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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 〈彼女〉の記憶
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ライラニーナ=ラクエル・マヌエル

 ライラニーナ=ラクエル・マヌエルは、エスメラルダに来た当初、荒んだ顔をした少女だった。


 彼女がレイキアで孵化をして、まだ目覚める前にエスメラルダにかつぎ込まれた時、【魔女ビル】は騒然となったものだ。眠っていた彼女は、当時エスメラルダで普通に使われていた計測器をすべて、過負荷で壊してしまった。それからその体に刻まれていた、いくつもの無残な傷痕。


 彼女の『保護者』が日常的に、孵化を速めるための虐待を加えていたことはあまりに明白で――彼女がすっかり荒んでしまったのは仕方のないことだと、〈彼女〉は思っていたものだ。


 ところが、彼女はエスメラルダに来て数ヶ月で、すっかり変わった。


 彼女を変えたのはひとえに、ダニエル=ラクエル・マヌエルの功績と言える。――いや、変えたのではない。ダニエルは、本来のライラニーナを取り戻したのだ。


 笑顔と、賑やかなおしゃべりを取り戻したライラニーナは、ものすごく可愛い少女だった。少し時間はかかったが、スーザン=レイエル・マヌエルと出会ってからは爆発的に交友関係も広がった。特に気があったのはイェイラで、彼女たちと打ち解けてからはますます幸せそうだった。〈彼女〉はライラニーナたちを眺めるのが大好きだった。仕事もとても楽しそうだった。魔力の強さとサバサバした性格のために右巻きたちからも一目置かれ、ダニエルと組んで仕事をする姿は、いくら眺めても飽きなかった。


 ――それが。

 最近の彼女は、ここに来た時に戻ってしまったかのような、荒んだ顔をしている。


「君ともあろうものが」


 ライラニーナの前で、レジナルドは自分本来の姿に戻っていた。レジナルドがこの姿を見せるのは、ライラニーナとイーレンタールを相手にしている時だけだ。


 内心の苛立ちを努めて押し殺しているように見せつつ、レジナルドは険のある口調でライラニーナを詰っている。


「まさか仕損じるとはね。それほど難しい仕事を頼んだつもりはなかった。【炎の闇】とフェルディナントが対峙している隙にフェルディナントに抵抗できない程度の傷を負わせ、その隙に保護局員と十一歳の少女を殺害する、というだけの仕事だ。君には簡単だったはずだろう。なぜやらなかった? 情けをかけたんじゃないだろうね? 返答次第によっては――」


「狩人がフェルドをかばったの」


 ライラニーナは淡々とした口調で言い、レジナルドは目を見開く。


「【炎の闇】が? なぜ?」

「知るもんですか。あの殺人鬼があたしの奇襲に気づいて、フェルドの前に飛び出したの、だからあいつが死んだの。――奇襲が失敗したんだもの、フェルドが気づいてる状態で、あたしにそれ以上何ができると思う? 保護局員と女の子を殺すのを、フェルドが見過ごすはずないし」


「本当なのか?」


「信じないなら仕方ないわ。失敗したことは事実だもの。でもあたしはあなたを裏切らない。あたしに大事なのはダニエルだけ。他には何にもいらない。それはよく、わかっているでしょ」

「……」


 レジナルドはしばらく考えた。

 けれど、〈彼女〉には、レジナルドがこれ以上ライラニーナにペナルティを与えるわけにはいかないことがわかっていた。ライラニーナはレジナルドよりはるかに強い。もし万一、ここでライラニーナを激昂させれば、レジナルドは不死を引っ剥がされるまでもなくここであっけなく死ぬだろう。ライラニーナは意志も感情もあるエルカテルミナだ。あまりの無理難題を押し付けて、一線を越えてしまうわけにはいかない。


 ややして、レジナルドはため息をついた。


「……リン=アリエノールは口止め料を受け入れた」

「あら、よかったわね」

「まあね。寮母もメディアへ行くことを同意した。あとは子供だけだ、訓練という嘘だけで何とでもなるだろう。……僕もしばらく忙しくなる」


「そう」

「落ち着いたらまた連絡する」


「また言わせるの? あなたの顔は二度と見たくない。地獄へ落ちろ」


 真顔の呪詛に、レジナルドは薄く笑った。


「僕は死なない。残念だね。一生ずっと、君は自由になれない」

「そうね。でもあたしが死ぬ時に、どんな手を使ってでもあんたを道連れにしてやるわ」

「ダニエルの――」


 思わせ振りに言いかけたレジナルドの言葉に、ライラニーナは酷薄な笑みを見せた。


「ダニエルが死んだらあたしも死ぬ。あんたを道連れにする。何度も言わせないで。あの人に何かしたら【魔女ビル】の屋上に磔にして生きたまま八つ裂きにしてカラスの餌にしてやる」

「怖い怖い」

「よく覚えておくのね。あんたがまだ生きてるのはダニエルがこの時代に生きているからよ」


 言い捨てて、ライラニーナは部屋を出て行った。


 レジナルドは、ゆっくりと閉まった扉をしばらくの間眺めていた。


 ナイジェル校長としてこの部屋に住めるのも今日が最後だ。荷造りも片付けも終わり、副校長の声や外見のデータも〈アスタ〉から手にいれている。そろそろ出なければならない時間なのに、レジナルドは本来の姿のまま、机のわきにたたずんで、所在無げにしている。

 ややして、彼はつぶやいた。


「リン=アリエノール……」


 彼女さえ魔法道具を介して通報しなければ、レジナルドの計画は巧くいっていたはずだ。


 【炎の闇】の細胞の一片一片までひっくりかえすようにして調べたのに、【炎の闇】は何も持っていなかった。彼が持って来たのは、マリアラの髪だけだ。命じたはずの、マリアラの身柄も、〈彼〉の首も、どこにもなかった。侵入した【壁】の通気孔付近にも、【炎の闇】が辿ったであろう道筋の全てにも、手掛かりひとつなかったのだ。


 【炎の闇】が一体何をしにエスメラルダに侵入したのか、レジナルドにも〈彼女〉にも、全く分からないまま、【炎の闇】は死んでしまった。マリアラがどうなったのか、〈彼〉はまだ生きているのか、分からなくなってしまったのも、リン=アリエノールの機転のせいだ。その行為の是非はさておき、レジナルドにその名を深く印象づけたのは仕方のないことだろう。


「……覚えておこう。リン=アリエノール。……絶対に忘れるものか」


 レジナルドはつぶやく。その言葉を最後に、彼はナイジェル校長の姿を取り直して、その部屋を出て行った。


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