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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の訓練
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調理

 朝ごはんはサラダと目玉焼き、ソーセージだった。冷凍庫に入っている『アデルのパン』を取り出してトースターで焼くことにする。フェルドはここにきてもう十日になるからか、キッチンの使い方も良くわかっているようだった。シンクでジャガイモを手際よく洗い、皮をむいて切り分け、耐熱のボウルに入れてレンジに入れた。何を作るのだろう? 続いてフェルドは冷蔵庫に向かった。さっき見かけた銀色のつやつやしたボウルを取り出し、とても嬉しそうに覗き込んでいる。

 中には水が入っていて、大きな白い塊が沈んでいる。

 マリアラは訊ねた。


「それ、なあに?」

「すげーいいもの。昼に食おうと思って、昨日の夜から塩抜きしといたんだ」


 フェルドは嬉しそうに言い、ボウルに張られた水から、その白い塊を取り出した。

 豚肉の塊のようだ。

 とても大きい。五百グラムはあるだろうその塊を次々に切り分けて、フライパンに放り込む。


「ここに来た時にさ、俺何もやることなくてさ」


 他にもオイルだのにんにくだのハーブだのをフライパンに入れて炒め始めながらフェルドはそう言った。


「そしたらあの……その……【風の骨】がさ……」


 すでに【風の骨】がデクター=カーンであることについては伝えてあるが、フェルドは未だ、デクターの名を呼べないようだ。


「……ここにいる間にこの冷蔵庫と冷凍庫の中身を空にしないとだめなんだって言うんだよ。ここには常時人が住んでるわけじゃないから、出かける時に空っぽにしていかないといけないんだって。そう言われたらもー保存食作るしかねーなって思ってさ、ブロック肉のほとんどは塩漬けしといたんだよ。そろそろ食べごろ」


 肉に火が通り始めると、にんにくとハーブと豚肉の焼ける、えも言われぬ香りがし始めた。そこにレンジで火を通したジャガイモを入れてがっしがっしと炒める。かなり豪快な作り方だ。そしてすごい量だ。絶対に二人分ではないと思うが、フェルドならば食べ切れるのだろうか。


「他にも作ったよ、保存食。で、こっちもさ、やっと少し食べきれそうな量になったってほっとしてたんだよ。したらあの人、ラルフの島に出かける前に買い出し行ってさ、またぎゅうぎゅうに詰めてったじゃん。どうしろってんだ」

「そういうとこあるよね。食べ物を山盛り用意するのが癖みたい」

「よーしできたー」


 二つの皿に豚肉とジャガイモを盛り、一つをマリアラの前に置いてくれた。塩豚から出た脂をまとったジャガイモがつやつや光っている。空っぽの胃袋が叫び出しそうないい匂いだ。


「わあ、ありがとう」

「どーぞ召し上がれ。あったかい方から食べなよ、朝飯は余ったら後で俺がもらうから」

「……いただきます」


 お言葉に甘えて、出来立ての方を先に食べることにした。塩抜きされた豚肉は、ちょうどいい塩加減になっていた。水分が抜けて、普通の豚肉よりも弾力のある噛みごたえだ。ホクホクのジャガイモが豚肉の脂を吸って、とてもおいしい。こんがり焼けたアデルのパンがまたとてもよく合う。

 フェルドの方は白いご飯を食べている。相変わらずおいしそうな食べっぷりだ。


 それにしても。デクターは本当に、いったいどういうつもりなのだろう。どう考えてもこの人数で食べきれる量ではない食料を置いて、今はラルフとケティを迎えに、ルクルスの島に行っている。戻ってきたら出かけるからそれまでに、冷凍庫はともかく冷蔵庫は空にしておいてくれ――と言い残していったのだが、無茶を言うな、と言いたい。


「フェルド、これ美味しい。すごく」

「だろ?」


 嬉しそうに顔をくしゃっとさせて笑うのを見て、あああああ、とマリアラは思う。どうしよう、本当に、こんなに幸せで良いのだろうか。リンと一緒に【魔女ビル】の屋上でパレード隊の演舞を見たときも、どうすればあの高みまで昇れるだろうと途方に暮れそうになったのに、さらに半年も遅れを取ってしまった。12月の誕生日が過ぎてしまったから、フェルドはもう21歳だ。ずいぶん大人に思える。


 記憶よりも背が伸びて、手足も肩幅も伸びて、ダイニングの椅子が少し窮屈そうだ。外見も変わったが、中身も少し変わった。エスメラルダにいた時よりももっとのびのびとして、ゆったりとして、穏やかだ。寛いでいる。ぽかぽかのひだまりみたいな雰囲気が、ますます強くなったようだ。


 ――修学旅行も行けなかったんだ。

 ――ずっと外に出たかった。

 ――好きなように、好きな場所に、行きたかった。


 あの島で会った、十五歳の時のフェルドの、絞り出すような声を覚えている。エスメラルダで、フェルドはずっと、自分を閉じ込めようとする誰かの意思を感じ続けていたのだ。


 もうその意思は、フェルドに何の影響も及ぼさない。これからどこにだって行ける。塩漬けの肉や様々な保存食があれば、きっとどこでだって生きていける。成長して、自分の力で生きていけるようになって。あの大きな両手でこんなに美味しい料理も作れて、でも、笑った顔は以前とあんまり変わらなくて。頬骨と額と一本気な眉と、短い硬そうな髪と、黒々とした瞳と、意外に長いまつ毛。


 どうしよう。目が離せない。もう少し近くに寄りたい。再会したあの日の夜みたいに、隣に並んで座りたい。際限なく湧き出る欲に、我ながら呆れてしまう。ついこないだまで、また会えたらそれだけで死んでも構わないとまで思っていたのに。


「……どした?」


 あんまり見すぎて、フェルドと目が合ってしまった。フェルドははにかむように微笑み、マリアラはドキッとしてフォークを握り直した。危うく取り落とすところだった。うつむいて、まだまだたくさん残っているジャガイモと塩豚の炒め物を見た。そしてまたフェルドに視線を戻した。フェルドはまだマリアラを見ていて、笑った。


「なに?」

「えっと、いえいえその、おいしいなあぁ、と、思って。でもさすがにあの量、食べきれないよね?」

「うん、残りは夜のお楽しみ。ブラウンシチューにしようと思って」

「えっ!」


 ほくほくのジャガイモとぷりぷりの塩豚が入ったシチューだなんて、そんなの、すごく美味しいに決まっている。

 マリアラの表情を見てフェルドは笑った。


「塩漬けしておいとくとほんと美味いよね。ニーナたちのところに行った時、狩りで獲った獣は全部血抜きして塩漬けにしてたんだ。保存のためだと思っていたけどそれだけじゃなくて、塩漬けしとくと肉の味が良くなるんだって言ってた。余分な水分が抜けるとき、臭みも一緒に抜けるから、一石二鳥なんだって」


「へえ……!」


 話しているだけで夢見心地だった。生まれてこのかた、こんなに幸せだったことがあるだろうか。

  

 

 

 食事を終え、片付けも終えると、二人は本格的に冷蔵庫の食材をどうにかしようとし始めた。


 デクターはもうすぐ戻ってくるはずだ。ラルフとケティには、この島の近くにあるメディアという港町まで来てもらうはずだったのだが、何かトラブルがあったらしく、デクターが島まで出向いて迎えに行くことになったのだ。


 【壁】を越えられるのだし、ラルフもいるのだから、直線距離を進んで来られる。明日か明後日には来るはずだ。それまでに、冷蔵庫の中身を全て調理して、持ち運べるようにしなければならない。小さく縮めておけば日持ちもするし、ラルフとケティが増えたら食べ物もたくさん必要になる。旅先で手の込んだものを作るのは無理だろうから、一食分ずつに小分けにして、包みを開いたらすぐに食べられるようにするべきだろう。


 こないだ会った媛が持っていたお弁当を思い出す。あれを準備したのは多分マーシャなのだろう。とても手が込んでいて、美味しそうな食べ物の数々は、旅の間の心を大いに和ませるはずだ。ここにある食材を使って、マーシャならどんなお弁当を作るだろう? そう考えるとなんだか、ワクワクしてくる。


「牛乳が困るなあ……あと野菜類。ああ、ラスの発明したパウチがあればなあ……」

「魚はとりあえず塩振って干しとこう。ジャガイモまだ残ってるから、茹でて潰しておけば食べんの楽でいいかも」

「そうだね、美味しそう。あ、サツマイモはどうしようか」


「すいーとぽてとが良いぞ」


 出し抜けにリエルダの声がした。

 見ると、ダイニングテーブルの椅子に立って、幼い少女姿のリエルダがキッチンカウンター越しに覗き込んでいた。

 一瞬前には絶対にいなかったと断言できるその場所に、まるで三十分前からいました、というような顔をして立っている。


「リエルダさん、どこに行っていらしたんですか?」

「うむ、気を利かせたつもりじゃったが、あなた方はどうも真面目すぎるようでな、釘を刺しに戻ってきた」

「釘を……」

「いもを使うなら菓子が良いぞ。すいーとぽてとを作れるか?」


 期待に満ちたキラキラした瞳で見つめられ、マリアラは微笑んだ。


「わかりました、そうしましょう。フェルド、もう甘いの食べてもいいんだよね?」

「…………」


 少しの沈黙のあと、フェルドは言った。


「……初めはみたらし団子って決めてるから」


 餡子とみたらしでだいぶ長いこと悩んでいたが、ついにみたらしに決めたらしい。


「……そっか」

「でもスイートポテト、いいじゃん。ラルフもケティも喜ぶだろ」

「作り方はわかるか? わからねばアデルに聞いてくるが」

「たぶん大丈夫です。ミランダに前に教えてもらったことがあるので」


 ミランダとラセミスタとリンには、目覚めた次の日に手紙を書いた。デクターが出かける時に、メディアで出してくれるよう頼んだから、ガルシアにいるラセミスタはともかく、リンとミランダにはもう届いている頃だろう。


 リンは大丈夫だろうか。ミランダは、トールにまたちゃんと会えただろうか。もしかしたらもうガルシアに行ったかもしれない。ラセミスタはもう元気になっただろうか。グレゴリーの義手はもう馴染んだだろうか。今頃は、課題をバリバリこなしているところだろうか。

 

「リエルダさん、アデルって、ティティさんも言ってましたけど……誰なんですか?」


 フェルドが訊ね、リエルダは少し考えた。


「アデルは料理が上手な子じゃ。ティティ姐さまが道楽でやっているエスメラルダの店があるのじゃが、そこの料理人じゃな。とても良い子なのじゃが、あまり人前に顔を見せぬようにさせておる。どこで目をつけられるかわからぬゆえな。

 じゃがあなた方には近々挨拶をするはず。この島にいる間においでと言ったのじゃが、あの子もなかなか忙しいでのう」


 サツマイモを茹でて潰して裏漉しして、砂糖と卵黄を混ぜる。なかなか重労働だが、すごくいい匂いがするし、リエルダの期待に満ちた目に励まされる。

 成形する段階になったところで、リエルダが身を乗り出して生地をつまんで食べた。んふー、と鼻から息が出た。表情を見ると、美味しかったらしい。


「あなたは料理が上手じゃの。昔の花とは大違いじゃ」

「昔の?」

「儂が一番初めに会うた花じゃ。コンスタンス=ガーフィールドという名じゃった」

「ガーフィールド」


 マリアラは目を丸くする。孵化する前の自分の名字だ。特に謂れがある名字ではなかったはずだ。一般学生に上がってすぐの頃、自分の名字の由来を調べる授業があった。リンはアナカルシスの貴族の名前だということで、つくづく羨ましかったものだ(リンはあまりピンときていなかったようだけれど)。


「あなたは少し面影が似ている」話しながらリエルダはどんどん生地をつまむ。「親切なところも、真面目で意外に頑固なところも。しかしコンスタンスは料理がそれほど得意ではなかった。もっぱら食べる専門じゃった」


 リエルダは、コンスタンス=ガーフィールドという女性に対し、とても良い印象を持っているようだ。懐かしむように微笑みながらそう言った。しかしその間もひょいひょいと手を伸ばしては生地をつまんでいくので、マリアラは笑い出した。


「リエルダさん、焼いてから食べた方が美味しいですよ」

「わかっておる。しかしすでに、充分に美味い。いもはもう柔らかいのじゃし、焼かずとも良いのではないかえ」

「焼いた方が美味しいですよ、香ばしさがプラスされますから。日持ちもするようになると思いますし」

「よしよし、では生地を少し、こちらの器に入れておくれ。これだけで我慢するゆえ」


 とリエルダが差し出したのはお茶碗だ。マリアラはスプーンで一掬いそこに入れ、リエルダの視線に負けて、もう一掬い入れた。リエルダがお茶碗を抱えて込んでいる間にせっせと成形する。全て丸め終え、卵黄を塗りながら、残った卵の白身の使い道に想いを馳せる。ミランダはどうしていたっけ。メレンゲを作ってクッキーにしていたような気がする。オーブンの熱もそのまま利用できるし、一石二鳥だ。


 フェルドはといえば、ジャガイモを潰してマッシュにし、小分けにし終えていた。魚を開いて塩を振り、続いて細切れ肉をキャベツと一緒に炒め始めている。オーブンからいい匂いがしてくる頃、マリアラはメレンゲを作りながらリエルダに言った。


「お茶でも入れましょうか。このクッキーはすぐ焼けるから、焼きたての味見を――」

「そうしたいのは山々じゃが、あまり邪魔をするわけにもいかぬ」

「邪魔を?」

「……聞くがあなた方、もうすぐ【風の骨】が戻ってくるということはわかっておろうな?」


 リエルダがなぜ改まってそんなことを聞くのかわからない。もうすぐ戻ってくるということは重々わかっている。だからこうして、せっせと食料の処理を進めているのに。

 フェルドもわからないらしい。顔を見合わせた二人に、リエルダは苦笑した。


「人の寿命は短かろう。そう悠長にしておっては、いつ次の機会を得られるかわからぬぞ。こたびのエルカテルミナは花を次代に繋ぐよりは責務を果たすことを考えて欲しいが、それにしてもじゃ」

「……?」

「あなた方は真面目に【風の骨】の依頼に応えようとして、食料をどうにかしようと頑張っておるが、あの者の性質をそろそろわかっておいた方が良いぞ。ここのれいぞうこはアデルも使うゆえ、無理に今、全て空にせずとも良いのじゃ」

「えっ」

「そうなんですか!?」


「そうじゃとも。ぷりんを賭けても良いが、あやつはな、ここに戻ってきたら、あなた方がせっかく開けたれいぞうこの隙間にまた山盛り食料を詰め込む。【風の骨】はな、そういう男なのじゃ。何百年も、食べ物を人に山盛り与え続けることばかりしてきた。

 弁当はある程度で良い、【風の骨】が一緒にいる限り、あなた方が食べ物に困ることは絶対にあり得ぬ。じゃから今は、今しかできぬことをおし。花の疲労もだいぶ癒えたじゃろう。すいーとぽてとが焼き上がったら儂はそれをもらって姐様のところへ行っておる。【風の骨】が戻らぬ限り儂も戻らぬゆえ、二人でそれまでゆっくりむつみ合うが良い」


 スイートポテトと卵白のクッキーはその後すぐに焼き上がった。あつあつの菓子を大きな箱にたくさん詰め込み、リエルダはほくほくしながらそれを持って姿を消した。


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