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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の誕生
661/779

海上(2)


    *



 島が見えたのは、空が少し赤くなり始めたころだ。


 水夫も船長も全員縛り上げられていて、船を操る人が誰もいないのに、ちゃんと島が見えてくるなんて幸運としか言いようがない。風が結構あって、適切な角度で帆に当たっているので、あと一時間もしない間に到着するだろう。


 マリアラは空を見上げ、ため息をついた。できれば、島への到着は日没後になってほしかった。風が使えれば、帆に当てる強さを弱めることができるのに。


 船はだいぶ前から発見されていたのだろう、桟橋に人だかりができているのが見える。マリアラはもう一度、ため息をついた。出港する時も散々嫌な思いをさせられた。既に船長たちといざこざが起きていることでもあるし、日暮れ前についてしまったし、これからきっと不愉快なひと悶着があるだろう。


 どうやらあの島は、長い長い年月の間も、ルファルファの信仰を大切に守ってきた島らしい。


 デクターの言によれば、千年前、媛の一行が巨人に会いに世界のへそに渡った時、一行の船を用意したマーティン=レスジナルという偉大な船長が、必要もないのに――当時はまだ【壁】がなく、真っすぐに海を横断して巨人に会いに行くことができた――あの島に立ち寄り、媛やアルガスやデクターを、村長に紹介したという。島の人々はエスティエルティナの来訪をとても喜び、子々孫々の誉れとすると語ったそうだ。


 だから千年たった今も、いまだにレイルナートへの信仰も厚く、その分、頑なだったのだろう。何よりマリアラがエルカテルミナだと言ったことが良くなかったらしい。当然かもしれない、と、いまさらだがマリアラは考える。崇めている存在がいるとして、自分がそれだと主張する人間がいきなりやってきたら、騙りを警戒するのは当然だ。


「さあっお嬢さん! 可愛こちゃん! 桟橋にぶつかる前に、ほどいてくれるよな! な!」


 島に気づいたのだろう、船縁に縛り付けられた船長が、元気良く叫んだ。


「あ、はい」


 マリアラは振り返り、船室へ向かった。見ると船長も水夫も皆血色が良く、ほっとした。体調を崩すとしても、軽い風邪くらいで済みそうだ。船室をノックしようとすると、船長が声を上げる。


「あ、いやあ――! こりゃいそがねえと嬢ちゃん! あんたの連れ起こしてるうちにぶつかっちまうわこりゃあ!」

「危ねえ危ねえっ、早く早くほどいてほどいて!」

「今すぐしねえと間に合わねえぞ!」


 水夫たちも必死で口々に叫び、マリアラは思わず笑った。


「まだ余裕ありそうですけど」

「いやいやいやいや! これだから素人は困んだよねえー!」

「はいはい、ちょっとお待ちください」


 マリアラは扉をノックした。みんなが悲鳴を上げる。


「いやいやいやいや、起こすんじゃねえよ! 気の毒じゃねえか! あの坊ちゃんはあんたを守ってふた晩近く一睡もしてねえんだよ!? いやいやいやいや、俺達も反省したよ! もうあんたらに危害を加えたりしねえ、信じてくれ、このとおりだ!」

「大丈夫大丈夫、ほらこっちおいで~?」

「あの坊ちゃんはゆっくり寝かしといてさ、島に着いたら歓迎すっから! 今までのお詫びにもてなすからさあ! 今のままじゃ島のみんなも誤解すんだろ? な? あんたらがおれらを縛り上げて船を乗っ取ったんだってみんなが思い込んじまったらよう、島のみんなを安心させんのも大変だわ、な? だからさあ、今のうちにちこっとこのロープをだね……」


 マリアラはもう一度ノックをした。ぎゃあああ、と水夫たちが悲鳴を上げる。


「いや嬢ちゃんマジでしゃれになんねえよ! あのくそ……いや坊ちゃんは寝かしといてやろうぜえ!? 疲れてんだから! な! な!」

「あんたが優しい子だってのはわかってる、だがあいつはなあ!? なあ嬢ちゃん! 起こさねえでくれ、頼む! 頼むよお!」

「島に着いたら歓待すっから! 鯛や鮃の舞い踊りだから!」

「あっそーだそーだ、そんならこうしねえ!? 俺らが、あんたがエルカテルミナだって島のみんなの前で保証してやっから! 船長の言うことならみんな信じっから! そんなら坊ちゃん起こさねえでも、」


 ぎいいい、と、扉が開いた。

 中からデクターが、よろよろと出てきた。いっせいに水夫たちが声にならない悲鳴を上げ、デクターは、うめいた。


「意味わかんないだろそれ……」

「お、はよ、う。……少しは眠れた?」


 罪悪感が胸に湧いた。魔力が使えたら、きっと疲労を癒す手伝いができたはずだ。

 と言っても、魔女の治療だけでは通常、疲れそのものを癒すことは難しい。元気にさせるためには滋養強壮の薬を使わなければならないし、万一今のマリアラが薬を作ることができたとしても、疲労を取る、体力を戻す、というプロセスにはやはり睡眠が必須である。でも、筋肉の凝りをほぐしたり血の巡りを正常に整えたりするだけでも、絶大な効果があったはずなのに。


 疲れ過ぎていて、うまく眠れていなかったらどうしよう。


 そう思ってつい言葉が尻つぼみになってしまったけれど、デクターは気にせず、ふわああああああ、と欠伸をした。


「あー寝た寝た。でも島に着いたらズレ作るからもう少し寝させて。同じとこにいてもらわなきゃなんなくて悪いけど」

「う、ううん。そんな、気にしないで」

「もうすぐ着く?」

「うん。もう見えてる」


 答えるとデクターはしょぼしょぼさせていた目を何とか開いてそちらを見た。空はもう、はっきりと赤くなっていた。夕日は島の向こうに沈もうとしている。デクターはまた欠伸をし、左手にはめていた魔法道具――リーザの襲撃の時に電撃で狩人たちを一掃したものだ――を無意識のようにいじった。と、水夫のひとりがしくしく泣き出したのでマリアラはギョッとした。


 もしかしてマリアラが寝ている間のひと悶着で、あの威力が発揮されたりもしていたのだろうか。


 水夫たちは皆びしょ濡れだったし、あの威力だし――それは、水夫たちがあんなに必死に起こすなと言った理由も、わかるような気がする。


 デクターはしばらく考えていたが、ややして甲板を少し移動した。水夫たちの方に近づく形になったので、解いてあげるのだろうかと思ったが、デクターの目的は錨だった。一度小さくした錨を海面に向けてぽいっと放り投げ、まだ空中にあるうちに元の大きさを取り戻した錨は、盛大な水音を立てながら沈んだ。


 マリアラは内心舌を巻いた。魔力が強いと、あんな芸当もできるのか。


 船はしばらくそのまま進んだが、錨が海底に引っ掛かったらしく、やがてゆるやかに前進を止める。港まで、あとほんの一キロくらいだ。


 それからデクターは、マリアラにおいでと言い、船縁から船の外面に取り付けられた縄梯子を降りて行った。


 マリアラがのぞき込むと、彼は海面に小さな帆付きの小船を浮かべ、元の大きさに戻していた。四人乗りくらいの、ラルフが使っていたものを少し大きくしたくらいの船だ。マリアラも急いで縄梯子を降りた。先に乗り移ったデクターが手を伸ばして、乗り移るのを助けてくれる。


「……嵐にも遭わないで良かったよ」


 すぐにすいすいと船を走らせ始めたデクターが、ぽつりと言った。


 桟橋からは、数隻の船がこちらに向けてやって来始めていた。デクターは帆を操り、風を吹かせて、それらの船を迂回するように進路を調節する。マリアラは船縁のすぐ下に見える海面を眺め、この船の上で、幾晩も幾晩も夜を明かすことを考えた。


 それから言った。


「……あのね。あなたがあんなひどいことをされて、申し訳ないと思うんだけど、それでも、あの距離を移動しなければならなかったんだから……」

「んー?」

「あの船を借りてくれて良かった。この小さい船で、あの距離を往復するなんて想像したら、結構怖いもの」


「あー……」


「お金をあんなに払ったのに、その信頼を踏み倒して追いはぎに変わるなんて事態を、予想できないのは当たり前だと思うの。というか、あなたが予想できないような人で良かったと思う。だって、レストランやホテルを利用するたびに、毒を盛られるに違いない、夜中に襲われるに違いないって思って疑心暗鬼になっていたら、ぎすぎすした気持ちになるでしょう。わたし、そんなぎすぎすした人と、一緒にいるのは嫌だもの」


「……そりゃまあ」


「でしょう。あのね、わたし、言っておかなければならないことがあるの」


 マリアラはきちんと座り直した。


「あのチラシを見てからずっと、わたしは、あなたを恨んでいた」

 デクターはこちらを見て、うなずいた。「だろうね」

「でもね、今は違う。王宮で、王太子殿下といろいろお話しして……ここに残りませんかって、随分勧められたの」


「うん」


「……でもわたしは、残りたくなかった。フェルドに会えなくなってしまうから。あの、だからね。だから、今わたしがあなたと一緒にいるのは、もうあなたのせいじゃない。わたしの意志なの。わたしの立場を変えずに、もう一度フェルドに会うには、そうするのが一番の近道だと思うから。

 責務のことは、ごめん、わたし、まだ……魔物が救われたらうれしいし、そうすべきなんだと思うけど、でも、心底果たしたいかどうかと考えると……怖いし、辛い目や苦しい目に遭うのなら、それに耐えてまで頑張れるかどうかは、正直言って自信がない。大勢の人に恨まれることになるかもしれないって、王太子殿下に教えられた。もしそうなってしまうなら……だからそのうち、もしかして、あなたを、その、裏切る? ことに、なるかもしれない。責務を果たさないことを決めて、あなたと一緒に行くことをやめるかもしれない。でも、今は。フェルドに会わせてくれるんでしょう、それが、あなたの目的には、不可欠なんでしょう? だからそれまでは――」 


「もちろん」彼はまじめにうなずいた。「それだけはどんなことがあっても絶対に果たすよ。誓う」


「うん」マリアラは笑った。「だからそれまでは、わたし、自分の意志で、あなたと一緒に行く。逃げたりしない。他に道がないからと嫌々渋々ついて行くわけでもなくて、自分で、進んで、選んで、一緒に行くの。だから、信じてほしいんだ。わたしに負い目を持つのはやめて。お客様みたいに扱わないで。……魔力が使えなくなっちゃったし、もしかして、わたし、やっぱりエルカテルミナじゃないのかもしれない――」


「それはないよ」


「そう、かな。でもやっぱり、自分では、違ったのかもしれないって気持ちは捨てられないの。だから、本当は違うのにあなたを利用することになるのかなって、そこが、申し訳ない気もするんだけどね、でもね、あなたは、わたしが魔力が使えないって知っても、幸いまだ、見捨てないでくれるみたいだし――そもそも、わたしを無理やり連れ出したのはあなただもの、わたしがエルカテルミナですって名乗ったわけじゃないのにそう決めてそう扱ったのはあなただから、間違ったとしたってそれはあなたの責任だよね? わたしが申しわけなさがるのは筋違いだよね。だから、わたしも、気にしないであなたを利用する、ことにする。

 だから、わたしは、ただのマリアラとして、出来る限り、フェルドにまた会うために、努力しようと思う。さっきみたいに、あなたが寝ている間、起きていて、何かあったら起こすとか、その程度のことしかできないけど……でもわたしにできることがあれば、あなたのためじゃなくてわたしの目的のために、やるから。だから遠慮しないで、手伝ってって、言って」


「わかった」


 デクターはまじめにうなずき、マリアラはほっとした。


「よかった。ごめん、変な話して」

「変じゃないよ。正直、助かる」

「そう? ……じゃあ、もうひとつ。もやもやしたままでいるのは嫌だから、言いたいことを言っちゃうね。わたし、ひとつ、あなたに抗議したいことがある」


 話している間に、風が強まり、速度が増していた。デクターが操っているのだろう。桟橋から出港した島の船が二隻、こちらに向かって来ているからだ。彼らを振り切り、島の反対側に回って、こっそり上陸するつもりなのだろう。

 と、デクターが言った。


「あの子にケガをさせてエスメラルダから無理やり出したことは、本当に悪かったよ。知らせが来たの、あいつとエスメラルダを出る直前だったんだろ」

「ああ、それじゃない。……本当にね、あなたがラスにケガをさせなければ、今頃はフェルドと一緒にガルシアにいられたのかなあって、何度か考えたんだけど。でも今は、そういうわけにはいかなかったんだろうなって、思っているよ」


 デクターは進行方向から目を離してマリアラをちらりと見た。


「そうなのか?」

「うん。……ミランダが同じ方法でエスメラルダから出てたんだって、わかったから。【国境】を抜けて、【駅】まで箒で行って、発車直前に乗り込む。ヴァイオレットが教えてくれたんだけど、ミランダがエスメラルダから出た方法は、わたしとフェルドがガストンさんに指示されたのとそっくりだった。エルカテルミナ候補だったミランダが、あの方法で、うまく脱出できた……校長先生は、きっと悔しかっただろうね。だから、どんなことがあっても、二度目を許すとは思えない。【国境】できっと、絶対に止められてたんだろうなって。魔力が強くて殺すのが危険なフェルドはともかく、魔力の弱いわたしは、【国境】でどうなっていたかわからない。あなたがあんな手段を採ったのは、わたしたちが【国境】を利用して逃げるという事態を、一番恐れていたからなのかなって」

「……まあね」


 デクターはまた前に視線を戻し、マリアラはその横顔を見ながら続けた。


「だからわたしが文句を言いたいのは別のことだよ。……雪山で」

「雪山?」


 マリアラは微笑んだ。


「フェルドの二度目の孵化の時。……わたしは初めてだったのに。あなたは初めてじゃなかったでしょう? あんな風に詰め寄って、怒って、わたしがやらなきゃ死ぬんださあやれすぐやれって脅すのはひどいと思うの!」

「いまさらそれ……?」


 デクターは脱力し、マリアラは座り直した。


「いまさらそれですよ! 悪いですか!? あなただってマヌエルだったのに! 自分だってできるのに、保身のためにわたしだけにやらせたでしょう! だったら、あんな言い方はないと思います!」

「あんな場所で自分の正体さらすって……」

「違う、それじゃない! あんな言い方はないと思うってことです!」

「……」

「実際できたし、自分の正体を隠さなきゃいけないからわたしだけにやらせる、それは理解するけれど、でもあんな言い方はないと思うんですけど!」

「…………」

「あんな言い方は! ないと思うんです! けど!」


 デクターはくるりと振り返った。笑いをこらえている。

 そして深々と頭を下げた。


「あんな言い方はなかったです。すみませんでした」

「うん」


 マリアラは晴れ晴れと笑った。これでやっと、わだかまりもなく、遠慮も負い目もなく、同行者になれたような気がする。


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