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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の訓練
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訓練

 真冬だというのにこの島は暖かい。

 そのせいか、ここにきてからマリアラは朝寝坊だ。起こして欲しいと頼んだのだが、リエルダもフェルドも、好きなだけ寝ていいのだと言うだけだ。目覚ましをかけても起きられない。自分で止めているはずなのだが、その意識すらない。フェルドと再会して三日目の朝……いやもう昼が近い時間になって、マリアラはなんとかベッドから体を引き剥がした。またこの寝台がものすごく上等なもので、恐ろしく寝心地が良いのだ。


「うう……」


 どうしてこんなに眠たいのだろう。【水の世界】でケガを癒すのに一週間もかけたのだ、疲労などその時に綺麗さっぱり拭い去られていても良さそうなものなのに。重い体を引きずるようにして身支度を整え、ベッドも整えてから、よろよろと部屋を出た。


 真新しい木の香りに満ちたその家は、とても広々とした平屋だ。大きなリビングダイニング、カウンターの向こうにキッチンがあり、キッチンの裏からサニタリールームに入れるようになっている。顔を洗うと少し目が覚めた。家の中はしんと静まり返っていて、ダイニングの上に、マリアラの分の朝ごはんがカバーをかけられて残されている。

 ああ、今日も、誰もいない。


 フェルドは早起きだ。一緒に朝ごはんを作って食べたいのに、今日も、もう昼ごはんが近い時間になってしまった。なんて寝汚いんだろうって、呆れられてはいないだろうか。髪を梳かして、ぺちぺちと顔を叩くともう少し目が覚めた。キッチンで冷蔵庫を開けると、相変わらずぎっしり詰まっているが、昨日は見なかった銀色のつやつやしたボウルが収まっているのに気づいた。フェルドはけっこう料理が好きらしく、毎日いろいろと創意工夫をして楽しんでいるから、きっとこのボウルも何か仕込まれているのだろう。


 オレンジジュースをもらって飲んでから、マリアラはフェルドを探しに庭に出た。リビングからウッドデッキに繋がる掃き出し窓を開けると、この季節だというのに芝生が青々としていて、ちらほらと花まで咲いている。エスメラルダの冬からすると、夢のような光景だ。


 少し歩くと話し声が聞こえてきた。リエルダと、フェルドの声だ。

 今日もリエルダが来てくれている。マリアラは嬉しくなった。フェルドの『体に見合わない』魔力はリエルダにも危機感を抱かせたようで、しばらくこの辺にいて、フェルドに魔力の扱い方を教えてくれることになったのだ。


 リエルダが苦笑を含んだ声で言っていた。


「殿方というのはなぜ、体を鍛えるというと筋肉を肥大させることばかり考えるのじゃろうのう」


「……すみません」


「体の隅々にまで神経を行き届かせるという意味では鍛錬も悪くない。が、あまり体が大きくなっては却って動きにくくはないかえ。自らの思うたとおりに動く体を作ることを考えたほうが良い。へその下に力を蓄えるようにしてごらん。あなたに今必要なのは体を大きくすることではなくな、魔力の器を広げることで――おや、起きたかえ」

「おはようございます」


 さくさくと砂を踏んでマリアラは二人のところへたどり着いた。

 リエルダは今、人の姿になっていた。ティティほど幼くはないが、五歳くらいの可愛らしい幼女の姿だった。腰まで伸びた黒髪がさらさらで、あどけないのに怖いくらい美しい。

 フェルドは木刀を持っていた。『過去』で船に乗った時、マスタードラに稽古をつけてもらっていたことが思い出される。暑いのか、袖を捲り上げている。


「すみません、ほんと、起きられなくて……」


 そう言うとフェルドは笑った。


「やっと休めるようになったんだ、気にせず寝てていいのに」

「大ケガが治ったばかりじゃし、自らを癒そうとしているんじゃろう。傷は癒えても、体のそちこちや、脳や気力といったもろもろも回復させなければならぬし」

「でもこれ以上寝ると、溶けてしまいそうで」


 マリアラがそう言うと、リエルダは少し考えた。


「そうじゃな……そろそろ【風の骨】も戻る頃じゃし、花にもとれーにんぐを始めてもらったほうが良いかもしれぬ。フェルディナント、あなたはさっき伝えたことを続けておおき。体の外側を鍛えるのではない。内側を鍛えるのじゃ。良いか、内側というのは筋肉という意味ではないぞ」

「はい……」


 フェルドはうめき、木刀を構えた。一体何をしているのだろうとマリアラは思ったが、ウッドデッキの方に移動したリエルダがマリアラを呼んだ。


「花よ、フェルディナントのことは心配せんでも良い。確かに人間の身には余る魔力じゃからこのままで良いというわけではないが、そのうち解決策にめぐりあうからさほど心配はいらぬ。じゃから今は、あなたは自分のことを考えたほうが良い。今もっとも自らを律する力を身につけねばならぬのは、フェルディナントというよりもな、あなたの方なのじゃ」


「えっ」


 マリアラは驚いたが、リエルダの雰囲気に、居住まいを正した。

 リエルダはウッドデッキに備えられたベンチに座り、隣にマリアラを座らせて、微笑んだ。


「周囲を見てごらん。花が咲いておる」

「はい」

「あの花は本来、四月ごろに咲く花じゃ」

「……そうなんですか?」

「そうじゃ。あなたがここに来て、幸せを感じておるのはとても良いことじゃ。じゃが周囲に影響を及ぼすのは良くない」


 マリアラは目を見張った。

 リエルダは優しい声で続けた。


「良いかえ、あなたは無意識のうちに、【風の骨】の頬のケガを治してしもうた」

「そう……なんですか?」


「無意識にと言うたじゃろ。自覚がないのはわかっておる。

 【風の骨】はな、成長が遅い。外見は変わらぬ、爪も伸びず、髪も伸びぬ。ということはつまりな、ケガの治りも遅いということなのじゃ。あの者は生まれつき器用なたちで、右巻きにも関わらず、体内の魔力を意図的に巡らせることで、自らの負った怪我の治癒を促進させることはできるようなのじゃが、あの頬のケガはそうするつもりはなかったはず。人魚にも治癒を頼まず、しばらくの間、自らへの戒めのために抱えておこうと思っておったはずのケガじゃった」


 なぜあの頬は腫れたのだろうとマリアラは考えた。デクターは、『暴走列車にちょっとはねられたようなもの』と言っていたが――。


「しかしあの傷は、あなたがそばにいるだけで癒えてしまった。周りの草花も同様じゃ。冬に草が生い茂ろうと頑張り、花が咲きほころうと頑張っておる。あなたの無自覚の励ましに応えようとして――じゃがな、今は、草も花も眠って英気を養わねばならぬ時期なのじゃ。休ませておやり。【風の骨】のケガを勝手に癒すのはおやめ」


 マリアラは両手を見た。今の今まで、全く気づいていなかった。

 自分では、何もしていない。いまだに、魔力をどうやって周囲から呼べばいいのかも分からない。すっからかんになっていた魔力が戻ってきているのかどうかすら分からない。

 なのに、周囲に影響を勝手に及ぼしているなんて。


「では、コツを教えてみようか。人魚と二本足とでは、ちと勝手が違うかもしれぬが。大丈夫、人魚もな、幼いうちはよくやる。フェルディナントもやるであろう、姐さまの器を割ったと聞いた」


 リエルダはそう言って笑い、マリアラに向き直って、両手をぎゅっと握った。

 小さな手のひらが、マリアラの手に吸い付いた。


「フェルディナントは今、魔力を貯めるための“器“を大きくする訓練をしておる。しかしあなたにはそのやり方は合わぬ。あなたがすべきなのは、中にあるものを出さぬようにするのではなく、自らの輪郭をきちんと保ち、外界と自分との区別をきちんとつけることじゃ。

 あなたは真面目で気持ちが柔らかい。じゃから外の問題を自分ごとのように感じてしまうきらいがある。誰かが傷つけば、その傷を自分のもののように感じ、どうにかしてやらねば、どうにか癒してやらねばと考える。それは魔力が左に流れるものの宿命と呼べるものであるから致し方ない。が、自らを律し訓練をすることで、影響を軽くすることはできる。――自らの輪郭をきちんと保て。花が咲いておらぬのはあなたのせいではない。誰かが負ったケガはあなたのケガではない。相手の抱える問題は、相手のためだけに存在する問題であって、あなたが責任を負わねばならぬものではない。相手の問題に手を出さず、善き方へ無闇に導かず。相手が求めるまで放っておく。そういうと冷たいように聞こえるかもしれぬが、それは違う。相手をな、尊重するということじゃ。察するのをやめ、先回りをするのをやめ、あちらの準備が整って、自分で立つのを信じてお待ち」


 言葉と共に、リエルダの両手から、温かくて気持ちが良い水が湧き上がり、マリアラに伝わってくるような気がした。

 見えない水はマリアラの両手の表面を流れ、全身に広がっていった。水がマリアラの輪郭を撫で、マリアラの体はここまでなのだと教えてくれる。その水の中だけが自分なのだと自覚すると、確かに、自分の体からゆらゆらと漂い出る魔力を知覚できるような気がする。


 リエルダの両手が離れても、暖かな水の感触は消えなかった。


 マリアラはそのまま動かなかった。目を閉じて、水が漣のように肌を撫でていくのを感じた。自分の体がどこにあって、どんなふうに存在しているのか、肌がどこまでで、うぶ毛がどんなふうに生えているのか、初めて知るような気がした。足の爪の形も、土踏まずのカーブも、手の甲を走る血管も、後頭部のかすかな窪みも、髪の一本一本に至るまで、改めて知覚するのは面白かった。

 

 リエルダが離れていったが、マリアラは、そのまましばらくじっとしていた。

 少し経って、ふと我に返る。いつの間にやってきたのか、フェルドがデッキに上がってきていた。

 汗をかいていた。デッキの手すりに木刀を立てかけて、フェルドは言った。


「そろそろ昼だよ。飯食わね? 腹減った」

「え、あ」


 そう言えば朝ごはんを食べていない。急に空腹を感じ、マリアラは立ち上がった。


「そうだね。わたし、朝ごはんもまだなんだ」

「そりゃ大変。急がないと飢え死にするよ」


 家の中は静まり返っていた。リエルダはどこへ行ったのか、姿が見えなかった。


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― 新着の感想 ―
新章突入だーーー‼︎‼︎‼︎ 更新ありがとうございます。
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