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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の希望
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ヴィンセントとケティ

 リンとオリヴィエと別れて数分で、ヴィンセントは本領を発揮した。


 彼はとても面白い人だった。なんだか気立てのいい大型犬を彷彿とさせる。ケティのような年下の子供にも親切で、屈託がなく、面倒見が良かった。もしあの雪山で一緒だったのが、イクスではなくヴィンセントだったなら、リンと一緒に子供たちを守るために奮闘してくれただろう。


 動道に乗っている間も軽妙な口調であれこれと冗談を飛ばし、ケティはラルフのこともフェルドの心配もいっとき忘れて笑い転げた。ジークスでの恐ろしい出来事も、ビアンカによってもたらされた使命感もなかった頃に、ケティが思い浮かべていた“エスメラルダでの人生”――陽気で気楽で、明るく楽しげな大人の世界――を垣間見るような、居心地のいい時間だった。


 道のりの半分ほどまで来たころ、ヴィンセントが言った。


「孵化したらさ、医局に配属になんの?」

「うん、仮魔女期が明けたらね。あ、レイエルだったらの話だけど」

「相棒を得たら、【水の世界】のシフトを担当するようになるんだろ」

「うん、でも、左巻きのレイエルは医局のシフトも兼ねるのが通例だよ。【水の世界】へ開く頻度はそれほど高くないし、レイエルはラクエルほど少ないってわけじゃないし」


「孵化したら教えてよ。遊びに行くからさ」

「うん、わかったよ。医局には、綺麗なレイエルが多いもんねえ」

「ばれてたかー」


 ヴィンセントはぺろりと舌を出し、ケティはまた笑った。ヴィンセントが言うと全く嫌みがなくて、つい笑ってしまうのだ。


「なんつーか」


 ふとヴィンセントの言い方が変わり、ケティはヴィンセントを見上げた。「え?」


「大変だねえ、ケティもさ。こんな吹雪の中、あっちこっち行ったり来たりして、今からまた、何か大事な用があるわけなんだろ」

「うん……でもいつもは暇なんだよ、今日はちょっと重なっちゃったの」

「いくら近いつっても、地下道があるわけじゃねーんだろ。オリヴィエも言ってたけど、俺、やっぱ待っててやろーか?」

「ううん、大丈夫。ご飯食べたいし、先にすまさなきゃいけない用もあるし」

「どんな用なの」

「それはナイショ」

「だよねー」


 ヴィンセントは笑った。でも、さっきまでの屈託のなさが嘘みたいで、ケティは身じろぎをする。


「ヴィンセントさん、どうしたの……?」


 なんだかすごく、悲しそうだ。

 尻尾と耳を、しょぼんと垂らした犬みたいだ。


「……なんかねえ」


 ヴィンセントはため息をつきつつしゃがみこんだ。ますます犬じみて見えるが、どんぐり眼に下から見上げられると、何だかどきりとする。


「こんなに小せーのに、頑張るねえ、ケティ」


 また言われた。

 フェルドもヴィンセントも、どうしてケティを子供扱いするのだろう。ケティは唇をとがらせて抗議する。


「小さくありませんー」

「リンもさあ」


 ケティは目を丸くする。「ん?」


「ちっとも知らなかったよ、俺。リンがあんなに……なんつーか……いろんなもの抱えてさあ、【炎の闇】のことだって、訓練じゃなくてマジだったんだろ」

「ん」


 ずきりと胸が痛んだ。あの純粋な好意が、その喪失が、ケティにもたらした爪痕もまだ生々しかった。


 ――あの人もお姉ちゃんのために死んだ。


 ケティを見て、ヴィンセントはさらに悲しそうな顔をした。


「リーザ=エルランス・アナカルシスに拉致されたとか……前のその前の校長のさ、追放の時にさ、実行部隊の中にいたとかさ、『あっち』だとか『こっち』だとかさ。研修生の時からだぜ? あいつな、今な、ルクルスの元締めに呼ばれて出掛けてったんだよ」

「ふうん」

「俺何にも知らなかったよ。マジへこむわ……」

「どうして?」


 ヴィンセントは一瞬ひどく荒んだ顔をした。


「ちゃんちゃらおかしかっただろうなって」

「ちゃんちゃら……?」

「そりゃ覚えてねーよな俺なんか。そもそも眼中になかったんだよ、当然だよな」

「……?」

「マジへこむわ」ヴィンセントは頭を抱えた。「フェルディナントの嘘も、俺頭から信じ込んでたしさ……。

 でも……。

 でも俺、ガキでバカで無知で何も知らなかったけど、でも、マジだったんだよ……。マジだと、思ってたんだよ、自分で」


「そっか」


 ケティは頷いた。どうやらヴィンセントは懺悔したかったらしい。

 うつむいたままヴィンセントはぼそぼそと続ける。


「ジェイドは知ってて、グールドのときあいつを助けたんだそーだし、マヌエルだし、リンがルクルスの元締めんとこ行くときだってついてったんだそーだし、だから謹慎処分なんて受けさせられちまったわけだし。きっと、フェルディナントの嘘もわかってたんだろーし……ちゃんと当事者で……だからそりゃ、リンも惚れるよな」


「ん」

「でもさー」

「うん」


「なんであんな奴好きなのあいつ。ジェイドはリンのことふり続けてんだってよ。ふざけんなよ冗談じゃねえよ、リンのどこが不満だっつーわけ? リンの奴、ジェイドに完璧にふられたらマーセラの巫女さんになるんだってよむかつかねえ!?」


 激昂と共に声も高くなり、ケティはちょっと慌てた。周囲の目が痛い。


「だだ大丈夫だよ、ジェイドさんはリンちゃんのこと好きだと思うよ」

「そりゃ大丈夫って言わねえよ! つーか一回告って振られて二回目すかされてんだよ!? 何様だー!」

「すかすってなに……?」

「俺なら一回目で即オッケーだよもーマジむかつくんだけど! なんでそんな奴好きなの!? 俺の方がぜってーリンのこと大事にすんのに!」


 ケティはもう、落ち着かせるのを諦めた。共感してしまったから、というせいもある。


「……その気持ちはちょっとわかるー」

「わかんのか! おまえも苦労してんだなあ!」


 ヴィンセントはがばっと立ち上がり、ケティは風圧で吹っ飛ばされかけた。ヴィンセントは慌ててケティの腕をつかんで引き寄せた。分厚いコートの腹にケティの顔をうずめてぽんぽんと頭をたたく。


「はーもーちょっと元気出たわー……ありがとーなケティ。んで何、お前も片思いなの? 相手誰よもー見る目ねー男だなあー」

「ふふ」ケティは思わず笑った。「リンちゃんも見る目……や、あの、ジェイドさん好きなのは見る目あると思うんだけどね?」

「この流れでそれ言うの!?」

「ヴィンセントさんも格好いいし面白いし優しいし可愛いから、きっといい人が拾ってくれると思うよー。おーよしよしよしー」

「犬扱いすんなー!」


 自覚はあったらしかった。ケティは笑い、ヴィンセントも笑った。

 窓の外は真っ白で何も見えなかったが、行き過ぎる標識を見るに、【魔女ビル】はもう近いらしい。ヴィンセントはケティを放し、穏やかな声で訊ねた。


「ジェイドっていい奴?」

「うん。医局では有名なんだよ、すっごく親切で優しいんだって。マヌエルによっては頼んでもやってくれない仕事を、ジェイドさんは快くやってくれるって。

 さっきね、動道から噴水広場を通ってリンちゃんの職場に行った時、連れてってくれたマヌエルは、最初、子供は遠慮してって言ったんだ。リスナさんがいなかったらあたし、行けなかったよ。でもそれが当然だと思う。あんな吹雪の中、大勢の人間をひとりひとりビルまで案内するなんて大変だよね、うんざりすると思う。大事な用なんて無いに決まってる子供まで送らなきゃいけないのかって思ったら、頭にくるのは当然だと思うよ。

 ……でもジェイドさんだったら、きっとにこにこして送ってくれたと思う」


「フーン」

「がっかりした?」

「んーん。逆だよ」


 ヴィンセントが降りた。左腕を差し出してケティをひょいと抱え降ろし、ヴィンセントはふうっと息をついた。


「リンに見る目がねーなら悔しいしむかつくしで大変だけどさ。見る目あんならしょうがねえ。しかもさ、ジェイドってあれじゃん、外見地味じゃん。外見で選ぶんなら、オリヴィエの方がずっとリンに似合うじゃん。

 でもそりゃもう、外見とかさ、そーゆー次元の話じゃねーってことだろ。そんならもう、お似合いじゃねーかちくしょう。諦めもつくってもんだ」

「……うん」


 本当に、しょうがないのだと思う。

 相手がミーシャなら戦うが、マリアラが相手なら……賭場にだってどこへだって飛び込んでしまう人で、最悪の殺人鬼さえ助けてしまう人なら、もう、しょうがないのだ、きっと。

 ヴィンセントはケティをしっかり抱え、仮魔女寮までの短い距離を走って行ってくれた。お陰で暖かく、安全で、ちっとも怖くなかった。





 ようやくのことで部屋に帰り着いたのは、もう二時過ぎだった。


 扉を開けて真っ先に見えたのは、車椅子から立ち上がりそうな体勢で目を見開いたラルフだった。


 その様子を見て、ケティは、ラルフが今の今までどんなに心配で、心細く、ケティの身を案じていてくれたのかということを悟った。先に寄ってきた食堂で、食べ物をぎっしり詰めた弁当箱を四箱抱えていたが、それをとりあえず机に降ろし、ケティはラルフに向けて両手を合わせた。


「ごめん! 遅くなってごめん!」

「べべべつに心配なんかしてねーけど」ラルフはぶっきらぼうに言った。「べべべつに遅くなってもねーけど。本に夢中だったし。この程度の吹雪くらい、エスメラルダの町ん中じゃたた大したことねーんだろうし」

「ごめん、ハプニングがいろいろあったの。ほんとにごめんね、ラルフ、連絡できなくて……食べながら話そう、お腹すいたでしょう? こっちがラルフの。どうぞ」


 ケティはラルフの前に弁当箱を三つ置き、自分の前にひとつ置いて、水を汲んで渡した(仮魔女寮には湯を沸かす器具がない)。ラルフはすっかり慣れた様子で車椅子を動かして机の方に来た。ちらりと時計を見上げて、ケティを見る。


「心配なんかしてねーけど。怒ってるわけでもねーよ。でも昼を随分過ぎてたんだな、今まで気づいてもなかったけどさ」


 なんて嘘の下手な子なんだろう。ケティはもはや感嘆する。


「うん。あのね、【魔女ビル】で会った人に頼まれて、リンちゃんのところに行っていたの」


 そうして、ふたりで一緒に食べながら、ケティはビアンカに会ったことと、頼まれたその内容についてすっかり話した。ビアンカの存在をできるだけ他の人間に言わないでほしいと、釘を刺すことも忘れなかった。

 ラルフはあまり食べなかった。食い入るようにケティを見ながら、何か考えているようだった。

 ラルフが一箱と半分、ケティが一箱をすっかり食べ終えたころ、ラルフが言った。


「俺が行くよ」


 ケティは目を丸くした。「え? どこに?」


「フェルドんとこに、手紙を持ってくの。俺が行く」

「え、で、も、どうして……? 【魔女ビル】の中をうろうろしたら、医局の人に――」


「念のためだよ」ラルフは半分残った弁当箱と、もう一箱を、丁重に蓋を閉めた。「残念だけど俺が行く方がいい。理由は三つある。一つ目、そのビアンカって人は、〈アスタ〉の中にいる。仮魔女寮に〈アスタ〉はいない。つまり、ビアンカには、ケティの協力者が誰なのかわからないだろ。フェルドんとこ手紙もってく人間を見たら、それが仲間なんだってわかるはず」


「う……うん」


「ふたつめ」ラルフは二本目の指をぴっと立てた。「今の俺より、ケティの方が機動力がある。フェルドの部屋は見張られてると考えた方が安全だ。手紙は、絶対に届けられなければ意味がないよ。だから、二通用意するんだ。でね、俺が入れるところを、ビアンカに見張ってもらうんだ」


「ビアンカに? でも、」


 出てこられるかな――と思ったが、ラルフはそれを遮るように続けた。


「当然だよ、だってビアンカからの依頼なんだ。頼むだけ頼んどいて、なんも協力しないなんて、おかしいと俺は思う。リズエルに見つかったら閉じ込められる? そりゃ怖いかもしんねえよ、でも、閉じ込められるだけだろ? 俺たちは捕まったら殺されるかもしれねーんだ。俺たちが失敗したらフェルドが死ぬ」


 ケティはぞっとした。「うん……」


「だからビアンカにも手伝ってもらう。俺が手紙を入れるところを、ビアンカに見ててもらって、もし万一俺がいなくなったあとに誰かが来て手紙を盗んだら、それをケティに知らせてもらう。ケティはその後、もう一度手紙を入れる。敵だって一度手に入れたら安心するはずだろ」


「うん、そうだね」

「大丈夫、うまくやるよ。なんか棒貸して、座ったまま、手紙を扉の下に押し込めるように」

「うん、なんかいいのあったかな……」


「それから」ラルフは真剣な顔で言った。「俺の雇い主の、連絡先を教える。メモしちゃだめだ。言うから、覚えて。もし思いがけない事態が起こったら――何かの行動を起こす前に、そこに連絡して」

「行動、を?」

「そう、これは鉄則だ。絶対だ。何か想定外の出来事が起こったら、何かする前に、すぐ連絡してくれ。いい? 無線機、ケティは持ってねーよな……もう一台借りてくりゃよかった……」


 ケティはなんだかぞっとした。「思いがけない事態、って……?」


「念のためだよ」ラルフは軽く笑った。「ビアンカのこと、俺にだけは話したいって、言ってくれたんだろ。俺も、なんか、代わりをあげたいんだよ」


 ラルフは隠し事が下手だ、と、ケティは思った。

 でも、なにを隠したのかが、その時のケティには分からなかった。


 ドキドキして、そわそわして、落ち着かなかった。手紙を届けるくらい大したことじゃないとビアンカには言ったし、さっきまでそう思っていたけれど、今はもう、そうは思えなかった。


 ケティは震える声で言った。


「あの。よくよく考えたら、手紙を届けなくても」――そんな恐ろしいリスクを冒さなくても。「お兄ちゃんに、おととい、渡した無線機に、連絡してみたらどう……?」

「そーだな。そりゃいい考えだ。試してみる価値はあると思う」

「じゃあ早速っ」

「うん、じゃあさ、俺がフェルドの部屋に手紙を入れてる間、ケティがフェルドに電話しててよ。手紙はもちろんむだ足になるかもしんねーけど、やんないよりはマシだろ。そっちの番号も今教えるから。さ、早いところ手紙書こう。時間があんまりねーし」

「う、うん……」


 嘘をつくのが下手なのに、とケティは思う。隠し事なんか、できないくせに。

 なのにラルフはケティに言うまいと決めてしまった。その決意は、どんなに下手で不器用で、外に見えてしまっても、絶対に覆せないのだということを、ケティはその時、悟った。

 ひどいと、思った。

 ビアンカのことを、ケティはラルフに隠さなかったのに。

 ラルフは、ケティを、そこまで大事には思ってくれていないのだ――


 それが哀しかった。ひどく。


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