狩人の襲撃(2)
軽い食事を終え、情報を仕入れ、大切なリュックをくれぐれもと頼んでから、ラルフは七時頃にもう一度出陣した。
コックの話では、狩人はここ一週間ほど、あの廃屋に潜んでいたらしい。この集落にはルクルスが多いので、他の場所よりは潜伏しやすかったのだろう。一日か二日おきに誰かが現れて食料を脅し取っていく。エスメラルダ出身のルクルスは、狩人のお陰で成長し一人前になった、と言われると、むげに断ることは難しい。けれど、狩人はもはやアナカルシスの国会から完全に犯罪集団と認定され、その活動を援助することも犯罪となっている。いくら堅気のルクルスに昔の恩をひけらかしても、この町を追い出されるのは時間の問題だろう。ウィナロフがもう少し潜んでいれば、狩人は勝手に自滅していたはずなのだ。
――なのに、なんでいまさら。
もう一度その疑問に立ち返る。
ラルフはずっと、もう、ウィナロフはアナカルシスにはいないだろうと思っていた――いないべきだ、と、思っていた。
マリアラを『助けて』逃げたというのが本当なら(本当に違いないとラルフは思っているが)、アナカルシスやレイキア全土にマリアラの指名手配のチラシがばらまかれてる今、ウィナロフはここにいるべきではないのだ。ガルシアから忽然と姿を消したと聞いたが、今頃はそのまま、どこか遠い場所にマリアラを安全に隠しているはずだ。そう、思っていたのに。
なんでいまさら、この辺りに戻って来たのだろう?
まあとにかく、捕まっているのならば助けなければならない。マリアラが捕まったら大変なことになる。狩人がウィナロフを狙うのはなぜなのか、ラルフもはっきりとは知らないが、リーザのことだからまたろくでもないことを企んでいるのだろう。
全身の感覚を研ぎ澄ませながらラルフは廃屋ににじり寄った。グールドがいないとは言え、相手はルクルスの集団だ。用心に越したことはない。
中庭で焚き火が燃えていた。その周囲に、十数人の男が集まっているのが見え、ラルフは舌打ちをした。多い。
三人や四人なら声を立てさせずにたたきのめすのも難しくはないが、この人数ではかなり手間がかかる。ウィナロフが捕まっているのならばなおさらだ。耳を澄ませながら少しずつ壁を回って隠れられる場所を探す――と。
――いた。
焚き火のそばに、縛り上げられて地面に転がされている男が見えた。
ここからでは背中側しか見えないが、どうやら黒髪のようだ。たぶん、ウィナロフだろう。何やってんだよウィン、と、心の中で毒づいておく。マリアラらしき少女は見えない。ウィナロフが捕まっているのなら、マリアラも捕まっているのではないだろうか。こんな下種たちがマリアラを取り囲んだかもしれないと思うだけで、頭が煮えそうになる。
縛られた男がわずかに蠢くのが見えた。死んでいないことにひとまずほっとする。
焚き火の回りにいるのは、皆見覚えのある狩人たちだった。みんな座り込んで、どうやら食事を取っているらしかった。酒は手に入らなかったのだろう、酔って騒ぐ様子は見られなかったが、雰囲気は明るかった。ウィナロフが捕まったからだろうか、と、ラルフは思う。
「……」
「……」
「……、……」
話し声は聞こえるが、何を言っているのかは分からない。ラルフは細心の注意を払いながらにじり寄る――と、
「……みんな!」
ばあん、と廃屋の扉が開き、リーザが出て来た。腕に何か重そうな、布でくるんだ包みをもっている。
「準備はいい? そろそろ持ち場に行くわよ!」
「あの、【水の砂】」
そう声を上げたのは、さっき、あのレストランから食料を強請り取った男だった。リーザがそちらに顔を向け、彼女の顔がよく見えた。
相変わらず、彼女はきれいだった。以前のような華美な服など着ておらず、他の狩人同様薄汚れていた。くるくる渦を巻く黒髪は一本にくくっただけで、ここから見ても以前のように手入れされていないことが分かる。けれど、気品があって、凜としていた。嫌な奴だと思いながらも、綺麗な人だと認めないわけにはいかない。
「さっき、ご報告しましたんですが……ラルフにみつかっちまって。ええ、そのう、言ったわけじゃねえんですが、なんでか、【風の骨】が見つかったんだって、ばれちまったようでして……」
「ラルフはルクルスだもの、勘が鋭いのは当たり前よ。大丈夫、心配しないで。あの子ひとりが知ったって、何もできるわけないでしょ?」
「……ですね」
男は安心したようだ。リーザは優しく微笑んだ。以前、グールドが言った言葉をラルフは思い出していた。あの人がああなのは【風の骨】に対してだけ、自分にかしづく相手には結構優しい――本当にそのとおりだったのだ、と思う。
「【炎の闇】の到着を待った方がいいんじゃ」
と誰かが言った。ラルフはぎくりとした。
――グールドが、到着?
「そんな時間はないわ。一刻も早く捕まえなきゃ」
「こっちを通るって保証はねえんでしょう? まっすぐリファスを目指すんじゃ」
「そうね、あたしはこっちだと思うんだけど……でもリファス側にも罠張ってあるんだから、抜かりはないわよ。心配しなくて大丈夫」
狩人たちの上げる不安の声に、リーザはていねいに答える。ラルフの予想では、うるさい! 行くわよ! と一喝しそうだったが、意外とリーザは辛抱強い。狩人がこんな状況になってもリーザのもとでひとつにまとまっている理由は、きっとこういうところにあるのだろう。
と、リーザの抱えている包みが、泣き声を上げた。
ラルフはぞっとした。
リーザが抱いているのは、おくるみに包まれた、小さな赤ちゃんだったのだ。
――誰の子!?
か細い泣き声だ。南大島の赤ん坊は、もっと騒々しく泣いていたように思うけど。
「おお、よちよち。いい子でしゅねえ、もうすぐおわりましゅからねえ」
リーザはからかうように赤ちゃんに話しかけ、そっと揺すった。そして、笑いながら楽しげに、宣言した。
「さ、出発よ!」
狩人がどちらへ行くのか見届けてから、ラルフは一度廃屋へ戻った。焚き火のそばに、縛り上げられたウィナロフらしき男がまだ転がされているからだ。見張りもいたが、たったのふたりならばもはやラルフには何の障害でもなかった。後ろから忍び寄り、後頭部に一撃。倒れた男の物音に気づいたもうひとりが振り返ったところをまた一撃。二分もたたずにふたりを倒して縛られた男を振り返る。
「……にやってんだよ、まった……く!?」
言いかけて、ラルフは絶句した。
そこに転がっていたのはウィナロフではなかった。
マギスだった。
「……んー!!」
しかも猿轡まではめられていた。ラルフはあわててマギスに駆け寄り、その口から猿轡を取ってやった。ぷはっ、と自由になったマギスの口からあふれた第一声は、
「……うっわお前マジ天使! 好きだ! 愛してる! 今度からラルフ様様って呼んでやるわ!」
相変わらずマギスはマギスだった。ナイフを取り出しながら、ラルフは呆れた。
「やだよそんな呼び方……何してんの。奥さん、は」
言いかけて、ぞっとした。
いやな予感がする。
「奥にいるはずだ」
マギスの返答は苦々しく、ラルフの嫌な予感を肯定する。
マギスの腕のロープを切ってやると、その腕は無残に白く腫れ上がっていた。痛そうだ、とラルフは顔をしかめたが、マギスはまだ血の通っていないであろうその手をラルフの肩に乗せ、囁いた。
「シェロムさんと【風の骨】に伝えろ。グールドが逃亡した」
ラルフは絶句した。
「……なん」
「詳しいことはわからねえ、だが、ガルシアから護送されてる途中をあいつらの仲間が襲って奪い返したらしい。奴らの話じゃあ、まだイェルディアかその辺だ。鉄道は使えねえだろうから、合流まで十日くらいは猶予があるだろうが……もうひとつ。あいつらは今【風の骨】を襲いにいった」
「……今からだったのか!」
叫ぶと、マギスはうなずいた。
「王宮が国会に没収されたろ。その直前にな、なんか、【風の骨】が使ってた秘密の小部屋だかなんだか――そこを狩人が見つけて、その扉が開いたら分かるようにって、なんか仕掛けといたらしいんだ。その罠が動いたらしい。昨日か、一昨日かだ。そんで昨日あいつらがリファスに来て、嫁と息子さらいやがった。すぐ気づいて追っかけたんだが、情けねえことに返り討ちにあってこのざまだ」
「……うわあ……」
「シェロムさんの方も多分なんかされてるはずだ。まあ、狩人の主力はこっちに集まってっから、今頃は返り討ちにしてるかもしんねえが、シグがウルクディアにいっちまったからなあ――【風の骨】がアナカルディアに立ち寄ったんなら、次はリファスでおまえの消息を聞くだろうからな、【風の骨】が通りそうなとこに罠張ったってわけだ。この町の保安官呼べりゃいいんだが、あの子が一緒ならまずいだろ。俺も後からすぐ行く。急げ。【風の骨】は荒事に向いてなさそうだから」
「わかった」
「息子頼むわ」
血の通い出したマギスの指先が、ラルフの肩をぎゅっとつかんだ。三カ月前に臨月だったのだ、と、走りだしながらラルフは考えた。今はまだ、大きくても生後三カ月――確か、首もすわらないころではないだろうか。
――その辺の子供さらって来てさ、こいつの命がおしけりゃ言うこと聞けなんて話が、通じるわけないじゃんか。
以前、自分が言った言葉だった。ウィナロフには通じないだろう――たぶん――でもマリアラにはどうだろう? ラルフは明かりのついた町中を必死で走った。赤ちゃんの泣き声が弱々しかったのがひどく気に障っていた。リーザはいつも同じ手だ。えげつなくて汚くて、そのうえワンパターンだ。最悪だ。




