ダメな子(1)
次の非番の日の午後、また製薬の助っ人を頼まれた。
〈アスタ〉が申し訳なさそうに言う。
『連日働かせて、申し訳ないと思っているのよ。でも……』
「いいよいいよ、大丈夫だよ」
そう言えたのは、ダリアのお陰だ。それからミシェルと話して、非番ではなく休みの日にスキーの約束を取り付け、リンとダリアに喜ばれたことも大きい。一ヶ月半先の予定とは言え、今後の楽しみがあると思えば元気も湧くというものだ。
『今日は他の子もいるから。皆同じ年頃の子たちだから……まああんまりお喋りする余裕もないでしょうけど、顔見知りが増えるのはいいことじゃないかしら』
「うん」
『明日も日勤だから、無理しないでね。一応二時間で登録しておくけれど、疲れを感じたら切り上げて構わないわ。くれぐれも無理しないように』
「はーい」
金平糖を三粒、小さなビニールパックに入れてポケットに忍ばせ、製薬所に向かった。他の子もいるからと〈アスタ〉は言った――ということは、ジェシカもいるのだろうか。
着いてみると、いる、どころの話ではなかった。
ジェシカはその部屋に、君臨していた。
白いテーブルは八割ほど埋まっていた。ミランダはジェシカの言った“一番いい席”で一心不乱に薬を作っていた。ジェシカはその向かい側で辺りを睥睨していた。他に、大勢の左巻きたちがいた。女の子がほとんどだが、男の子もいる。
誰も一言も話していない。来る冬に備えて死にもの狂いで薬を作っているのだろう、とその時マリアラは思った。と、一番手前にいた子が顔を上げて、ニコッと笑った。
「こんにちは。ここ空いてるわよ」
囁きながら隣を示してくれる。マリアラはホッとした。
「こんにちは。ありがとう。わたし、マリアラ=ラクエル・マヌエル」
「ああ、あなたが」
やはり、仮魔女試験の事件は皆に知れ渡っているらしい。ミシェルは新聞になったと言っていたくらいだ。マリアラが座ると、隣の少女は声を潜めて名乗った。
「あたし、シャルロッテ。シャルロッテ=イリエル・マヌエルよ」
「シャルロッテ。よろしく」
「よろしくー」
「あの……薬、今日足りないのはどれ? どれを作ればいいかな?」
本当なら自分で確かめに行くべきなのだろうが、保管ケースの前にはジェシカがいる。自分から近づく勇気はなかなか出ない。と、シャルロッテは一瞬不思議そうな顔をして、それから、ああ、と言った。
「そっか、初めてなんだもんね。あの……あなたの魔力ってどれくらい? あたしは二ツ葉なんだけど」
「……どういう意味?」
「足りないのを作るんじゃなくてね、魔力のランクによって、作る薬が……」
「マリアラさん」
キツい声がした。獲物を見つけた狩人のような。
いつの間にか、ジェシカがすぐ後ろまで来ていた。ジェシカがここに“君臨している”ということをマリアラが悟ったのはその時だ。周囲にいた子たちが皆さっと顔を伏せたから。
「一昨日のことなんだけど、ちょっといいかしら」
「一昨日のこと?」
諦めて、マリアラはジェシカに向き直った。ジェシカは一昨日とは違って、こちらへの敵意を隠そうとしていなかった。机の端で、ミランダが心配そうにこちらを見ているのが目の隅に見える。
「あなたの魔力量、調べさせてもらったけど、一ツ葉だったわ」
周囲で聞き耳を立てている子たちがふうっと息をついた。シャルロッテが気の毒そうにこちらを見た。ジェシカは冷たい目でマリアラを見下ろしながら、ため息をついて見せた。
「こんなことあんまり言いたくないんだけど……魔力が弱いのはしょうがないわ。でも、嘘つきの泥棒に、助っ人に来られても困るのよ」
マリアラは唖然とした。「どろぼう?」
「しらを切るの? いいわ、説明するわね。あのね、一昨日はね、ミランダは本当は、製薬に来るはずじゃなかったのよ。そこを無理して来たの。リテルが足りないってわかっていたから。
そしたらどう、来てみたらリテルが9個もあったの」
周囲の子たちが今度はざわめいた。マリアラは事態がさっぱりわからなくて戸惑うばかりだ。
「前の日には2個しかなかった。肺炎が流行り始めてるってジェイディスが言っていたから、ミランダにはあたしが頼み込んで、無理して来てもらったのよ。それが無駄足になったの。
あたしたちが来る前にここにいたのはあなたよね」
「ちょっと待って。いない間に減ってたんなら泥棒って疑われるのはまあ、わかるけど……増えてたのにどうして?」
「まだしらを切るの? ああ、何が悪いかわかってないってクチ? 一から十まで説明しなきゃダメなの? じゃあ聞くけど、9個のリテルは誰が作ったの?」
「わたしが……作ったんだけど」
そう言うと周囲のざわめきは一層高くなり、マリアラは泣きたくなった。何が変なんだろう。ジェシカの眼差しが更にキツくなった。
「だからそれがね、嘘でしょって言ってるのよ」
「嘘じゃない。来たらジェイディスさんが来て、リテルが全然なくて急ぎで欲しいからって言われて……作ったらその後、できるだけ在庫が欲しい、って。だから」
「だってあなた一ツ葉でしょ。魔力が弱いくせに、リテルなんて薬、二時間で9個も作れるわけないじゃない」
「九個じゃないよ」と口を出したのは、シャルロッテの向かいに座っている男の子だ。「その前にジェイディスに渡してるんだろ。つまり10個じゃないか。ジェシカ、あんたいつも――」
「黙ってなさいよ、一ツ葉のくせに」
ジェシカが鋭い口調で言い、男の子は怯んだ。その隙にジェシカはこちらを見た。
「嘘つかないでよ、皆がこうやって混乱するじゃない。ね、正直に言いなさい。あなたがいる間に在庫の補充があったんでしょ? その分はね、記録に残さないといけないのよ? それをちゃっかり自分の成果にするのは着服って言うの。泥棒よ。恥ずかしくないの?」
ようやく事態がわかってきた。だが、あまりのことに目眩がする。
「そんな――」
「ジェシカ、ちょっと待って」
ミランダがこちらにやって来ていた。
「いくら何でも、そんなことするはずないわ」
「じゃあ本当にこの子が作ったって言うの? どうやって? 二時間程度で、別にヘトヘトにもなってなかったじゃない。他の薬ならともかくリテルよ、二時間で10個なんて四ツ葉でさえ疲れるのに。正直に言いなさいよ、製薬所から補充があって、それを記録に残さなかったのよね? しょうがないわよ、記録しなきゃいけないって知らなかったんなら」
「補充があったわけじゃない。わたしが作ったの」
「できるわけないじゃない、一ツ葉のくせに!」
ジェシカが嘲るように叫んだ。
他の子たちも不安そうに身じろぎしたり顔を見合わせたりしている。マリアラはふつふつと胸の奥で怒りが湧いているのを自覚した。一体全体何なんだ、と思っていた。まさか、よりによって、着服の疑いをかけるなんて。
「わたしは確かに魔力が弱いけれど、仮魔女だったときの製薬所では、リテルを1000ccくらい、普通に作っていたもの」
「まだ言い張るの? じゃあやって見せなさいよ!」
ミランダがこちらを見た。
「本当に、作ったの……?」
「作った」マリアラはポケットに手を入れて、金平糖の入ったビニールパックを握りしめた。「いいよ、二時間で1000cc、作ってみせればいいんでしょう」
「やれるもんならやってみなさいよ。シャルロッテ、席代わりなさい。隣でよーく見させてもらうわ」
ジェシカが馬鹿にしたように言い、マリアラは更に苛立った。代わりなさいって何だ。四ツ葉だかなんだか知らないが、魔力が強いということがそんなに偉いのか。
「見世物じゃない。もうすぐ冬が来るから、皆一生懸命薬を作らないといけないんだよね? シャルロッテがいいなら隣に座るのは構わないけど、その間を無駄にして欲しくない」
「フーン、競争しろって言うのね。いいわよ。一ツ葉が四ツ葉に勝とうなんて、バカじゃないの」
マリアラは唖然とした。何をどう聞いたらそうなるんだ。
でも、言い争って消耗するのもバカみたいだ。マリアラはため息をつき、金平糖を引っ張り出した。集中するのに、薬が欲しい。
即座にジェシカが見とがめた。
「何それ。魔力増強剤? フーン、やっぱりズルじゃないの」
「……ただの金平糖だよ。元気の薬。疑うなら、ひとつあげる」
ジェシカに一粒あげ、マリアラは自分の分をひとつ口に入れた。甘い味とともに、ダリアが言ってくれた言葉が浮かんでくる。
――頑張って。あなたは同志だから。
ジェシカは早速シャルロッテの座っていた場所に陣取り、天板をスライドさせて薬品チューブを露出させ、フラスコを準備している。マリアラはまずジェイディスが教えてくれた場所に行き、計量スプーンと計量カップを持って来た。それからリテルの材料となる薬品が入った引き出しを全部持って来て机の上に並べた。フラスコを準備して、スツールに座る。ジェシカが言った。
「何始めるつもり。薬の作り方も知らないの?」
「ここでのやり方は、わたしは知らない」腕まくりをしながら、マリアラは言った。「二時間で1000cc、作るところが見たいんだよね。あなたと同じやり方でやらなきゃいけない決まりでもあるの?」
「ないよ」
さっきの男の子が言ってくれた。
彼は興味津々といった風にマリアラのテーブルの上を見ていた。目が合うと、彼は微笑んだ。穏やかな顔立ちの、大人しそうな少年だった。
「君のやり方を見せてよ。違うやり方があるなんて知らなかった」
「今、午後一時十二分。三時十二分までに10個よ。倒れないようにせいぜい気をつけるのね」
ジェシカが言い、薬を作り始めた。ぴちゃぴちゃ、ぽとん、チューブから適切な量の薬品が飛び出して、フラスコの中に落ちていく。マリアラは呼吸を整えた。
300ccのフラスコ、四つ作れば充分だ。
負けるもんか、と思った。