薬の作り方(2)
それから一時間少々経った。
気がつくと、気管支拡張剤がかなりの分量できていた。フラスコにして3つ分。さっきジェイディスが見せてくれたサンプルは100ccのプラスチックケースに入っていたから、同じものが9個、できたことになる。
漏斗とケースを持って来て、分量を量って小分けにし、丁寧に蓋を閉めていく。薬を作る工程の内で、一番楽しい時間だと言っても過言ではない。全て詰め終え、保管ケースにしまいに行く。ケースにはまだまだ余裕があるが、少しは在庫ができた。空っぽよりは安心感がある。
できるだけ数が欲しい、とジェイディスが言っていた。
残り時間はまだ少しある。でも、今日はカップケーキを買い直しに行く予定だった。魔力にはまだ少し余裕がありそうだが、あんまりへとへとになったら明日の仕事に差し障りが出てしまう。保管ケースを見回すと、他の薬も結構在庫が心許ない。やっぱりもう少し頑張ろうか……
「でっさー、その子ったらほんっと」
突然扉が開いた。若い女の子の元気な声が静かだった部屋に飛び込んできた。
マリアラは振り返った。くるくる渦を巻く髪を頭の上でふたつに縛った少女が後ろ向きに入ってきた。続いて――
「あっ」
マリアラは思わず声を上げた。さらさらの黒髪、静謐な水のような物静かな印象の、すごく綺麗なその人には見覚えがあった。
ミランダ=レイエル・マヌエル。さっきジェイディスが言ったばかりの子だったのだ。
マリアラの声に、くるくる髪の少女が振り返った。大きな鳶色の瞳が印象的な、こちらも綺麗な人だった。少し年上だろう。勝ち気そうな表情。鳶色の瞳が品定めするようにマリアラを見た。
「こ……こんにちは」
「こんにちは」
とミランダが言った。マリアラを見て、にっこり笑った。
「薬の助っ人に来たの? 私、ミランダ=レイエル・マヌエル。よろ――」
「あたしジェシカよ。ジェシカ=イリエル・マヌエル」
くるくる髪の少女がミランダの前にずいっと出た。まるでミランダを守るような態度だ。
「あなた誰? 初めて見る顔だけど」
「マリアラ=ラクエル・マヌエルよ」
ミランダがジェシカの後ろから言った。肩越しにこちらを覗き込んで、にっこり笑う。
「ダニエルからいつも――」
「ああ、この子がそうなのね。ふうん。……あなた魔力はどれくらい?」
「えっ」
マリアラは目を丸くした。何を言われたのかわからない。
「魔力、って……?」
「魔力量を聞いてるの。ラクエル……と言えばフェルディナント=ラクエル・マヌエルの相棒になった子なんでしょ? これから冬になるもの、仲間が増えるのは歓迎だわ」ジェシカはにっこり笑った。「魔力どれくらいあるの? 二ツ葉? 三ツ葉? フェルディナントさんって魔力すっごく強いのよね、あなたも釣り合うくらいあるんでしょ」
「わ、たしは――」
「ああ、ううん、もちろん左巻きなんだもの、右巻きほどあるわけないってことはわかってる。ミランダみたいなのは別格だもん。この子五ツ葉なのよ。あたしは四ツ葉。あなたは?」
どうしてだろう。敵意を感じる。
マリアラはまだ混乱したまま、ジェシカの後ろのミランダを見ようとした。が、ジェシカがそれを許さない。マリアラの顔を覗き込んできた。
「魔力量教えてよ。これからも製薬の助っ人に来るんなら、把握しておかなきゃいけない情報でしょ」
ミランダが慌てたように声を出した。
「ジェシカ、あのね、前から言ってるけど、魔力……」
「ミランダ、今あたしこの子に聞いてるの」
ぴしゃりと言われてミランダは言葉を飲んだ。マリアラは仕方なく答えた。
「わたしあんまり魔力が強くないの」
ジェシカは頷いた。「葉は?」
「葉なんて知らない。申告する必要あるなんて知らなかった……」
「じゃあ次までに調べてきて。どの薬の担当してもらえるか割り振らなきゃいけないから。ミランダ、薬作りましょ。あなたが来られる機会は貴重だから、今のうちにいっぱい補充しておかないと」
殊更に親しげにミランダに言いながらテーブルを見て、さっきマリアラが座っていた――まだ器具が出しっ放しになっている――スペースに目を留めた。
「ちょっと、あなたここ使ったの?」
きつい視線と言葉に、マリアラはどきりとした。「え、ええ」
「やだなーもう。まあ知らなかったんだからしょうがないけど、ここはいつもミランダが使うの」
ミランダが慌てた。「そんな、そんなことないのよ」
「だってミランダがここに来られるのは貴重なんだし、あたしたちが来ないとリテルが足りないのよ? できるだけ移動距離を短くして余計な体力と魔力を使わないようにって優先してもらうのは当然じゃない? 今日はもういいけど、次からは気をつけてよね。あなたの魔力が四ツ葉以上だったらこの辺使ってもいいんだけど」
何なんだ。
マリアラの沈黙を咎めるように見て、ジェシカは言葉を継いだ。
「製薬において魔力の強さは最も重要視されるべきなの、だって、魔力が強ければ強いほど薬をたくさん作れる。難しい複雑な薬をたくさん作れるのよ。そんなに魔力が強くないってさっき自分で言ったでしょ? それなら身の程を弁えて少し遠慮するべきじゃないの?」
「ジェシカ、言い過ぎよ」
「ミランダは甘いのよ。魔力が弱い子って迷惑なのよね、仕事できないくせに孵化したってだけで充分だって思って、弱さの上にあぐらかいてるんだから。その分のしわ寄せは全部あたしたちに来るんだから――」
『マリアラ』
天井から、優しい声が降ってきた。〈アスタ〉だ。
『助っ人に入ってくれてありがとう。もう二時間経ったから、明日に備えて休んで頂戴』
「……そうする」
天の助けだ。
マリアラはホッとした。が、ジェシカが声を出した。
「ねえ〈アスタ〉、マリアラさんの魔力って三ツ葉くらい?」
『ジェシカ。魔力量を葉でランク付けするのは医師の中だけで便宜的に行われている符丁なの。マヌエルには全く関係ない要素だし、ランクによって待遇や仕事が左右されることはないし、あってはならないことだと思う。だからあなたにそれを知らせる必要はないと思うわ。マリアラ、非番なのに悪かったわね。本当にありがとう』
早く出ろと、〈アスタ〉が言ってくれているのがわかる。これ以上理不尽な攻撃を受ける前に早く逃げろと。だって助っ人の約束は二時間だった。厳密に言えば残り時間は二十分少々ある。ジェシカがマリアラを攻撃しているのに気づいて、助け船をくれたに違いない。どうしてだろう? 〈アスタ〉は魔法道具なのに、それが信じられなくなるのはこういうときだ。
急いで片付けて、机の上を綺麗にした。敵前逃亡だ、と思う。
ジェシカはまだマリアラを見ているが、ミランダは薬を作り始めていた。テーブルのボタンを押すと天板がスライドし、そこからずらりと並んだチューブの口が現れた。ミランダがそこに両手を翳すと、チューブの口から薬品が飛び出した。ぴちゃぴちゃ、ぽとぽとと音を立てながら、自ら進んでフラスコの中に飛び込んでいく。
マリアラは唖然とした。
こんな設備があったのか。
ジェイディスに計量スプーンとカップの場所を聞いたとき、驚かれたのも当然だ。こんな設備があって、魔力も充分な量あるのなら、確かに計量スプーンもカップも必要ない。
ジェイディスにもきっと呆れられたのだろう。
落ち込みながら、マリアラはその部屋を後にした。もし自分に尻尾があったら、今はきっと足の間に巻かれているんだろうな、と思いながら。