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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の相棒
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四日目 当番(2)

 こんなに早い時間に休憩所に来るなんて、何だか落ち着かない。

 二人はずっと無言だった。マリアラは居たたまれなかった。焼却班の班長と“口論”のようになったことが未だに心をささくれ立たせている。


 沈黙のまま休憩所の入口にたどり着き、玄関のロックを解除する。フェルドはどうやら背後を気にしているようだ。魔物が潜んでいないかと警戒しているのだろう。

 マリアラは扉を開けた。中は静まり返り、ひんやりと暗い。灯りを点けようと手を伸ばしたとき、フェルドが言った。


「雪山の魔物は――優しかったよな。本当に」

「えっ」


 振り返るとフェルドは少し考えた。右手の親指で自分の鼻の頭を弾き、それから言いにくそうに言った。


「でも、人間にも色んなのがいるだろ。ダニエルみたいな慈愛の固まりみたいなのもいれば、こないだの狩人みたいなのも――って、それ」

「――」


 マリアラの指先がスイッチに触れ、休憩所の灯りがついていた。フェルドはマリアラの頭越しに休憩所の中を見て、それから走った。ぐっと肩を引かれた。上がりかまちの段差によろめいて倒れかけたマリアラを、無意識のようにフェルドが支えた。

 フェルドの腕に力がこもる。どん、どん、心臓の音が響いている。フェルドは左腕でマリアラを抱え、右手を前に突き出していた。何かの攻撃に、備えるように。


 マリアラは首をひねって休憩所の中を見た。

 小山のような真っ黒い固まりが、そこにあった。


 魔物だ。


 雪山の魔物と同じくらいの巨大さだった。マリアラは愕然としていたが、フェルドがマリアラを抱えたままそうっと後退るのに合わせて視界が揺らいだ。魔物は眠っているようだった。長椅子やソファが脇に押しやられ、休憩所のスペースの殆どが魔物の体で占められていた。明かりがついたのにあまり明るくないのは、魔物の背が天井付近にまで届いているからだ。

 全体的に、猫に似ていた。ひげにあたる部分に生えた触手が、呼吸に合わせて揺れている。


「どいて」


 囁き声がした。同時に、どん、と押された。

 死角から出し抜けに押された二人はなすすべもなく地面に倒れ込んだ。戸口の前に、いつの間にかラルフがいた。藍色の瞳がマリアラを見下ろして、囁いた。


「開けてくれて助かったよ。窓割るわけにいかなかったからさ」

「ラルフ……!」


 とん。ラルフの足が地面を蹴った。

 彼の手の中には、何本かの楔が握られていた。鋭い風切音と共に楔が投げられ魔物の前足に突き刺さった。魔物が目を覚まし、悲鳴を上げた。だん、だん、だん、続けざまに投げられた楔が次々に魔物に突き刺さる。

 魔物は頭をもたげ、咆哮を上げた。楔の刺さった前足を振るった。机が弾き飛ばされ、けたたましい音を立てた。

 フェルドが立ち上がり、マリアラも立った。魔物の悲鳴が耳に刺さる。


 ラルフは一瞬も止まらなかった。ポケットから魔法のように白いロープが飛び出した。しゅるっ、彼の手の中でロープが踊る。前足の楔を引っかけ、ラルフは跳んだ。魔物の体を飛び越えて後ろ足の楔を通し、また魔物を飛び越える。小さな体が小山のような魔物の周りを飛び交う様子はまるで勤勉な働き蜂のようだった。しゅるっとロープが舞い、とん、とラルフの足が地面を蹴る。魔物の悲鳴。突き刺さった楔を引き抜く前にロープが動きを封じ、力を逸らす。


 あっという間に魔物はがんじがらめに縛り上げられた。

 ラルフは最後に天井に楔を投げ、そこにロープを引っかけた。動けない魔物の背に乗って、ロープに何か見慣れない魔法道具を取り付けた。やり方をよくわかっているのか、迷う様子が全くなかった。最後にその魔法道具に、大きな結晶を嵌める。

 ぱちん。蓋をして、

 ラルフは魔法道具のスイッチを入れた。

 ばちっ。白いロープを青白い雷光が駆け抜けたのが見えた。


「やめて……っ!」


 ――ゴガアァウゥゥゥガアアァグアアァァァァ!!!


 魔物の絶叫が全身を撃った。ばちばちと青白い雷光が駆け巡り魔物が身もだえしていた。ラルフは魔法道具を持ったままロープを掴み、飛び降りた。ロープが絞り上げられ、魔物の苦悶が更に高まる。ラルフはあくまで冷静で冷徹だった。彼の体重でロープが引かれるにつれ、魔物の体はますます絞り上げられて行く。


「縮んでる」


 フェルドが呻いた。マリアラにもそれがよく見えた。

 魔物が縮んでいる。ロープを走る雷光から逃れようとでもするかのように、魔物の体が縮んでいく。ラルフの体重によって引かれ続けるロープは魔物の肉体が縮むにつれてますます絞られ、ラルフはゆっくりと下がっていく。

 ラルフの足が床についた。

 雷光が止んだ。

 小山ほどもあった魔物は今、少し大きめの猫くらいになっていた。呼吸が荒い。複雑な色をした美しい瞳から、涙が垂れている。黒い涙。血だろうか、とマリアラは思う。


 ロープを引いて回収し、余った部分をナイフで切り、ラルフは猫を拾い上げた。まるで荷物でも持つかのようなぞんざいな手つき。すたすたこちらに歩いてくる。


「お前……何なんだ」


 フェルドが言った。ラルフは藍色の瞳でちらりとフェルドを見、すぐに視線を逸らした。


「この部屋……汚してごめん。ちょっと急いでるから、片付けられないけど」

「その魔物、どうする気なんだ」

「あんたたちに関係ないよ」


 するり。ラルフは戸口を、それからフェルドの伸ばした手をすり抜けた。縮んだ魔物よりももっと、猫じみた動きだった。


「おい、待て」

「待たないよ。急いでるんだ」

「ルッツは? 一緒じゃないの?」


 マリアラが言い、ラルフがぎくりとした。振り返った顔は怒っていた。藍色の瞳がマリアラを睨んだ。


「あんたに関係ないだろ」

「あるよ。ルッツはわたしの患者だもの。経過を知りたいの。ケガは治ったけどずいぶん消耗してたし、ちゃんと水分と栄養摂って、」

「――バカじゃないの!? もう本当にバカじゃないの、バカ!!!」


 怒鳴るだけ怒鳴ってラルフは走り出した。重い荷物を抱えているのにやけに速い。マリアラはミフを出した。フェルドは止めなかった。せめてもと言いたげに、自分が先に飛び立った。

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