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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 雪の降る街〈中〉
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間話 雪の降る街(3)

   十二月八日


 今日も雪が降っていた。


 寒い寒い日の朝。リンは事務所に出勤するだいぶ前にここにきて、曇った窓の外の降りしきる雪を見ながら、ガストンを待っていた。


 【魔女ビル】警備隊の、詰め所だ。

 門番よろしく詰め所前に立って、出勤する人ひとりひとりに挨拶をし続けること三十分。就業時間が迫るころ、ガストンが姿を見せた。


 久しぶりに見るガストンは今日も素敵だった。【魔女ビル】の警備隊詰め所責任者という花形のポジションに返り咲いてから、その魅力に磨きがかかった気がする。周囲に華やかな生け垣ができている。お洒落して綺麗なスーツに身を包んだ事務方のお姉様がたが、ガストンの周りでいい香りと華やかな空気をふりまいている。


「……おはようございます」


 意を決して声をかける。ガストンが足を止めた。

 ふたりの間に微妙な緊張が走った。


 ガストンにはもう、リンに冷たく当たる理由はないはずだ。だが今まであれほどリンを冷遇し、様々なところでリンへの低評価を公言してきたガストンが、そう簡単に手のひらを返せるとは思えなかった。フェリクスが遠ざけられたばかりでもあることだし、ガストンがどう出るか予想がつかず、リンは先手を打つことにした。


「職務上のことで、どうしてもわからない案件がふたつ、ありまして。私の直接の上司は現在空席ですし、出勤早々ご面倒をおかけするのは大変心苦しいのですがっ」

「ふうん」


 ガストンは少し意外そうに言った。


「思ってたよりちゃんとしてるんだな、アリエノール」

「えっ?」

「いや、こっちのことだ。よし、来い」

「ありがとうございます!」


 リンは勇んでガストンについて行った。ガストンは詰め所の前を通り過ぎ、会議室、と書いてある扉を開けて中へ入っていく。リンは「失礼します!」敬礼して中へ入った。


 そこは予想以上に小さな部屋だった。楕円形の円卓が真ん中にどすんと置いてあり、周囲を十脚ほどの椅子が取り囲んでいる。ひとけはなく、静まり返っている。リンは扉を閉め、呼吸を整え、ガストンに向けて勢いよく頭を下げた。


「……すみません! まだなんです」

「お?」


 何か言おうとしていたらしいガストンは可愛らしい声を上げる。「まだって? 何が」


「ルクルスの元締めさんとの面会、まだ、果たせていないんです。……すみません……」

「ああ。……誤解しないでほしいんだが、責めるつもりはない。却ってよかったかもしれないと思っているくらいだ。だが、良かったら、事情を聴かせてくれないか」


 ガストンはリンの肩を抱き、手近な椅子まで連れて行って座らせた。予告なく出し抜けに未成年女子の肩を抱いているのに、セクハラだのパワハラだのを連想させる要素が全くないのがこの人のすごいところだ、リンはぼんやり考えた。素直に椅子に座って、顔を上げてガストンを見る。


「それがわからないんです。……グールドの……【炎の闇】のことを思い出してしまうから、だったのかもしれません。とにかく、なんだか、行く気になれなくて――合同練習や研修が始まって忙しくなってきたことを理由にして。でも」


 リンは咳払いをした。


「フェリクスさんが、異動になるって聞いて。今日、もう――」

「そう、一昨日だな。話自体は一週間前からあったから。金曜日に荷造り済ませて、土曜日にあちらへ行った。今日から着任だ」


 リンは絶句した。「もう――」


「それで?」


 促されてリンは唇をなめる。


「フェリクスさんは、悔しかっただろうなと。あたし――私が、もっと早く取り掛かっていれば、ルクルスの事情を知ってから行けたのに、って……」

「まあそれはあるだろうが、でもなあ」ガストンは難しい顔をして顎を撫でる。「ナイジェル副校長の公判はまだ続いている。ナイジェルはまだ度々姿を見せているし、公判履歴と現校長のスケジュールを照らし合わせると、イェール現校長と同時にナイジェルが存在している瞬間が多々ある。つまりイェール現校長は『あの男』ではありえない。なのに――ではなぜ、フェリクスが遠ざけられたんだと思う?」

「あ」


 リンは口を開けた。そうだ、そのとおりだ。

 イェール現校長は、警備隊畑の出身で、ガストンにも目をかけている、謹厳実直な人柄だと聞いている。『あの男』が校長職を追われ、ガストンに近い考え方の持ち主が要職に就いたのならば、フェリクスが飛ばされる理由はないはずなのだ。


「最近、違和感があるんだ。イェールさんはどうも……」ガストンは顔をしかめる。「『あっち』に付いたんじゃないか、という懸念がある」

「え――」


「ルクルスが『それ以外』を仲間に入れたがらなかった理由はその辺りにあるのかもしれない。イェールさんは校長職に就き、『エルカテルミナ』とそれにまつわる様々な事情を知り――『あっち』についたんじゃないか。ルクルスはそれを予想していた。事情を知れば『それ以外』はみんな『あっち』になる、だからそもそも『それ以外』を仲間に入れたくない、ということだったのかもしれない」


「そ、そんな……、そんな。ルクルスを不当に隔離して、フェルドを捕まえて、マリアラを指名手配する、そんなことにみんながみんな与するなんて思えません!」

「だからさ」ガストンは宥めるように笑った。「だからお前になら打ち明けてもいい、と指名したんじゃないかな。ルクルスの子供とエルカテルミナ、被害を受けている双方と友人だから」


「……」

「イェールさんが『あっち』についたのだとしたら」


 ガストンは重苦しい口調で言った。


「心してかからないとな。あの人までもが、あんなねじ曲げられた政治のやり方を仕方がないと受け入れるほどの状況だ。お前がルクルスにまだ会っていなかったのは、運が良かったのかもしれない。軽々しく手を携えると宣言できる状況ではないのかも」


「……そんな。あたしは、こんなの嫌です。何か大きな問題があるのなら、それをみんなに知らせて、みんなで議論をして、国の方策を決めるべきじゃありませんか。反対意見をもつだけで命の危険にさらされる、モーガン先生みたいにつかまったりお葬式を上げられたりする、そんなの絶対おかしい! ガストンさん、ずっと、校長のやり方がおかしいって、戦ってこられたんでしょう? 今までの大勢の仲間が飛ばされてきたんでしょう!?」


「落ち着け。俺まで『あっち』に与するなんて一言も言ってないだろう。ただ、手に入れようとした情報が予想以上に大きそうだ、と言ってるだけだ」

「……そ、そっ、か」


 リンは息をついて椅子に座った。

 でも、ショックだった。『あちら』はリンにとって、『悪』である。一部の限られた――根性のねじ曲がった――人だけが与するもので、普通の、大多数の人間は、事情さえ知れば『こちら』に与してくれるものだと漠然と思っていたのに。


 グールドの、血の気を失った穏やかな顔が脳裏に浮かんでいた。グールドがこれを知ったらどう思うだろう。ガストンに目をかけ、ガストンが信頼していた人物までが、敵に回るだなんて――。


 でも負けるものか。

 リンはそう考えた。


 イェール校長が『あっち』に与するような状況でも、たとえガストンがどうしようとも、リンは、リンだけは、グールドが命懸けで教えてくれたものに顔向けのできないことだけはするまい。


 そう思った時、ガストンが囁く。


「ひとつ教えておく。この顔と声をよく覚えておけ」


 言いながらガストンは、一枚の写真と、レコーダーを取り出した。声まで用意してくれているところがこの人の行き届いたところだ、と思いながら、リンは写真をのぞき込んだ。


 小太りの男だった。五十代くらいだろうか、頭のてっぺんがはげ上がっているのはいいのだが、横の髪を長く伸ばしてそのてっぺんを覆うようにしている髪形がリンの好みではなかった。禿げているなら堂々と禿げ頭をさらしている方がずっとかっこいい、というのがリンの身上である。団子っ鼻がずんぐりとしている。目がパッチリとしてまつげが長く、草食動物の目みたいだ。


『――秘書のアロンゾ=バルスターでございます。よろしくお願いいたします。ガストンさんのご活躍はかねがねうかがっておりました。この度はご昇進まことにおめでとう存じます――』


 バルスターという名をリンは脳裏に刻み込む。ガストンは、レコーダーをまだ作動させ続けながら言った。


「イェール校長の秘書だ。俺と、それから、リンにかなり興味がある様子だったから。接触してくるかもしれないから、警告しておこうと思って。今日明日にでももともと、お前のとこに行くつもりだったんだ」

「そうなんですか……」


 リンはバルスターの声もしっかり覚えた。うなずく。


「ありがとうございます。覚えました」

「よし」


 ガストンはレコーダーのスイッチを切った。

 それから言った。


「フェルディナントと最近会ったか?」

「フェルドと?」リンは先日の事を思い出し、顔をしかめた。「……こないだ会いました。いえ、話したわけじゃなくて、見かけただけですけど」

「そうか。俺は彼のことをよく知ってるわけじゃないからな……。だが、山火事の時や南大島の時のことを考えると……イェールさんだけじゃなく、彼も」


 ガストンは口ごもり、リンは身を乗り出した。


「なんですか?」

「……彼も変わった。劇的にな。半年も監禁されればそりゃあ精神的な圧力は大変なものだったろうからその反動で……いや、しかし」


 リンは息を詰めてガストンの言葉を待った。

 ガストンは、ややして、低い声で言った。


「彼も『あっち』の事情を知り、それを受け入れたのかもしれない」


 リンは硬直した。

 マリアラそっくりの格好をしてまとわりつくミーシャを追い払わなかった、あの時のフェルドの様子を嫌でも思い出す。


「……そんな……!」

「俺は彼をよく知ってるわけじゃない」ガストンは繰り返した。「だが、山火事の時や南大島の時に彼と話し、多大な協力を得た。それから【魔女ビル】のグールドの事件の時、その後行方不明になったマリアラを捜していた時――あの時のことを思い返すと、今の彼の行動は別人のものだと言われた方が信じられるくらいだ。リン、お前の方が彼をよく知っているだろう。【独り身】の右巻きは警備隊と連携することがあるから、フェルディナントとの連絡役をお前に任せる。何度か会って見極めてほしい。なんだか、嫌な感じがするんだ」


「嫌な……感じ……?」

「ただの勘でしかないんだが……。これはイェールさんが校長になる前からのことだが、ほら、グールドが【魔女ビル】に侵入した大事件があっただろう。あの時から、元老院の中で、【魔女ビル】および【学校ビル】の警備強化を訴える声が上がった。こないだの一件で、さらに強まった」


 リンはうなずく。「……はい」


 確かにニュースでも、それを指摘する声が大きかった。グールドがもう一度侵入し、リンとケティたち少女寮の十五名を人質に取ったあの“訓練”で、その声がさらに高まったであろうことは容易に想像できる。


「ヘイトス室長の調べたところでは――あの直後から、【魔女ビル】および【学校ビル】に様々な警備システムが導入された。防火シャッターに電撃装置が設置されるとか、外部からの侵入を阻止するためにすべての窓および扉に強化シャッターが設置されたとか、また〈アスタ〉への不正アクセスを妨害するための電波放射器をほとんどの階に装備するとかだな。保護局員の装備も倍になった。ひとたび警戒態勢にはいると、一般人の室内待機が義務づけられ、警告を聞かずに廊下を移動している人間に対しては警告なしの発砲が許可される」


「……それは」


 結構物騒な話ではないだろうか。リンは首をすくめ、ガストンは真面目にうなずいた。


「俺はそもそも【魔女ビル】および【学校ビル】の警備体制が甘すぎると思っていたから、今回の改正には賛成だ。……だが同時に、もうひとつ、法律の整備が急ピッチで進められている」

「法律……?」

「マヌエルの一般人への暴力行為に対する罰則の厳罰化に関する法律だ」


 一息に言われてリンはこめかみを押さえた。「マヌエル、の」


「つまりマヌエルが、魔力を行使して一般人を傷つけた場合に対する罰則が重くなるんだ。今までの罰則が軽すぎたという指摘はもっともだと俺は思うよ。たとえばマヌエルが今どこかの路地裏で、裕福な老人をつかまえて風で脅し、金品を巻き上げたとしよう」

「……そんなこと、起こります?」


 リンは訊ね、ガストンにじっと見られて、身をすくめる。「……起こってる、ん、です?」


「たとえばの話だよ」ガストンはあくまで真面目な顔だ。「その場合、証拠がない限り訴えても無駄だ。証拠があっても、マヌエルへは、巻き上げた金品の返還指示が出されるだけなんだよ。同額でいいんだ。謝罪もいらない。おまけに返還指示を無視しても罰せられない」

「……そうなんですか!?」

「滅多に起こらない。マヌエルは裕福だからな。だがいくら何でも甘すぎるだろう。狩人を【魔女ビル】に引き入れ大勢の魔女を撃たせたイェイラでさえ国外追放で済んだんだ。だから俺は、法律の改正にも賛成なんだよ――だが、あまりにも急ぎすぎてる」


「急ぎ……?」


「来年の一月一日から施行だが、“極めて悪質な行為に限っては”今月から特例的に適用される、という申し合わせが提案され可決された。その“悪質か否か”を判断するのは誰なのか……元老院議員のシュリガンという人が便宜的に決定することに一応決まったらしいが、もちろん前例もないし、あまりにも……何というか、恣意的、というかだな。もし【魔女ビル】内でマヌエルが花瓶を割り、飛び散ったその破片が一般人の頬を切ったとする、たとえばその一般人がシュリガンの愛人だったとしたら、それだけで犯人のマヌエルが厳罰に処される、極端だがそういったことさえ可能になってしまうんだよ。なんだか本当に、きな臭いと思わないか。この法律は“誰か”を想定して整えられたものだという気がしてならない。そう考えると、さっきの【魔女ビル】警備体制の強化がこれほど迅速に進められているのも――」


「誰かって……フェルドだって、いうこと、ですか……?」


「わからん。だがフェルディナントに対し元老院が危機感を持っていることは確かだと思う。現在のエスメラルダが“マヌエルによって守られた楽園”であるという現実は、当のマヌエルの善意によって実現されているからな。あるマヌエルがエスメラルダ自体に敵対心を持った場合を想定して、対策が練られているような気がしてならないんだよ。それなら、それと同時に、フェルディナントを『あちら』に引き入れる努力は絶対にされているはずだ。莫大な報酬と新しい相棒を宛がうことでな。フェルディナントはそれを飲んだかもしれない」


「……」

「だからお前に見極めてほしいんだ。頼むぞ」

「……」リンは身震いをした。「……はい」


「それからルクルスとの連絡も頼む。だが、申し訳ないが、連携の確約はしないでくれ。情報を吟味して再度話し合いたいと、面会の約束をもう一度取り付けてくるんだ。いいな? 『エルカテルミナ』が『あっち』に与したのだとすれば――情報が足りなさ過ぎるが、その場合、連携そのものが壊れるような状況になりかねない。少なくともお前が『あっち』と対抗していく理由の大きなひとつがなくなるという事態だからな」


 胸がザワザワして落ち着かなかった。


 グールドの声が頭の中でぐるぐる回っていた。

 フェルドを外に出すために、ただそれだけのために、グールドは死んだのに。


 フェルドがもうマリアラに会いたくないのだとしたら――グールドが死んだ意味はどこにあるのだ?


 三日後に【独り身】のマヌエルに連絡事項を伝え協力を要請する仕事があるので、朝一番でここに出勤するように、とガストンに指示され、リンは了解してその部屋を出た。


 効率、ということを考えれば、ルクルスとの会合について、せめてアポイントを取ることだけでもその日までに済ませておくべきだろう。リンは足早に歩きだした。今までずっと停滞していた時間が、急に音を立てて流れ出したような気がしていた。

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