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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の希望
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コイン

 【親】であるダニエルが失踪して四日。それでもミーシャは今日も真面目に、〈アスタ〉の部屋に来た。


 ミーシャにとっても他の人たちにとっても、ダニエルの失踪は本当に謎だった。相棒のライラニーナでさえ、その真相を知らないらしい。といって、ライラニーナに誰かが話を聞けたわけではないのだ。ライラニーナはフェルド以上に周囲から孤立していた。ダニエルだけがライラニーナと周囲との橋渡し役をしていたのだけれど、当のそのダニエルがいなくなってしまったので、今では誰もライラニーナに話しかけられない。恐ろしくて。


 フェルドもそうだ、と、ヒルデは言う。本当に人が変わってしまったようだと。残念だけれどフェルドの魔力は強すぎて、フェルドのそばに寄ることさえ恐ろしい、と。ヒルデとランドはフェルドとライラニーナの状態を憂いてはいるが、状況を改善するためにどうすればいいのか分からず、手を出しあぐねている。


 でもフェルドはまだマシだ、とみんなが言う。

 だって、ミーシャがいるからだ。


 ミーシャにだけはフェルドはまともに応対してくれる。それが誇らしくて、とても嬉しい。優越感もある。レイルナートの指摘は的外れだ。フェルドが賭場通いを始めたのはミーシャのせいではないし、少なくともマリアラは、フェルドと周囲をつなぎ止める役割なんてしていなかった。もはや、ミーシャの占めている居場所はマリアラより重要だ、ということだ。


 だから本当は、〈アスタ〉の部屋に通って『仮魔女の勉強』なんて無益なことに時間を浪費したくない。もうフェルドが待機時間に入る頃だ。独り身の詰め所に出かけて行って、ミーシャにしかできない橋渡しを務めたい。


『ミーシャ、遅いわよ』


 扉を開けると、優しい声で〈アスタ〉が叱った。


『薬の効能を覚えるのも大事な仕事なのよ。九時に来るって約束でしょう。最近の研究で、知識の有無が魔力の消費に与える影響が――』

「はーい〈アスタ〉、ごめんなさーい」


 ミーシャは謝り、席に座った。全くもう、と思う。魔女は知識なんかいらないはずだ。本能だけで人を治療する、それが左巻きの定義のはずだ。オーバーワークにならないように仕事やスケジュールを管理するのが〈アスタ〉と医師たちの役目なわけで。


『本当に、もう。しょうがないわねえ』


 〈アスタ〉は困ったように言う。ミーシャはイラッとした。最近いつもこうだ。〈アスタ〉に『しょうがない子』と言われるたびにイラッとする。(マリアラならこんなことなかったのに)と思っている〈アスタ〉の落胆が感じ取れて、それがミーシャに苛立ちを生むのだ。

 そんなの当然でしょ、とミーシャは思う。ミーシャはマリアラではない。マリアラならば何も考えず、〈アスタ〉の望むとおりの行動をしていたのだろう。でもミーシャはマリアラとは違い、マリアラさえになっていなかった重大な仕事をしているのだから、『しょうがない』なんて言われる筋合いはないのに。

 〈アスタ〉はため息をついてから続けた。


『……仕事を頼みたいの。早く来てほしかったのに』

「仕事って?」

『まずはこれをあげるわ』


 この部屋の〈アスタ〉は人型を取っている。お母さんと聖女を足して二で割ったような優しげな美貌だ。細い指先を伸ばして、机の上に置いてあったビロードの袋をふたつ、ミーシャに差し出した。


「なにこれ?」

『コインよ。あなたとフェルドの』


 言われてミーシャは思わず机の上に飛び乗りそうになった。焦ってつかんだ袋の中に、確かにきらきら輝くコインがひとつずつ入っている。


「わあ……!」

『今年もあともう一週間で終わり。年明けからすぐシフトに入ってもらえるように、先に渡しておくことになったの』

「わあ、わあ、わあ……!」

『それからこっちが箒ね。……ね、ミーシャ。悪いけど、フェルドを起こして来て。十時から待機時間なのに、部屋で寝てしまって……声をかけても起きないの』


 他のマヌエルには頼めない。ミーシャしか、フェルドに近づけないからだ。

 〈アスタ〉の言外の意を汲んで、ミーシャは叫んだ。


「まっかせといて!」


 これを見せればきっと飛び起きるだろう。

 ミーシャは嬉しかった。ラクエルの人手不足は本当に深刻で、ミーシャは特例の特例で、十五歳のうちにシフトに入ることになったのだ。仮魔女法が改正される一月一日から、ミーシャは正式なマヌエルになる。フェルドもきっと、ちゃんとした相棒を得、ちゃんとした仕事をするようになれば、元に戻るはずだ。


『あ、ミーシャ、』

「行って来まーす!」

『ちょっと、ミーシャ! コインを人に見せびらかしちゃダメよ! 事前に渡すのは特例なのだから、ちゃんとシフトに入るまで――』


 ミーシャは最後まで聞かずに部屋を飛び出した。嬉しくて嬉しくて、踊りだしたい気分だった。〈アスタ〉は本当にお小言が好きだ、軽やかに歩きながらミーシャは思う。


 見せびらかすなんて当然しない。ミーシャはそこまでバカではなかった。レイルナートの指摘は的外れだと、自分では思うけれど、でも、そういう見方が【魔女ビル】の中に存在することはよく分かっていた。特にかつてフェルドと仲が良かった独り身の若者たちに、ミーシャは諸悪の根源のように思われている。ジェイドなんてミーシャと目を合わせもしないくらいだ。たぶん、ミーシャが『マリアラの真似をして』フェルドに『付きまとう』から、フェルドがあんな風になったのだ、なんて、論理的でない思考にしがみつくことで、フェルドの変貌を納得しようとしているに違いない。


 でもミーシャは平気だった。みんな誤解だからだ。


 ミーシャはマリアラの真似をしたわけではない。この髪形はエスメラルダで流行りのものだし、服装は、たまたま好みが似ていただけだ。確かにかつて一般学生だったころからマリアラを知っていたし、フェルドがマリアラの相棒だったと知ってからは、興味をもってもらうためにちょっとだけマリアラの印象を借りたけれど、それは戦略だ。どの女の子だって多かれ少なかれやることで、ミーシャだけが非難されるいわれはない。そもそも顔が似ているのはミーシャのせいではないわけだし、ミーシャがフェルドの相棒になりたいと思ったのは、フェルドの相棒がマリアラだと知る前のことだ。マリアラは関係ない。


 優越感は正直、かなりあるけれど。


 マリアラは一般学生のころから謎な人だった。外見がミーシャによく似て地味なのに、なぜか人気があった。決して華やかではない。押しが強いわけでも、みんなをまとめるわけでも、笑わせて場を盛り上げるわけでもないのに、不思議にみんなから尊重される人だった。


 勉強ができるから? 真面目だから? 親切だから?


 たいていの女の子は華やかな、例えばリンのような子に羨望を向けるが、ミーシャはそんな軽薄な女の子たちとは違うのだ。マリアラは派手ではないが、すごく誠実な男の子からラブレターをもらう人だと知っていた。大勢の男の子と軽くくっついたり別れたりするより、ごく少数の人から大切にされる方がずっといい。フェルドみたいな人に大事に大事にされる方が、ずっとステータスになるということを、ミーシャはちゃんと知っている。


 ゆっくり進んでいけばいいのだと、ミーシャは思う。


 人の相棒を『横取り』することになったから、周囲からやいやい言われるのは当然だ。だから、これからはゆっくり腰を据えて、ミーシャの居場所を作っていけばいいのだ。相棒になって、シフトに入って、真面目に仕事をこなしていけば、きっと周囲も諦める。フェルドもきっと、マリアラを忘れてくれる。だってフェルドは、ミーシャだけは拒絶しないでくれているのだ。それは、フェルドも、マリアラを忘れたいと思っているからではないだろうか?





 そして。


 ノックをしても返答がなく、ミーシャは扉を開けてフェルドの部屋に入った。相変わらず乱雑な部屋だ。しょうがないなあ、と、とりあえず床に落ちている本だの雑誌だのを拾い集めて通路を確保しながらベッドにたどり着き、持っていたものを椅子に積み上げ、ミーシャはフェルドを揺り起こした。


「ね、フェルド。フェルド、フェルド、フェー、ルー、ドー!」


 突然、風が湧いた。

 ぱっと上かけがはねあがり、ミーシャはびっくりして尻餅をついた。上かけをはねのけたフェルドは、ひどく壮絶な顔をしていた。


 ――ぞっとした。


 初めて、ヒルデの恐怖を理解した。殺されるかもしれない、そう思った瞬間、フェルドが動きを止めた。


「あ」

「……っく、り、したー……」


 思わず呟くと、フェルドは、ミーシャの顔を見ながら少しの間何かを考えた。

 それから、ベッドに座り直した。がしがし頭をかいて、ため息を一つ。


「……悪い……寝ぼけた……」

「あは、びっくりしたあ」


 ミーシャは気を取り直した。一瞬感じた恐怖は、何とか押さえ付けた。寝ぼけていたのだ、賭場で一晩中遊んでいたのだから、眠いのは当然だ。寝ぼけて、ミーシャだと分かるまで、時間がかかったのだろう。


「もー、気をつけてね。吹き飛ばされるかと思っちゃった」

「……ごめん」


 フェルドは目をこすった。夢見が悪かったのか、顔色が少し悪い。ミーシャは床の上のものをまたひょいひょい拾い上げながら窓へ行き、カーテンを開けた。


「〈アスタ〉がね、十時から待機時間なのに起きてこないから、起こして来て、って。もう十時になっちゃうよ。急いで」

「あー……」

「でも待機なんだから、もうちょっと寝かせてくれてもいいのにね。詰め所でもう少し寝たら?」

「んー……」


 フェルドは生返事だ。よほど眠いのだろう、と、ミーシャは思う。そしてその時、窓がかすかにカタカタ鳴っているのに気づいた。気づきはしたが、でも、気に止めなかった。外の風が結構強いのだろうと、思っただけだった。


「ほらほら、起きて。そこまで一緒に行こ」

「あー、顔とか、洗うから。行ってて。大丈夫、もう寝ないから」


 答える声も無機質で、感情が抜け落ち、生気が感じられない。まだ寝ぼけているのだろうか? ミーシャは苦笑した。驚かせれば、目が覚めるかもしれない。


「そうそう、さっきね、いーものもらったの。何だと思う?」

「……さあ」

「もー、少しは考えてくれればいいのに。〈アスタ〉にもらったんだよ、ほら!」


 じゃじゃーん、とポケットから小袋を取り出す。予想どおり、期待どおり、フェルドの目の色が変わった。ミーシャはもう一度、風で吹っ飛ばされかけた。体勢を崩すのを止めてくれたのは、やっぱりフェルドの風だった。


「……コイン!?」

「あったりー!」


 小袋をふたつ、受け取ったフェルドはしばらく動かなかった。


 ややして、慎重に、慎重に、小袋の口をゆるめる。手のひらの上で逆さにすると、袋からコインがふたつ、きらきら光ってこぼれ落ちた。フェルドの表情を見て、ミーシャは嬉しくて笑った。フェルドがコインを喜んでいるのは一目瞭然だった。スカートをひるがえして、くるりと回って、ミーシャは言った。


「どう?」


 フェルドは、手のひらの上にのったふたつのコインを食い入るように見ていた。よっぽど欲しかったらしい。ミーシャとの、相棒の証しが。


 ――もう、あたしのものだ。


 ミーシャは心の中だけで、その言葉を噛み締めた。


 ――もうマリアラのじゃない。マリアラの相棒だった人が、マリアラを捨てて、あたしを選んだ。

 ――あたしの、勝ちだ。


 フェルドがコインを袋に戻した。ずしりと重い袋をひとつ、ミーシャに返しながら、フェルドは笑った。


「最高」


 ミーシャは幸せだった。

 フェルドのこんな嬉しそうな笑顔を見たのは、それが初めてだったから。

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