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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の相棒
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五日目 非番 午後(1)

 午後一時。ジェイドは早々と、【魔女ビル】に戻ってきた。

 今日の出勤は、ほぼ空振りだったのだ。


 海に潜って逃げた魔物の後始末のためにミーティングまで行われたというのに、蓋を開けてみたら肩すかしだった。

 人魚と話がついたというのである。


 人魚は基本的に陸の上のことには関わらない。ジェイドは今まで見たこともなかったし、会ったという人間も知らなかった。その存在を知ってはいたが、実在するなんてあまり考えたことがなかった。人魚には女性しかいないため、繁殖のために人間の男を引き裂いて食べ、その精を利用するという。だから昔の水夫は船から落ちないよう重々注意したという。そういった知識からして、口が耳まで裂けたようなおどろおどろしい外見をした、言葉の通じない魔物のような存在、という認識でいたが、実のところそうじゃなかったらしい。


 ――海の汚染は片付けた。早く陸をどうにかしろ。


 水質調査を始める準備をしていた保護局員を捕まえて人魚はそう言ったらしい。言うだけ言うと、ぷいっと海に潜ってしまい、そのまま出てこなかったそうな。調査してみたら人魚の言葉どおり海の汚染は綺麗さっぱりなくなっていた、ということもあり、海の担当だったジェイドは、それでやることがなくなってしまった。森の方の焼却班に戻ろうにも、保護局員の派遣が間に合わず、ジェイドの午後にはぽっかりと空白が空いてしまった。

 降ってわいた休日を若干持てあましつつ、昼食でも取ろうかと廊下をふらふら歩いていた。――その時。


 休憩所の近くに、小さな子供が座り込んでいるのを見つけた。


 黒いまっすぐな髪を背の半ばほどで切り揃えた、とても可愛らしい子供だった。年の頃は、たぶん三歳くらいだろうか。頬があどけない丸みを帯び、手足もむくむく太っている。と、目が合った。黒々とした瞳がジェイドを見る。

 驚いた。こうして顔を見ると、ものすごく――本当にものすごく、可愛い。


 先日会ったリン=アリエノールという少女を見たときも驚いたけれど、こちらもまるで人形みたいに綺麗な子供だ。エスメラルダにはやっぱり美人が多いのだろうか。


「なんじゃ。何ぞ儂に用か」


 問われ、ジェイドは更に驚いた。なんだこの言葉使い。


「いえあの」思わず敬語になる。「何……してるんです?」

「見てわかるであろ。匂いを嗅いでおる」

 いやわかんねえよ。「匂い……?」

「そなた黒いものを見なんだか。黒くて、大きくて……」


 言いながら幼女は近づいてきて、ジェイドの右手に鼻を近づけ、くんくんくん、と匂いを嗅いだ。


「毒の匂いがする」

「は?」

「そなたラクエルか? ああ……南大島の浄化に当たって来たのじゃな。なるほどなるほど」うんうん、と幼女は頷いた。「それでは話が早い。そなた魔物を見なんだか」

「見てない……です」

「さようか」


 偉そうだ。

 何でこの子、こんなに小さいのに、こんなに偉そうなのだろう。ジェイドはしげしげと幼女を見た。とても可愛くて、とても綺麗な子供。


「君、どこの子? どこから入ったの?」


 それに思い至って辺りを見回す。寮母らしき存在はどこにも見えない。エスメラルダはレイキアとは違い、子供は実母ではなく寮母に育てられる、と言うことくらいはさすがにもう知っている。寮母は様々な訓練を受けたプロフェッショナルだ。これくらいの年の子が迷子になることは、まずないはずなのに。


 幼女は既にジェイドから興味を失ったようで、再びそこら辺をふんふんと嗅ぎ回り始めていたが、ジェイドが〈アスタ〉のスクリーンに歩み寄ると顔を上げた。


「〈アスタ〉は儂がここにおることを知っておる。迷子ではないゆえ案ずるには及ばぬ。儂は【魔女ビル】の住人じゃ」

「じゃあ四階の子?」


 確かフェルドが以前、そんな話をしていたような気がする。

 両親共にマヌエルだった場合、子供は生まれてすぐに【魔女ビル】にある乳児寮に入るのが普通なのだと。四階に、乳児寮および幼児寮があって、ダニエルは“独り身”だったとき、そこに入り浸っていたのだと。


「寮母さん心配してない? つれてってあげようか」


 訊ねると幼女はじっとジェイドを見た。

 そして、にま、と笑った。


「そなた“いい奴”じゃな。よしよし、わかったわかった、こんな格好をしておる儂も悪かったな。ではつれていってもらおう。その途中で魔物を探す」

 言いながら幼女はぎゅうっとジェイドの手を掴み、ぶら下がるようにして歩き出した。その手は、びっくりするほど冷たかった。


「なんで魔物なんか探してるの? 【魔女ビル】にいるわけないのに」

「知らぬのか。昔から言われておるぞ、【魔女ビル】には魔物が棲んでおるとな。夜な夜な配管を這いずり回って、魔物の意に染まぬ振る舞いをする魔女をぱくりぱくりと食べるとな」

「こっわ」


 ジェイドは笑った。そんな話、聞いたこともない。が、【魔女ビル】育ちのフェルドなら知っているのかも知れない、とも思う。いかにも、言うことを聞かない子供を脅す際に大人が使いそうな作り話だ。


「それで、探しに来たんだね」

「うむ」幼女は深々と頷いた。「儂の居場所をおびやかされてはたまらぬ」


 仰々しい言葉遣いをする幼女だなあと、ジェイドはまた思った。【魔女ビル】の幼児寮の中で、流行っていたりするのだろうか。


「お名前は?」

「儂か。フランチェスカという。以後よしなに頼むぞ」

「フランチェスカね。何歳なの?」

「274歳じゃ」大まじめにフランチェスカは言った。「【魔女ビル】に来て163年になる。見た目に騙されてはならぬぞ」


 そうですか。

 この子を育てる寮母さんは大変だな、とジェイドは思った。まあ子供って、突拍子のない想像を作り出して、信じ込んでしまうものだし。

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