間話 〈彼女〉の別れ(3)
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舞とアルガスとレティア、同時にニーナが帰って来たのは、それからひと月ほど後のことだ。
あたしはもう、我ながら、抜け殻みたいだった。ニコルとバーサに仕事の引き継ぎをし、遺言状の代筆をしてもらう仕事はもうとっくに済んでいた。最後にニーナと舞に会ったら、安楽死させてもらおうと思っていた。四肢は日ごとに衰え、尿と便のでる感覚もほとんどわからなくなっていた。頭はまだはっきりしていたけれど、たまに呂律が回らなくなっていた。
ニーナもそのころすでに、巡幸をしなくなっていた。ニーナの美貌は以前と全く変わらず、その地位も揺らいでいなかったけれど、やはりここに留まり続けるのは危険だろうとエルヴェントラが判断したので、ニーナは今まで行けなかった全ての場所に行くのだと張り切って旅行三昧だったのだ。知らせを受けて、駆けつけてくれたのだろう。街道の集落で舞たちと一緒になったそうで、帰って来たのは同時だった。
舞とニーナはそっくり同じ動きであたしの寝台に駆けつけた。本当にこの【二人娘】はいまだに仲良しで、すべてのことに対する姿勢がよく似ている。
あたしは、舞とニーナに懺悔した。デクターに何を言ったのか、全て話した。追い出してしまったことも。彼はもう二度とここへ来ないだろう事も。あたしのことを軽蔑して憎んで、どこか違う場所へ出て行ってしまったのだということも。
「あたしの気持ちは、あたしが死んでも、あの人とずっと一緒にいく。……はずだった。でも」
あたしはしゃくりあげ、ニーナがあたしの頭を抱いてくれた。舞があたしの手を握る力を少し強めて、あたしは呻いた。
「あたしはただ、自分が狂うところを、デクターに見せたくなかった。綺麗なままで残りたかった。そのためだけに、あたしは……デクターは、初めから、いらないって言っていたのに。無理やり、あたしに付き合ってもらっていたのに。いつかなくなってしまうものなら初めからない方がいいって、言ってた、のに。あたしは無理やりそれを与えて、最後の最後に、一番最悪な形で取り上げた……」
「……ビアンカ」
舞があたしの手を軽く叩いた。
「あのね、あなたがおばあちゃんになったら、話そうと思っていたことがあるんだ。こんなに早く話すことになるなんて。……ごめん、すごくおかしな話をするよ。あたしがティファ・ルダに落っこちる前に住んでいたところの話」
舞はあたしをのぞき込み、落ち着いた口調で先を続けた。
「あっちは、ここにはない機械がいろいろあったんだ。テレビって言ってね、いろんな映像を映し出す機械とか、洗濯をする機械、食べ物を真夏でも冷やしておける機械、そういうものがいろいろあったんだけど……あのね、人間そっくりの形をして、人間そっくりに話したり動いたりできる機械もね、研究されていたんだよ」
あたしは顔を上げた。舞はこの上なく真剣な顔であたしを見ていた。
「あなたはデクターを傷つけた。それは、事実だよね。でもそれは、病気のせいだった。あなたが本当にデクターを裏切ったわけじゃない。もうすぐ死ぬんだなんて聞かされた直後で、動転していたんだし、何より、大好きな人に狂った自分の下の世話まで背負わせたくないって思うのは、あたしはすごく分かる」
「あたしもよ」
とニーナが言い添え、舞はうなずいた。
「だから、デクターを傷つけたことは事実だけど、それは、誤解みたいなものでしょう? あなたがデクターにあげたかったものは、千年だって続く彼の寿命を支えるために、彼のことが好きで好きでたまらない人がいたんだっていう、思い出なんだよね? それは、嘘でも幻でもなくて、本当に存在している。ただそれを、伝え損なっただけだよね。
だからいつか、その誤解を解く必要があると思う。デクターなら、誠心誠意謝って、理由を話せば、きっとわかってくれるはずだよ。ビアンカ、今ならまだ間に合うと思うんだ。あなたの頭は今はまだはっきりしてる。人間は、今すぐは無理だけど、いつかきっと、人間そっくりな魔法道具を作り出すことができるようになるはずだ。それまで、あなたの記憶と感情と、声とか外見とか、そういうもの――あなたそっくりの魔法道具の材料になるものを、遺しておいた方がいい」
「……それって……」
「人工的に作られる、あなたの体ができるまで、リルア石の中に、あなたの全ての情報を保存しておく。そうすれば、いつか、魔法道具の体だけど、ビアンカそっくりのロボットとして、生まれ出ることができるんじゃないかと思うんだ。安楽死なんてことまで考えているなら、そっちの可能性を考えてみたらどうかな」
「……」
「デクターは年を取らないし、死なないんだ。時間はたっぷりある。百年でも二百年でも、五百年でも千年でも、あなたの体ができるまで、デクターはきっと生きてる。自棄にならないで。取り返しのつかないことなんかじゃない。あなたが大好きだから、あんなことを言っちゃったんだって、本気じゃなかったんだって、伝える機会はちゃんとあるよ、ビアンカ」
「舞……」
あたしは舞に抱き着こうとして、失敗し、寝台から転がり落ちそうになった。舞はあたしを抱きとめ、自分の方から抱き着いてきてくれた。あったかくて柔らかくて、その感触をまだ感じられることに、あたしは泣き出した。
「……結構時間がかかると思うよ。その間ずっと、リルア石の中で眠っていることになるんだ。手もないし動けないし、結構……辛いかもしれない、けど」
「そんなの望むところだわ……」
選択肢なんか、他にあるわけなかった。
体ができるのを待つ時間がどんなに長くて、どんなに辛くても、デクターを傷つけたあたしが、後込みなど許されるわけがない。
「ありがとう」
あたしは舞にすがりついた。あたしより小柄で小さいはずの舞の体は、今や、衰え切ったあたしの体よりもずっと、しっかりしていて。あったかくて。
「教えてくれてありがとう。本当に本当に、本当に、ありがとう、舞……」
*
舞は後悔したかもしれない、と、今更だけれど、〈あたし〉は考えた。ビアンカに『ロボット』という概念を教え、それに賭けてみてはどうか、と言ったことを。
巨大なリルア石の塊のそばで、舞とアルガスと、ニーナと、デリクとニコルとバーサと、学問所の魔法道具研究の高名な学者の立ち会いのもと、ビアンカ=クロウディアはヘスの麻薬を飲んだ。既に手を口元に持っていくことさえできなくなっていて、舞がビアンカに飲ませることになった。随分重い役目を負わせたものだ。舞が気の毒だと〈あたし〉は思う。ヘスの麻薬で、ビアンカの全てをリルア石に移す――それは、ビアンカの体を捨てるということだった。
そのままだったらまだ何カ月かは生きていたはずのビアンカの、肉体の命を、舞に断ち切らせたということだ。
後に残ったのは、何も言わず何も反応しない巨大なリルア石の塊と――ビアンカの骸、だ。舞は、ニーナは、みんなは、どんなに恐ろしかっただろう。ビアンカの精神がちゃんとリルア石に宿ったかどうかを、確かめるすべさえなかったのだから。
それでも、〈あたし〉と舞とニーナは、その賭けに勝った。ビアンカの肉体は死んだけれど、〈あたし〉は首尾良くリルア石に移り、八百年後にグーレンデールによって目と耳と口と、〈アスタ〉を与えられ、現在に至る。デクターはまだ生きていて、人間そっくりに動き回れる魔法道具人形は、既に実用化の段階まできている。
――どうしようかな。
〈あたし〉はそう考えた。
――ビアンカの体、どうしようかな。
今更手にいれても、と思うのだ。こないだ〈アスタ〉に言ったとおり、デクターにとっては千年も昔のこと、いまさら、誤解を解くも何もないだろう。千年あなたを想っていましたなんて、重すぎて、引かれるだろう。そう思うと後込みしてしまう、の、だけれど。
――舞とニーナは、怒るだろうな。
記憶をたどったせいで、そのことに思い至ってしまった。ああ、それは怒るだろう。それはそれはそれはそれはそれはそれは、怒るだろうなあ……。ニーナには噛み付かれるかもしれないし、舞には飛び蹴りされるかもしれない。あのふたりを怒らせたら、どんな報復が待っているか、考えるだけで――懐かしい。
――怒ってるなら、飛び蹴りして、噛み付いて、あたしの背中を押してよ、ふたりとも。
そう恨み事を言いたくなって、〈あたし〉は、またまどろみの中に沈むことにした。
あのふたりさえ来てくれたなら、責務だの何だのも全て、きっとうまくいくに違いないのに――。




