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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の日常
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ダメな子(2)

 マリアラの作り方は、確かに、ここでの――そして他の製薬所での――常識的なものではなかったらしい。回りにいる子たちが不思議そうに、あるいは興味深そうに、しげしげとマリアラの手元を見ている。居心地が悪いが、仕方がない。


 精製水を計って四つのフラスコに適切な量ずつ入れていく。次の薬品の量を計り、適切な処理を加え、四等分して加える。一昨日はフラスコひとつずつ作ったが、今日は初めから四つ作ると決めていたから流れ作業のようになった。その分、一昨日より少ない魔力で、また短い時間でできあがった。量を間違えたりしたら全部が台無しになるからリスクが高いけれど、今日は全部うまく行った。


 1200ccができあがるまでにかかった時間は一時間と十三分。

 ジェシカがちょうど、12個目のパックを作り終えたところだった。


 目が合うと、ジェシカはとても憎々しげにマリアラを睨んで、マリアラの前に並んだパックをじろじろ眺めた。全部間違いなくできていることを確認したのか、忌々しそうな顔になる。


「ふたつ多かったけど、多い分には構わないよね? 一昨日もこうやって作ったの。着服なんてしてないから」

 マリアラが言うと、唇を歪めた。

「そうみたいね。良かったわ。フェルディナント=ラクエル・マヌエルの相棒が嘘つきの泥棒じゃなくて」

「それなら――」

「でもそれじゃあ、あなたに期待できるのはリテルだけよね」


 話が飛んで、マリアラは戸惑った。「え?」


「それってつまり、作り方を覚えてるってことなんでしょ。バカみたい」

「バカ――」

「あーあ、リテルだけしか作れない助っ人さんかあ。まあ、あたしやミランダの負担が減るのはありがたいけど、あなたたちお気の毒ね、魔力が弱い子たちは全然楽にならないじゃない。今はリテルよりスレッテルの方が足りないの、三ツ葉の担当なんだけど」


 それからジェシカは馬鹿にしたようにマリアラを見た。


「リテルしか作れない助っ人なんて役に立たないわ。リテルはしばらく充分だから。〈アスタ〉に、しばらくマリアラさんは呼ばないでって伝えておくわ」

「……リテルしか作れないなんて言ってない」

「へええ、作れんの。ホントに? じゃあスレッテル、一緒に作りましょうか? 一ツ葉にどれだけ薬が作れるのか把握しておくのは大事なことだもの」


 この人は魔力の弱い人間には弱いままでいて欲しいのだと、思った。

 魔力の弱い人間はどうやっても強い人間には勝てないのだと言うことを知らしめて、もうこれ以上逆らわないように降参させておこうとしているのだと。立場の違いを自覚させて、自分が上に立つことの大義名分を、得ようとしているのだと。


 マリアラは唇を噛みしめた。

 降参なんて、できるわけがない。


 シャルロッテが、マリアラの前にあったリテルのパックを全部、保管ケースに入れに行ってくれた。さっきの男の子がリテルで使った薬品の引き出しをしまってくれた。マリアラはスレッテルの作り方を思い出しながら、必要な薬品を集めていった。その間に、ジェシカはさっさと作り出している。


 スレッテルは水疱瘡や帯状疱疹を引き起こすウィルスを退治する薬だ。この時期に流行する例はあまりないはずだった。今は冬に流行するインフルエンザや嘔吐下痢に対応する薬を作った方が有意義だと思うのだが、たぶん、ジェシカにとっては優先順位などどうでもいいことなのだろう。スレッテルを作る機会が限られているから、マリアラが作り方を覚えていない可能性が高いと思ったのかも知れない。


 勝つなんて絶対無理だろうと思う。そもそも勝つ必要なんてないはずだ。

 しかし負けるわけにはいかない、ということも、確かなことだ。


 スレッテル300ccができあがったのは、ジェシカが100ccのパックを3つ作り終えたのと同時だった。周囲で見守っていた子たちがふうっと息をつく。負けなかったことにホッとする。残り時間はもう殆どない。そろそろ、と言い出そうとすると、ジェシカが言った。


「じゃあ次はインフルエンザ特効薬。そろそろ流行が始まってるからこれも1200cc――」

「ジェシカ、もう充分よ」ミランダが言った。「あなたもそろそろ……」

「あたしが一ツ葉に負けるわけないでしょ! 黙ってて!」


 ジェシカが尖った声で叫んだ。マリアラの作ったスレッテルをシャルロッテが回収し、使った引き出しを男の子たちが手分けして片付けてくれた。マリアラが次の薬の材料を選びに立ち上がると、さっきの男の子が寄ってきて囁いた。


「僕も探すよ。なんて薬品?」

 ジェシカが鋭く叫んだ。「ちょっと、余計な手出ししないでよ!」

「マリアラが選んでる間に作り始めてるじゃないか、ジェシカ」

 彼は挑戦的な口調で言った。

「スタート時点が違うんだ。ちょっと手伝うくらいいいだろ」

「チューブから必要量を出せばいいことなのにそれをしないから悪いんでしょ!」

「大人げないなあ、四ツ葉のくせに」嘲るような言い方だった。「一ツ葉が相手なんだよ。ちょっとハンデくらいあげてもいいはずじゃないの? 本来あんたの方がずーっと強いはずなんだからさあ」


 ジェシカはきつい目で彼を睨んだが、ふんっと顔を背けて薬を作り始めた。メモとペンが差し出され、マリアラはそこに必要な薬品を全て書いた。書き終えると彼はマリアラの肩を叩き、「座ってなよ」と囁いた。


「ちょー面白い。勝ったらサイコー」

「どれどれ? あたしも探す」


 シャルロッテが覗き込んできた。周囲にはいつの間にか数人の子が集まっていて、メモを見ながら手分けして引き出しを探し始める。マリアラはお言葉に甘えてスツールに戻り、最後の金平糖を口に入れた。

 どうしよう、と今さら思った。なんだか大ごとになってしまっている――ような、気がする。



    *



 ジェイディスが騒ぎを聞きつけてやって来たとき、時間は午後五時を回っていた。

 インフルエンザ特効薬の小分けパックは、ジェシカの前に何個か並んでいた。マリアラは目がかすんできたことにおののきながら、並んだフラスコに最後の薬品を加えていた。何個目のフラスコなのか、もうわからない。ふたつ目か、三つ目だろうか。手が震えそうで、手順を間違えてしまいそうで、周囲を気にする余裕などなかった。


 最後の薬品が最後のフラスコに加わり、しゅうっとピンク色の煙を上げ、フラスコの中身が白濁した。正しい反応が出たことに、マリアラはほうっと息を吐く。

 ここまでは、何とか巧くできた。

 でも、どうしよう。

 これ以上は、もうどう頑張っても作れない。ジェシカはまだ作っているのに。


「これで完成、だよな? パックに詰めよーぜ」

 男の子たちがわいわい言いながらパックを出してきた。はやし立てるようなカウントが始まる。

「いーち! にーい! さーん!」

「ちょっとこれは何の騒ぎ!!!」


 ジェイディスの雷が落ちたのはその時だ。

 マリアラの机に群がっていた子たちは悪戯の瞬間を見とがめられた幼年組の子供たちのように凍り付いた。ジェイディスは人垣をかき分けて、中を覗き込んだ。マリアラは顔を上げ、ジェイディスの顔が見えないことにぞっとした。


 そこで初めて、思い出した。

 明日は日勤だ。


「なんで製薬所でこんなお祭り騒ぎになってるの。ヴィック、状況を説明しなさい」

「別に悪いことしてたわけじゃないんですよ」

 説明を始めたヴィックという少年は、さっきの男の子の声で言った。

「ジェシカ=イリエル・マヌエルが、マリアラ=ラクエル・マヌエルに、泥棒の疑いをかけたんです」

「はあぁ?」

「そうじゃありません、間違いだったんです。ただ――」

「ジェシカ、ちょっと黙ってて。まずヴィックの話を聞いて、それからあなたの話も聞くからね。で?」


「一昨日マリアラが10個のリテルを作った。ひとつはジェイディスに渡したって言ってましたけど、本当ですか」

「うんもらった」ジェイディスは頷く。「急いでたからすごく助かった。それで、ヴィック?」

「ジェシカはマリアラの魔力が弱いから、二時間で10個もリテルを作れるわけがない。なのに9個も在庫があるから、製薬所の補充があったに違いない、それでマリアラがそれを隠して、補充を自分で作ったことにしたに違いない、って、決めつけたんです」


「ジェシカ、ここまでは本当なの?」

 ジェシカはふてくされた声で言った。

「誤解だったんです。言い方はまあ、少しキツかったかも知れません」

「嘘つきの泥棒って言うのは、“少しキツい”でいいんですか、ジェイディス」

「それは――」

「ヴィック、先を続けて」


 ジェイディスの大きな手のひらがマリアラの背に添えられ、マリアラは我に返った。そうすると視界の不明瞭さと貧血のような不快さが改めて身に迫ってきた。鳩尾の辺りに不快な固まり。このままでいたらきっとこの固まりはせり上がってきて口から溢れ出るに違いない。吐いてしまう。帰らなければと思う。帰らなければ。ここで倒れるわけにはいかない。吐くなんてもってのほかだ。


「マリアラが、泥棒なんかしてない、自分が作ったんだと言って、ジェシカは、じゃあやって見せろって言いました。そこで二人で並んで、リテルを12個作った。一ツ葉のマリアラは、四ツ葉のジェシカと同じ時間で同じ量、リテルを作った。で、次はスレッテル。やっぱり同じ時間で同じ量だった。で、最後に今、インフルエンザ特効薬を作ったところ。どっちの量が多いかなって、数えてたところです」


 ジェイディスはたぶん、量を見比べたのだろう。一瞬の沈黙があった。

 マリアラ自身はジェシカの作った量を見ていない。きっと負けた。インフルエンザ特効薬はリテルと同じくらい難しかった。必要魔力の量はもっと多いくらいだった。できたフラスコは三つ、下手すれば二つというところだ。ジェシカならもっといっぱい作っているだろう。

 ジェイディスがふうっと息を吐いた。


「状況はわかった。とにかくこんな風にはやし立てるのは間違ってる。ヴィック、今日の午後、あんたはどれくらい作ったの?」


 ヴィックと呼ばれた少年が息を吸った。「え、っと――」


「自分は一つも作らずに、他の子が競うのを見ていたと。シャルロッテ、あんたはどうなの」

「ええっと、ですねえ……」

「うーん、まあ、他の子もそんな感じみたいね。ジェシカ、マリアラ、今日はもういいから帰りなさい。他の皆は、六時までの間にひとつでも多く作る。わかった?」

「でも、この薬を分けちゃわないと。数は絶対――」

「それはあたしがやるからあんたたちは自分のことをやりなさい!」


 一喝され、皆慌てて自分の席に戻った。ジェイディスがマリアラの肩に手を添えて促した。マリアラは震えながら歩いた。やってしまった、と思っていた。ああやってしまった、大失敗だ。負けた上に明日の仕事に支障が出てしまう。ああどうしてわたしってこうなんだろう――


「自分の足で戻れるね?」

 扉を出たとき、ジェイディスが囁いた。マリアラは頷く。

「大丈夫です。ご、ごめんなさい、こんなことになるなんて……」

「製薬所の方はいいから、自分のことを考えなさい。明日日勤なんでしょ」


 そうなのだ。

 マリアラはあくまで助っ人であり、本業は別だ。〈アスタ〉にも、くれぐれも無理をするなと言われた。二時間でいいから。疲れたら切り上げていいから。明日に影響が残らないようにしなさい、と。

 昨日の当直で出動がなかったから油断していた。

 明日もし出動があったら、フェルドに迷惑をかけてしまう。


「明日の朝九時ギリギリまで寝なさい。目は見えるの」

「見……見えます」


 嘘だ。泣き出したかった。受け答えするだけで倒れそうだ。ジェイディスはマリアラの言葉に頷いて、肩をそっと押した。


「同室は確か、ラセミスタじゃなかった? リズエルだからきっと甘い物たくさん持ってる。甘い物もらって、水分取って、できるだけ寝なさい。ダニエルに伝えておこうか」

「やめて……!」

「言うと思った。祈ってるよ。急いで帰って、できるだけ長く寝なさい」


 言い置いて、ジェイディスは製薬所に戻った……らしい。

 マリアラは方角を確かめ、壁の手すりを手がかりに歩き出した。冷や汗がどっと吹き出し、さっきの不快な固まりが胸にまで来ていることを自覚する。頭ががんがんする。階段を降りるだけで倒れ込みそうになる。どうしようどうしよう、頭の中はそればかりだ。やってしまった。弱い魔力しか持たないくせに、その弱い魔力を全部、ただ自分の見栄のためだけに使ってしまった。おまけに負けた。意地だけ張って、何の益もなかったのだ。


 どんなに嘲られても罵られても、必要な魔力は残しておかなければならなかった。二時間で切り上げて、明日のために休まなければならなかった。明日があるからと言って、ジェシカに負け犬だと言われたとしても、それで良しとしなければならなかったのだ。そうでなければ、本業に支障が出て、相棒に迷惑をかけるから――

 南大島で同じことを思ったのに、またやってしまった。

 ――わたしはなんてダメなんだろう。


 ちゃんとした魔女になんて、まだまだなれそうもない……。

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