ダリアの見舞い(2)
ダリアはミーシャの前に回り、その顔をまじまじとのぞき込んだ。
「あーやっぱミーシャだ! 久し振りね。あたしのこと忘れちゃった~? 冷たいのねえ~」
「い、いえ、……覚えてます。お久しぶり、です……」
「ふうーん、でも」
ダリアはじろじろとミーシャを見る。
そして、ミーシャの着ている灰色の、仮魔女の制服を見て、ああ、と言った。
「ああ、そういうことね。へえーえ。マヌエルデビュー、したってわけかあ」
その言葉は軽蔑しきった嘲笑をたっぷり含んでいて、ミーシャはたじろいだ。そのかわいらしい顔が一気に羞恥に染まり、リンはミーシャが泣き出すのではないかと思った。
「失礼します!」
叫んでミーシャは逃げ出した。文字どおり、ダリアの嘲笑の前から、脱兎のごとく逃亡したのだ。
扉が閉まり、ダリアがふうっとため息をつく。リンは呆気に取られていたが、「で?」とダリアに声をかけた。
「解説、してもらってもいいですか……?」
リンの知る限り、ダリアが誰かにあんな態度を取ったことはない。ダリアは寮でも面倒見のいい、優しい姉として慕われていたのだ。
こちらを振り返ったダリアは、少し後味の悪そうな顔をしている。
「……少女寮が同じだったの」
ダリアは言いながら、ミーシャの置いていったコオミ屋の菓子折りを持ち上げ、抱えるようにして、また椅子に座った。
「一般女子寮に上がった時に別々になったんだけどね」
「ふうん」
少女寮というのは、こないだケティたちが所属していたものと同じで、八歳から十二歳までの少女が、ひとりの寮母のもとに二十人以下の家族となって生活するものだ。リンはうなずき、ダリアもうなずく。
「ミーシャはその時、なんていうかな……一番、目立たないって言うか。冴えない子だったのよね。いつも忘れられちゃうっていうか……目立たないし、顔も可愛くなくって」
「ええ? ……結構、可愛いじゃん」
「今はね。んー、なんていうかなあ……寮……って言うか、女の子の群れってさ、一度役割決まっちゃうと、それから抜け出せないってとこあるじゃない? 一度その他大勢の役になっちゃうと、もうずっとそのままっていうか……わかんないか」
「……ちょっとわかんない」
「まあ、あの子は、劇で言えばその他大勢だったのよ。頭はいいけど一番じゃない。表情が暗くて、可愛い子だなんて思ったことなかったわ。いっつもおどおどしてて、間が悪いっていうか……それでね、そういう、言葉は悪いけど、一度『底辺』に位置付けられちゃった子が、『底辺』から抜け出そうとするのって難しいのよね。ちょっと冒険してお化粧してみると、その子をよく知ってる周りがヒソヒソするでしょ……いや、実際にはしなくても、ヒソヒソされるんじゃないかって二の足踏んじゃうの」
リンはよく分からないながらも、ダリアがこういう口調で話す時にはとても重要なことを言っている、と、経験で知っていたので、黙って拝聴していた。ダリアは考えながら先を続ける。
「……それで、一度分類されたカテゴリから脱出して、違う自分になるチャンスがあるの。それが、少女寮から一般女子寮に移る時なのね。自分のことを全然知らない人だけなら、生まれつき派手なキャラだったんだって思ってもらえる。そういうのを、一般女子寮デビューって言うの」
「……へええええ」
「そりゃリンは知らないでしょうよ、生まれつき主役だったんだから。でも、あの子は……一般女子寮デビューにも失敗したのよね」
「なんで知ってんの」
「そりゃ知ってるわよ、同じ少女寮の出身、しかも相手は仮魔女よ? このダリア様がわからないわけないでしょう、孵化した時からわかってたわ。うわああのミーシャがかあ、って」
「そーなの? でも今まで言わなかったじゃない」
「……とにかくねえ、一般女子寮の時も、あの子は底辺だったのよ。同じ寮の子がまた同じ寮になったんでしょうね。それで次の『デビュー』の機会は、一般女子寮が終わる時――つまり今のあたしたちってわけだけど――でもあの子は、孵化したから。だから、二年早く、マヌエルデビューができたわけ。就職すれば、一般学生だった時の自分を知ってる人間とはほとんど付き合わなくてよくなる、だからあの子は、安心してデビューができたの。今まで人に譲ってばかりだった、でももう譲らなくてよくなったのよ。デビューってのは、今までの自分の役割を捨て、新たな役割を手にいれるってこと」
「……何かよくわかんないけど……とにかく、一般学生だったころにはできなかったおしゃれとか、態度とかを、マヌエルになってできるようになったって、こと?」
「そーそー」
その辺が、リンにはよく分からない。おしゃれしたいならすればいいのに、どうしてそうしないのだろう。
ダリアにはその心理が分かるのだろうか。リンは首をかしげる。
「随分詳しいね、ダリア」
「かく言う私が、一般女子寮デビュー組だからですね」
「え」
リンは目を丸くし、ダリアは苦笑して見せた。
「あたしね、すっごく太ってたの。十二歳まで、髪も短くてね、着られる服がないから、いっつもTシャツ。ニキビがひどくて蓄膿もちで、成績も悪くて、もうコンプレックスの固まり」
「……誰の話?」
「あたしのよ。少女寮にいたころ、あたしはこの世で一番あたしが嫌いだったわ。自分はお洒落する価値がないんだ、あたしみたいなブスでデブな子は、きれいになる努力なんてしちゃいけないんだって思ってたのよ。そういう努力を他の子に知られたらバカにされる、ううん、それどころか攻撃されるって思い込んでた。
それで、一念発起して、一般女子寮に移るちょっと前から必死でダイエットした。他の子にばれないようにこっそりとね。寮母さんに頼み込んで、少女寮から一番離れた、今の女子寮に入れるようにしてもらった。だーれも自分を知らない場所で、あたしは一からやり直したの。大嫌いだった自分を捨てて、研究して、追求して、今の自分を手にいれた」
ダリアは照れ臭そうに笑う。
「もともとの顔が美人じゃないから、毎日毎日鏡の前で、そりゃあ熱心に研究したわよ。どうやれば一番可愛く見えるか? どんな服が一番あたしを引き立ててくれるか? って。……あたしは、そうやって、生まれ変わった。だからミーシャの気持ちも分かるのよね」
ダリアはしみじみとした口調で言った。
「『デビュー』ってさ。バカバカしいでしょ、リン」
真っすぐに問われ、リンはたじろぐ。
「そ……そんなことないよ……」
「でもリンには必要ないでしょ。リンは生まれつき美人で可愛くて性格も華やかで、何にもしなくても主役だったから。そもそも、底辺とか主役とか、ランクをつけて区別する自分が、一番愚かなんだって、あたしは生まれつき知ってたわ。愚かでバカバカしいって、自分が一番知っていながら、でもやめられなかった。……あの頃はね。ミーシャもそうだったのよ。あの子はあたしよりひどかった。孵化するつい最近まで、ずっとずっと、デビューなんてばかばかしい、でもいつかどうにかして今の自分を捨てたいって、思いながら生きてきたのよ。それで、晴れて孵化して、デビューしたのね。あの子の場合外見はそれほど変わってないけど。……デビューした人間にとって一番の脅威は」ダリアは微笑んだ。「かつての自分を知る人間よ。あの子、あたしを見てぎくってしたでしょ」
「ちょっと待って」リンは手を挙げる。「少女寮の時のダリアが別人みたいだったんなら、ミーシャがダリアを見てすぐわかったのはどうして?」
「あたしが反省したからね」ダリアは苦笑する。「学校でさあ、少女寮時代の仲間に会うことってあるじゃない。そうすると、みんなで集まってお茶でもしようよって話になるじゃない? それが嫌だったんだけど、何年か前に心境の変化があってさ、避けるのをやめたのね。そしたらみんな、あたしの外見が全然違うってびっくりするでしょ、それで吹聴したの。新しい女子寮でおせっかいなリン=アリエノールって友人にスポーツやらされて、やってみたら楽しくて、気が付いたら痩せてたってね」
「……なんであたしなのよ」
「心境の変化をあたしにもたらしたのはリンだからよ」
「……」リンは目を丸くする。「あたしが?」
「そーよ。リンって美人で華やかで、あたしが昔崇拝して嫉妬してた少女寮の主役よりずっとランクが上だったの。でも、リンって……ちやほやもされるけど、ごめん、敵も多いじゃない」
「多いっていうか。少女寮時代はそれこそ敵ばっかりだったよ」
「だよね。それで、リンを崇拝する男の子ばっかりじゃなくて、嫌いな男の子もいて、そういう子には何にもしてないのにものすごく嫌われちゃうんだって知って、目から鱗だったのよ。外見や成績がすべてを決めるわけじゃない。結局、どういうふうにふるまうかを決めるのは自分だったんだってわかった。あたしは周りから底辺に押し込められていたんじゃなくて、自分で勝手に閉じこもっていたんだなって。太ってたって、お洒落して悪いわけないし、お洒落でかわいいぽっちゃりちゃんだって世の中には五万といるじゃない? リンだって主役らしくふるまってるわけじゃなくて、ただ自然に、そうなっていたんだなって……あたしが『底辺』だって決めつけていた子たちも、それを恥じて甘んじているわけじゃなくて、ただ単に……主役になりたいって思ってるわけじゃないのかもしれないって、気づいたのよね。必死で主役にならなくても、全然構わないんだなって。それでぱあっと世界が晴れたような気がして。嬉しかったなあ」
「そうなんだ」
「うん、だから、少女寮時代の仲間に会うのも怖くなくなったの。何度か同窓会みたいなのやってて、ミーシャも何度か出てたから。あんまり話したこともなかったけど」
「ふうん……その頃のミーシャは……」
「デビュー前だもん、おとなしくって、目立たなかったわ。だから、仮魔女の登録リストの写真見た時に、ピンときたの。ああマヌエルデビューしたのかあって。ミーシャもずっと、平気な顔して、今までの自分に耐えてたんだなあって、さ」
ダリアの口調はミーシャへの同情であふれていて、リンはなんだかむっとする。だからといって、ミーシャがマリアラの居場所を横取りしていいってことにはならないはずだ。リンの表情を見て、ダリアは居住まいを正した。
「でもね、今日のは見過ごせなかった。あたしだって、マリアラの友達だもの」
真摯な口調に、リンも居住まいをただした。「……うん」
「あのね、さっき、昔のあたしの話をしたでしょ。その話、マリアラに、前に話したの。リンが受験勉強で必死になってた時」
「そう……なの?」
「うん、ちょっと色々あって。あの子……の事情は、あの子から直接、聞いて欲しいんだけど……。でも……」
ダリアは唇を噛んだ。
「逆境の中でも、自分にできることを必死で探して、自分の居場所を勝ち取ろうと……あの子がどんなに頑張っていたかを知ってるから。だから悔しい。その場所がちょっと空いたからって、横取りしようとするなんて」
「うん、うん」
「マリアラだって、空けたくて空けたんじゃないはずよ。のっぴきならぬ理由があったんだって、マリアラを知ってる人間なら、絶対わかるはずなのに。何にも知らないくせに、横からぴょっと出てきて、条件が合うからってその座に座ってのさばるなんて、許せるわけないじゃない!」
「うん、うん!」
「……と言っても、あたしたちにできることなんてほとんどないんだけど。お見舞いにきたところを捕まえて、ネチネチ虐めるくらいが関の山だわ。情けない」
そう言ってダリアは立ち上がった。時計を見て、ため息を一つ。
「そろそろ行かなきゃ。……ねえリン」
「うん?」
振り返ったダリアは、ひどく真剣な顔をしていた。
「……ひとつ気になったんだけどさ」
「うん」
「あの子、マリアラのこと知ってるわよ」
リンは目をパチパチさせた。
「そりゃ……そうでしょ? フェルドの相棒なんだから。官報で調べたって、」
「違う。その前から知ってるはずよ」
ダリアは少し、困った顔をする。
「だってあの子、歴史学専攻だったのよ」
「ああ……でも専攻が同じだって、二学年も下なんだし……」
「もー何言ってんのよ」ダリアはため息をつく。「相手はマリアラ=ガーフィールドよ? めっちゃ優等生だったでしょ? 専攻違うあたしですら名前聞いたことあったくらいよ。モーガン先生ってすっごい人気だったのよ、すっごい倍率だったのよ! 学年が違うからって、史学専攻の人間が知らないわけないでしょ!」
そういうもの? と聞こうとして、あんまり間抜けな気がして口をつぐんだ。ダリアは危ぶむような目でリンを見ている。
「でもあの子、マリアラを知ってるような素振りじゃなかったでしょ。フェルディナントの相棒だから調べて初めて知りましたって感じだったじゃない。……それがちょっと気になったの。それだけ」
「……」
何が問題なのか分からないリンを見て、ダリアはまたため息をついた。
「……はああ……あたしってほんっと、汚れた人間なんだって気がするわ……」
「そんなことないよ! ダリアはいい奴だよ」
「はいはい、そーね。どーもありがと」
投げやりに言って、ダリアは、ずっと抱えていたコオミ屋の菓子折りをぽいっとリンに放り、笑った。
「早く元気になってね、リン。マリアラが帰って来たら、コオミ屋でお茶しよ?」
「うん、もちろん」
リンは微笑み、ダリアも微笑む。その微笑みを見て、リンは、ダリアも知ったのだろうか、と思った。
昨日までアナカルディアにいたダリアは、マリアラのあのチラシを、見たのではないだろうか。
ダリアが帰った後、リンは、ダリアが持ってきてくれた本を見た。
ラングーン=キースの書いた、現代のマヌエルを取り巻くさまざまな情勢について紹介する入門書だ。保護局員としての仕事に必要だろうからと、選んでくれたのだろうか。
正直なところ、今までにもらったお見舞いの中で一番嬉しかった。お花やお菓子はたくさんもらって、もちろん嬉しかったが、リンの仕事に役に立つものを持ってきてくれたのはダリアだけだったから。
配属されて数日で、何日間も入院して時間をロスしなければならなかった悔しさを、ダリアはきっと分かってくれていたのだろう。
とてもダリアらしいお見舞いだ、と、リンは思った。




