間話 海辺の街(2)
謎の二人は駅に向かっている。
後をつけていきながらフランチェスカはそう悟った。イクスが今朝通った道をそのまま戻っている。二人は地図を見ながら、きょろきょろしながら進むので、異様な風体と相まって非常に目立っている。おかげでフランチェスカはありがたかった。猫らしく物陰に隠れながら後をつけていっても、イクスと違って、見失う心配がない。
駅につくと、ちょうど、大陸鉄道が入ってくるところだった。
おそらくあれにリーザが乗っているのだろうとフランチェスカは考えた。ジレッドは相当疲れているようだった、もし時間に余裕があったなら、イクスを探す前にホテルに行ったに違いない。
駅は大勢の人で賑わっていた。そろそろ通勤時間のピークは終わる頃だが、さすがはアナカルシスでも有数の都会である。フランチェスカは駅員の目をかいくぐって謎の二人を追いかけた。あの二人は列車に乗って、どこへいくつもりなのだろう。〈水鏡〉はどこにあるのだろうか。
大陸鉄道はここが終点だ。列車から降りた人間たちが、まるで鉄砲水のように改札口に押し寄せる。謎の二人は改札を通らず、二手に分かれて、その人の波をやり過ごした。フランチェスカの近くにいる一人は、人の流れを見ながら、胸元を探って小さなものを取り出した。――ぽん。という音とともにそこに現れたのは、巨大なキャリーケースだ。
何を出すのだろう。
好奇心にかられてもう少し近づく。キャリーケースの中から男が握り出したものは小さすぎてよく見えない。人の奔流は数分も続いたが、ようやく少しおさまってきた――と、人がだいぶ出て行って少し空いたスペースに、数人に囲まれた、華奢な女性の姿が見えた。
帽子を目深に被っているが、リーザ=エルランス・アナカルシスに違いない。
想像よりもちょっと小柄に見えた。お姫様という肩書きが信じられないほど普通の女性だ。両脇に女性が二人、背後に男性が3人、先頭に男性が2人、合計で7人もの警備員に囲まれている。おそらくそれ以外にも、少し離れたところに警備員が配置されているだろう。ジレッドは一体どうやって彼女を逃すつもりなのだろうとフランチェスカは考えた。ガルシアにも、御曹司とリーザの婚姻を邪魔したい勢力がいるそうで、彼らと手を組むつもりらしいが――と。
謎の男が動いた。
手に、手榴弾を持っていた。
――手榴弾?
と考えた時にはピンが抜かれた。投げられたそれは、リーザから少し離れた場所に落ちた。しゅうっ――耳鳴り。直後に爆発が起き、フランチェスカは、ピンの抜かれる音を続けて聞いた。どん。現実味のない音が響く。破壊と崩壊の音だ。
悲鳴が上がっていた。手榴弾は今度は、今し方改札を出て行ったばかりの人々の背後に落ちたのだ。地響き。振動。怒号が上がり、次々にピンが抜かれる。謎の男が持つキャリーケースの中には、小さく縮められた手榴弾が入っていたのだ。あの中に小さく縮めた手榴弾がぎっしり詰まっているのだとしたら、その数、数百個では効かないだろう。
爆音が空気を裂き、振動が全身を揺さぶる。巨大な駅舎の柱が崩れて地響きをあげ、フランチェスカはその陰に走り込んだ。
ずずず。
破壊の音を足裏で感じる。爆発はまだ続いている。リーザとその警備の者たちが地面に伏せ、その上に瓦礫が落ちているのが見える。あの謎の2人は、リーザを殺すつもりだったのだろうか。
やがて、爆発がついに止まる時がきた。
サイレンが、遠くから近づいてくるのが聞こえていた。フランチェスカは柱の陰からそっと鼻を突き出した。硝煙の匂いがあたりに立ち込め、周囲は、本当に酷い有様だった。駅舎の柱が崩れ、天井が斜めにかしいでいた。謎の男2人の近くだけ壊れずに残っている。駅員や乗客たちがそちこちで倒れている。うめき声。泣き声。瓦礫からぱらぱらと、細かなかけらが落ちる音。ぱき、じゃり、と音が鳴った。あの男たちが、動き出したのだ。
改札を抜け、男たちは、地面に伏せたリーザたちに近づいていく。リーザの上に覆い被さっていた警備員が伏せたまま銃を構え「動くな!」と叫んだ、が、その声がまだ口の中に残るうちに、その額に黒々とした穴が空いた。「え――」警備員の女が声をあげた。謎の男は近づいて行きながら今度はその女を撃った。ばあん、耳をつんざくような音が遅れて聞こえた。振動で駅舎がまた崩れ、サイレンの音が大きくなった。
男たちは警備員を次々に撃っていた。フランチェスカは唖然としてそれを見ていた。無慈悲というよりも、あまりにも無造作な動きだった。
やがて動くものがいなくなり、男は、積み重なって倒れている死体に手をかけた。ぐい、とばかりに死体を持ち上げ、ごろんと傍にどかす。と、うめき声が聞こえた。撃たれた警備員の下で、生きているものがいる。
リーザだ。
『やりすぎたな』
謎の男が言った。アナカルシス語ではないようだった。リーザは動く様子がない。うめき声は上げたが、意識がないのかもしれない。男は最後の警備員を転がし、下から出てきたリーザの口元に手を当てた。
『よかった、死んでない』
男はほっとしたようにそう言い、かがみ込み、リーザの体を肩の上に担ぎ上げた。
体格はそれほど良いわけではないのに、かなり屈強な力の持ち主のようだった。リーザの体を軽々と担いで澱みない足取りで瓦礫を踏んで歩き出す。駅舎を出ようとしている。外はかなり騒がしかった。『急がねば』リーザを担いだ男がそう言い、キャリーケースを回収していたもう1人の男が『狙撃は防ぎようがないからな』と答えた。短い会話はすぐに終わり、2人はざくざくと瓦礫を踏んで歩き出す。
この男たちは、リーザを拐かしにきたのだ。
フランチェスカは遅ればせながらそう悟った。ジレッドたちと同じ目的だったというわけだ。ガルシアにもリーザと御曹司の婚姻を邪魔したい勢力がいると聞いたが、その人間たちだろうか。いや、ジレッドたちは、リーザがギュンターの庇護下に入るまで、行動を起こす気がなさそうだった。ということは全く別の勢力なのだろうか。
2人は歩き出した。キャリーケースを引きずる男が前、リーザを担いだ男が後ろ。ふぁんふぁんふぁん、とけたたましいサイレンの音が近づいてくる。2人は足を早め、駅舎から出た。警察も軍も救急車も消防車もまだ到着しておらず、駅舎の前の広場は、先ほどとは打って変わって静まり返っていた。こんなにサイレンが鳴っているのに静かに感じるのが不思議でならない。
崩れた瓦礫の下や地面に大勢の人間が倒れていた。動けるものは、みんな逃げ散った後だった。向かってくるサイレンは一つだけで、謎の2人は、サイレンを嫌うそぶりすらなかった。ビーチを歩いていた時とほとんど変わらないような足取りで、遠巻きにする人々の視線を横切って歩いていく。
やがてサイレンの主が姿を現した。
真っ赤な回転灯をきらめかせたパトカーだった。
運転していたのは1人の男だ。その男を見た瞬間フランチェスカは足を早めた。謎の2人によく似た印象を持つ男だった。仲間がもう1人にいたに違いない。
男2人は走り出し、パトカーに飛び乗った。フランチェスカは危ういところで間一髪、間に合った。車の下に走り込み、そこに縦横無尽に走る金属のパイプに飛びついた。逆さまになってぶら下がり、隙間に体をねじり込ませる。まだ後ろ足がパイプに乗らないうちに、パトカーはタイヤを唸らせて走り出した。その時にはサイレンを鳴らしながら他のパトカーがこちらに向かってきていたが、銃撃戦にもならなかった。タイヤを軋らせて彼らを乗せた車は走り、ジグザグに曲がって逃走した。
フランチェスカの視界には車の裏側の複雑怪奇な仕組みと、ものすごい勢いで走るアスファルトしか見えなかった。けれどこの車がどこに向かっているのかはすぐにわかった。海だ。
ジレッドとベルトランを乗せたような副業をしている漁師が、きっと彼らを乗せるのだろう。フランチェスカはちょっとげんなりした。めちゃくちゃに走る車に何とかしがみついた挙句に、今度は船にまで、必死でしがみつかなければならないのか。
けれど〈水鏡〉をマリアラより先に見つけるためには致し方ないことだ。全くもう、フランチェスカの〈右〉は、一体どこで道草を食っているのだろうか。〈右〉さえいれば、フランチェスカがこうまで汗水垂らさなくても良いというのに。




