表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の希望
746/781

清掃隊

 警報が鳴り響き、【魔女ビル】の壁面にびっしりと並んだありとあらゆる窓にシャッターが下りた。

 ちょっと前に起こった【炎の闇】の侵入事件以降、【魔女ビル】はずいぶん安全策が整備された。真っ先に対策されたのはやはり、一般人が多く来る医局だ。一般市民の安全を確保するため、三階から下を完全に遮断して、緊急脱出シュートや梯子、着脱式の滑り台などが配備された。他の階から下に降りるには保護局員のチェックを経る必要がある。


 そのほか、各階に点在した飲食店には頑丈なシャッターが取り付けられ、客や通行人が逃げ込んで閉じこもれるようになった。さっきのサイレンが鳴ってから、従業員が付近の一般市民に呼びかけて店内への避難がつつがなく行われ、清掃隊の詰め所にある〈アスタ〉のモニターは、今は無人になった廊下を次々に映し出している。


 エーリヒはいたたまれなかった。相手が魔物だと知りながらバルスターの命令に逆らわなかった。先ほどの大騒動のせいでうやむやになった形だが、班長は気づいているだろうか。あの魔物がミシェルを襲ったことは後から知った。俺のせいかな、と思わずにはいられない。


 しかし、あの魔物のおかげでマリアラ=ラクエル・マヌエルの居場所が分かったじゃないか。


 ――いやいや事態はマリアラを見失っていた時よりも悪化している。そんな考えがすぐさまわいてきて、エーリヒの心を暗くする。マリアラの居場所はわかったが、フェルディナントがここにいないことがバレたから、いつコインを使って逃げられてしまうかわからない。おまけにライラニーナ=ラクエル・マヌエルが裏切って彼女についてしまった。バルスターは烈火のごとく怒っている。警備隊長からのクレームの影響を最小限に抑えてやると言ったことをきちんと覚えているかどうか疑わしい。


 バルスターは今、校長の執務室に戻り対策を練り始めている。清掃隊は一度詰め所に集まって、班長が方針を決めるのを待っているところだ。


 マリアラとライラニーナが、中央のモニターに映っている。何やら話しながら、おそらくは追っ手を警戒してか西に向けて移動している。何を話しているかまでは聞こえてこない。


 あんな吹けば飛ぶような細くて弱弱しい外見の女性二人に、ずいぶん大げさな対策を取るものだ。

 何しろ警備隊員全員に出動命令が出された。今日配備されていた警備隊員たちは今ほとんど雪山にいて、こちらに戻ってきている最中とはいえ、非番の警備隊員にまで出動命令が出されるなんて穏やかではない。


 ああ、沈黙が痛い。

 エーリヒは、いたたまれなくて呟いた。


「……マリアラ=ラクエル・マヌエルか。ずいぶん警戒されてるんですね」

「あの子じゃない、ライラニーナの方さ」と言ったのはベンだ。「ライラニーナは右巻きだし、ずいぶん苛烈な性格だそうだし、まあ鬱憤もしこたまたまっているだろうしさ」


 ミシェルのことと言い、ベンは、エーリヒよりもずっと【魔女ビル】の内情に詳しい。

 ゴシップ好きなオッサンってどこにでもいるよな。エーリヒがそう思った時、執務机で何やらどこかに電話をしていたシュテイナー班長が、「エーリヒ」と言った。


「お前、俺に何か言うことがあるだろう」

「……う」


 その瞬間、立ち上がったのはベンだ。それからエーリヒと同じチームのルークとメイヤ。

 普段はどちらかと言えば、エーリヒがリーダー的なポジションにいた。ベンはもう年で野心もないし、ルークは技術屋で、自分の仕事にしか興味がなさそうだし、メイヤはきっちりした性格でルーティンワークや報告作業をこなすのに非常に頼りになるが、あまりみんなを引っ張っていくような性格ではない。

 彼らは、何も言わずにエーリヒの周りに立った。まるでエーリヒを取り囲んで逃がさないといった様子だ。他のチームの人間は立ち上がりこそしていないが、今していたすべての作業を止めてエーリヒに視線を向けた。咎めるような視線だと思うのは、負い目があるからだろうか。


 シュテイナー班長はゆっくりと立ち上がり、こちらにやってきた。ベンとメイヤが場所をあけて、班長を通す。


「自分から言え、エーリヒ」

「……申し訳ありません」

「ほんとに?」


 ルークが言った。嘲るような声に聞こえてエーリヒは顔を上げる。「あ?」


「ほんとに申し訳ないと思ってるのか?」

「そりゃ――」


 ルークが繰り返し、エーリヒは反射的に言い返そうとして、

 普段穏やかでニコニコしているメイヤまでもが自分をじっと見ていることに気づいた。


 いや、メイヤだけじゃなかった。その部屋にいる人間のほとんどが、エーリヒをじっと見ている。一人だけ例外なのは、先月研修のために【魔女ビル】に配属になったティレルだった。ティレルはエーリヒと目が合うとさっと目を伏せた。おそらく、他の隊員たちがなぜこんなにエーリヒに対して非難の視線を向けているのか、理由がピンときていない。

 ティレルはまだ十代で、まだ正隊員になっていない、エーリヒに懐いて後をくっついてくるひよこのような存在だ。俺はあいつと同レベルなのか、頭のどこかでそう思う。


「俺は悪くない、バルスターの命令に従っただけ、指名手配犯を誘き出すために必要だった、それの何が悪い。――そう思っているなら、自分でそう言え」


 シュテイナー班長が穏やかな口調で言い、エーリヒは、自分の内心にある思いを全て明確に言葉にされてたじろいだ。それは確かにエーリヒが考えていることそのものだった。自分でそう言えと言われたが、素直にそう言って居直れるほど、さすがに図太くなれなかった。


「そ、そんな……こと……」


「なあエーリヒ。お前、正隊員になるときの訓示を忘れたのか。清掃隊の理念は何だ。言ってみろ」


 まるで見習いに対するような質問に、エーリヒはいらだちを覚える。そんなの、覚えているに決まってる。


「『汚れを見逃すな。見た汚れを人任せにするな』――です」

「わかってるじゃないか。なのにお前はその理念に背いたんだ」

「そ、背いてなんか」

「清掃隊発足のきっかけになった事件を知ってるだろう」

「……もちろんです。九百年前の――」

「そうだな、九百年近く前にエスメラルダに魔物が大挙して入り込んだ事件。銀狼と人魚の尽力によってごく小規模の災厄で済んだが、それでもしばらくは、国民はみんなアナカルシスに間借りせざるを得なくなった。人魚の代替わりが同時に起こったせいで人魚の介入も遅れ、浄化が済むまで十何年もかかった」


 隊長がなぜ、こんな非常時に、子供でも知っている昔話を持ち出して懇々とエーリヒを諭すような真似をするのか、理不尽に思えてならなかった。叱ることがあるならば、とっとと叱ってくれればいいのに。何でこんな大勢の前で、何よりティレルの前で、長々と恥をさらさなければならないのか。


「清掃隊の理念は」教え諭す班長の声が、煩わしい。「その時に生まれた。人魚を待たず、自分の国を自分で浄化しよう。愛する祖国に蔓延る汚れを見逃すな、その汚れを人任せにするな。――お前、わかってるはずじゃなかったのか。魔物の〈毒〉が何なのか。俺たちは傷口に〈毒〉が付着しない限り大したことはないが、マヌエルたちは違う。魔物が吹きかけた〈毒〉の香りだけで昏倒する」


 隊長は言わなかったが、ミシェルのことを指しているのは明らかだった。

 あの若造のことを思うと、ちょっと、ちょっとだけ、良心が咎めないでもなかった。

 でもあれは、エーリヒのせいじゃない。魔物があんな行動を取るなんて予想できなかったし。

 

「なあエーリヒ、自分にとって大したことのない脅威だからと言って、お前は〈毒〉を見逃すのか」


 班長の説諭が煩わしい。普段はあんなに頼もしくて尊敬している相手なのに、シュテイナー班長の声は、エーリヒの耳を素通りしていくようだ。誰も俺のことをわかってくれない、という拗ねたような気持ちが、胸にわだかまって取れない。


 どうしろってんだ。泣いて反省して見せればいいのかよ。あんたらそれで、満足なのかよ。

 理念がなんだってんだ。〈毒〉がなんだってんだ。九百年だか前の歴史がなんだ。魔物がなんだ。魔物なんて、アナカルシスでは兵器として研究されてるっていうじゃないか。自分より上の人間の命令に従って、兵器を利用しただけだ。それが、こんなによってたかって責められるほどの罪なのかよ。

 まあでも、確かに、班長に報告しなかったのは良くなかった。それは認める。


「……すみませんでした、班長」


 頭を下げると、ふう、と班長がため息をついた。

 少し不自然な沈黙があって、それから、班長はどこか諦めたように言った。


「わかればいいさ。さ、みんな、仕事にかかろう。マヌエルがどこを歩いても倒れることのないよう、念入りに浄化をしよう。魔物を見つけたら即連絡。わかってるよな?」


 はい、とみんなの声が唱和した。エーリヒだけは声を出せなかった。まだ不貞腐れた気持ちのまま、それでも責められ吊し上げられる場面が終わったことにホッとして、任務に戻った。



    *



 レジナルドが校長室に現れたのは、マリアラ・ライラニーナがリスナ=ヘイトスと合流した直後だった。

 誰もいない校長室のモニターにヘイトスが映し出された時、フランチェスカは、腹の底からぞわぞわと湧き上がる怒りにじっと耐えた。ヘイトス――やはりあの女は裏切り者だった。レジナルドの右腕という立場にいた時から、フランチェスカは、あの女が気に入らなかった。いけ好かなかった。人間の味を知った今ではその理由がよくわかる。ヘイトスは、『まずそう』なのだ。バルスターやベルトラン、ジレッド、イクスといった者たちとは違う。ヘイトスは、これから美味しくなるような気配すら一切ない。


 ――裏切り者め。絶対に殺してやる。


 しかし一人で近づくのは避けたい。ライラニーナが一瞬で解き放ったあの光の奔流を思い出すと肝が冷える。かろうじて逃げたが、危なかった。今も体毛がごっそり焦げている。もしあれをまともに喰らいでもしたら体の半分が消し飛ぶだろう。

 ライラニーナはもはや銀狼にも匹敵するほどの力を有しているのでは、と、思わずにはいられない。銀狼に劣るのは肉体的な頑健さだけなのではと。

 絶対にこのまま野放しにしてはおけない。


 暗い部屋の中で密かに決意を固めた時、突然、執務机の脇の、少し開けた空間に、レジナルドが出現した。

 そこにコインを置いてあったのだ。この部屋は施錠されていて、現在の校長は国外出張中だから誰も立ち入らない。緊急事態に備えて準備してあったのだろう。つまり緊急事態が起こったということだ。フランチェスカはそこに現れたレジナルドをじっと見た。酷い有様だった。こんなに惨めなレジナルドの姿を見たのは初めてだ。青ざめて、髪も衣類も乱れている。びしょ濡れで、おまけに胴体から足にかけて凍っている。

 レジナルドが自分でその氷を溶かすのを見ながら、フランチェスカは悟った。


 ――フェルディナントにやられたのだ。


 いままでどこで何をしていたのかは知らないが、レジナルドをここまで痛めつけられる相手などそうはいるまい。

 イクスもいない。どこへ行ったのだろう。レジナルドはイクスを置いて、自分だけ逃げなければならない状況になったのだ。とすると、今、【魔女ビル】内で汚れ仕事を担える人間は誰もいないということになる。

 フランチェスカは、マヌエルであるレジナルドへの礼儀として、自分の〈毒〉が外気に漏れ出さないよう細心の注意を払いながら、のっそりと体を動かして、レジナルドの前に立った。


 レジナルドはフランチェスカがいることにとっくに気づいていたが、こちらに視線を向けなかった。レジナルドの部下であるベルトランを殺し、イクスを唆したことでまだ怒っているのだ。


『儂と手を組まぬか。――神の娘が【魔女ビル】にいる』

「ああ、知ってるよ」


 外見も変えず変声器も使わない今、レジナルドは、マリアラやフェルディナントとほとんど変わらないくらいの年齢に見える。青ざめて、凍えている。今、レジナルドはひどく無防備に見えた。イクスもベルトランもおらず、ジレッドは療養中。この機会にレジナルドに取り入る必要がどうしてもある。リエルダの魔法が喉を縛っている今、レジナルドに恩を売れる機会を逃したくない。


『しかしこれはまだ知るまい。ライラニーナが裏切って、マリアラの護衛になった』

「――」


 やはり知らなかったらしい。レジナルドがフランチェスカを見て、フランチェスカは熱心に言った。


『手を組まぬか。そなたらと儂の利害は一致している。このままマリアラを取り逃すわけにはいかぬ、という点で』

「……」

『事態は逼迫している。マリアラはコインを持っている。いつ消えるかわからぬ』

「今何階にいる?」

『八階じゃ』

「ああ……それなら素直にコインを使ってくれるのが一番簡単なんだけどね……」

『妨害電波か。おそらくそうはならぬ。ヘイトス、あの忌々しい女までもが、マリアラと共にいる』


 レジナルドは即座に事態を悟った。

 そして頷いた。フランチェスカと手を組まなければならないことを自分に納得させるように。


「人手が足りないな。ベルトランがいないのが悔やまれるよ。誰のせいだったかな」

『儂が代わりをする。ライラニーナは儂が止める』

「へえ、できるの? 腐ってもエルカテルミナだけど」

『それくらいのリスクは払わねば。このままマリアラを野放しにしてはもはや取り返しがつかぬ』

「わかっていると思うけど、ライラニーナを殺しちゃダメだよ。エスメラルダの中でエルカテルミナを殺すのはまずいんだ」

『〈毒〉の塊を撃ち込めばさすがのライラニーナも斃れる』

「ふん。いいだろう。一緒においで、ジレッドを叩き起こさなくちゃ」


 レジナルドは姿を変えないまま歩き出した。外見を変えるために気を配る余裕もないということだ。フランチェスカは従順にレジナルドの後に従った。もともと心理的後遺症に悩まされていたジレッドをあそこまで悪化させたのがフランチェスカの仕業であることに、レジナルドが思い至らないでくれると助かる、と思いながら。


 最後に見たモニターの中で、三人は、階段を上がっているようだ。階段表示は『▼十階/十一階▲』となっている。ヘイトスがコインを使える場所を二人に指示しているのだろうことは疑いなかった。全く、厄介な三人が揃ってしまったものだ。あの時に、イリエルの右巻きだけでも排除しておいてよかった、危険を冒した甲斐があったと、フランチェスカは自分を鼓舞する。




 ジレッドは同じ階の控え室にいた。

 ますます体調が悪そうだった。ソファに腰をおろして、じっと蹲っていた。普段ジレッドはおしゃれな革靴を履いているが、その自慢の革靴もアリエディアからこっち、一度も磨かれていないようだ。丁寧に撫で付けられていた髪もボサボサに乱れていて、目が落ち窪んでいる。痩けた頬には無精髭まで生えている。

 レジナルドが来たのを見ても、ジレッドは、姿勢を戻しもしなかった。膝の上に肘を置き、両手で顔を覆ったまま俯いている。


「ジレッド。調子はどうだい?」


 レジナルドが訊ねると、ジレッドはようやく目だけでレジナルドを見た。


「ああ……まあまあ……ですかね」

「いいニュースを持ってきたんだ。マリアラ=ラクエル・マヌエルが、【魔女ビル】に現れた。――〈アスタ〉! モニターにマリアラたちを映せ」

『はい、エルヴェントラ』


 〈アスタ〉の返事と共に、この部屋のモニターに、さっきの三人の姿が映る。ジレッドはモニター越しに、マリアラをしげしげと見ていた。PTSDを刺激されたような反応はない。


「見てのとおり、ヘイトス室長とライラニーナが、僕を裏切ってマリアラについたんだ。このまま野放しにはできない。……療養中に悪いけど、力を貸してもらえないか」


 ジレッドが答える前に、ノックの音がした。

 返事も待たずに扉が開く。そこにいたのは清掃隊、それもシュテイナーのいる班だ。揃いの青い制服が忌々しい。

 ああ、こんなときに。邪魔くさい。フランチェスカはのっそり動いてレジナルドの後ろに回った。


「失礼します」シュテイナー班長が言った。「〈毒〉の数値を辿っていたらこの部屋に辿り着きました。その魔物を引き渡していただけますか」


 シュテイナーの目は、モニターに向けられていた。【魔女ビル】の清掃隊にとって、リスナ=ヘイトスは女神のような存在だ。

 フランチェスカは姿勢を動かさないまま、レジナルドを見上げた。手駒がいない今、レジナルドも、フランチェスカの手助けはあった方がいいと思っているはずだ。

 どうやって清掃隊を追い払うか、お手並み拝見、というところだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ