ヘイトス室長
リンの事務所に近づいてきた時、お昼を知らせる鐘の音がかすかに聞こえた。すぐそばの広場から響くあの大きな鐘の音が、ほとんどかき消されるほどの吹雪になっていた。
ラルフにお昼ごはんを届けてあげなければ、と、思った。心配しているだろうか。急いで帰らなければ……。
しかし、動道から降りはしたものの、動道の屋根の下から一歩も踏み出せなかった。吹雪ナメんな、とあの若者には言われたけれど、全く、一時の激情に翻弄されていなかったなら、こんな吹雪の中に駆け出すなんて絶対に無理だ。ケティは途方に暮れた。やっぱり一度帰って、リンの名刺を取って来るべきだった。あんなことで動揺して癇癪を起こすなんて、全く、子供扱いされても仕方がない。
今からでも帰ろうかなぁ、と思う。でもそうすると、お昼ごはんをラルフと一緒に食べてから出かけることになるだろう。フェルドが帰って来るまでに手紙を届けに行くなんて無理かもしれない。
ごうごうと風が鳴っている。気が付くと、周りに人だかりができていた。振り返ると、人がどんどん増えている。動道から、たぶんこの周辺に用がある人たちが続々と降りて来るのだ。でもみんな吹雪の中に足を踏み出すことはせず、吹雪のすごさを囁きかわしたり、目をすがめて嵐を堪能したりしている。
「あの」
ケティはかたわらにいた、優しそうな女性を見上げた。
小柄な人だった。毛皮の帽子をしっかり被り、毛皮のコートにすっぽりくるまって、外をじっと見ていたその人は、ケティの声にこちらを見てくれた。顔を見るととても痩せている。が、
「どうしました?」
穏やかな声だ。痩せぎすと言えそうなほど痩せているが、物腰は柔らかく、笑顔が優しくて、とても親切そうな人だった。ケティを仮魔女寮にいれた寮母よりも年上かと思ったが、頬が寒さで真っ赤に染まっている様子は、ケティと変わらない年頃の女の子のようにさえ見える。
ケティはていねいにお辞儀をして訊ねた。
「すみません、あたし、急いでいるんですが……この広場を突っ切って、噴水の向こうに行きたいんですが、地下道の場所をご存じないですか」
「この辺りに地下道はありません」
女性はケティが相手でも、丁寧な言葉遣いを変えなかった。
「でも、二十分ごとにマヌエルが来てくれますよ。建物の入り口まで送ってくれるんです。もう少しお待ちなさい」
「あ、そうなんですか?」
ほっとする。なるほど、さっきのマヌエルも、そのためにあそこにいたのだろう。
女性はにっこり微笑んだ。
「でも、ひとりで何のお使いでしょう? 大事な用ですか?」
「あ……その……」
口ごもったケティの様子に女性は少し身を屈める。
「マヌエルによっては火急の用事でないと叱られますよ。こんな大吹雪です。良識あるエスメラルダ国民ならば、マヌエルの手を煩わせないよう自室に引っ込んでいるべきなんですよ」
「はい、でも……とっても大事な用なんです」
ケティは小さな声で言って、うつむいた。確かに、この人数をひとりひとり目的地まで送るなんて、よっぽど親切なマヌエルでない限りうんざりするはずだ。ケティの用事はものすごく重要だと自分では思うけれど、それをマヌエルに説明することは無理だし、帰って大人しくしてろ、と言われたらどうしよう。
「行き先は近いの?」
女性がもう一度訊ね、ケティは顔をあげた。
「はい。噴水のすぐ目の前なんです」
「そう、それなら……」
そこへ、マヌエルが来た。
そのマヌエルの表情を見て、ケティは後ずさりたくなった。彼は明らかに、今から自分が案内しなければならない人数の多さにうんざりしている様子だった。ビルの番地順に並んでください、と言った声には疲労が濃く感じられた。いくら右巻きのマヌエルでも、大勢の人間を風と雪から守り続けるのは疲れるはずだ。
それでもケティは列に並んだ。番地がはっきりわからないので、動きがつい遅くなった。ひとり出遅れたケティをマヌエルが見とがめる。
「子供は遠慮してほしいな。飛ばされても責任とれないよ」
「……っ」
「この子は私の連れです」
さっきの女性が穏やかに言った。
マヌエルは不機嫌に言う。「そうなんですか?」
「ええ。申し訳ないんですが、お願いします。私の寮の子なんですが、生みの母親が二年ぶりにレイキアから来られたの。一日しか時間がとれないそうで、どうしても会わせてやりたいの。ケティ、こっちにいらっしゃい。うろうろしたらマヌエルにご迷惑よ」
「ごめんなさい、寮母さん……」
ケティは急いで彼女のそばに行った。黒い柔らかな手袋に包まれた指先が出て来て、ケティの手のひらをしっかり握った。
「飛ばされないように。行きますよ」
「はい」
ケティは覚悟を決めて、その人の手をぎゅっと握った。
十数分かかって、ケティは、無事にリンの事務所のあるビルにたどり着いた。マヌエルが次のビルに向かう人達を連れていなくなると、ケティはほっとして、女性に頭を下げた。
「どうもありがとう。助かりました」
「いえ、どうせ、ついでですから」
女性はにっこり微笑んで、先に立って階段を上がって行く。ケティは急いで後を追った。
「お姉さんも、ここに用だったんですか」
「お姉さん?」
女性が振り返り、ケティはぴっと背中を伸ばした。
「あ、ごめんなさい。失礼でしたか……?」
「いえ、久しぶりに言われたので、驚いただけですよ。ふだんと違うお化粧をするとこういう役得があるのだな、と思って」
「はあ……?」
「いいんです。ええ、そう、お姉さんも、ここに用事だったんですよ」
女性は優しく笑って、また階段を上がり始める。怒ったわけではないらしい。ケティはほっとしてまた後を追った。
「あのう」
「なんでしょう?」
「あたし、名乗ってないですよね……?」
「ええ、お聞きしていないですね」
「じゃあ、あの、どうして、あたしの名前を……」
「そりゃあ知っていますよ。仮魔女寮の入寮は私の管轄じゃないので、口出しができなくて、申し訳なく思っています。不便な思いをさせて。真冬でなければ、ひと足早く仮魔女の勉強を始める手続きもとれるのに」
「えっ?」
「あなたがもといた寮の寮母に、自分の失策と怠慢に応じたペナルティを与えられない法の現状が歯痒くてなりません。……つきました」女性はリンの事務所の扉の前で、ケティを振り返った。「とっても大事な用事なんでしょう? できるだけ嘘をつかないというのが私のモットーなんです。あなたの用事が、私の嘘に見合うだけのものであることを期待していますよ、ケティ」
「あの、あの」ケティは目の前の女性の顔を、穴が空くほど見つめながら、訊ねた。「お名前を、うかがってもいいですか?」
「ええ。リスナ=ヘイトスと申します」
言って、上品で綺麗で優しい『お姉さん』は、リンの事務所のインターフォンを押した。
ヘイトス室長は、とても恐ろしい人だと、医局で有名だった。
ケティも何度か見たことがある。今の外見とは全然違う。髪をひっ詰めにして尖ったメガネをかけ、化粧っ気がなく、厳格で恐ろしく、とても冷ややかな話し方をする。医局では非常に恐れられていた。何しろ彼女の機嫌を損ねたら医局の全ての業務が滞る。配属されたばかりの新人医師たちの、一番初めの事務手続きを直々に担当するそうで、その時に行われる『訓示』によって、医師たちは全員震え上がり、骨の髄まで彼女に忠誠を誓わされると言われている。医局に属する左巻きのマヌエルたちも同様のようで、ヘイトス室長が来ると医局中がピカピカに整理整頓され、廊下の両脇に出迎えの医師とマヌエルがずらりと列を作るという。
その『氷の女王』の正体が、こんなに可憐で可愛らしい感じの人だったなんて。
扉が開いてすぐに出て来たのは、大柄な赤毛の男の人と、王子様みたいに綺麗な男の人だ。
「どちらさまですかー」
赤毛の男の人がぞんざいに訊ねる。リスナが身分証を出した瞬間に赤毛の男が硬直した。王子様の方はケティを見ていた。のぞき込んで、ぱたぱたぱた、とケティの目の前で手を振った。
「あの、この子、どうしたんですか? 固まってますけど、」王子様はそう言いながらヘイトス室長と赤毛の男を振り返り、「ヴィンセント!? どうしたの、なんで君まで固まってるの!?」
「通していただけます?」
「え!? あ! 失礼しました、ちょっと、ヴィンセント! 起きろよ! あ、すみません、身分証を――えぇ!?」
王子様も凍りついた。そこへ駆け出して来たのは、ニュースなどで見たことのあるおじさんだった。とてもかっこいい、四十過ぎくらいのおじさんだ。おじさんは扉の前で凍りついている王子様とヴィンセントという名らしい若者を押しのけ、人目もはばからずヘイトス室長に抱きついた。
「リスナ! 久しぶりだな!」
「そうですね、ジル」
ヘイトス室長は優しく笑っておじさんの背を軽くたたいた。おじさんは腕を放し、ほれぼれと彼女を見る。
「君の本当の姿を見るのはもっと久しぶりだよ。どんどん綺麗になるなあ! 普段からこうしてほしいが、しかし普段からこうされると心配でたまらない、悩ましいところだ」
「あのね、ジル。お愛想は嬉しいけど、私たち、吹雪の中をようやくここまで歩いて来たのよ」
「お、すまん。入ってくれ」
ジル、という名らしいおじさんは苦笑してヘイトス室長を招き入れる。室長が、普段の怖さを少しにじませる声音で言った。
「それにしても、あなたのところの若い者はいったいどうなってるの? 身分証出させてそのまま放心だなんて、有事の役に立つとは思えないわ」
「まあまあ、そこは大目に見てやってくれ。あいつらは昨日『こっち』に入ったばかりなんだ」
言いながらふたりはどんどん中に入って行く。ケティはひとつ頭を振って、気を取り直し、扉の外に取り残された王子様の腕をぽんぽん、と叩いた。
「あたしも、入っていいですか?」
「あ、ああ。ごめん、白昼夢を見てたみたいだ」
王子様が我に返り、ヴィンセントが叫んだ。
「ありえねえ――!」
ヘイトス室長は【魔女ビル】の七不思議のひとつだ。医局の人たちが囁き交わしていた理由がよく分かった、と、ケティは思った。
*
と言っても、そのまますぐにリンに会えたわけではない。
医局で以前見たことのある女の人がやって来て、ケティの魔力量を計った。装置からするするとコードを伸ばし、コードの先につけられた小さなリングをケティの指にはめる前に、彼女はケティにコートを脱ぐようにと言ってくれた。濡れたコートを受け取って壁にかけてくれたのはヴィンセントだ。そこにかかったコートの量を見て、この事務所に詰めている人数の多さが分かった。ケティは驚いた。二十人はいるだろう。
「あの……何か、あの……あたし、お邪魔でしょうか……?」
指輪をはめながらケティは訊ね、医局の女性は首を振る。
「いや、大丈夫だよ。ごめんねケティ、一応手続きを踏まないといけないから……え!」女性はケティを見た。「ケティ、まだ孵化してない……よね? うわあ、これは……大丈夫かなあ……」
「どした?」
ヴィンセントがたずね、アイリスは計測器を見ながら唸った。
「孵化寸前だよ。数値が『三ツ葉』並みだもん」
「『三ツ葉』!? もう孵化してるってことか?」
「違うと思う、ほら、針が小刻みに揺れてるだろ。こんなに短い間に増減を繰り返す、このパターンは、孵化寸前のたまごによく見られるものなんだ。ケティ、心臓痛くない? 発作、起きてないの?」
「う、うん」ケティは頷いた。「痛くないし、今朝は発作も起きなかったよ。あの、えっと……」
「あ、ごめん。私はアイリス」
言いながらアイリスは、拡大鏡を取り出してケティの手のひらと手の甲を、何度もひっくり返してしげしげと調べた。
「うーん、まだやっぱりたまごだなあ……ケティ、普段からこんなに数値高いの?」
「ううん、普段は『二ツ葉』くらいって言われる」
「え、普段から? ずいぶん高いんだね、でもそうか、それなら一応は触れ幅の中にあるのかな……でもケティ、君これ、あんまり出歩かない方がいいよ。本当に、孵化寸前だよ。今日明日中に来てもおかしくないよ。私が医師なら今夜から医局で寝泊まりさせるんだけど、」
「ん、でー」ヴィンセントが呆れたように言う。「この子はどっちなのよ。入れてもいーのか」
「あ、ごめん。たまごであることは疑いないから大丈夫だよ、入って構わない。ごめんねケティ、ご協力ありがとう」
アイリスは、丁重に礼を言い、装置を回収し、ガストンが側から放さないヘイトス室長の方へ行った。
「……ヘイトス室長、ご無沙汰してます。アイリス=ヴェルディスです。すみませんが、室長も一応調べ……ガストン指導官、私を睨んだって仕方がないでしょう。どんな人間でも調べろって言ったのは指導官じゃないですか」
「アイリスってすげーよな」ヴィンセントがぽつりと呟いた。「なんであれ見て動じねーんだよ……つーかなんなのアレ。なにあのピンク色の空気。ガストンさんと室長って付き合ってんのか」
「そういう噂は聞いたことあるねえ」
王子様は笑う。ヴィンセントが目をむき、王子様はまた笑った。
「あのお二人は同期だしね。昔、ヘイトス室長を巡ってガストンさんとギュンター元警備隊長が決闘したとか聞いた」
「マジで」
「噂だと思っていたけど、信憑性が出てきたじゃないか。まあそれはそれとして、ケティ、だっけ。初めまして、僕はオリヴィエ。こっちがヴィンセント」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ケティは頭を下げ、オリヴィエが王子様の微笑みでケティに左手を差し出した。
「リンはあっちだよ。なにか重要な用事があってきたの?」
「はい」
「ふうん。じゃ、おいで。リンはケガをしているけど、もうだいぶ元気が出てきたから大丈夫」
そう言って、連れて行ってもらった先に、ようやくリンがいた。
リンの事務所は、グールドのあの事件の時に見たとおり、基本的には大きなワンルームだ。小さな給湯スペースが、あの時同様アコーディオンカーテンで仕切られている。入り口の扉の正面に大きな会議机が在り、今はそこで、十人以上の人間が座って書類をめくっている。
リンがいたのは、あの時ケティたちが寄り集まって座っていた、運動マットの敷かれていたスペースだ。今は運動マットは片付けられていて、あの時はなかったついたてで仕切られ、その奥に寝台がひとつ置かれていた。負傷したリンはそこで休まされていたらしい。
リンは確かにケガをしていたが、とても元気だった。体のいろんなところに包帯を巻いていながら、ガストンとヘイトス室長が仲睦まじく話す様子をついたての透き間から覗いていたのだ。オリヴィエが、
「……何やってんのリン」
声をかけるとリンはこちらを見、ちょっとちょっとちょっと、というように手を振った。
「何あれ何あれっ、あれヘイトス室長なの!? あれが!? すごくない!? キレー……! 素敵、うわあ、超キレー……! お化粧ってあそこまで変えられるもんなの!? 美男美女だねえお似合いだねえっ、んもうっ、なんかきゅんきゅんくるなあっ」
低めた声で囁いてくる様子がいつもどおりのリンで、ケティはなんだかものすごくほっとした。
「リンちゃん。ケガ、大丈夫?」
「うんうん、こんなのもうかすり傷だもん。久しぶりだね、ケティ。なんか昨日、おとといか、大変だったんだって? 大丈夫だったの、ひどいことされなかったの?」
「それはこっちの言うことだよ……」
ケティは呆れ、オリヴィエが言った。「ぎゃふん」
「なによぎゃふんって」
「君の代わりに言ってあげたんだよ、リン。確かに君には言われたくないだろうねー」
この現実離れした王子様とリンは、随分気安い間柄らしい。美男美女だとさっきリンは言ったけれど、自分たちだってなかなかだ。保護局員という花形の職業で、オリヴィエのような同僚、ガストンのような上司と共に働いているリンは、もうすっかり大人に見え、とても眩しい。
「それはとにかく」リンは話を変えた。「ケティ、今日はどうしたの? 外はすごい吹雪みたいだけど」
「うん、話があって来たの。おとといのこと、リンちゃんに、話しておかなくちゃって思って」
「おととい」
「ジークスの賭場に行く時、あたし、場所が分からなくなっちゃって……道に迷っちゃって、どうしようかと思っていたら、イクスさんに会った」
「イクスに」
リンが息を詰め、ケティは頷いた。
「イクスさんが場所を教えてくれた。それでね、ジークスの賭場にいた男の人は、あたしの名前も、たまごだということも、孵化したら多分左巻きのレイエルになるだろうってことも知ってた。それを……リンちゃんに、話しておかなくちゃって、思って」
「ケティ……」
リンは呻き、出し抜けに、ケティにぎゅっと抱き着いた。
「ありがと、ケティ。よく話しにきてくれたね」
「言っておいた方がいいと思ったの」
「うん」リンはケティを放し、間近で覗き込んだ。「これはすごい情報だよ……! ケティ、ほんとにほんとにありがとう。ガストンさん!」
言うなりリンは、ついたてを押しのけた。ケティの手を握って、ガストンとヘイトス室長、それから大勢のリンの同僚たちが書類の山と立ち向かっている会議机の方へ、怖じ気づく様子もなくずかずか歩いて行く。
「リンちゃ――」
「ガストンさん、ケティの話を聞いてください。賭場で――」
リンは怒涛のように話し出した。その話し振りと周囲の反応を見て、ビアンカがすぐにリンに伝えに行けと言った判断は間違っていなかったのだということが分かる。
みんな色めき立ったのだ。とても決定的な情報だったに違いなかった。
ケティは居心地が悪かった。ラルフをあんまり待たせるわけにはいかないのに、時計はもう一時を指している。この先、取り調べのようなことをされるなら、帰るのがすごく遅くなってしまうだろうし、フェルドのところへ手紙を持って行く時間がなくなってしまう。
けれど、実際のところケティが放免されたのはそれから十分後だった。
時計が一時十分を指したところで、ガストンが言ったのだ。
「リン、そろそろ出た方がいいだろう」
「え、……あ。はい」
リンは時計を見て、頷いた。ガストンがてきぱきと指示を出す。
「ジークスの件はこっちに任せろ。明朝には決行する。定時連絡を忘れるな」
「はい。法律の方は――」
ケティは耳をそばだたせた。法律。
リンはやはり保護局員になったのだ、と思う。法律に携わる仕事をしているなんて。
答えたのはガストンではなくリスナだった。
「施行は仮魔女法の改正と同じく、一月一日からです。全文と概要のコピーを――これです、持ってお行きなさい。約束したスケジュールも入っています」
てきぱきと封筒を差し出した。その様子はやはり保護局員の偉い人らしいものだった。スケジュールというのは、法律がいつ成立するか、ということについてのものだろうか? ケティはそう思い、感嘆した。
リンは丁重なしぐさで受け取った。
「ありがとうございます。すみません、行ってきます」
「気をつけろよ」
「リンちゃん、どこ行くの?」
歩きだそうとしたリンの袖をつかむと、リンはケティに微笑んだ。
「ちょっとね、打ち合わせにいかなきゃいけないんだ。吹雪がひどいみたいだから、ケティ、止むまでここで――」
「ううん、あたし、帰らなくちゃいけないの」
「そーなの? でも、吹雪がすごいよ?」
「どうしても帰らなくちゃ」ケティは真っすぐにリンを見上げた。「大事な用があるの。急いで帰らなくちゃいけないの」
「ふうん、じゃ、一緒に出る? 動道まで一緒に行こう」
言って、リンは同意を求めるようにガストンを見た。
ガストンは異論はないという風にうなずいてくれ、ケティはほっとした。リンと一緒なら、マヌエルを騙さなくても、無事に動道まで連れて行ってもらえるだろう。
アイリスは来なかったが、王子様みたいなオリヴィエと、赤髪の大柄な若者、ヴィンセントが、当然のような顔をして一緒にやってきた。リンはそれが不本意であるらしい。階段を降りながら、顔をしかめてブツブツ言う。
「もー大丈夫って言ってるのに。過保護なんだってば」
「ひとりはケティ用だよ」オリヴィエが涼しい顔をして言った。「ヴィンセントが仮魔女寮まで送って行く。ヴィンセント、お姫様が飛ばされないように丁重に送るんだよ」
「わかってらー」
「い、いいです、あのう」
ケティは慌てて口を出したが、ヴィンセントが簡単に言った。
「こんな吹雪の中小さい子ひとりで帰せるわけねーだろ。気にすんな、こっちの都合だ。大人のメンツってやつな」
「ついでだから、これからの用事も送ってあげたら?」
オリヴィエが言い、ケティは震え上がった。フェルドの部屋にこっそり手紙を届けに行くのに、ヴィンセントについてきてもらうわけにはいかない。
「だ、大丈夫。すぐ近いですから」
「仮魔女寮から近いって……【魔女ビル】に用なの?」
「そ、そうです」ケティはこくこく頷いた。「だから大丈夫。あの、あたし、あの」
「ケティ、仮魔女寮までだけでも、送ってもらいなよ。ヴィンセント、ありがと」リンが振り返って微笑む。「でもオリヴィエ、あたしの方は大丈夫だよ? 動道まではマヌエルに送ってもらうし、こんな昼間にあっちだって――」
「君が襲われたのは真っ昼間じゃなかったかなー。もう少し警戒心を持った方がいいよ。大丈夫、あちらの迎えに引き渡したら帰るから。事務所の場所も突き止めないし、盗み聞きもしないから」
「そーゆーこと心配してるわけじゃないんだけど」
「わかってるよ。でもこれはガストンさんの指示なんだ。君にせよ僕にせよ、新人局員に拒否権なんかあるわけないだろ」
「……うー」
一行は、吹雪の吹きすさぶ戸外へ出た。
吹雪は、ますます激しくなる一方だ。




