ミーシャ
ミーシャがたどり着いた。マリアラとミーシャの外見があまりにもそっくりで、〈彼女〉は、もしかしてマリアラは何らかの方法で自分の外見を変えているのだろうか――と思い至った。たとえばラセミスタの作った不可思議な道具だとかで。
不自然なくらい、外見がそっくりだ。
でも、びっくりするほど似ていない。外見が極めて似ているせいで、二人の相違が際立って見える。
「ミーシャはあたしです。この人は偽者です」
そしてミーシャは、唇を歪めて嗤った。
「いまさら何のつもりですか? ……マリアラさん。何であたしにそっくりなの? 真似したの? やだちょっと、気持ち悪いんだけど」
マリアラが少し首をかしげた。それはそうだろう、と〈彼女〉は思った。
「本当に、なんのつもりなんですか? 半年も放っておいたくせに――その間フェルドがどんな辛い目に遭ってたか、わかってるんですか!?」
「……」
「ガルシアの諜報部が寄越したってさっき聞きましたよ」
ミーシャは冷たい声で続ける。
「フェルドを誘って、ガルシアに連れて来いって言われたんですよね。フェルドは本当に魔力が強いから――あちらには、魔物の脅威もあるらしいし、完璧なペアがほしいですもんねえ。でも、バカじゃないですか。今でもフェルドが自分を相棒だと思ってくれてるなんて、ガルシアに何を言われたか知りませんが、本当に信じてるんですか? あたしだったら恥ずかしくていまさらのこのこ来られないわ」
ミーシャは気持ち良さそうな顔をしていた。変な子だ、と、〈彼女〉は思った。
ミーシャは何も知らないのだろうか。今朝から何も見ていないのだろうか。
フェルドがシフトをすっぽかしていることも、部屋にいないことも、右巻きたちがほとんどみんな出掛けていることも――すべて知っているはずなのに、ミーシャはまだ、フェルドが自分と相棒になる気でいると、信じているのだろうか?
でも、それ以上、〈彼女〉はそこに止まって見続けているわけにはいかなくなった。イーレンタールが着々と〈彼女〉の包囲の輪を狭めようとしている。敵わないのは解っている。でも、座してこのままイーレンタールに封じ込められてしまうわけにはいかない。
*
ミーシャの日常は退屈だ。何しろ、気軽におしゃべりできる相手がほとんどいない。
寮でさえ、疎外感を覚えずにはいられなかった。
普通、仮魔女同士はおしゃべりすることができるはずだ。しかし何故だろう、ミーシャには誰も話しかけてきてくれない。仮魔女なのに【魔女ビル】に入り浸り、既に相棒を獲得したミーシャが、仲間にいれてもらえないのは当然、なのかも、しれない。
でもミーシャは強くあろうとしてきた。何度でも自分に言い聞かせてきた。萎縮する必要なんてないのだ。だって全部誤解なのだから。ミーシャは生まれ変わった。素敵な相棒を手にいれて、みんなが羨むマヌエル、しかも希少なラクエルだ。こんなところで躓いているわけにはいかない。
花形の女の子には、敵が付き物だ。羨んでいるから、ミーシャを疎外するのだ。もう一般学生のころの自分じゃないのだから、人の顔色を窺うのも止めるべきだ。仕事をちゃんとこなし、ひとりひとりと話をしていけば、そのうち、自分の居場所をちゃんと作っていけるはず……
――なのにマリアラが戻って来た。
焦っているからだ。ミーシャはそう自分に言い聞かせた。
――ミーシャが、マリアラの居場所を乗っ取ろうとしていると勘違いして、慌てふためいて戻って来たのだ。
なんて狡い人だろう。ミーシャが作り上げようとしている大切な基盤をめちゃめちゃに踏みにじってまで、捨てて行った自分の居場所が惜しくなったのか。
ガルシアがマリアラの後押しをしてフェルドを迎えに来させたと聞いた時には、目眩がするほど腹が立った。マリアラが初めに捨てたのだ、だからミーシャがもらうことにしたのだ、なのに外国を巻き込んで、いまさらミーシャが奪い取ったなどという体裁を整えるつもりなのか。密出入国容疑で逮捕するから手伝えと言われた時には本当に嬉しかった。神様っているんだと思った。マリアラがどんなに被害者を演じようとしても、やっぱり神様は、そんな狡いことを見過ごしはしないのだ。
「フェルドは渡しません」
ミーシャは宣言した。渡してたまるもんか。
一度捨てて行ったくせに。取られそうになったら惜しくなってやっぱり返して、なんて、そんな狡いこと絶対許すものか。
「あのさあ――」
「……なに、言ってんのよ! バカじゃないの!?」
ミシェルが上げかけた声を、シャルロッテの大声がかき消した。
ミーシャは振り返り、げっ、と思った。
シャルロッテは今、八階の、東側の方からかけてきたところだった。一体どうして、何のためにここに現れたのか、ミーシャにはわからないが、まだ少し遠くから、はあはあ言いながら走ってくる。
「……シャルロッテさん、関係ないじゃないですか」
「関係あるわよ! 友達への暴言を見過ごすわけにはいかないわ」
「友達――」
「だいたいフェルディナントさんは物じゃないのよ、渡さないって何よ! 何をどうするか決めるのはフェルディナントさんでしょ! あたしだったら絶対マリアラの方がいい。マリアラは少なくとも、人が本気で目指そうとしてる夢をバカにして笑ったりしない!」
またそれ。あーやだやだ、とミーシャは思う。
「……だから謝ったじゃないですか」
一時期、ミーシャは製薬のために医局に通っていたことがある。ミーシャの【親】代わりであるヒルデが、ミーシャの宙ぶらりんな立場を心配して、ジェイディスに相談したからだった。余計なことを、と思えてならなかった。ミーシャは仮魔女期が終わったらすぐにフェルドと相棒になってシフトに入るのに、なぜ製薬のやり方なんか知らなければならないのだろう。
案の定、製薬グループでもミーシャはひとりぼっちだった。何しろまだ仮魔女なのだ、みんなとは立場が違う。そして相棒のいない左巻きたちはみんな狭量だった。ラクエルでおまけに相棒を得ることがすでに決まっているミーシャを仲間に入れようとしないのは、わかりきっていることだったのに。なぜヒルデは、それがわからないのだろう。
トゲトゲした空気の中にいるのがいたたまれなくて、ミーシャはすぐに、ジェイディスのそばにいるようになった。ジェイディスはいつも、空いている控え室や病室で、ミーシャが製薬をするのを許してくれた。そこでよくシャルロッテと一緒になったのだ。シャルロッテは医師を目指す夢を追い始めたばかりで、ジェイディスに、勉強できる場所に匿ってもらっていた。
はじめ、シャルロッテは友好的だった。ミーシャの方はシャルロッテが何で医師なんかになりたいのか理解できなかったけれど、一緒にいられる同じ年頃の少女の存在は貴重だった。シャルロッテはいつもびっくりするくらい勉強していて、あんまりおしゃべりできるわけではなかったけれど。
そんなおり、シャルロッテの【親】が、ジェイディスを訪ねてきた日があった。
シャルロッテの【親】は、明らかに、シャルロッテが『やらなければならないことから逃げて』『医局に迷惑をかけて』『自分勝手に勉強を続けている』ことに、迷惑している様子だった。ジェイディスはシャルロッテの【親】を説得して、許可をもらうために面談に来てもらったらしい。ジェイディスは、マヌエルが製薬に携われるようになるのは医局の悲願なのだと――迷惑しているのではない、大歓迎なのだと、話していたようだ。
ミーシャには理解ができなかった。シャルロッテのことも、ジェイディスのことも。周囲と波風を立ててまで、なぜ医師という立場に固執するのか、本当にわからなかった。【魔女ビル】にいるとマヌエルなんてありふれているように思えてくるが、実際にはごく稀少な存在なのだ。左巻きは特に、いつでも人手不足だ。医師なんて、なれるかどうかもわからないものになるために、シャルロッテは数年を無駄にするという。その数年の間にシャルロッテが救うはずだった人は、どれくらいの数に上ると思っているのだ。
――バカにしたわけじゃない。
ただ、ちょっと……そう、ちょっとだけ、調子に乗った感は否めない。あの時ミーシャは、シャルロッテが羨ましかったのだ。ミーシャの【親】はダニエルで、異性だし、ミーシャのことはいつも放ったらかしで、【親】らしいことは何もしてくれていない。シャルロッテの【親】のように、親身になって心配してくれる同性だったらよかったのに。あたしだったら、【親】にわがままを言って困らせたりしないのにと。
シャルロッテ、現実を見た方がいいんじゃない、とか何とか、言った気がする。そんな無駄な努力をして時間を浪費するなんてどうかしてると。シャルロッテをバカにするつもりはなかった。ただ、シャルロッテの【親】を慰めたかった。あなたの考えは真っ当だ、シャルロッテの方がわがままなのだと、あたしはあなたの気持ちがわかるのだと、伝えたかった。
シャルロッテの【親】はミーシャに、ほんとよねえ全く、事務方に嫌味言われちゃうわ――と言ってくれた。
でもそれ以来、シャルロッテは、ミーシャに口を聞いてくれなくなったのだ。
謝っても許してくれない。会うたびに顔をしかめられ、汚いものみたいに避けられる。なんて狭量なのだろう。こんなに意地悪な人だなんて知らなかった。
今もシャルロッテはミーシャを攻撃できるのが嬉しくてたまらないというように言い募る。
「自分のことしか考えてないのはあんたでしょ。現実を見た方がいいんじゃない? マリアラそっくりのカッコしてフェルディナントさんにまとわりついてんの、どんだけ顰蹙買ってるかわかんないの? フェルディナントさんが本気であんたを相棒にするとは思えないわ」
「残念でしたー。あたし、フェルドの相棒になったんですよ」
余裕の微笑みと共にそう言ってやる。正確にはまだだけど、証はもう持っている。もはやミーシャが『横取り』するのではなく、マリアラが『横取り』しようと足掻いている立場なのだ。
「それは、ラクエル同士だからでしょ。〈アスタ〉が決めただけでしょ? フェルディナントさんは――」
「フェルドだって喜んでますよ。今朝、」
(ミーシャ)
今朝。
そうだ、今朝。
フェルドが珍しく、仮魔女寮にやって来た。着替えたばかりのミーシャを呼び出して、真剣な目でこう言った。
(ちょっと心配になって)
(こないだのコイン、もう一度見せてほしいんだ)
心配ってなに? どうして?
コインの入ったビロードの袋を取り出しながらそう訊ねると、フェルドは沈鬱な面持ちで言った。
(工房で、盗難があったらしいんだ。ちょっと前なんだけど)
(イーレンは変なとこずぼらだから、気づくのに時間がかかって)
(幸い荒らされただけで、なくなってたものはなかったらしいんだけど)
(処理中のコインがばらばらになって、どれがペアかわかんなくなってるって)
(ちょうどミーシャが〈アスタ〉からもらった前後に起こってたらしくて――)
そしてフェルドはすこし照れ臭そうに笑った。
(もし別のコインを渡されてたらケチがつくだろ)
それはそうだ。本当だ。
ミーシャは袋を覗き、ちゃんと、ミーシャ=ラクエル・マヌエルと銘が彫られているのを確かめた。大丈夫だよ、と言うと、フェルドは手を出した。
(見せて)
もちろん見せた。袋に入れたまま。
フェルドは袋を覗き、にっこり笑った。その笑顔に見取れた。
いつも思う。フェルドの笑顔は、完璧だ。
(安心した。ありがとう)
まるで雑誌のグラビアに載ってるみたいに、完璧な、笑顔だ。
「わざわざ仮魔女寮まで来て、コインを確かめたくらいだもの。そうよ、もう、コインももらったの。みせてあげましょうか?」
ミーシャはポケットからビロードの小袋を取り出した。フェルドが大事そうに一瞬握り締め、そのまま返して寄越した、フェルドのものとお揃いの袋だ。中に、ひらべったい、ずしりとした重みを感じる。
ミーシャは慈悲深い微笑みを浮かべながら、袋の口を広げ、手のひらに中身を出した。
中から転がり出たのは、灰色の、ひらべったい、小石だった。
「え……」
ミーシャは立ちすくんだ。
意味が分からない。
永劫にも思える静寂を、初めに破ったのはミシェルだった。
「いや、それ……」
「くく……」
変な声が聞こえた。まるで笑い声があふれ出たみたいな音。音の出どころは、ライラニーナだった。
ライラニーナの喉が鳴って、次いでその声が自分の口から洩れたことが信じられないというように口を押さえ、そしてライラニーナは、腹を押さえて笑い出した。あは、あはは、あははははははは! あっけらかんとした笑い声は心底おかしそうで、ミーシャは、呆然とつぶやいた。
「何……」
「だっ、だってあんた……あは……あははははははは!」
ライラニーナは笑い続ける。笑い転げる、と言っていいほどの笑い方だ。ミシェルも笑っている、こちらは声を立てているわけではないが、嬉しさを抑えきれないというように笑み崩れている。その二人の様子があまりにも異常で、その刺激のせいか、じわじわと理解が進んだ。
今朝あったはずのコインがない。
そんなはず、ないのに。
フェルドから返された袋を、そのままずっと、今の今まで、一度も出さずに、ポケットに入れていたのに。
「あなたが……すり替えたんですか!?」
ミーシャは叫び、マリアラがきょとんとする。そんなこと考えたこともない、と言いたげな表情にミーシャは激昂した。どこまで自分を清らかに演出すれば気が済むのだ……!
「か、返して! 返してよ! あたしのコイン返して……!」
「ライラニーナ、とにかく、マリアラを捕らえろ」
階段に大勢いる青い制服の人たちの間から、見覚えのあるおじさんが出てきてそう言った。マリアラがガルシアから遣わされたことと、捕えるために協力しろと言った、バルスターとかいうおじさんだ。
ライラニーナはまだ笑っていたが、笑い過ぎて滲んだ涙を拭って、呼吸を整え、返事と同時にまた笑った。
「あはっ、……イヤよ」
「い、や?」
バルスターが聞き返す。ライラニーナは笑顔だった。ライラニーナのこんな表情を見たのはミーシャは初めてだった。ライラニーナはまた笑いだし、首を振り、踊るように数歩歩いて……ミシェルを押し除け、マリアラに、抱き着いた。
「ごめん、マリアラ。……今までごめん」
バルスターが驚いたように前に出た。
「な、何のつもりだ、ライラニーナ!」
「あたしはララよ! その名で呼ぶな!」
ライラニーナが叫んだ、瞬間。
突風が吹いて、バルスターを階段の方へ押し戻した。両手で顔を庇い、押し流されながらバルスターが叫ぶ。
「ちょ、ちょっ、おい、おい! 相棒が――ダニエルが、どうなっても……!」
「……そうね」ライラニーナは悲しげに笑った。「そうよね……でももう、無理よ」
「無理、だと!?」
「もう無理。だって、だって、あたし、嬉しかったんだもの……こんなに嬉しかったのって、生まれて初めてってくらいだったんだもの。あいつ、そうね、ふふ、スリの勉強、随分熱心にやってたもんねえ……ああ、だからもう、無理よ」
「無理って……いや無理って!? ダニエルがどうなってもっ」
「ダニエルは……あたしを捨てて行ったのよ」
ライラニーナは微笑む。やけに透き通った微笑みだった。
「そうすることで、あたしを自由にしようと……自分の意志で、捨てて行ったのよ。そうでしょう? あんたたちみんな、ダニエルの居場所なんか、本当は知らないんでしょう?」
「そ……」
「あたしに言うこと聞かせたかったら……目の前にダニエルつれてきてよ。そうじゃなきゃもう、無理だわ……」
その時、ミシェルとマリアラの背後を阻むようにそそり立っていた水の壁が、いきなり決壊した。
水はまるで巨大な生き物のように滑り、バルスターと清掃隊員、そしてミーシャの前に巨大な壁を作った。押し流される。後ずさったミーシャの目の前で、聳り立つ水の壁は一瞬で凍った。
廊下のこちら側に取り残されているのは、ミーシャと、そしてシャルロッテ。ミーシャの罪を知り絶対に赦そうとしない相手も、マリアラを『友達』だと言った。
あんなにいつも怒っていて周囲全てを拒絶していたライラニーナも、フェルドの友人だったミシェルも、マリアラが懐柔した。信じられない。どうしてあの人ばっかり。どうして。どうして、ミーシャが欲しいものは全部、マリアラのものなのだろう。
そう考えながらミーシャは、呆然と、手のひらの上に残った平べったい灰色の小石を見た。
――じゃあ、フェルドは?




