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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の再会
638/783

〈彼女〉

  *




 十月にもなると日の出も遅い。七時半を回ってようやく昇った朝日を見ながら、レジナルドは朝食を食べている。


 ――よくも食べられるものだ。


 〈彼女〉はその健啖ぶりに辟易する。レジナルドがこの不老を手に入れたのは十八の時だから、校長がひとりだけでくつろいでいるときにこの部屋の椅子に座っているのは、ナイジェル校長とは似ても似つかない美貌の若者だ。


 外見だけはとても綺麗だと、認めないわけにはいかない。

 透きとおりそうに真っ白な肌、切れ長の目。玲瓏、という言葉がぴったりな、彫刻のように整った、妖精のように儚げな美しい顔。


 ――もしこの人が初代校長としてその責を全うし、寿命が尽きその生涯を終えていたなら、肖像画や銅像が山のように作られただろう。


 戯曲や詩もおびただしい量作られたはずだ。エヴェリナとの恋の話もあることだし、派手な題材もいくつもある。〈彼女〉だってレジナルドに、いい思い出ばかり持ち続けただろう。祖国を救った英雄として、その名を長く覚えていただろうに。


 山のような朝食を、十八歳の健康な若者らしくぺろりと平らげ、レジナルドは満足の吐息を吐いた。食器を回収ボックスに入れ、手と顔を洗い、ストレッチなどして体をほぐす。いつもと全く変わらない、彼の日課だ。


 ――どうして変えずにいられるんだ!


 〈彼女〉は痛ましい事件を起こしている【炎の闇】本人よりも、レジナルドの方に憎悪を感じる。報告は引っ切りなしに届いている。未成年の新人保護局員と二十代の寮母、十二歳以下の子供が十五人も拉致監禁されていることも、その要求も、食事や差し入れを一切断られたことも、八時までに要求が飲まれなければ子供をひとり殺すという無慈悲な宣告も、レジナルドはすべてを知っていて、タイムリミットまであと五分を切っているというのに、平気な顔をしてストレッチだなんて。本当に、この人は変わってしまったのだと思う。長い年月を生きるうち、人に共感するということを捨ててきてしまったのだ。


 机の上の無線機が鳴った。変声器をセットしてから、レジナルドが取る。


「もしもし。……どうだ」


 報告の言葉は聞こえない。〈彼女〉がいくら耳をこらしても、〈アスタ〉を通さない通話の盗み聞きは無理だ。


「窓は開かないのか。カーテンも? ……そうか。さすがに用心深いな。……駄目だ。セレモニーの第三ステージのすぐそばだぞ。窓を壊したら目立つ。玄関から回れないのか」


 これが救出のための相談なら、と〈彼女〉は思わずにはいられない。

 救出のための突入を指示しているなら、……どんなに。


「ひとりも逃すなよ。とくに寮母だ」


 ――この人でなし……!


「玄関に? ……フェリクスが? 今日は非番か……ガストンの指示じゃないのか。違う? ガストンは出してないだろうな。ああ……保護局員の個人的なつながりなのか。ふうん。なんとかして退かせ。突入部隊に組み込むとか……もちろん中へは入れるな。外に情報を漏らさないように監視しろ。よし。頼むぞ」

 無線機をおき、レジナルドは時計を見た。……ちょうど八時。


「【炎の闇】が全員殺してくれれば助かるんだが……」


 この人でなし、と、もう一度〈彼女〉は思った。





 だいたいどうして、【炎の闇】はこの事件を起こしたのだろう。


 〈彼女〉はもちろん、トールが【炎の闇】に何を命じたか知っている。それが心配でたまらない。【炎の闇】の行動は全く理解不能だけれど、レジナルドはどうやら、【炎の闇】は新しい雇い主を試そうとしている、と、考えているらしい。レジナルドの中で、【炎の闇】は既に任務を終えている。そのお披露目をするために、こうして侵入し派手な事件を起こしたのではないかと。レジナルドが本気で【炎の闇】を雇う気があるのか、事件を起こしても守る気があるのかを、見極めるつもりなのだと、レジナルドは考えている。

 グールドの出方次第では、グールドも殺されることになるだろう。レジナルドはそれを探ろうとしている段階だ。しかし、とにかく、セレモニーが終わらないと大々的に動けない。


 ――だからレジナルドは上機嫌なのだ。


 唯一残ったレジナルドの天敵――レジナルドから不死を引っ剥がす能力を持った、最後の彫師が、〈彼〉が、既にこの世にいないはずだと、……思い込んでいるからだ。


 ――生きていて。


 〈彼女〉は祈る。


 ――死なないで。


 こんなに長い間ひとりで頑張ってきた〈彼〉が、ことここに至って、志し半ばで〈彼女〉を置いて逝っただなんて。一度感じた絶望から救われた今になって、またあの恐ろしい絶望に叩き落とされることになったら。考えるだけで恐ろしい。

 胸を持たない〈彼女〉は、焦燥と心配がじりじりと胸を焼く、確かな苦しみに苛まれ続けていた。






 十分ほど経った。


 〈彼女〉はやきもきしていたが、情報が全く入ってこないので、何もできずにただ無為に時間が過ぎるのを見ているしかなかった。その時、机の上の無線機が鳴った。レジナルドは歯を磨いていたが、ゆうゆうと口を漱いでから無線機を取った。


「どうし……何だ? どうした……ニュースだと?」レジナルドは上を見上げ、「〈アスタ〉、ニュースをつけてくれ」と言った。そしてまた無線機に耳を傾ける。

「何だと!? どこから漏れた! あの番号からの発信は遮断したはずだろう! フェリクスを見張ってなか……違うだと!? じゃあどこから漏れた!?」


 〈彼女〉は〈アスタ〉がつけたスクリーンに映る映像に目を奪われていた。


 前夜祭でにぎわっていたあのステージが映っていた。生中継らしい。恐らく第三ステージで行われる催しを中継するために準備をしていた放送クルーだ。映像がぐらっと揺れ、少し上に固定された。リン=アリエノールの勤務している、保護局資料保管室の窓が映った。


 カーテンは固く閉ざされている。アナウンサーの沈鬱な声が流れた。


『この晴れやかな記念セレモニーの日に、悪いニュースをお伝えしなければなりません。ただ今入った情報によりますと、現在、殺人犯による人質籠城事件が発生しているとのことです。繰り返します。殺人犯による人質籠城事件が進行中。現在映っておりますあの窓の中に、八歳から十二歳の少女十五名、寮母一名、保護局員一名を人質にし、元狩人【炎の――【炎の闇】。繰り返します。【炎の闇】グールドが、少女十五名、寮母一名、保護局員一名を人質にして籠城しているとの情報です。保護局員は十月に入局したばかりの新人であり未成年であるという――』


『しかしリザードさん』新たな声が割り込んだ。『【炎の闇】は処刑されたはずでは。いたずらじゃないんですか?』

「放送をやめさせろ」レジナルドが低い声で無線機に命じた。「今ならいたずらで片付けられる。放送局規定七条二項を根拠にして強制的に放送をやめさせろ」


 その時だった。

 少女達のか細い泣き声が、いきなりニュース映像にかぶせられた。先ほどいたずらじゃないのかと言ったアナウンサーの声が息を飲んだ。


『この声は――』

『通報は、人質となっている保護局員の魔法道具を通してなされました。これは今現在もオンになっている魔法道具から流れてくる音声をそのまま放送しています』

『魔法道具。そんな魔法道具があるんですか』

『市販されているものではなく。空島のグレゴリー=リズエル・シフト・マヌエルが、人質となっている保護局員に以前プレゼントしたものだそうで……』

『やめて! やめてええ! もうやめてえっ』


 半狂乱の少女の声が突然叫んだ。

 その時、あの【炎の闇】の声が、確かに聞こえた。


『時間だよ、ミレーヌ。トイレは済んだかな?』

『どうしてよ……どうして誰も助けに来てくれないのよおお! いやだ、やだあっ、死にたくないよおおぉ』

『はーいいい子いい子ー。こっちにおいでえー』

『やだやだ、やだあああああ』

『は、犯人の要求はっ』


 アナウンサーの声が慌て、リザードと呼ばれた男の声がはっきりと宣言した。


『フェルディナント=ラクエル・マヌエルを寄越すこと、だそうです。フェルディナント=ラクエル・マヌエルが来れば、子供たちを解放すると』

『殺人犯の言うことを真に受けるわけには――』

『しかし』

『わあああああああああああああっ』


 少女の悲鳴が会話をかき消し、ふたりのアナウンサーが喚いた。


『まさか実行』

『そんな馬鹿なっ』

『警備隊は! 警備隊は何をしてるんだ!』


 にわかに騒然となった。何か言い交わす声、走り回る声、矢継ぎ早に指示を出す声。少しして落ちた空隙の後、アナウンサーが言った。


『フェルディナント=ラクエル・マヌエルというのは――』

『十九歳のラクエルで――今までにグールドと接触はなかったと――』

『今は外国にいるという情報が、』

『違います』


 ジェイドの声だった。画面が動いて、ジェイドが映った。制服を着ていたが、とてもふだんどおりにかっちりしているとは言い難かった。ジェイドの顔は、ひどく青ざめていて、目が血走っている。本当にジェイドだろうかと思うくらいだ。


『俺もラクエルで。友人なので、何度か、〈アスタ〉に聞いたんです、フェルドはどこにいるのかって。〈アスタ〉はいつも、エスメラルダにいて、違う仕事をしてるって言いました。マリアラという相棒はガルシアに行っていますが、フェルドはエスメラルダにいるはずです、〈アスタ〉がそう――』


 レジナルドが無線機を置いた。扉がノックされたのだ。

 レジナルドの玲瓏な顔からは、余裕が失せていた。顔色が青ざめ、唇が神経質に小刻みに震えていた。


「少し待ってくれ」


 変声器を通して言い、あっと言う間にナイジェル校長の姿に変わる。鏡を見て、レジナルドはうめいた。


「どうぞ」


 入って来たのはリスナ=ヘイトス室長だった。入り口で一礼し、ヘイトス室長は落ち着いた声で言った。


「【魔女ビル】の受付窓口がパンク寸前です。フェルディナントはどこにいるのか、本当に外国にいるのか、問い合わせが殺到しています」

「……」

「当番の事務方だけでは対応しきれません。玄関に」

『また三十分後。今度はケティの番だよ』


 【炎の闇】の優しい声が、やけにはっきりと、ニュースから流れ出た。


「……玄関にも人が、何人も押しかけています。いかにマヌエルを保護することがエスメラルダの法律に盛り込まれているからと言って――限度があるのではないかと」


『新しい情報です。連絡の取れない少女寮が確かに存在しています。ラルク地区の少女寮十五番。この地区の前夜祭に遊びに行くという報告を最後に、まだ朝の定時連絡がないとのことで――』

『ミレーヌ、ケティ、という名前の少女も、在籍しています。いたずらなどではありません、これは現実に進行中の事件で』


「……わかった」


 レジナルドは怒りに震える声で言った。


「フェルディナントを出せ。……私も行く」


 ヘイトス室長が一礼し、退出した。




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