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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の失踪
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間話 王太子秘書マルゴットの苦悩

 牢獄は、いつも暗い。

 静けさのためか、それともここがどこだかいつも考えてしまうからか。光量は充分あるはずなのに、マルゴットは、いつも光を灯したい気分に駆られる。


 ここに来るのは嫌いだった。

 かつての同僚が投獄されている姿をみるのは、もっと嫌いだ。

 さらに、エスメラルダの得体の知れない小さな殺し屋と一緒にいるのは――もっともっと、嫌いだ。寒気がする。



 【炎の闇】グールド=ヘンリヴェントは、いつも違う場所を見ている。


 舌を噛まないように口に器具をはめられ、喉を絞めないように腕を固定され、万一にも逃げられないよう足を固定され。ベッドに寝かされているその姿は、何だかもう人間には見えない。南の方にかつてあったらしい、ミイラ――とかいう、埋葬? の方法に似ている。こうしないと発信機を取り出そうとして自らを傷つけ続けるのだと、警護の担当官が言っていた。まるでこの措置が、むしろ人道的なものなのだと言わんばかりの言い方に、マルゴットは違和感を覚えずにはいられない。


 ならばいっそ、もう殺せばいいのに。


 そう主張したら、なんて残忍な、と言われそうだけれど。でもグールドにとっては、こんな姿で生かされている方がよほど残酷ではないだろうか。だって、死にたがっているのだ。体中をはいずり回る人工的な何かに絶望して、全身を傷つけずにはいられないのだ。


 なのに殺してやらず、発信機をとってやることもしない。ただただ栄養を与え、命を保たせ続けているだけ。何のためにだろうと、考えずにはいられない。


 グールドほどの殺し屋を、みすみす殺すのは惜しいと、誰かが考えているからではないのか。そう、考えずにはいられない。




 エスメラルダの小さな殺し屋は、鉄格子越しに、何の感慨も浮かばない瞳でグールドを見ていた。

 本当に、見た目は小さな、かわいらしい子供にしか見えない。


 マルゴットは身震いをこらえる。でもこの子は、この外見で、無抵抗のイェイラ=レイエル・マヌエルを殺した。この顔で、この小さな手で、左巻きの魔女を殺した。狩人よりもっと残酷に。〈毒〉さえ使わないで。一瞬で、頸椎を折ったのだ。あの美しい魔女の無残な死にざま。思い出すだけで胃の辺りが重くなる。


『【炎の闇】グールド』


 トールが、声をかけた。

 グールドは反応しない。何も聞こえないかのようだ。口を固定されているから、時折たらりと涎が垂れる。精神が壊れてしまったかのようなその姿は、かつての人懐っこい快活さを知っているマルゴットの胸を痛める。


『話があります。その発信器を、取ってあげましょう』


 トールが言い、グールドが動いた。

 赤い瞳がこちらを向いた。その瞳に宿るのは、紛れも無い知性の光だ。


「う――……」


 唸り声と共に涎が垂れ、トールはうなずいた。マルゴットを見、


『口のあの器具を、取ってもらえますか。責任は、僕が取りますから』

「……はい」

『舌を噛んだりしませんよね』トールはグールドに言う。『生きたいですよね? 生き物なんですから』


 牢に入り、グールドに近づいた。グールドは今までの無気力さが嘘のように、マルゴットがやりやすいように首をもたげさえした。鍵を使って器具を外すと、グールドは長々とため息を吐いた。


「はあ――ああ、すっきりした。ありがとね、マルゴット」


 皮肉だろうかと思わずにはいられない。「……いえ」


「なんかおまえ、見た目変わったねえ」


 グールドはまっすぐにトールを見た。首をかしげて、


「そんな顔だっけ? こないだ会った時」

『初対面ですが』

「ええー? 忘れるわけないでしょ? あんなに刺してやったのに」


『おしゃべりしにきたわけじゃないんです』トールはさっさと話を変えた。『取引にきました。報酬は先程言ったとおり、発信器の除去と自由の保障』

「ふうん」グールドはニヤリと笑う。「自由にしてくれんの?」

『はい。それから活動費としてダルシウス金貨三百枚分の現金』


「大盤振る舞いだねえ」


『それから――今後も狩人の組織でやってきたのと同じ活動を保証します』

「なあるほど」グールドはくすくす笑う。「おまえの持ち主にとって邪魔な人間を僕に殺させてくれるってわけだ。狩人と同じって事は――生活の保証、活動費の支給、成功報酬の確約と、捕まっても処刑される前に助けてくれるってこと」

『そのとおりです』


「いい話じゃん。詳しく聞かせてよ」


『あなたの勘を見込んで』淡々とトールは言う。『捕まえてほしい人間がひとり、殺してほしい人間がひとり』

「ふうん。誰?」

『こないだあなたはやすやすとそのふたりを見つけました。今度も見つけてくれると期待しています。マリアラ=ラクエル・マヌエルと、元狩人の役付き、【風の骨】ウィナロフ。マリアラは殺さないでください。肉体の損傷は問いませんが、命のある状態でつれてきてもらう必要があります』


「それで、【風の骨】は――」


『必ず殺してほしいんです。証拠として、耳とか指とかだけではなく、首を提出してください』

「それはまた」グールドは興味津々、というように訊ねた。「ずいぶん過激だね。よっぽどの恨みがあるんだ」

『それは僕の知るところではありません。……引き受けてくれますよね? あなたも【風の骨】に恨みがあるはず。マリアラにだって、発信器を除去してくれるように、腹を切り裂いてまで頼んだのに』

「……確かにねえ」


 グールドは幸せそうな顔をした。

 ほとんど恍惚としたその表情に、マルゴットは寒気を覚えた。


 【風の骨】を殺し、マリアラ=ラクエル・マヌエルを捕らえることを想像しているのだろうか。当のそのふたりが、ここから数キロも離れていない場所で、王太子に守られてくつろいでいることを知ったなら、あの離宮にさえ忍び込んで目的を達成するだろう。そんな予感じみた考えに襲われる。


 大丈夫だ。

 自分に言い聞かせなければならなかった。


 大丈夫だ。グールドを自由にするタイミングは王太子が決められる。あのふたりが無事にウルクディアを、その不思議な【扉】とやらを使って出た後にグールドを釈放すれば、グールドに追いかけるすべはない。


 マルゴットにとって、王太子に求婚され、さらにそれを拒絶したあのちっぽけな小娘など、絶対に許し難い存在である。けれど、グールドに追い回され傷つけられエスメラルダに引き渡される恐怖を味わえばいいとまで思うほどには、マルゴットは非情ではなかった。


「発信器って、いつ取ってくれんの」

『マリアラ=ラクエル・マヌエルの身柄及び【風の骨】の首と引き換えです』

「ええー。これがあるとさあ、勘がうまく働かないんだよね」

『その状態で、こないだちゃんと見つけたじゃないですか』


 ふたりの会話を聞きながらマルゴットが考えていると、グールドがこちらを見て言った。


「ま、いいや。なんか近くにいそうな気がするし。簡単な仕事だよ。で、ねえ、ひとつさあ、お願いがあるんだけど」


 トールがたずねる。『お願い、とは?』


「僕が捕まった、国道一号沿いの休憩所。あそこのロッカーに、忘れ物してきたんだよねえ」


 淡々と話を進めるグールドの顔に浮かぶ、その陶然とした愉悦の笑みを、マルゴットは、恐ろしい、と思った。

 同時に――美しい、とも。

 まるで、人間らしく振る舞うことを知っている、美しい獰猛な、獣のようだ、……とも。


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