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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の希望
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雪山

「もう、これ以上は……俺の身がもたないんだよ」


 フェルドの声がかすれ、ラルフは胸が詰まった。

 そうだ、と思う。本当にそのとおりだ。


 ラルフならばとっくにつぶれている。側に行けない現実に、押し潰されてしまう。ラルフはよく、腕っ節の強さや身のこなしを感嘆され、お前は強いと言われるが、実際のところそれほど強いわけではないと自分では思う。


 強くいられるのは、自分の力を、使うことができるときだけ。

 遠くで、閉じ込められて、大切な誰かが傷つけられようとしているのを、ただ見ていることだけしかできないとしたら。


 ケティはどうして邪魔ができるのかと、ラルフは心底不思議だった。元凶を捕まえて排除しようとするのを邪魔するなんて、ケティは残酷だ。ケティにも、多分マリアラにも、きっとわからない。本当に強いのはそっちだろうと言いたくなる。


「待ってるよ。一緒に行こう」


 ラルフは言い、フェルドは首を振る。


「俺が一緒に行ったら、安全な旅なんかできなくなる。指名手配されて逃げ回る羽目になるだろ」


 ――放っておけって言うのかよ。


「そんなの構わないよ」

「構うだろ」


 ――冗談じゃないよ。


「構うもんか」

「ひとりの方が身軽なんだ」


 ――この期に及んでこの人は……


「……あんたはそれでいーかもしんねーけど俺は嫌だからな!」


 ラルフは怒鳴った。立ち上がれないのが悔しい。首根っこつかんで揺すぶってやれないのが本当に本当に悔しかった。

 フェルドの目が驚いたように見開く。


「……あんたらはそれでいーのかもしんねーけど! グールドもあんたもバカだ! バカバカのバカバカだー!」

「……何だそれ」

「グールドは最期の最期にマリアラのために死んで、あんたもマリアラのために一生地下で過ごす、あんたらはそれでいーかもしんねーけどな! 俺は嫌だ! ぜってー嫌だ! だって、だってっ、俺だって楽しいことしてーもん……! 旨いもん食って、色んなもん見てっ、友達と楽しいことして、大好きな人達みんな幸せでぬくぬくしていつか結婚して子供十人生んで、孫とひ孫に囲まれて死ぬのが俺の夢なんだ! どーしてくれるんだよ……!」

「ラルフ……?」


 ケティが呆気に取られている。

 じわじわと包囲の輪を狭めて来ている保護局員たちもイクスも、今は気にならなかった。イクスのそばに保護局員たちが一際厚い輪を作っているのも意識の外にあった。


 自分が何をわめいているのかも、よくわからなかった。

 でも。


「どーしてくれるんだ、俺はあんたらと同類なんだぞ!? なのにグールドは死んだんだ、自分以外の誰かのためにって理由で! なのにあんたまでそんなことになったら、俺絶望すんだろ! 俺らみたいなのは結局っ、自分の中の何かのために、それを他の人間のために使うってことだけのために! そのために自分は楽しいことも自由も美味いもんも捨てて死ぬしかねーのかって……俺絶望すんだろ……!」

「ラルフ」


 ケティの手がラルフの背に外套をかけた。ふわりと暖かさが身に染み、ラルフは泣いた。


「グールドはもういない、だから、あんたには……マリアラと再会して、ふたりで一緒に、どっか遠くでもいーから、いろんなもの見て、楽しいことして、仲良く、幸せに、暮らしてもらわねーと困るんだ……」

「……めでたしめでたし、ってか。お伽話じゃねーんだから」


 フェルドが言い、ラルフはぐいっと頬をこすった。


「なんだよ、悪いかよ……」


 フェルドは笑った。「悪くねーけど」


「だろ。あんたには責任があんだからな。イタイケな少女にユメとキボーを与えるって責任が」

「じゃーどーすっかなぁ」


 フェルドがため息をついた。

 気が抜けたかのように、ラルフの前に座り込む。


「あーもー……どいつもこいつも人の気も知らねーで好き勝手言うよなぁほんと」

「しょーがねーだろ。あんたはな、自分で思ってるよりずっと、人に大事に思われてんだよ」


 涙が一向に止まってくれないので、ぐしぐしと目をこすりながらラルフは言う。


「マリアラがさあ……放っておくわけないじゃん。ケガしてよーが倒れてよーが、忘れるわけねーじゃん……【風の骨】はな、どーしよーもなく、甘い人なんだ。マリアラがどーしても来たいって言ったらさあ、どーしてもあんたに会いたいって言ったらさあ、なんだかんだ、手ェ打っちゃうんだよ。しょーがねーだろ」

「……そうかー……」


 フェルドは少し考えた。ラルフは涙を引っ込めようと努力を続けた。イクスの喚き声はまだ続いているが、反応しておろおろしているのはケティだけだ。

 ややして、フェルドはラルフを軽くこづいた。


「……人に責任押し付けるだけじゃなくて、お前も考えろ。ここでみんなで逃げても、イクスの野郎に指名手配でもされたら面倒だし危ねーし、観光どころじゃねーし、全然楽しくねーよな」

「だよなー」


 ラルフはもう一度保護局員の方を見た。イクスの周囲を取り囲む輪はますます厚くなっている。まるで重要人物扱いだ。フェルドがイクスを攻撃することを懸念しているのだろうか。


「お前さっきいーこと言ったよな」とフェルドが言った。「こいつ人質にするって。で、指名手配なんかしたら――」

「こいつの命はないってやるんだ! いーねそれいーね!」


 涙が引っ込んだ。ラルフは座り直し、ケティがつぶやいた。


「悪者だねえ……」

「車椅子に乗せて運ぶか。ロープもあるし」


 方針を決めるや否や、フェルドは早速取り掛かった。ナイフを取り出して、レジナルドが固定した車椅子のロープを切り始める。と、ケティが叫んだ。


「あたしたちは――フェルディナントさんに――捕まってるわけじゃありません――!」

「無駄だって」


 ラルフは言った。ケティは構わない。


「助けて――もらったんです――! フェルディナントさんは――なんにも――悪いこと――してないです――!」

「こーゆーことでかい声で叫ばれると結構恥ずかしいな」


 レジナルドの腋の下を持ち上げながらフェルドが言い、ラルフは笑った。「同感」


「恥ずかしがってる場合じゃないでしょ! 武器を向けないで――! 全部証言しますから――!」

「ケティ、とにかくこっちへおいで!」


 イクスが拡声器で言った。猫なで声だった。


「いろいろ調べなきゃなんないし、寒いだろう! こっちへおい――んな!?」

「来なくていいぞー」


 イクスから拡声器を奪い取った男が、朗々たる声を上げた。

 ハイデンと同い年くらいの男には見覚えがあった。南大島でグールドに立ち向かったリンの上司、ガストンだ。

 ラルフは顔をしかめた。やっと来やがった。


「遅くなって済まなかった。もう少しで片付くから、そこで待ってなさい」


 ぴーがー、と拡声器が抗議の声を上げる。ガストンが拡声器を投げ捨てた時、イクスの周囲を取り囲んでいた保護局員たちが、いっせいにイクスに飛びかかった。


「な! ――むがっ」


 イクスが沈黙し、周囲を包囲していた保護局員たちが狼狽の声を上げる。

 ガストンの仲間は全体の、ほんの一握りにしか過ぎなかった。だからまずは最優先でイクスを取り押さえたのだろう、


「――にすんだー!」


 イクスがわめき、ガストンが、その鼻先に一枚の紙を突き付けた。

「逮捕令状だ。イクス=ストールン。ジークスの賭場に“商品”としてケティ=アーネストの情報と居場所を提供した容疑で身柄を拘束する」

「――!」


「しかし、ガストンさん」イクスのそばにいた保護局員が声を上げる。「我々の捜査では――ケティ=アーネストを“購入”した容疑で、あの、フェルディナント――」

「ああ、ギルネス、申し訳ない。フェルディナントは私の協力者だった」


 保護局員は目を剥いた。「は――はあ!?」


「我々はストールンとジークスのつながりを捜査していた。その過程でケティ=アーネストが競売にかけられることが発覚した。競売を妨害してはストールンを逃がしてしまう、だが、競売をそのまま続行させるわけにもいかず……フェルディナントが賭場に通っていたのは知ってるだろう、あれももともと私の頼みで、極秘に……」


 ガストンは滔々と保護局員たちを丸め込んでいく。呆気に取られていたイクスが噛み付いた。


「う、ウソだ! ウソだウソだ、全部ウソじゃないか――!」

「それがウソだとどうしてお前に分かるんだ? いろいろ話を聞かせてもらおう。――連行しろ」


 ガストンが指示を出し、イクスが引きずられて行く。ギルネスという名らしい保護局員とその仲間たちは、呆気に取られたようにそれを見送っているが、イクスの根回しが足りなかったのか、それをやめさせようとまではしなかった。


 静寂が落ちた。

 ケティがふうっとため息をつき、座り込んだ。


 細い肩が、ぶるぶる震えている。ラルフはまた外套を脱ごうとしたが、それより前に、フェルドが毛布を投げた。


「悪いな、今まで気が付かなくて。寒かったろ」

「んー」毛布から顔を出したケティが、言った。「お兄ちゃん……その人、どうするの……?」


 車椅子の上で、レジナルドは相変わらずぐったりしている。呆気ないもんだ、とラルフは思った。長年エスメラルダにクンリンしてきた人間だというのに――肉体的にはひ弱だったということなのだろうか。


「そーだな。今更殺すってのも……あーもーほんとに」また言って、フェルドは苦笑した。「ケティも相当頑固だよな。孵化前から邪魔されるとは思わなかったよ」

「だって」


 ケティが縮こまり、フェルドは笑う。


「なんか気が抜けちまったよ。まあ、ガストンさんなら、長年追っかけてきた相手なわけだし、巧いことやってくれんじゃねーかな」


 ガストンが上ってくる。あの人に聞こえる前にと、ラルフはささやいた。


「フェルド、この前渡した無線機で連絡してね。俺しばらくはエスメラルダにいるから。【壁】なんかいつでも抜けられんだから。今からなんか、話聞かれたりすんのかな、そーゆーのが終わったらすぐ言って。マリアラだって、エスメラルダに来るより安全だろ」

「フェルディナント」


 だいぶ近づいてきていたガストンが声をかけた。


「大変な一夜だったな。だがまあ、無事で良かったよ」

「お陰様で」


 フェルドが頭を下げる。ガストンはラルフを見、ケティを見、それからまたフェルドを見た。


「証言を頼みたいところだが、それどころじゃないらしい。君にだ」


 言って無線機を差し出した。ラルフはケティと顔を見合わせた。フェルドが受け取り、耳に当てる。


「……もしもし」


 とたんにあふれ出たのは、リンの声だった。


『もしもしフェルド!? 無事なの!? 今どこ!? お願い早くきて、マリアラが……! 【魔女ビ』


 そのまま通信が切れた。

 フェルドは無線機を耳から下ろし、まじまじと見つめた。さっきからずっと収まっていた、フェルドの周囲の雰囲気が、また緊張を始めたのをラルフは感じる。畜生、とラルフは思う。畜生全くどうして、こんな時に、立ち上がれないんだろう……!


 ガストンの周りに、次々にマヌエルたちが飛んできている。ガストンは一番近くにいたマヌエルに、声をかけた。


「フェルディナントに箒を貸してやってくれないか」

「はい」


 即座に箒が差し出され、フェルドは一瞬、ガストンをじっと見た。

 そして勢いよく頭を下げた。ガストンと、今箒を貸してくれたマヌエルに向けて。


「俺もすぐ向かう。早く行け」

「――」


 ガストンの言葉にもう一度礼をして、フェルドは何も言わず飛び立って行った。ラルフはあっという間に小さくなっていくその姿を見ながら、どうしてこんな時に大地に縛り付けられていなければならないのだろう――と考えていた。足さえいつも通り動いたら、絶対に連れて行ってもらったのに。

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