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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
間話 それぞれの決意
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ラセミスタ(1)

 狂乱の一日が過ぎた。


 朝が来るのを待って、リーダスタはラセミスタの病室へ行った。ひと晩中ラセミスタへの面会を阻止し続けたアーミナ先生が病室にいて、リーダスタを見てこれ見よがしにため息をつく。


「あのね、リーダスタ。何度も言ったでしょう、ラスはまだ――」

「アーミナ、いいの。大丈夫だよ」


 ラセミスタが言ってくれて、リーダスタはほっとした。


 アーミナ先生が渋々どいて、憔悴しきったラセミスタの姿が見えた。罪悪感が胸に湧く。マリアラがつれ去られたあの夜から、まだひと晩しか経っていない。昨夜何度目かに訪れたとき、アーミナ先生は、ラセミスタが眠ろうとしないと言っていた。眠ってもすぐに飛び起きてしまうと。そんな状態の彼女に、これ以上何をさせようというのかと。


 全くだと、自分でも思う。でも。


 ラセミスタの華奢な体は、今にも透き通ってしまいそうに見えた。包帯を巻かれた左腕が、マリアラがそばにいたとき以上に痛々しい。彼女はリーダスタに、ぎこちなくも微笑んで見せようとまでした。


「ごめんね、リーダスタ。昨日も何度も来てくれたって……」

「うん、……ごめん。見舞いに来たわけじゃないんだ。ごめん、こんな時に、本当に申し訳ないんだけど。助けてほしいんだよ」


 リーダスタは率直に頼み、ラセミスタが目を見開く。


「助け……?」

「グスタフが投獄されてる」


 言うとラセミスタが身を起こした。「え!?」


「カルムはカンカンだし……ごめん、事情を説明するよ。昨日の早朝、俺たちはマリアラが誘拐された話を聞いた」


 ラセミスタはびくりと身を強ばらせた。「……うん」

 病み上がりの、しかも眠れないほど思い悩んでいる相手にする話じゃない。アーミナ先生の非難の視線を左頬にびしばし感じながらも、リーダスタは努めて冷静に話した。


「グスタフもカルムもすぐ呼び出されてね、近衛の捜索に協力することになったんだ。グスタフも最初は協力してたんだよ、でも……えっと、カルムが言うにはね、グスタフの様子が変だって思ったのは、昼過ぎだったんだって。グスタフは、何かに気づいたみたいだった。でも何も言わないんだ。で、カルムはほら、グスタフが変態的な勘の持ち主だってもう知ってたから、グスタフの後をつけたんだって。そしたらそこに、あの狩人がいたんだって」


 ラセミスタは寝台から足を降ろした。「見つけたの!?」


「うん、一度はね。カルムと近衛が狩人を捕まえようとした。でもグスタフは、それを邪魔したんだ」

「……!」


「だから投獄された。狩人はそのまま逃げちゃって、今も捕まってない。ねえラス、グスタフはミンスターの人間だから、その場で殺されてもおかしくなかったんだよ、でもカルムが一緒にいたからさ、それはなんとかやめてもらって、すぐに宰相を呼んで……あの陰謀を阻止した人間だってことで、リーリエンクローンが後ろ盾になるって言って、ようやく、処刑は免れた。だけどね。グスタフは処刑されるかどうかって話になっても、理由を言わないんだよ。理由が正当なら、そしてもちろんグスタフのことだから、正当に決まってるだろ? 正当ならすぐにでも釈放されるのに、頑として、カルムにさえ言わない。それでカルムが怒っちゃってさあ……」


「……どうして」

「んー。推測でしかないんだけど……俺にはなんとなく解る気がするんだ」

「……そうなの?」


「俺の出身はメルシェ地区でね、首都から遠くて、ミンスターに近い。だから、……あー、そっか」リーダスタは頭をかいた。「ラスはもしかして知らないか。ミンスターは……グスタフの出身地はね、五十年前にこのガルシア国に征服されるまで、小さいけど独立した国家だったんだ。すごく洗練されてて、工芸品が有名で、本当に立派な国だったんだよ。親切な国民が多くて、信頼されてて、……草原の宝玉とまで言われた、美しい国だったんだ。ガルシアは、野蛮で未開の国で、ガルシアに攻め入ろうとしたから征服し返したんだってことにしてるけどね」


「……そうなんだ」


「征服されて、ほとんど全滅させられた。残ったのは大人が何人かと、あとは子供だけで……最近になってやっと、少し認められるようになったんだけど、でもそれまでは本当にひどい扱いを受けてたんだよ。メルシェ地区はミンスターに同情的なんだ。地理が近いし、ミンスターの工芸品や葡萄酒を他の場所に流通させる拠点として栄えた都市だったってこともあってね。ガルシアの嘘を親に教わる。ミンスターの本当の歴史を、かつてどんなに誇り高くて立派な国だったかってことをね。……グスタフがカルムにも宰相にも、なぜ狩人を助けたかって理由を話さないのは、カルムも宰相も、ガルシアの中枢に近い人間だからじゃないかと思うんだ。……なんとなくだけど」


「……」


「そうだとしたら、グスタフは実際処刑されても話さないと思うんだよ。ミンスターは誇り高いからね。でもね、ラス、グスタフが高等学校にいるのは奇跡に近いんだよ。グスタフはミンスターの未来を背負ってここにいるんだ。そのグスタフが話さないって決めてるってことは……だから、ごめん、ラス。こんなときに本当に申し訳ないけど……助けてほしいんだ。俺はグスタフを処刑なんかさせたくないよ」


「わかった。すぐ行くよ」


 ラセミスタはしっかりとうなずき、リーダスタはほっとした。


「ありがとう。ラスにならグスタフも話すと思うんだ。マリアラを助けられるはずだったのにそうしなかったのはなぜかって、グスタフはラスに釈明する義務があるもんね」

「うん。ちょっと外で待ってて? 着替えるから」

「じゃあ馬車をここまで呼ぶね。校長先生に頼んでくる」


 リーダスタは駆け出した。昨日の午後いっぱい膠着していた事態が、ようやくこれで動き出すだろう。




 ラセミスタと一緒に王宮付属の牢獄まで乗り付けると、目を吊り上げたカルムがそこで待っていた。アーミナ先生から連絡を受けたのだろう、リーダスタが馬車の扉を開けると、カルムは噛み付くように言った。


「何考えてるんだよ、ケガ人までかりだすなんて」


 当然だと思う。カルムはなぜグスタフが黙っているのかがさっぱりわからないはずだ。自分だけで解決できるはずなのに、そこに病床のラセミスタまで引っ張り出したら、余計なお世話だと思うだろう。


「いいんだよ、カルム」ラセミスタが言ってくれた。「もうどこも痛くないし、病気でもないんだし」

「顔色悪いだろーが。寝てなきゃだめだろ」

「いや~ラスも君には言われたくないと思うよ~?」


 ちゃかしてやるとカルムは不貞腐れたように黙った。事態が思いどおりにならないことに苛立っている。まるで子供のようだとリーダスタは思う。

 ショックだったのだろう。グスタフが理由を話さないから。


「……しょうがないよ。ガルシアの、それもリーリエンクローンに生まれたのはカルムのせいじゃないもんな」


 ぽん、と肩を叩いてやると、カルムは嫌そうに払った。


「どういう意味だよ」

「そのまんまだよー。ほらラス、おいで。お手をどうぞ。おんぶしようか」

「大丈夫だよ」


 ラセミスタは危なっかしい足取りで馬車から降りた。アーミナ先生に着せられたもこもこの上衣を寒そうにかきよせる。その左手が空振りしたことに一瞬彼女がぎくりとしたのを、リーダスタは、そして多分カルムも見てしまった。でもラセミスタはなんでもないふりをして、リーダスタもカルムも見ないふりをする。


 実際、そこは寒かった。そびえ立つ王宮の陰になった、石造りの建物だ。

 雰囲気も寒い。陰鬱で、じめじめしていて、今までここに投獄されてきた数多の罪人やそうでない人間の、阿鼻叫喚や無念の思いを閉じ込めて押さえ込んでいるような、硬く冷たい空気だった。


「……牢獄だねえ」


 ラセミスタの言葉があまりにそのままで、つい笑ってしまう。


「全くもって、牢獄だねえ」

「何言ってんだよほら、行くなら来いよ」


 カルムはそっけなく言い、先に立って歩きだした。怒っていても親切な奴だとリーダスタは考えた。厳めしい牢番もカルムの顔を知っていて、いかに重罪人を閉じ込める牢獄であっても、カルムと一緒ならば通行を咎めない。入り口まで迎えに来てくれていなければ、メルシェ地区出身のリーダスタがラセミスタを連れて行くには、かなりの難儀を強いられることになっただろう。


 かつん、こつん、と薄暗がりの中を三人の足音が響く。天井が高く、静まり返っていて、三人の息遣いまでが何倍にも増幅されて聞こえる気がする。


「一度は捕まえかけたんだって? マリアラは?」


 静けさに耐えかねて訊ねると、カルムはため息をついた。


「一緒にはいなかった。でも鳥籠持ってたんだよな。ヘス使って鳥にでも乗り移らせたんだろ」

「その後は?」

「何度か姿を見られてる。グスタフが正解だったんだよ……くそ」

「正解、って」

「狩人はな、移動できるんじゃないんだ。その場で姿を消せるだけなんだよ。グスタフはそれに気づいたんだ。『もしかしたら移動したんじゃなくて、』ってだけ言って、後は黙っちまった。……何考えてんだあいつ」


 グスタフは知っていたのだろうとリーダスタは考えた。

 当然だろう。リーダスタさえ聞きかじったことがあるのだから。


「姿を消せるだけだって仮定して追跡方法を変えたら、何度か追い詰めかけたんだ。でも……夜明け前に一度、幾泉の近くで目撃されてから、あとはさっぱりだ」

「……ふーん」

「ここだ。入ります」


 とがった声で言って、カルムは乱暴な手つきで粗末な木の扉を開けた。中は光籠がいくつか置かれ、結構明るかった。そこにカルムの父親、カイル=リーリエンクローンが硬そうな木のベンチに座っていて、壁際に近衛らしき男がふたりいた。そしてその正面の鉄格子の中に、


「……グスタフ……」


 ラセミスタが言った。グスタフは数発殴られたらしく、唇が切れ、左目のあたりが腫れていた。鉄格子の奥に座り込んでいたが、ラセミスタを見て顔をしかめる。しまった、というように。

「ラセミスタくん。具合はどうかね」


 宰相リーリエンクローンが穏やかにたずね、近衛のひとりが柔らかそうなクッションを乗せた小さな椅子を鉄格子の正面に据えた。宰相がラセミスタの右手を取って、その椅子に座らせる。


「無理をさせて申し訳ない。私とて、グスタフくんを投獄などしたくなかった。だが彼は狩人の追跡を妨害し、その逃亡を幇助したのだ、これは、複数の人間が証言したことだ。カルムも」

「……グスタフ」


 ラセミスタは椅子から立ち上がり、鉄格子に歩み寄る。カルムが何か言おうとしたが、リーダスタはその腕を抑えた。


「差し出口ですが」リーダスタは声を励ました。「首都ファーレン近辺の人間には言いたくないことなんですよ。……そうだろ? グスタフ」


 言うとグスタフはリーダスタを睨んだ。カルムもだ。


「お前、何知ってんだよ」

「君が言わないなら」カルムを無視して、リーダスタはグスタフに向かって言った。「俺が言うよ? 君が処刑されるのなんか嫌だからね」


「……グスタフ、ごめん」


 そう言ったのは、ラセミスタだった。


 その声が涙声だったので、リーダスタはギョッとした。


「どしたの、ラス!?」

「あたしは……大丈夫、もう、ちゃんと、解ってるから……」

「……ラスが謝ることじゃない」


 グスタフが初めて言った。声がしゃがれていた。

 ラセミスタは首を振り、鉄格子をつかんだ。


「早く言わなくちゃって思ってた。ごめん……こんなことになる前に……あたしが、早く、言うべきだったんだ。お願い、です。狩人の追跡を……やめてください」

「は!? 何言ってんだおまえ! マリアラが――」


 カルムが言いかけ、ラセミスタは振り返った。憔悴した頬に、幾筋もの涙が既に流れていた。


「違うの。あの狩人は、マリアラをさらって逃げたんじゃないんだ」

「は――」

「マリアラを助けて逃げたんだ。きっと」

「……ラス?」


「変だなって、屋上の時から、思ってたんだ。あの狩人は……【風の骨】は、あたしを【炎の闇】から守ろうとしてた。たぶん。あの屋上で……変な動き方、してたんだ。【炎の闇】とは仲間だったんじゃなくて、あたしをあそこに呼ぶまで、一時的に手を組んでただけだったんだと思う。あたし……赤い髪の狩人には、以前にも会ったことがあって。エスメラルダの【魔女ビル】に、あの狩人が乱入したとき、あたしとろいから、捕まっちゃって。足を刺された。だから……学校の屋上でまた会っちゃったとき、怖くて、パニックになっちゃって、とにかく連れて行かれるのだけは嫌だと思って、……この左腕は、自分で斬ったの」


 リーダスタは頭を両手でおさえた。「そうなのォ!?」


「うん。あたしがあんなことしなければ」ラセミスタは嗚咽を漏らした。「【風の骨】は……あたしを傷つける気はなかったんだ。その場で姿を消せるなら、【炎の闇】の隙をついて、あたしを隠すつもりだったんだと思う。そして、マリアラを呼んでくれって、言うつもりだったんだと思う。マリアラが……危ないから……エスメラルダから……逃がしてくれって。あたしが、協力して、人質になるとか、そういう方法で、マリアラを寄越すようにって〈アスタ〉に連絡したら、マリアラは飛び出して来るでしょ、だからっ」


 ラセミスタは、その場に崩れるように座り込んだ。


「あたしのせいなんだ……! 全部あたしのせいだ……! あの人は最後にあたしに言ったの、ケガさせて悪かったって……うえぇ……」


 最後は嗚咽になってしまった。ラセミスタは冷たい床の上に座り込んで、泣きじゃくっていた。グスタフは痛そうに顔をしかめていた。


「ラスのせいじゃない」

「うううう……!」


 ラセミスタの嗚咽の前に、その言葉はあまりに無力だった。リーダスタは何も言えず、カルムは睨むようにラセミスタを見ている。宰相が合図をし、ふたりいた近衛は席を外した。リーダスタの前を通り過ぎて、扉が湿った木の音をさせて閉まる。

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