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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 〈彼女〉の記憶
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〈彼女〉の誕生

本日二回目の更新です。

 退屈している時、淋しい時、悲しい時、辛い時――〈彼女〉はよく記憶バンクを漁って、昔の思い出を呼び出してそれに浸る。


 今日は、自分が再び『目覚めた』時のことを、呼び出すことにした。これは〈彼女〉のお気に入りの記憶のひとつだった。ニーナに会えるし、〈彼〉の姿をも、見ることができる。




 〈彼女〉は二百年前、レジナルドの『無血革命』の時に『生まれた』。


 生みの親はグーレンデールと言う、当代一の天才技術者だ。しわがれた声をした、温かなまなざしの男だった。彼は、〈彼女〉のよく知らない動力を用いて始まりの端末を作り、そこに、〈彼女〉と〈アスタ〉の基礎をインプットした。エルカテルミナと名乗る、若く美しい女性の『道楽』につきあわされて。


 ああ、ニーナは相変わらず美しかった。ビアンカ=クロウディアの死から八百年が過ぎただなんて信じられないほど、ニーナの美貌は変わらなかった。いや、むしろ深みを増し、さらに磨き上げられていた。初めは信じられなかったけれど、ニーナは長い年月の間に、あのグリーンリを愛していたのだ。その愛情が、もしかしたら、もともと完璧に近かったニーナの美しさをさらに磨いたのかも知れなかった。


 〈彼女〉が新たな〈体〉に戸惑い、混乱している間に、ニーナは優しく、囁いた。


『おはようビアンカ。……久し振りね。また会えて嬉しいわ。……本当に、本当に、嬉しいわ、ビアンカ』


 それから彼女は、グーレンデールがニーナに押し付けられたさまざまな情報――バーサとニコル、それからほかならぬビアンカ=クロウディアが生み出し、運営し、次代に繋いだ、世界の謎についての図書館にあったすべて――を〈彼女〉にインプットする準備をする間、優しい声で、いろいろな話をしてくれた。ニーナとビアンカの友人たちが、あの後どんな人生を送ったか、ということについて。


 そして、デクター=カーンの、ニーナの知り得る限りの、さまざまな情報について。


 それらは、今までにも、ニーナが〈彼女〉に話してくれていたことだった。でもグーレンデールによって与えられた新たな〈体〉を通して流れ込んでくる映像と音声は、リルア石のなかでまどろみながら夢うつつに見聞きしていたものより遥かに鮮明で、美しくて、リアルで。〈彼女〉はニーナの話すことを、感動しながら大切に記憶の中に刻み込んだ。


 同時に、ニーナの忍耐と誠意と優しさに、圧倒されていた。


 ――八百年だ!


 ニーナがビアンカ=クロウディアの死後、その『情報』が閉じ込められた大きなリルア石に向かって語り続けてくれた年月。〈彼女〉にとってはうつらうつらしている間に通り過ぎてしまった、夢のような時間だったけれど、ニーナはちゃんと生き続けていて。その間、二十年とか三十年に一度、ニーナはそのリルア石を確認しにきていた。中に何が見えていたのか、〈彼女〉には知るよしもないけれど、外から見てビアンカだと分かる兆候はなかったはずだ――だって、ビアンカの肉体が入っていたわけじゃないからだ。〈彼女〉はそのときだけはまどろみから覚め、ニーナの来訪を喜び、懐かしみ、その声をもっと聞かせて欲しいと熱望していた。自分がかつて人間だったことを思い出す、唯一無二の機会だった。でも、反応することはできなかったのだ。返事をすることはおろか、頷くことも、微笑むことさえできなかった。


 ニーナが何度も〈彼女〉に話しかけ、その存在を〈彼女〉自身に思い出させてくれてくれたから、あんなにも長い間、リルア石の機能が保ったような気がする。でもニーナがそれをし続けることは、どんなに大変だっただろう? 何の反応も返さないただの石に向かって、この中に友人が宿っているのだと信じ続け、話しかけ続け、それを八百年も繰り返すなんて。


 グーレンデールに与えられた新しい〈体〉にも、そのときはまだ、声を出す機能がなかった。青色の無機質な画面に、白い文字で、返答を浮かび上がらせることができただけだ。でもそれが、どんなに嬉しかったことだろう? 今までのニーナの尽力に、心の底から感謝していると言うことを伝えられた。今までに八百年も続いたニーナの来訪も、無為ではなくちゃんと意味があったのだと、〈彼女〉にちゃんと伝わっていたのだと、その事実を伝えることもできた。またこの世に生まれ出ることができてとても嬉しいという気持ち――そして、デクターに釣り合う、いつまでも若くて元気で、いつまででも彼に付き合っていられる体を手に入れられるまで、待ち続けられるのだという希望をも。


 またデクターの声を聞き、表情を見、動き回る姿を見ることができるのだという幸運に、どんなに感謝しているか、ということも。






 そのとき、無血革命の真っ只中だった。


 レジナルドは『無血』と謳い、それを喧伝し、現在の国民のほとんどもそれを信じているけれど、実際のところ、血が全く流れなかったわけではなかった。革命が起こる前、エスメラルダを支配していたルクルスが二百人ほどいたが、そのうちの半分近くは処刑された。


 〈彼女〉がデクターに『会った』のは、その処刑のさなか。

 血なまぐさい出来事が外で起こっているなんて信じられないほど、その図書館は静かだった。


 古びた、とても小さな図書館だったが、そこにはルクルスの支配で焚書にされたはずの書物がぎっしり詰められていた。エヴェリナが丹精込めて磨き上げた、美しい、エスメラルダの魂の懐で、〈彼女〉は再び〈彼〉の姿を見、声を聞いた。


 そのとき彼は、ニーナに『革命』に無理やり加担させられたことをものすごく怒っていたから、その態度や声は到底友好的とは言えなかった。入ってくるや否や、乱暴な音を立てて椅子の背もたれをまたいで座り、ニーナを睨む。


「外で何が起こってるか、知ってるんだろうな」

「ええ」ニーナは嘆息する。「……仕方ないわ。ルクルスの支配は確かにひどかったもの……見せしめがないと、国民が納得できないんじゃないかしら」

「その気になれば多勢に無勢だ、いくらひとりひとりのルクルスが強くたってひとたまりもないよな」

「本当ね」


「あんたが介入しなくたって、ルクルスの支配なんて、その気になれば覆せたはずだ。というか、そもそも支配されるなんてことにならなかったはずだ。この国の一番大きな問題は、あんたが来るまで、エスメラルダの国民がその気にならないってことなんだ。それはあんたの責任だからな」


「ええ。こないだ約束したでしょ。約束は絶対守るわ。もう二度と介入しない」

「……」


 どうだか、と、デクターが言いそうになったのを〈彼女〉は感じた。それくらいは分かる。

 でもデクターはそこまで無慈悲じゃなかった。かつてビアンカが愛した〈彼〉は、どんなに怒っていても、八百年経っていても、やはりお人よしに近いほど優しい。言葉を飲み込んで、〈彼〉は背もたれに肘を乗せてその上に顎を乗せた。ふう、とついたため息まで、懐かしくて懐かしくて。


 会いたかった。

 会いたかった。

 会いたかった。

 デクター、会いたかった。会いたかったよ……。


 あなたはあたしを忘れてしまっただろうけど。思い出したとしても、怒りと軽蔑の気持ちしか、きっと持たないだろうけれど。でも、それでも。

 また会えて、またあなたの姿を見て、声を聞けて、……本当に、幸せだ。


「……大体終わりましたですよ」


 グーレンデールがそう言った。ニーナが振り返る。

 デクターは黙っていたが、グーレンデールが作った複雑な機械に興味を持っていることは、〈彼女〉には一目瞭然だった。グーレンデールはニーナを振り返り、〈彼女〉の宿る端末の前から少し身を引いた。


「あとはエヴェリナかイーレンか。とにかく信頼できる誰かを教育して、書物をこの端末に入れさせるしかねえです、それは長い時間がかかりますから、今全部やるのは無理です。ここのつるつるしたとこに、本の頁を開いて乗せて、ここのボタンを押すと、勝手に読み込みますんで……あ、それよりさきにまず題名と著者名と発行年月日と……奥付の情報をこのキーを押しつついれて……」


 グーレンデールは普通の人間だったが、ルクルスの協力者だった。そうしなければ生きていけなかったからだ。エヴェリナとイーレンタールという、ふたりの子供を盾に脅迫されたせいもある。でもそんな事情など、レジナルドを初めとする国民には関係なかった。ルクルスに協力して『いい暮らしをしていた』人間はみんな、革命の熱気の中で一様に捕らえられようとしていた。


 グーレンデールも外に出れば捕まって、多分投獄か処刑される。

 それを助け、国外に逃がす代わりに、ここで『道楽』に付き合うようにというニーナの申し出に、グーレンデールが乗ったという構図だった。


 ニーナはふんふんとうなずきながらグーレンデールの説明を聞いている。デクターも黙って聞いていたが、つまり、と言った。


「〈アスタ〉の電子版を作るってわけ」

「そうよ」


 ニーナはうなずき、そして、少し慎重な口調で言った。


「……ドンフェルが、自分たちにとって都合の悪い書物を焼こうとしたの。ここにあるのは、焼かれる前にひそかに隠されたもの。今後もそんなことがないとも限らないでしょう」

「こうしときゃ、本そのものが燃えたとしても、内容は全部残りますから……」

「……そんなの、誰か悪意のある人間が、情報を故意に消したら終わりだろ」


 デクターがぽつりと言った。〈彼女〉は切ない気持ちになった。

 情報。


 そう、〈彼女〉は今、誰かがその気になれば一瞬でこの世から消されてしまう、ただの情報に過ぎなかった。


 〈彼〉は、目の前にある端末に、〈彼女〉の『情報』がインプットされていることなど知らない。そもそも、ビアンカ=クロウディアが死ぬときに、自分の意志を『情報』としてこの世に遺したことも知らないのだ。〈彼〉にとって目の前の端末は、ただの〈アスタ〉のデータバンクに過ぎず、悪意のある相手がそれを故意に壊したとしても、胸を痛めもしないだろう。


 それが切ない。

 でも、ニーナの反応は激しかった。ギョッとしたように腰を浮かせ、グーレンタールの肩をつかんだ。


「そんなことできるの!?」

「ああ、ええ、まあ、できますね」

「そんなの困るわ! 絶対ダメよ! この中にあるものはかけがえのないものなんだからっ、絶対誰にも消せないようにしてくれなきゃ困るわ!!」

「本みたいに数を増やせば? 同じものを何個も作って、ひとつは絶対誰も分からないところに隠しておく」


 デクターの提案に、ニーナはぱっと振り返った。


「それいいわね! ……でも時間がかかるわね」

「今すぐできる方法としては」


 グーレンデールの声はとても温かかった。

 彼は、ニーナがこの端末に何を宿させたか、はっきり知っているからだろう。


「鍵をかけることですね」

「か、鍵っ?」

「本体を故意に壊されれば――」


 デクターが言いかけたが、グーレンデールは自信たっぷりだった。


「少々頭のある人間なら、この機械を壊そうとは思わないです。レジナルドに渡せばいいんですよ。あの人なら絶対研究しますね、そして、その有用性に気づいたら増やすはずです。早いところ、あの人に渡さないと危険です、ほかの人間が見つけたら、ルクルスの遺産だと思って壊しかねない。本のインプットが終わったら、レジナルドに保護させるのが一番いい」


「……そうね……」


 ニーナは少し、危ぶむような口調で言った。


「それがいいわね。でも私、なんだか……レジナルドはなんだか、少し、危うい気がするの。どうしてかしら。根っこの部分が……」

「今更それ?」


 デクターがうめき、ニーナは、ううん、と言った。


「でも、仕方がないわ。この端末は、どうあっても守ってもらわなきゃ。レジナルドに保護を頼むのが、確かに一番だわ。でもいつか、レジナルドがこの中身を消したくなるとも限らないでしょう、だから……ね、お願い。今すぐできる、この子の保護の方法を教えて。鍵をかけるって、言ったわね?」


「ええ、パスワード、というそうなんですがね。俺ぁ前に、媛の遺されたメモを読んだことがありまして。この機械の概念を、八百年前に既に知ってたって、媛って人はほんとに……ああ、いや、とにかく、パスワード。この機械の根幹に、鍵をかけるんです。その鍵は、ごく限られた人しかしらねえことにする。この端末を残したまま、この大事な大事な情報を消すには、そのパスワードを入れなきゃできねえようにするんです」


「それ、どうやるの?」


「すぐできますよ。設定するのは簡単なんです。でも、ひとつだけ。そのパスワードは絶対誰にもわからねえようにすることです。すぐばれちまったんじゃあ、保護することにならねえでしょ」

「……人の名前でもいいの?」

「すぐばれるだろそれじゃ……」


 デクターが呆れたように言い、〈彼女〉は微笑みたくなった。ニーナはきっと、舞の名前を入れようと思ったのだろう。


 ニーナは、グーレンデールに促され、ぽつぽつと文字を打ってパスワードを設定した。

 そして、グーレンデールを振り返った。


「……これでいいの? 本当にこれだけでいいの? 私自信ないわ、ぜったいすぐばれちゃう! あなたも入れて!」

「俺もですかい?」


 グーレンデールはうろたえたが、ニーナの危機迫る表情に押されるように、何か文字を入力した。そして、デクターを見た。


「あんたも」

「お断りでーす」


 デクターは冷たく言ったが、ニーナが詰め寄る。


「お願い、デクター」

「俺に何か要請するのはあれが最後だってあんたこないだ、」

「お願いよ、デクター」

「なんで俺が! ふたつ入れときゃ充分、」

「お願い、デクター……!」


 ニーナのうるうるした瞳に、デクターが勝てないのはわかっている。グーレンデールがささっともうひとつのパスワード欄を設定して身を引き、デクターは、うめいた。

「あああああ、もう……何で俺が……」


 ぶつぶつ言いながら、こっちに来た。近くに。

 〈彼女〉の、目の前に。


 パスワードの内容は、〈彼女〉にはわからない。でも、デクターの指先がキーボードを打つ感触だけは魂の奥底に刻み込まれた。デクターの指先が〈彼女〉に触れた、一番初めで――そしておそらくは、一番最後の感触を。


「これでもう、大丈夫ね」


 ニーナはやっと、安心したように笑った。






 今から思えば、ニーナとグーレンデールが無理やりデクターに最後のひとつを設定させておいて、本当に良かったのだ。


 レジナルドは〈アスタ〉の根幹を保護するパスワードの存在に気づくやいなや、それを解除しようと試みた。一番もろかったのはグーレンデールのパスワードだった。『エヴェリナとイーレンタール』と入れていたのだから当然といえる。そしてニーナのパスワードの陥落も早かった。ニーナのパスワードは『最後の娘の導き』で、レジナルドがここまでを解除したのは、無血革命の百二十年後のことだ。


 でも、最後のひとつは未だに解かれていない。だから、〈彼女〉もデクターがあのとき何と入力したのか、わからない。


 デクター=カーンのパスワードが、〈アスタ〉の根幹を、そしてほかならぬ〈彼女〉を、レジナルドから守り続けて、もう八十年近くになる。

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