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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の訓練
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女の仕事

 ラルフの後ろを、八歳のルノがついてくる。

 子供たちにわらわらついてこられると面倒なので、だいぶ無茶な道を通ったのだが、ルノだけは脱落しなかった。小さな体で、一生懸命ついてくる。


 ルノは根性がある。昔のルッツを見ているみたいだ。まだ身長も足らず手足も短いから、ラルフの後をついてくるのは非常に骨が折れるはずなのだが、ルノは絶対に泣き言を言わないし、待ってくれということもしない。


 ラルフは振り返った。ルノは小さな背に大きな魚籠を背負っている。まだ空なので重くはないが、かさばるから動きづらいはずだ。ぜいぜい言っている。体が小さいのも体力がないのも、ルッツに似てる。


「だから、危ないから帰ってろって。俺、まだ先まで行くよー?」

「ラルフ、……いつもの場所で、なんで釣りしないの?」

「今日はこっちの方が釣れる気がすんだよね」

「嘘だ」


 呼吸を整え終えたルノは顔を上げた。


「リックがあっちにいるからだろ。場所、譲ってやってるんだろ」


 よく見てるなあ、とラルフは感心する。

 確かにリックは、ラルフがいる釣り場にいつも出没する。ラルフを見つけては、因縁をつけてくる。女のくせに。女なんだから。女は女らしく。もう、顔を見るのもうんざりだ。


 だからラルフは自然に、集落の近くの釣り場を避けるようになった。近々差し入れ巡りに出かけるのだから他の仕事はしなくていい、とハイデンからもネイロンからも言われているのだが、リケロの手前、あんまりぶらぶらもしていられない。釣りなら釣果を持って帰れば島のためになることをしていた、と証明できる。本当は診療所の手伝いができるといいのだが、ラルフはあまりに不器用で、診療所でできることがない。


 この島はもはや、ラルフにとってくつろげる場所ではないのだ。

 早く【風の骨】が来ないだろうか、と、指折り数えて待っている。

 ルノは迷うように口篭っていたが、意を決したように言った。


「ねえラルフ。リックを追い出してよ。ラルフは【風の骨】になったんだろ。偉いんだろ。ラルフがいない間、俺たち……」


 やっぱりその話だった。ラルフはルノに向き直った。


「ルノ、俺は別に偉くなってないんだよ。リックのやつを追い出してやることもできないんだ。……ごめんな。お前の気持ちはよくわかるよ。俺もずっと、リックを誰かが追い出してくれないかって、思い続けていたからさあ」


「リックは……ラルフのことが好きなんだろ」

「おえっ」


 えずいて見せたが、ルノは笑わなかった。ラルフは視線を前方に戻して歩き出した。リックがラルフに抱いている感情がなんなのか、ラルフにはわからない。しかしあれが『好き』とか『恋』とかいう感情の一種なら、愛とか恋とかって、俺が漠然と夢見てるようなもんじゃないのかもしれないなあ――と思う。


 リックはラルフをこの島に閉じ込めようとしている。自分が差し入れ巡りの地位を奪えば、ラルフはどこへも行けないのだと思っている。


 ここに閉じ込めてどうするつもりなのだろう。


 それが長い間疑問だったのだが、最近わかってきた。リックはラルフに、リックが戻るのを待ってもらいたい、らしい。戻ってきたら出迎えさせて、もてなさせる? つもりらしい。それが『好き』ということなら、お前にそんな感情を向けられる筋合いなんかない、と思うしかない。

 なんで俺がお前をもてなしてやれると思うんだ、今までずっと、いがみあってきたのに。本当に、意味がわからない。


「ルッツの方がずっといいよ」


 後をついてくるルノが言い、ラルフは笑った。


「そりゃルッツの方がいいだろ。比べんのも失礼だろ」

「ルッツも、ラルフが好きなんだよね?」

「知らねーよ」

「ねえラルフ、リックはね、【風の骨】が来たら、差し入れ巡りの役目を自分にしてくれって、頼むつもりなんだって」

「知ってる」

「……そんなことになんないよね? リックが世話役になるのも最悪だけど、差し入れ巡りなんてもっと最悪だよ。ここに持ってくる前に、全部食べちゃうに決まってるもん」


 あー、とラルフは思った。その視点はなかったが、確かにありそうなことだ。

 ラルフは振り返った。


「……俺も食っちゃってっかもしんねーよ?」


 冗談のつもりだったが、ルノは真面目だった。


「ラルフは食べないだろ。島にいる間、ルッツに魚を分けてたって、聞いたもん」

「あのねー、あれは、ルッツがずるしてるってわけじゃなくて」


「わかってるよ。ルッツは頭がいいもんね。ラルフに足りないものをルッツが分けて、ルッツに足りない魚をラルフが分ける。公平なんでしょ。だからラルフは、差し入れも、自分だけで食べちゃったりしないでしょ。そんなことしたらルッツなら絶対わかる。ルッツ怒らせるなんて、ラルフはしないでしょ」


「まあねえ。あいつ怒らせんのが、一番怖いよなあ」


 ルノは本当によく見てる。ラルフは感心した。

 島の小さい子どもたちにとって、年長者たちの誰につくか、というのは、かなり大きな問題だ。そこを見極められない子供は大きくなれない、それくらいシビアな問題なのだ。


 十五歳になったリックは、子供たちを支配している。リックに逆らうと生きていけない。それほどの地位を築いている。


 しかしラルフやルッツ、そしてルノのように、リックに従えない子供もいる。


 シグルドがいた頃は良かった。シグルドは一番若い世話役で、子供たちの間の力関係に詳しかった。そしてリックの横暴を絶対に許さなかった。リックもシグルドが苦手だった。リックが小さい頃、シグルドはみんなを束ねる、頼れるガキ大将だったからだ。体も大きく、力も強く、ルールをきちんと守り守らせ、魚を取るのも舟を操るのもとても上手で、リックの鼻っ柱をよくへし折ってくれていた。子供たちはシグルドのそばでは気を緩め、くつろぐことができた。


 しかしシグルドはもういない。リックに立ち向かえるのは、子供の中ではラルフだけだ。ハイデンかネイロンがいてくれればいいのだが、最近ハイデンはずっと本土にいっぱなしだし、ネイロンは島長の仕事を引き受けるようになり、忙しすぎるのだ。他の世話役たちはもうずいぶん年嵩で、気難しかったり漁にでずっぱりだったり、リケロみたいに虐げる側だったりする。


「ね、ラルフ。はちみつ、持ってきてくれたんだよね?」


 ルノが話を変え、ラルフは少しホッとした。


「うん、持ってきたよ。食ってるだろ?」

「ううん、まだ。持ってきてくれてるはずだって、俺ら、毎日待ってるのに。ぜんぜん出てこないよ」

「ええー? まあはちみつは、舐める以外の利用法もたくさんあるからなあ……。もしもの時のために、とってあんのかな」

「戻ったらさ、はちみつ、たまには出してくれるように伝えてくれる?」

「ああいいよ。今年はいっぱい取れたからって、量を増やしてくれたんだ。十分な量あるはずだ」


「やった!」ルノは嬉しげに叫んだ。「約束だよ! ね、はちみつってさ、どうやって取れんの? 蜂が集めるってほんと?」

「ほんとだよ。アナカルシスの北西の方にさ、すっげだだっ広い草原があるんだよ。そこには昔から馬に乗る人たちが住んでるんだって。で、馬が好きなレンゲって花が、見渡す限りずっと生えてるんだ。蜂はその花から蜜を集めるんだよ」

「見渡す限りって……そんな広いの?」

「そうだよ。ここから見るとさ、見渡す限り海じゃん」


 海べりにようやくたどり着いた。

 下を覗くと、ごつごつした岩でできた崖になっていた。真下に波が打ち寄せて、白く泡立っているのが見える。ここから釣り糸を垂らしたら、アイナメやスズキが釣れそうだ。

 ラルフは崖に腰を下ろし、隣に座ったルノに、海を示してみせた。


「この海全部が、草原だと思ったら近いよ」

「えっ! そんなに広いの!?」

「そうだよ、地平線までずーっとずーっと、果てしなく草原なんだ。緑の柔らかそうな草の合間に、花の先がピンクとか赤とか紫とかのレンゲの花がさ、ぶわーっと、見渡す限り咲いてんの。風が吹くと、波みたいに揺れるんだ。蜂はその花の間を飛び回って、地面の割れ目とか岩の間とかに巣を作るんだってさ。実際の蜂の巣は見たことねーんだけど、草原のレンゲ蜜って、アナカルシスじゃ有名らしいよ。荷の中に何キロか入ってる」


「すごいなあ……!」


 あれだけあれば、さすがに子供たちの口にも入る――はずだ。なぜ舐めさせてやらないのだろう。料理の味付けに使うよりも、そのまま舐めた方が子供たちが喜ぶということくらい、ネイロンなら弁えているはずなのに。


 ラルフは腰にぶら下げた革袋から、さっき出がけに捕まえてきたイソメを一匹つまみ出し、釣り針につけて、ぽいっと海に放り込んだ。目を閉じて、神経を集中する。糸を引いて、針が岩肌に寄るようにする。針が岩に引っかからないよう指先で調整する。

 ほんの数分だった。指先に軽い刺激を感じた瞬間、ラルフは竿を引いた。ぐっと手応えを感じる。


「引いてる! すげー!」

「よいしょー!」


 踏ん張って竿を引き上げると、海面を割って茶褐色の魚影が飛び出した。びちびちと暴れ、身をくねらせるたびに、白い腹が日光を浴びてキラキラ光る。ルノがさっと網を差し出し、ラルフは糸を手繰り寄せてアイナメを網に入れた。ちょっと小ぶりだが、充分太っていて、美味そうだ。


「よおーし」

「すげー! ラルフ、すげー!」

「やってみる?」

「……いいの!?」


 ルノは目を輝かせた。島で、一人で竿を持って良いとされるのは十歳になってからだ。普段ならばルノにだけ竿を持たせてやるなどと、トラブルの種になるからしないのだが、今はほかに誰もいないし。


「落ちるなよー?」

「うん!」


 ルノは大喜びで竿を構えた。

 こんなことで罪滅ぼしになるとは思えないが、魚を獲る腕はそのまま、島での地位に直結する。リックを追い出してやることはできないが、ラルフの持っている魚取りのコツを教えてやるくらいはできる。いや、頭で考えてやっているわけではないから、教えるのは難しいのだけれど。

 なるべく言語化できるようにしながら、二人はそこで、日が少し傾き始めるまで魚をとった。

 釣果は、まずまずだった。


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