袋はひとつしかないんだろう……悔しい……」

「落ち着いて、リン。みんな胃袋はひとつだよ」

「わかってるよ! ねえ魔女の道具の中に、胃袋を大きくする道具とかない? 今お腹いっぱい食べてさあ、数日食べなくていいみたいなそんな道具……」

「ないと思うよ」


 マリアラが笑う。その反応が孵化する前のマリアラと本当に同じで、リンも嬉しくなった。明日の朝ご飯のメニューは明日の朝また改めて考えよう、と思う。マリアラと一緒に決めればいい。ランキングに載ってなかった隠しメニューなども教えてくれるかも知れないし。


「すごいねえ……もうすっかり、ちゃんとした魔女だね、マリアラ」


 リンは心からそう言ったが、それを聞いたマリアラは、ちょっと、沈んだ顔をした。

 リンが驚くと、マリアラは言った。


「……ありがと」


 そしてマリアラは、微笑んだ。何かを押し殺すように。


「試験に合格して、ちゃんとした魔女になれるように、頑張らなくちゃね。ね、リン、さっきはどうだった? 魔物見えた? レポート書けそう?」

「……はう」


 とたんに思い出してリンはよろめく。


「見えた……けど……」


 何も閃かなかった。

 困った、と、リンは思う。そう、こんなところで暢気にホットサンドに舌鼓を打っている場合ではないのだ。


「も、もう一度、見に行ってみない? 大丈夫、時間はたっぷりあるよ!」

「うう……」


 そうだろうかとリンは思う。本当に、『たっぷり』あるだろうか。

 このまま何時間過ごそうとも、何も書けそうもない。『たっぷり』あるはずの時間を、ただひたすら無為に消費する未来が見える。


「何か手掛かりが閃けば、するする進むものだよね」


 あっという間に片付けを終えたマリアラは、首もとからまたミフを外して、元の大きさに戻しながら、励ますように言った。


「魔物を見ながら、一緒に考えようよ。誰かと話してるうちに閃くこともあるって、モーガン先生もよくおっしゃっていたよ」

「うん……」


 そうだ。食休みなどと悠長なことをしていられる場合でもない。

 マリアラの後ろにまた乗せてもらいながら、リンは、モーガンという、マリアラの指導教官だった人のことを考えた。確かフルネームは、アルフレッド=モーガン。歴史学ではとても人気のある先生だった。二年くらい前、進路が決まった時の、マリアラの喜びようは今でもまだよく思い出せる。


 ――モーガン先生のクラスに入れたの! わたし歴史学大好きになったの、モーガン先生の授業があんまり面白かったからで……憧れだったの、ああ、もう、どうしよう!!

 感極まったようにマリアラは叫んでくるくる回った。リンは、マリアラの、嬉しい時には素直に大喜びするところが大好きだった。リンも嬉しくて、一緒にくるくる回ってしまったほどだ。


 マリアラはこの一年、モーガン先生に会ったのだろうか。ふと、そんなことを考えた。

 教え子の孵化を嘆いたという先生は――今、マリアラを、どう思っているのだろうか、と。



   *



 リン=アリエノールは、とても華やかな世界にいる人だ。

 何しろとてもとても美人で、背も高くてスタイルもよく、面倒見のよい明るく朗らかな性格、とくれば、モテない方が不思議というものだ。幼年組だった時、同じクラスの男の子たちの中で、リンに告白したことのない子の方が少ないくらいだったろう。一般学生に上がって寮も専攻も別れたが、そのせいか、会うたびに綺麗になっていくような気がしていた。マリアラは、リンが大好きだった。リンは強くて明るくて、一緒にいてとても楽しかった。


 今はレポートに少々てこずっているようだけれど、マリアラはあまり心配していなかった。リンには根性もスタミナも真摯な心根もあるし、専攻必須単位を落としたというのも、仮魔女試験に必要な受験者を確保するための、教師の手心ではないかという気がする。


 昔から、リンは綺麗だった。

 今はもっとだ。


 【壁】の近くに設置したテーブルの向かい側で、ペンを齧ってうんうん唸るリンを見ているうちに、自分も、一般学生に戻ったような気がしてきた。そのせいか、ふと、いい考えが浮かんだ。


「そうだ。ね、リン、カード式思考整理法、やってみない?」


 言うとリンは目を丸くした。


「カード式――って、何?」

「モーガン先生が教えてくださったんだよ。最近やってなかったけど、レポート書く時にはよくやったんだ。やってみよっか」

「うわあ、お願いします!」


 リンは叫んだ。リンはすごいとマリアラは思う。リンは本当に屈託のない人だ。知識をひけらかす、という非難を受けがちだったマリアラにとって、リンという存在はとても眩しい。

 また会えてよかった。

 心底、そう思った。


 そして、自分が今まで、どんなに、屈託のないお喋りに飢えていたのか、ということに気づいた。

 仮魔女は忙しい。休日などほとんど無い。一年間で、マヌエルとしてのさまざまな心得や職務について学ばなければならないのだから、当然、なのだろう。リンとよく鉢合わせしたあのパン屋にも、孵化して以来一度も行けていない。研修に次ぐ研修、その合間に、薬の効能を暗記して、魔力の行使のトレーニングもこなさなければならない。おまけに、【親】以外のマヌエルとは言葉を交わしてはいけない、という、謎の伝統もある。気軽におしゃべりできた相手は【親】であるダニエルとララだけ、それも研修の合間にちょっと話せるだけだ。寮に戻ったらへとへとで、他の仮魔女と話す余裕もなかった。気が付くと一年間があっと言う間だった。


 友達と、研修やトレーニング以外のことで話すなんて、気づいてみれば一年ぶりだ。まるで、おいしい水を飲み始めてから、初めて自分が渇いていたことに気づいたような気分だった。

 マリアラはメモ用紙とペンを出した。メモ用紙を一枚ちぎり、そこに、魔物、と書く。


「ええとね、レポートで書きたいキイワードを、ここに書いていくの。一枚につき、キイワードはひとつだけ。余白は後で使うかもしれないから、空けておいてね。このメモ帳、あげるから、何枚でも使っていいよ。あとで絞るから、とりあえず思いついたの全部書いてみて」

「わ、ありがとう……遠慮なくいただきます」


 リンはメモ帳を伏し拝むようにしてから、ぺり、ともう一枚ちぎって、そこに、軍事利用、と書いた。続いて、『捕獲の方法』『軍事利用の効果』『維持費』『対象?』。走り書きは止まらず、ぺり、ぺり、ぺり、とメモ用紙をちぎる音がしばらく続いた。

 十数枚ほどメモ用紙がたまったところでペンが止まり、マリアラは、指で、記入済みのメモ用紙をリンの前に広げて見せた。


「まず、結論を探す。落としどころ、とでも言うのかな。今すぐ見つけられなくても構わないよ。この紙を全部眺めて、書きたいことを考えながら、順番を入れ替えたりして、どれが使えそうか、どれが余分なのか、考えていくの。今リンの頭の中にある材料はこれだけ。これを眺めているうちに、何が足りないのかも見えてくると思うから、足りないものが分かったら調べてメモ用紙を増やせばいい。余分なものは退けて、骨組みを作る」

「ふうん……」


 リンは感心したらしい。そのうち一枚のメモ用紙にリンの目が止まった。じっとそれを見て、呟く。


「捕獲の方法って、どうやるんだろうね。【壁】は誰にも通れない、はず。だよね? だから、こんなに近くで見えているのに、魔物はここに来ない。なのに、どうやって捕まえるんだろう……?」

「文献持ってきたの?」

「うん、いくつかね。ああ、ありがとう、マリアラ。なんか、なんとかなりそうな気がしてきたよ。少なくとも、何が悪かったのかは分かった。漠然とし過ぎてるって思ってたけど、本当に漠然とし過ぎてたんだ……。ちょっと、考えてみる」

「うん、頑張って、リン」

「ありがとう! 頑張るね!」


 リンはにこっと笑い、猛然と、文献をめくり始めた。マリアラは小石をいくつか拾って汚れを落とし、広げたメモ用紙が飛ばないように押さえた。そうしてから、自分も単語帳を広げた。リンが頑張っているのに、ひとりだけのんびりしているわけにはいかない。

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