五日目 非番 午後(3)
フェルドは別に逮捕されているわけではない、と歩きながらミシェルは言った。
ミシェル自身、何があったのかよくわかっているわけではないらしい。フェルドの部屋の前を通りかかったら扉が開け放されており、中には清掃隊員が何人かいて、フェルド自身は廊下に椅子を持ち出して――むすっとした顔をして――雑誌を読んでいた、という。マリアラはそこまで聞いてゾッとしたが、“別に騒ぎになっていた感じでもなかった”とミシェルは言った。
「ただなんか、異臭騒ぎがあったらしくて。配管のチェックだかなんだかされてたみたいだったよ。いや、クリーニングかも? で、俺が『そりゃ大変だなー』って通り過ぎたら、フィが追いかけてきてそれとそれを渡されたってわけ」
「ううう……」
フェルドから渡された“二度目の品物”を握りしめてマリアラは呻いた。こちらは包まれておらず、先日見たばかりの、“エスメラルダの雪解け水が入った強化ステンレスの入れ物”に酷似した何かだった。あれなら、元の大きさに戻して蓋を開ければ魔物を入れることもできるだろう。生き物は小さく縮められないと聞いていたが、魔物は別なのだろうか。気にはなったが、ミシェルの前で元の大きさに戻して確かめてみるなどできるはずもない。
ミシェルはどこまでついてくるのだろう。見上げると、言いたいことがわかったらしく、ミシェルは微笑んだ。優しく。
「フェルドから、一緒に行ってくれるように頼まれてるんだよ。行き先はマリアラが知ってるからって。知ってるんだよね?」
「え、ええ……でも……」
「俺も右巻きだからね」爆発的な頭髪を揺らしてミシェルは微笑む。「何かややこしいことになってる左巻き、ひとりで放り出しちゃいけないってことくらいは知ってますよ。ちょうど俺今日休みだし。フェルドが暇そうならって覗きに行ったとこだったから」
お心はとてもありがたいが、右巻きは少々過保護ではないだろうか。右巻きはもしかして、左巻きの魔女は右も左もわからない赤ん坊と同じだと思っているのだろうか。とにかく、目的地までついてきてもらうわけにはいかない。フェルドだってそれは重々わかっているはずなのに、なぜ同行を頼んだりしたのだろう。マリアラは悩み、話を変えることにした。とりあえず。
「えっと……マヌエルの皆さんは、お休みの日は何をするんですか?」
「皆さんって」ミシェルは笑った。「マリアラももう“マヌエルの皆さん”のひとりじゃんか。休みの日は何してんの?」
「えっと……寝たり、買い物したり、……遊んだり?」
「同じ同じ。俺も寝たり買い物したり遊んだりしてるわ」ミシェルは楽しそうに笑った。「マリアラさ、一般学生だった頃の友達と今も仲いいんだって? なんかすっごい可愛い子なんだって?」
「どこでそんな」
「新聞に載ってた、魔女新聞」
「新聞!?」
新聞沙汰になったなんて初耳だ。ところが、ミシェルはぱたぱた手を振った。
「あー、【魔女ビル】発行の、新聞っつーか情報誌? 会報みたいなヤツ? 週一発行のやつさ、知ってるだろ。なんか長ったらしい名前だから、皆新聞って呼んでるんだ」
「ああ、はい」
「こないだは大事件だったからね、何があったのかって皆から聞かれたら当事者が困っちまうだろ、だから記事にして周知して、本人にあんま聞くなよって主旨なんだ。友達の写真は載ってなかったけど、雪山の保護局員に聞いた奴がいて、すっげー可愛かったらしいって噂になってる」
マリアラは呆気にとられた。行動力のある人がいるものである。
「一般学生の頃の友達と変わらずにつきあえるってすげーよな。だからその子も誘って皆でスキー、行こうよ。な?」
ははあん、とマリアラは思った。なるほど、とても納得だ。マヌエルも人間でありミシェルも若い青年である以上、美人の友人を持つ異性とは仲良くなっておきたいだろう。
「リンに聞いてから、お返事しますね」
「うん、よろしくね」
ミシェルは嬉しそうに笑った。マリアラも微笑んだ。リンが目当てだとは言え、新しい交友関係がこうして少しずつ広まりを見せていくのは歓迎すべきことだろう。外見こそ奇抜だが、ミシェルの話し方や距離感は悪くない。フェルドの友人なのだから、そもそも悪い人のはずがない。リンとダリアを誘ってみて、気乗りしないなら断ればいいことだ。
階段を数階分降りた。ミシェルは“どこへ行くのか”と聞いても来ないけれど、宣言どおり部屋に戻る気もないようだ。どこでどうやって同行をお断りすればいいのだろう。マリアラはミシェルを見上げた。
歩く内に、ミシェルの爆発的な頭髪は少しずつ少しずつ、尖り具合を和らげている。七色の髪も、重力には勝てないようだ。
「ヘイトス室長は“居住階から出るな”と言ってましたけど……その、もう少し下まで行くんです」
だからもうここで、とマリアラが言う前に、ミシェルは遮るように言った。
「だから。なんかややこしいことになってる左巻きひとりにして、放っておける右巻きなんかこの世にいません」
「それって差別じゃないですか?」
「差別じゃないよ。区別ですよ」
「左巻きには判断能力がないからひとりで放っておけない、と言ってるように聞こえます」
「そうは言ってないよ。だから“そんなややこしそうなことやめときなよ”とは言ってない。ただ、一緒に行くって言ってる」
「判断能力はあるけど、問題解決能力はないってことですか?」
「うん」とミシェルは頷き、マリアラの表情を見てまた手をぱたぱた振った。「いやでも、それが右巻きの本音なんだよ。つーか、うん。俺のことはさ、犬かなんかだと思っていいよ?」
「は!?」
「尻尾振ってついていく忠犬だと思ってくれればいいよ」
七色に染め分けられたもっふもふの犬を想像してしまってマリアラはよろめいた。なんてことだ。とても似合う。
「――思えません!」
「君の【親】ってダニエル=ラクエル・マヌエルだったよね? その相棒はええっと、」
「ララ」
「そーそー、ララ=ラクエル・マヌエル。ララに聞いてみ? たぶん似たようなこと言うから。俺はまだ相棒いないけど、いたら絶対同じこと思う。さっきも言ったけど、左巻きに判断能力がないとは言わないよ。ただ、問題解決能力があるかと言えば」
「あります」
「右巻きみたいな問題解決能力はないでしょ。あのね、これは別に右巻きの方が優れてるとかって話じゃなくてね、ただ区別してるだけなんだよ。右巻きがどんなに頑張ったって人の治療なんかできないってのと同じだよ。右巻きにできることと言えば、危険から左巻きとお客さんを守るだけだよ。それさえさせてもらえなかったら、右巻きって何のために存在すんの」
「……」
「イーレンタールっているじゃん。リズエルの」
「……」
「あの人色んな魔法道具を開発しては、フェルドにモニター頼むんだよ。あいつ魔力が底なしだから、省力化してない段階のでも動かせるからね。それで、よくふたりでケガするんだ――という事実を踏まえて、考えてみてよ。今ここにフェルドがいて、さらにイーレンタールが来ました。画期的で是非開発を進めて欲しい――そして聞くからに危険な――魔法道具のモニターを頼みました。そんな魔法道具ができたら素晴らしいね、じゃあ今暇だし一緒に行こう、という算段が調うところを君が聞いていたら、」
ミシェルは足を止めて、マリアラを覗き込んだ。
「かなりの確率でケガするってわかってて、せめて自分が一緒にいればすぐ治療してあげられるってわかってる。なのに“迷惑かけるから来ないでいい”と蚊帳の外にされたら、どう思う?」
マリアラの表情を見て、ミシェルは微笑んだ。優しく。
「その気持ち、覚えておいてね。今回の“ややこしいこと”がなんなのかわかんないけど……それをやめろとは言わないから、命綱くらい掴んどいて損はないでしょってこと」
「迷惑……かけるから」
声が小さくなった。言ってから、気づいてしまった。フェルドに“かすり傷だから”“俺は平気だから”と治療を固辞されそうになった時、自分がどう思ったか。
迷惑なんてありえない。既にケガをしてるくせにそんな配慮されるなんて心外だ、と思った。
「そう言うことなんですよ」
うんうん、と頷きながら、七色の髪を揺らしてミシェルは先に立って歩いて行く。マリアラは途方に暮れながら後を追った。ここはもう十三階。【魔女ビル】の居住区はここまでだ。
と――
下から人が数人上がってくるどやどやした音が聞こえ、足を止めた。音の主たちはすぐに姿を見せた。揃いの、青い制服。見覚えがある。清掃隊だ。吹雪で痛めつけられたエスメラルダの街や、インフラのための様々な設備を清掃し、メンテナンスを行う彼らは、マヌエルに劣らず国中の人たちから頼りにされている。
先頭の一人が何か棒状の装置を持っていた。持ち手の部分は、長さ30㎝ほど。細長いコードが延びて、後ろの若者が持つ箱状の装置に接続している。ぴっ、ぴっ、ぴっ、かすかな音を立てているのはどうやらその装置だ。ぴっ、ぴっ、ぴっ、リズミカルな音は絶え間なく続いていたが、
ぴっぴっぴっぴっ、
微妙に音が早くなった。先頭の男の人は、三十代くらいだろうか。眉をひそめて棒状の装置をあちこちに向けた。ぴぴぴぴぴ、音が速くなった。棒の先端が、マリアラとミシェルの方を向いたのと同時にだ。
マリアラはぞっとした。ぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴぴ――装置は情け容赦なく鳴り続ける。棒の先端は過たず、マリアラの握った手を指している。握っているのはあの“ステンレスの入れ物”だ。
先頭の男の人が、丁重に言った。
「ただいま【魔女ビル】全体で異臭騒ぎが起こっています。恐れ入りますが、――ご協力願えますか?」