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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の希望
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手紙

「えっと、ララさん。……邪魔するよーで悪いんだけどさ、結局フェルドは、【魔女ビル】にはいないわけ? 俺の箒が七階で、フェルドを見たんだけど」


 ミシェルがそう言い、ララは、我に返ってマリアラの体を放した。

 アリエディアで見た時よりもずいぶんふっくらしている。髪の色も元に戻り、ずいぶん伸びている。でも、なんだろう、すごく違和感がある。まるで着ぐるみでも着てるかのような違和感。

 服装は、今日、雪かきに出動した先のビルの屋上に立っていた〈ミーシャ〉と同じだ。

 ……つまりあの時ビルの屋上でララを待っていたのはミーシャではなくマリアラだったのだ。あの時戻らずにいたらどうなっていただろう。

 いやいや、今はそれどころではない。ララはミシェルを降り仰いだ。


「……それはあたしにもわかんないわ。でもその話は後にして、何はともあれ【魔女ビル】から出ましょう。話はそれからよ。ミフはいないのよね? ミシェル、あんた箒は?」

「戻ってきてるよ」

「出ましょう、急いで」


 そう言って足を踏み出しかけた時、マリアラが、はっとしたように顔をあげた。

 同時にララも気づいた。体の裏側を、何かざらざらしたものが這い上ってくるような強烈な感覚だった。上だ。ララの目は、吸い寄せられるように通風口を見た。ミシェルの真上。天井の上で何かがこちらに近づいてきている。格子状の隙間から、鈍く光る一対の目が見えた。


 魔物だ。

 あの不思議な女性の声が、魔物がフェルドに化けてる、というようなことを言っていた。つまりあの魔物はバルスターたちに味方しているのだ。心の奥底から怒りが突き上げた。理屈や記憶ではなく、魂そのものが感じている怒りだった。()()()、と、心の奥底で誰かが叫んでいる。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 ――許しがたい。


 ふう――と、魔物が息を吐いた。真下にいるミシェルに向かって。

 その瞬間、撓めたララの魔力が解き放たれた。光の奔流が格子に直撃し、魔物の絶叫が上がった。「ミシェルさん……!」マリアラの悲鳴が鼓膜に届いた。ララは我に返り、ミシェルのひょろりとした体がまるで動力の切れたおもちゃみたいに地面に倒れ伏すのを見た。そこにマリアラが取りすがる。マリアラの外見が変わっていく。


 ――あ、マリアラだ。


 みるみるうちに外見が変わって、マリアラは今、アリエディアで見た、痩せ細った黒髪の姿に戻っていた。さっきまでと比べると痛々しいまでに痩せているが、その姿の方がマリアラにしっくりと馴染んだ。なるほど、今の今まで、ミーシャそっくりに化けていた、らしい。そんな道具があるとは知らなかったが、ラセミスタが作ったのだろうか。

 マリアラは自分の外見が戻っていることになど気づいていないようだ。


「ミシェルさん、ミシェルさん……!」

「マリアラ、治療はやめて。時間がないわ」


 非情なようだが、今はとにかく【魔女ビル】の外に出るのが先だ。ララはマリアラの肩に手を当てた。


「ミシェルはあんたに協力してくれていただけでしょ。ここに寝かせておいても殺されたりしないわ。ミシェルはイリエルだから、〈毒〉の匂いに中てられただけよ。今危ないのはあんたの方なんだから」


 と言ってもマリアラが動きがたいのはわかっている。全く本当に左巻きというのは手がかかるのだ。ララは無理やりマリアラを引きずりあげて立たせた。こちらに向き直らせて、両肩を叩く。


「ほら、しっかりして。ここであんたが捕まる方がミシェルは怒ると思うわ。行くわよ――」


 その時、警報が鳴り響いた。


 ぎょっとした。鳴り渡るサイレンは大音量で、とても禍々しかった。ララは咄嗟にマリアラの手を掴んで廊下を走った。さっき凍らせた階段の向こうで、窓にシャッターが降りたのが聞こえた。

 今いるのは八階の北側のあたりだ。工房の備品管理室を右目に見ながら外に出られる通路に突進する。その間にもがしゃん、がしゃん、がしゃん、がしゃん、廊下に並んだ窓に次々とシャッターが降りていく。


 そして、スピーカーから無機質な女性の声が滑り出た。


『警告します。【魔女ビル】全域に対テロリスト警戒体制が敷かれました。指示があるまで部屋の中で待機してください。繰り返します。指示があるまで部屋の中で待機してください。これは訓練ではありません。武装した保護局員が巡回を開始します。廊下に残っている人は警告なしで攻撃される恐れがあります。指示があるまで部屋の中で待機してください――』


 ――遅かった!


 無駄だとはわかっていたが、一応、突き当たりの扉のノブに手をかけた。

 が、やはり鍵が閉まっていた。窓もない。外壁の扉は吹雪に耐えるために非常に頑丈な作りで、少々魔力をぶつけたところで開くとも思えない。ララはため息をつく。


「こないだ……だいぶ前、【炎の闇】が【魔女ビル】に入った事件があったでしょ、あれから【魔女ビル】と【学校ビル】の警備態勢がかなり変えられたのよ……。まあ、とにかく、大丈夫よ――今更だけど、あんたちゃんと、脱出用のコイン、持ってるんでしょうね」


「うん」


 マリアラに頷かれ、ララはホッとする。マリアラが『のこのここんな場所まで』やって来てしまったのは、いざとなればいつでも逃げ出せるという保証があったためでもあるのだろう。


「じゃあ、すぐ移動した方がいいわ。悪いけど、あたしも一緒に連れてってね。フェルドに会うまで、あんたから離れるわけにはいかないから」

「それがね、ララはダメなの」

「だ――ダメなの?」


 何を言ってるんだこの子は、と思う。ミーシャそっくりの姿になってまで、今朝、ララに会いにきたじゃないか。フェルドを迎えに来たのだとしても、ララのことも放っておかないでくれるつもりだったのだと思ったのに。

 

 とにかくここに止まっているのはまずい。朝から雪山の方で何か事件があったようで、【魔女ビル】の中には保護局員たちがほとんどいないようだが、何しろエルカテルミナが【魔女ビル】に現れているのだ、今頃は大挙してこちらに戻ってきているはずだ。ララはマリアラを促して歩き始めた。


「うん、わたしは、ララについてきてって頼みに来たわけじゃないの。ララに聞きたいことがあってきただけなの。――ねえララ」


 マリアラは真剣な目でララを見て、訊ねた。


「グールドさんを……殺したのはどうして?」


 ララは息を詰めた。グールド。

 そうだ、あの殺人鬼は、最期の最期に、ララがずっと望んでいて――そして果たさなかった、フェルドを日の当たる場所に出すという偉業を、やってのけたのだ。

 ――なのにあたしは、あの人を殺した……。


「……レジナルドの命令に、逆らわなかったからよ」


 言い訳はしたくなかった。ララは目を伏せ、囁いた。


「フェルドを一回捕まえたのもあたし。そのフェルドを解放してくれたグールドを殺したのも……」

「ララはずるいなあ」マリアラが優しい声で言った。「ちゃんと言い訳をしてくれればいいのに。リンとケティが一緒だったんだよね。目撃者、だよね。フェルドをどうしても外に出したくなかった『あの人』なら、フェルドにケガをさせて、その間にリンとケティを殺すように、ララに言ったんじゃないの? そうすれば、フェルドを元どおり捕まえられるし、目撃者もいなくなるし」


 ララは顔をあげた。「あんた……なんでそこまで……?」


「リンとケティを、守ってくれてありがとう、ララ。グールドさんは初めから、生きて帰る気はなかったんだって。……それを、伝えておこうと、思って。……これ」


 マリアラはポケットから封筒を取り出し、ララに差し出した。

 ララは動きを止めた。

 封筒の表に、見慣れた、いつもどおり少し斜めに歪んだ字で、ララへ、と書いてある。


 ――ダニエル……!


 ララはマリアラを見上げた。マリアラはじっとララを見ている。

 悟って、ララは叫んだ。


「あんたを治したの、ダニエルだったの……!?」

「うん、そう。リンとケティが目撃者だったことを教えてくれたのも。ダニエルは、あの小屋の中からわたしを見つけて、グロウリアさんのところに、連れて行ってくれて。次の休みにまた来て、すっかり治してくれた。だからわたしは、ここに、その手紙を配達に来たの」


 やっぱりそうだったのだとララは思った。

 ダニエルは、自分の意志で、ここを出て行ったのだ。


「だからララは、わたしと一緒にくるんじゃなくて、ダニエルの方に行かないとダメなの。ダニエルから伝言だよ。ここで待ってるから。いつまででも待ってるから、どうか、来てほしいって」


 ララは封筒を受け取り、握り締めた。

 中に、硬い感触。多分コインだ。ダニエルのいる場所に通じるコイン。

 これは平べったい小石などではないはずで――心底、ほっとする。ダニエルがまだ、ララを見捨てていなかったことに。


 でも、危ないところだったのだと思う。ダニエルは底抜けに優しいけれど、同時に厳格で、怒ると情け容赦のない人だ。あれほど大切にしていた〈娘〉に大ケガをさせたララのことを、そう簡単には許せないだろうから、マリアラに厳重に指示を出していただろう。ララがダニエルのためにと自分を騙しながら、レジナルドに従い続けているうちは、絶対に渡すなと、言い含めていたはずだ。


 ララが、他ならぬララ自身のために、ダニエルを捨てる決断をするまで、渡しても意味がないと、マリアラも了解していたはずだ……。


「もう一通持ってるでしょ。出しなさいよ」


 言うとマリアラは笑う。「何のこと?」


「ダニエルが何の保険もなしにあんたをここに寄越すはずないもの。あたしがあんたを捕まえようとした時のためのもう一通、持ってるでしょう。出しなさい」

「そんなものないですー」

「嘘!」

「ダニエルが、ララのこと大好きだって知ってるでしょう? 何も言わずに出て来ただけでも後悔していたよ、早く行ってあげないと、泣いちゃうよ」

「……今ここであんたを一人放って会いに行ったりしたら、今度こそ幻滅されちゃうわよ。あんたを無事に安全なところに送ってから、ダニエルに会いに行くわ。……ありがと。こんなに危ない橋を渡ってまで、あたしのところにきてくれて」


 こんな危なっかしい子を一人で放り出すなんて、考えただけでも肝が冷える。ミシェルに何かお礼をしたかった。ミシェルが一緒にいてくれたから、この子は今まで無事だったのだ。なのにあんなふうに廊下に寝かせたままで放ってきたのが、心苦しくてたまらない。


 ダニエルに会ったら相談しよう。

 そう思うと少しホッとした。ダニエルならきっと、ミシェルのことも気にかけていたはずだ。ミシェルに相応しいプレゼントを、一緒に考えてくれるだろう。


「さ、まずは自分が安全なところに行かなきゃ。ほら、コイン出して」

「フェルドが……どこにいるか知らない?」


 マリアラはポケットに手を入れながらそう聞いた。ララは眉根を寄せる。


「ごめんね……あたし、レジナルドにそれほど信頼されているわけじゃないのよ。今思えば当然よね、あいつもバルスターもダニエルの居場所を知らなかったんだから、いつあたしにバレるかって心配だったんだと思う。あたしはあいつから、必要なときに命じられるだけで、情報の共有とかはほとんどなかった。こっちも願い下げだったし……それからいつも、フェルドに箒をつけろって言われてたんだけど……」


「それ、ちょっとどうかと思うよ」


「あたしもそう思うわ」ララは苦笑した。「つけろって言われただけで、四六時中見張ってろとか、逐一報告しろとか、言われたわけじゃないわ。必要になったときにどこにいるか知っておきたいってことだったのよ。当然今もつけてるんだけど、……今気づいたけど、今、フェルドにつけてた箒と連絡が取れない。機能停止させられてるみたい。でもあいつよりも、今はあんたの方が危険なのよ。わかってるでしょう? いつ保護局員がくるかわかんないし、魔物だっているんだから。ほら、コインを出して」


 重ねていうと、マリアラがようやくポケットからコインを取り出した。

 でも外観がちょっと予想と違う。コインに見慣れない器具がくっついている。


「何それ?」

「あ、これ……わたしね、今、魔力が使えないの」


 あっさり言われてララは目を見張る。「何ですって!?」


「二度目の孵化を迎えてから……うまく使えなくなっちゃったの。でも大丈夫、もうすぐ使えるようになるはずだから。でも今は……だからこれ、グレゴリーが付けてくれたの、魔力の結晶一回分」

「へえぇ……まあでも、じゃあ、あたしが使うわ」


 ララがコインに手を伸ばした時、マリアラが、一瞬、躊躇ったように見えた。ララは微笑んで見せる。


「移動先はずいぶん遠いみたいね。一度移動したら戻ってこられない、フェルドが近くにいるかもしれないのにね。だから躊躇うのはわかる。でも、一度引いて体勢を立て直すというのは大事だとあたしは思うわ。あいつは自分の身は自分で守れる。少なくとも、あんたよりはね。何ヶ月も周り全部を騙して、目的を果たそうとしてた。で、ついに今日、ミーシャからコインをすりとった。先にもらった自分のコインをどこかに送ってあったんでしょうね――ウルクディアのミランダのところに郵送したんじゃないかしら。で、今朝、ミーシャのコインを手に入れてる。てことはよ、つまりもう、ウルクディアにいる可能性の方が高いんじゃない?」

「うん……そうだね……」


 マリアラはまだ躊躇う。ララはじりじりしたが、急かさずに待っていた。もしかしてララにダニエルの手紙を渡す、フェルドを迎えに来る、その他に、マリアラには何か心残りがあるのだろうか。そんなことを思ったときだ。


(ダメ……ダメよ……!)


 かすかな叫び声が聞こえた。空耳かと思ったが、マリアラも同じ声を聞いたらしい。顔を上げ、空を見つめ、マリアラは叫んだ。


「――ビアンカ……! ビアンカ、ビアンカ!? ビアンカ、わたしの声が聞こえる!?」


(コインを使ってはダメ……磁場が狂わされてる……)


 はるか遠くで、誰かが叫んでいるのだ。その声に、ララは思い至った。先程マリアラに会う直前、マリアラに警告していた、誰か女性の声だった。


「……ビアンカ?」


 たずねるとマリアラは泣き出しそうな顔をしていた。


「まだ声が……! ああ、ララ、どうしよう! どうしたらいいっ、」


 少し先の曲がり角から、足音が聞こえてきた。

 ララはマリアラの前に出て身構えた。が、足音は一人きりで、ぺたぺたという、ずいぶん攻撃力の低そうな音だった。はあはあと息を切らしている音も聞こえる。

 ややして廊下にまろび出てきたのは、ずいぶん走ってきたのか息も絶え絶えに近いありさまの、リスナ=ヘイトス室長だった。


 ――そうだ、この人がいた。


『あなたにとっての『こちら』です。そうでしょう?』

 先程の言葉がもう一度聞こえる。ああ、そうだ、本当だ。ヘイトス室長は『こちら』で、それが本当にありがたい。

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