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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 それぞれの決意
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リン=アリエノール(13)

 ちらりと時計を見た。もう、七時が近い。

 この『デート』を切り上げたら、部屋に戻って、ひとりでよくよく考えよう。ジェイドに何をどこまで話していいのかについても、よく考えてみてからだ。マヌエルを巻き込むな、と、以前モーガンが言っていた。ジェイドをもし巻き込むことになったら、いろいろと支障があるのかもしれない。


 だから今は、ジェイドから、フェルドについての話をもっとよく聞き出そう、と、リンは方針を決めた。


 リンが考えている間、ジェイドは黙っていた。不思議な人だとリンは思う。少女たちに囃されて縮み上がっていたのに、リンが箒に乗ったり降りたりする時に差し出す手はとても自然だ。それはレイキアの人だから、なのだろうか。


「ジェイドは……フェルドと仲がいいんだね」


 仮魔女試験の時からそうだった。自分の【親】が相棒と仲が悪くて針の筵だったとか、見かねたダニエルとララがジェイドを引き取ってくれた、とか、話していたような気がする。ララは確かフェルドの【親】と言う話だったから、その関係で仲良くなったのだろうか。

 そうだろうなとリンは思う。リンだって、ダスティンよりは、フェルドと仲良くなった方がずっといい。


「あの、マリアラの相棒を誰にするかって、研修したんだったよね? ジェイドは、その、いわばその、……フェルドに『負けた』ってことになるわけだよね? ダスティンはものすごくフェルドを恨んでそうな気がするんだけど、ジェイドは、フェルドに悪い印象は持たなかったの?」


「え?」

「ジェイドは、……マリアラと、相棒にならなくて、良かったの?」


 ずいぶん単刀直入に聞いてしまった。言ってから狼狽えたリンに、ジェイドはあっさり笑った。


「うん、俺は相棒、いらないんだ」

「……そうなの?」

「うん、まあ……語弊があるかな。あのね、仮魔女試験が始まった時は正直、ダスティンに恨まれてまで相棒得なくていいかなあって思ってたんだ。でも仮魔女試験の騒動とか……その後、マリアラと一緒に研修した時に、ああ相棒ができたらこう言う感じなのかなあって思ってさ、正直、マリアラだったらうまくやってけそうかなって思ったんだよ。話しやすいし、なんて言うかな、きちんと仕事に向き合う子でしょ。〈アスタ〉が俺を選んだら、辞退したりせずに、頑張ろうって思う気持ちはあったよ。フェルドに決まった時に、残念だなって思った」

「うん、うん。わかるよ」

「でもフェルドが二度目の孵化をして検査ざんまいだからって、その相棒に乗り換えてくれって頼むなんてしたくない。ダスティンは一度それをやったんだ。マリアラがめちゃくちゃ怒ってて、ダニエルが止めなきゃ引っ叩いてたと思う」

「そうだったんだ」


 歪み予報が的中して、ラクエルが全員緊急出動に駆り出された時だ。あの時リンはガストンと一緒に研修中で、ガストンの助手のようなことをさせてもらった。だからダスティンがマリアラに『言い寄った』のも知っている。近くで見たわけではなかったから、マリアラが引っ叩こうとしたかどうかまでは知らなかったけれど。

 ダスティンはバカだなあ、とリンは思う。マリアラはとても優しいが、それ以上に真面目で、とても頑固な子だ。優しくて人当たりが良くて、なんでも許してくれそうな雰囲気があるけれど――だからと言って彼女の感情を踏み躙るようなことをしたら、涙目になりつつも立ち向かうのがマリアラという子だ。マリアラは二度とダスティンを許すことはないだろう。リンは、マリアラを怒らせるようなことだけはしたくないといつも願っている。あの子に本気で怒られるようなことをしでかしてしまったら、それは人の道に外れると言うことだからだ。


 リンは微笑んだ。


「そっか。わかった。あたし、独り身のマヌエルはみんな相棒が欲しいのかと思ってた」

「うんまあ、それが普通だと思うよ。特にエスメラルダ出身のマヌエルはね」

「ふうん? ……レイキアだと違うの?」

「うん」ジェイドはうなずいた。「レイキアではね……マヌエルは、魔女は、雲上人なんだ。崇められてるんだ。王様とか王女様とか、……天使とかみたいに」

「天使!?」


「すごいでしょ。レイキアは物価が安いから、エスメラルダの年金もらえるようになると、家族は御殿でも建てられる。家族ぐるみで雲上人になるってわけ。それまでその家族と親しくつきあってた人たちは、いわば『コネ』があるわけで、……そのコネを使っていろいろ優位な立場になったりする。ひとり孵化するだけで、びっくりするほど大勢の人がその恩恵を受ける。……だからさ。レイキアの魔女は、本当に治したいと思った人を自由に治療したりなんて絶対無理なんだ。レイキアでは【穴】があくことは滅多にないけど、万一【穴】があいて誰かが落ちたりしても、魔女が助けにいくことはない」

「ないの!?」

「レイキアの魔女には代わりがいないからね、【穴】に落ちた人を救出に行ってたら、その間に『コネ』を使えない人が出てくるだろ」


「……」


 リンはなんだかぞっとした。

 『コネ』というのは、つまり……


「政治家とかの偉い人だけが、魔女の治療を受けられる、というわけ……?」

「んー、まあ、近い、かな。魔女の治療を受ける権利が高値で売買されてる、というわけ」


 ジェイドが、レイキアについてあまり話したがらなかった理由がわかってきた。

 ジェイドは苦笑した。


「まあとにかくね、俺は生まれつき、魔力が強い方だったんだ。でも『絶対孵化する』と断言されるほどの強さじゃなかった。だから年金前倒しでエスメラルダ留学なんてことまではしないで――」

「……そんな制度あるの?」

「まあね。両親ともマヌエルだと、生まれるのは外国でも、生まれてすぐにエスメラルダにきて【魔女ビル】で育つというのはよくあることみたいだよ」


 イクスは確かそれだったと、リンは思った。イクスは両親ともマヌエルで、生まれた頃から【魔女ビル】で育ったということを、ことあるごとに自慢していた。


「それと似たような制度で、いつか絶対孵化がくるってほど魔力が強かったら、健康診断である一定の数値を越えた時点でエスメラルダ留学の権利を得るんだ。その時点で保護者には年金が開始される」

「……」

「あ、……いや、悪い制度じゃないと思うよ。少なくともそれは、犯罪を抑制するための制度だから」

「……は、犯罪っ?」


「保護者がどうしてもっていえば、留学させないって選択肢だってもちろんあるしね。レイキアでは……エスメラルダの年金は多額だって言ったでしょう。たとえば六人家族で、ひとりが孵化すれば、残りの家族は一生遊んで暮らせるって額なんだよ、レイキアは物価が安いからね――だから、必ず孵化するってわかってる子供は――誘拐されたり、……そのう、早く孵化するようにって、魔力をアップさせる怪しげな栄養剤を飲ます親とか、いたんだよ、ちょっと前まで……虐待も後を絶たなかったし」

「……ぎゃく、たい?」


 なんと陰惨な単語だ。

 そして意味不明だった。どうしてこの話の流れで、この言葉が出てきたのだろう。

 ジェイドはあっさり言った。


「魔力がある程度強い子だと、身の危険を感じると無意識に風がわいたり水がふりかかったりするんだ。孵化する前だと、相手を傷つけたりできるほどの威力はないのが普通だけどね。そういう反応が、孵化を促進するように思われてた――思われてる、んだ。エスメラルダが年金前倒し制度を始めたおかげで、そういうのは減ってるはずだ」


 ひいぃ。

 心に浮かんだ悲鳴は、かろうじて口には出さなかった。

 でも顔には出ていたらしい。ジェイドは苦笑した。


「いや、俺はそんなこと全然なかったよ。両親も親戚もみんないい人で、本当に運が良かった。魔力も平均よりちょっと強いって程度だったから、実際孵化するまでそれほど期待もされてなかったしね。ああ、ごめん、話がズレた。とにかく――レイキアはそういう国なんだ。俺はそういう国で、まあ、自分もいつか孵化するかもしれない、しないかもしれないけどでも、万一孵化したらどうなるかなあって、想像しながら育ったんだ。エスメラルダに来たとき、なんていい国だろうって思ったよ。右巻きにふさわしい仕事がたくさんある」

「……雪崩を防ぐ、とか」


「そうそれ。でも、レイキアの右巻きは、左巻きの護衛以外には何もできない。だから俺はずっと、思ってたんだ。レイキアは寒くて貧しい国なんだ。国土は広いんだけど、過酷な岩山とか湿原とかが大半で、町とかは南の海岸沿いに集中してるんだけど。家を建てる面積が限られるから、国民の大半は、塔に住んでる」

「塔? ……【魔女ビル】みたいな?」


「うん、そう。【魔女ビル】を何本も何本も密着させてもっと高くしたものが、ひしめき合ってる感じ。まあもちろん、そうじゃない町もあるけど、俺はそういう町に住んでた。で、その塔のメンテナンスがかなりの重労働でね、毎年、何人か、転落事故が起こるんだ。大抵は命綱で助かるんだけど……俺の友達の親も半分近くが塔職人やってて……ニュースで転落についてやるたびに、いつも思ってた。俺が孵化して、右巻きで、相棒がいなかったら、塔職人の足場になってあげられるのにって」


「……そっか……」


「まあ現実にはさ、レイキアに配属になってたら、足場なんて絶対やらせてもらえない。だからまあ、それは単なる空想だったんだけどさ。だから今、楽しいんだよね。護衛以外の右巻きの仕事ができるっていうのがさ」

「みんなに喜んでもらえるしね」


 言うとジェイドは目を細めて微笑った。「うん」


 いい人だなあ、と、また思った。こんないい人、他の女の子に渡すなんてもったいない。彼女も、好きな子も(たぶん)いないのなら、早いところ確保しておかねばリン=アリエノールの名が廃るというものだ。


「そっか。ジェイドって優しいね。良かった。フェルドにはあたし、恩があるの」今となっては、負い目もだ。「マリアラはガルシアに行っちゃってて、ぜんぜん話せないし。だから、フェルドのこと一緒に心配してくれる人がいて助かるわ」

「ふうん。リンもフェルドに恩があるんだ」


 ジェイドはおもしろそうに言った。リンは茶を飲んでいたが、その言い方に顔を上げた。


「リンも、って?」

「うん。俺もフェルドに恩があるんだ」


 ジェイドは苦笑していた。


「フェルドって変な人だよね。……まあ、だから、きっと大丈夫だよ。検査三昧の時にスリの勉強して暇つぶすくらいだからさ。今も結構元気にやってるよ、きっと」

「ふふふふ」


 リンは笑い出した。そういえば、フェルドは【炎の闇】からエスメラルダの空気孔の鍵をスリとった。検査の暇を潰し〈アスタ〉をうんざりさせて早期解放を目指すために大真面目にスリの研究をしあまつさえ習得してしまい、狩人との対峙でそのスキルを役立たせてしまうくらいなのだから、それは今も大人しくしているわけがない。







 楽しい時間はあっと言う間にすぎ、もう門限が近い。


 それに気づいたのはリンの方が先で、それがリンには嬉しかった。そろそろ門限が、と言ったとき、ジェイドが驚いた顔をしたからだ。ジェイドも楽しんでくれていたのだろう。ますます期待できそうだ。


「あー、ごめん、すっかり遅くなっちゃって……乗って。急いで送っていくから」

「ありがとう」


 リンはいそいそとジェイドの差し出す手をとって、箒の後ろに乗った。緯度の高いエスメラルダは、この季節だいぶ遅くまで明るいのだが、それでももう夕暮れが近い。空は赤く染まり始めていた。【魔女ビル】の屋上は風が出始めていて、ジェイドの背にくっつける体勢が嬉しい。

 ジェイドは保護膜まで張ってくれた。ほわん、と空気が暖まる。


「……あったかーい」


 リンが呟くと同時に、ふわりと宙に浮く。


「で、そのノート、どうするの?」


 ジェイドが訊ね、リンは唸る。


「……そうねえ……あたしもあなたもしばらくは目を付けられてると思うのね。今動くのは危ないんじゃないかと思うの」

「うん、俺もそう思う」

「でね、考えたんだけど。あたしの部屋もジェイドの部屋も、絶対安全とは言えないよね。だから……ええっと……箒って、定期的にメンテナンスを受けたりするの?」

「そっか!」ジェイドは嬉しそうに笑った。「いい考えだね! 箒のメンテは半年に一度。こないだ済んだばっかりだから、あと半年は大丈夫だ。四六時中見張ってられるし、俺以外は、滅多なことじゃ開けられない」

「お願いできる?」

「もちろん」


 リンは箒に聞いたつもりだった。でも答えたのはやはりジェイドだ。本当に無口な箒だ。リンはまだ、ジェイドの箒の声を聞いたことがない。

 そういうと、ジェイドは笑った。


「ああ、俺の箒はしゃべらないんだよ」

「え!!」


 そういう箒もいるのか。ミフもフィもよくしゃべるから、今まで思い至らなかった。


「孵化して数時間以内に処理できないと、人格の捕獲ができないんだって。だから外国で孵化したマヌエルの箒のほとんどは、疑似の人格を持つ箒なんだ。というか、ちゃんとした人格のある箒の方が少ないんだよ。ここ最近で開発された技術だから。ラクエルのリーダーのさ、ヒルデとランドの箒には人格がないんだ。当時はまだ技術がなくて」

「そ、そうなんだ……」

「俺たちの【親】の世代になるとさすがに開発されてたらしいけど。フィとフェルドが口げんかしてるの見たりすると羨ましかったりするけど、疑似でもそんなに不都合ない。落ちたら追っかけてきてくれるし、大事なノートを預かっててくれって言えば、ちゃんと預かっててくれるよ」


 ジェイドの口調が、ほんのわずかだけ不本意そうに聞こえて、リンはあわてた。


「あ、ううん、そんなつもりで言ったんじゃないの。ごめん、あたしマヌエルのことほとんどしらないもんだから……」

「ああ、いや、リンのせいじゃないよ。ごめん」ジェイドは苦笑したようだ。「ただ、いやなこと思い出しただけでさ。……ノート、預かるよ」

「あ、うん。お願いします」


 いやなこと、って、何だろう。疑問はわいたが、聞いている余裕はなさそうだ。リンは頭の中で話を組み立てる。どういう風に持っていけば一番自然だろうか。


「ね、ジェイド」


 唇をなめて、リンは始めた。


「……来週のお休みの日、また会えない?」

「もちろんいいよ」


 ジェイドはあっさりと答えた。リンはもう一度、唇をなめる。でもリンが口を開く前に、ジェイドが言った。


「というか、休みじゃなくてもかまわないよ。さっきも言ったけど、夏の間は本当に暇なんだ。明日も午後はあいてるくらいだし、きっとリンの方が忙しいよ。リンの休み、今度はいつ?」

「え、えっと。来週までは、基本的にはカレンダーどおりなんだけど、今日変則的にお休みもらってるから、もしかしたらずれるかも知れない。明日出勤して、確認してくる。〈アスタ〉を介して連絡してもいいかなあ?」

「まあスケジュールの確認くらいなら……」


 ジェイドは言いさして、不自然に口をつぐんだ。リンはジェイドが自分と同じことに思い至ったことに気づいた。


「休みの日を連絡するなんて、なんか、つき合ってるみたいだねえ」


 言ってみる。ジェイドがうろたえているのを感じる。う、とかえ、とかもごもご呟いているのが背中越しに伝わってくる。これはいける、とリンは思う。

 そして言った。


「いっそのこと、つき合っちゃう?」


 ジェイドが強ばった。


「ジェイド、誰かつき合ってる人いるの?」

「い、いない――けど、でも」


 その言い方を聞いて、リンは気づいた。しまった。

 先走りすぎたらしかった。


 ぎこちない沈黙の中、ジェイドの箒はすうっと路地に降りた。さすがに懲りているのか、女子寮の真ん前ではなかったが、明かりがすぐそばに見えている。


「……ごめん、調子乗っちゃった」


 箒から降りて、リンは謝った。ジェイドは困ったような顔をしていて、ううん、と首を振る。


「あの、そんな、……深刻な話じゃなかったの。ごめんね。これからフェルドのこととか、ノートのこととかで、休みの度に会ったりするなら……そういうことにしちゃった方が都合がいいかななんて思っちゃったんだ」

「……ごめん、俺、そういうの慣れてなくて」


 一応、リンがふられたことになるはずだ。

 でも、ジェイドの方がよほどしょんぼりしていた。リンは反省した。ジェイドがレイキアの生まれだと知っていたのに。エスメラルダにきたのも最近で、一般学生の風潮など何も知らないとわかっていたはずなのに。


「ごめんなさい、忘れて。でも、恋人じゃなくてもいいから、友達としてさ、これからよろしくお願いします」


 深々と頭を下げる。ジェイドは、あ、いえ、こちらこそ、なんてつられて頭を下げていた。あーあ、とリンは思っていた。自分でもちょっと思いがけないくらい、がっかりしていた。あーあ、やっちゃった。もう少し時間をかけていれば、うまくいっていたかも知れないのに。

 ジェイドに手を振って、女子寮へと歩き出す。ダリアに、ふられちゃったよーとか泣きついて、慰めてもらわなくては。


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