高等学校附属医局(3)
マリアラは注意深い目でラセミスタを見ていた。コップが空になるたびに薬を足した。ラセミスタはああ言ったが、どうやらいくらでも飲めるらしい。やけにおいしそうで、どんな味なんだろう、と思っていると、マリアラが言った。
「ねえラス、わたしね、ラスの同級生たちのこと、まだひとりも知らないんだよ。紹介してくれる?」
「……あ、うん。そっか」ラセミスタは居住まいを正した。「えっとね、この人が、リーダスタ」
「ども、初めましてー」
リーダスタは明るい口調で言って、マリアラに会釈した。
「メルシェ地区の、リーダスタって言います。よろしく」
「マリアラ、騙されちゃダメなんだよ」ラセミスタがまじめな口調で言った。「あたしはすっかり騙されちゃった。この人、これでも男の人なんだって」
「……」
マリアラが目を丸くした。
そして、叫んだ。
「――えーっ!!??」
「やっぱそうだよねえ、そう思うよねえ」
「だっ、だって、わ、わたし、わーラスと同じ境遇の人がいるって……ひとりじゃなくてよかったなあって勝手に……!」
「だよねえ、あたしもそう思った」
「いや~それほどでもお~」
「喜ぶとこじゃねーだろそこは」
「でねえ、このひとが、カルム。王子様だよ」
ラセミスタがそんな紹介をしたので、カルムは呆れた。
「……なんでそうなるんだ」
「王子様?」
マリアラが目を丸くした時、
〈やっぱ王子様なんだー!〉ラルフが叫んだ。〈そーだと思った! すっげテイエンとフンスイのあるとこずかずか入って行くしさー、門番の人がすげー丁寧に挨拶してたしさー! なにより王子様っぽい顔だよなー! すげー! 俺王子様とすっげなれなれしく話しちまったー! こっちの王子様は偉そうにしないんだねー! サインもらっていーかなー!〉
〈ダメです〉
思わず言うと、ラセミスタとグスタフが吹き出した。マリアラは苦笑した。
「どこからどこまでが本当なの?」
「ううん、本当なの」とラセミスタが笑いながら言った。「今の王様の甥なんだって。お母さんが王様の妹でね」
「ははあ、なるほど……」
マリアラが納得したので、カルムは呻いた。
「なんでなるほどなんだ」
「あの、だって、グレゴリーとの通信のとき。フェイダの管理官に話をつけてくれって言われたの、簡単に引き受けてくれたから、どんな人なんだろうって思っていたの。あの……呼んでくれてありがとう。知らないままだったら……」
言って、マリアラは身を震わせた。グスタフを見て、ラセミスタにたずねた。
「この人は?」
「グスタフだよ」ラセミスタが柔らかな声で言った。「とっても勘が鋭くて、いろいろわかっちゃうの。翻訳機つけてるのもばれちゃった。ミンスターというところの出身なの。とってもいいところなんだって。葡萄酒と食べ物が美味しいんだよ」
グスタフが頭を下げて、マリアラは、微笑んだ。カルムとグスタフを見て、改めて礼を言い、深々と頭を下げた。変な子だなあとカルムは思った。礼を言うべきなのはこっちじゃないか。
マリアラは疲れているはずだ。食事も休息もとらずに飛んで来て人一人の命を救ったのだから、限界が近いに違いない。けれど今、彼女の外見からその疲労は伺えなかった。そのまま、そこにいた全員の紹介をラセミスタの口からさせた。どうやらラセミスタの記憶がちゃんとしているかどうかを確かめるという意味もあったらしかった。
ラセミスタの話し方は、少々疲れているという程度で、よどみも遅滞もなく、全くの正常に思える。マリアラもそう思ったらしい。全員とにこやかに挨拶を終えると、アーミナ先生に言った。
「アーミナ先生。脳の活動がちゃんともとに戻っているかどうか、テストした方がいいってレポートに書いてありましたけど、他にどうすればいいと思いますか? なんというか、もう、ちゃんとラスだなあ、という感じがするけど……念のために、複雑な計算式とか、解いてもらえばいいんでしょうか? でもわたし、そんな問題出せないし、正解なのかどうかも分からない」
「その点は大丈夫。校長先生がお見えですよ」
アーミナ先生が言って、その時初めて、病室の入り口に校長とベネットとエルザが来ているのに気づいた。校長は暖かな微笑みを浮かべていた。エルザは泣きださんばかりだった。ベネットはとっくに涙目だった。マリアラと顔見知りだと言ったのは本当らしく、マリアラに手を振ると言った。
「よく来たな。……ほんとによく来たな。〈アスタ〉を動かせるかどうかあっちに問い合わせてみたら、電源落ちないようにすれば問題ないそうだから、今からここに持って来るからな」
「ベネットさん……」
マリアラが言いかけたときには、ベネットは戸口から消えていた。ベネットの声はすっかり涙声だったから、逃げ出したに違いない。校長がマリアラの前にやってきて、両手を伸ばして、マリアラの手を取った。
〈よく来てくれました〉校長はとても暖かな声で言った。〈本当に……お礼を申し上げます。私の学生を、救ってくれてありがとう〉
「ヴィディオ校長先生だよ」
ラセミスタがささやき、マリアラはうなずいた。
「先日〈アスタ〉を通してご挨拶させていただきました、マリアラ=ラクエル・マヌエルです。こちらこそ、ラスに、ラセミスタに、良くしてくださってありがとうございます。お世話になっています」
「いろいろと話したいこともあるが、今夜のところは、長話をする余裕はなかろうね。こちらがこの高等学校を支配している女傑、エルザだ。何か困ったことがあったらなんでも相談して欲しい。エルザが全て居心地良く取り計らってくれるはずだ。だがまず、その前に……もしも」
校長は、ベネットがまだ戻らないことを確かめた。
それから、静かに訊ねた。
〈……ガストンという男が、何かをあなたに渡しませんでしたか。例えば、手紙。もしあるならば渡してください。なければ……〉
「……あ、いえ……」マリアラは、ポケットを探った。「あります。あの……どうして……?」
〈ふふ。私が彼ならば絶対に渡すだろうと思っただけです〉
校長は、マリアラが探し出した手紙を受け取ると、中を見ずに懐にしまった。そして微笑んだ。
「あなたは私の大切な学生の恩人だ。何も心配せず、どうぞゆっくり休まれるといい」
「ありがとうございます。でもまだ、ラスの脳の中から、ウィルスを完全に追いだしたかどうか、確証が持てなくて」
「校長先生、魔法道具の技術理論についての専門的な質問をラスにしていただけませんか。日常的なことについての記憶ははっきりしているようですから」
アーミナが言い添え、校長は頷いた。
「わかった。では」
「その間、少しお休みなさい」
エルザが前に出てきて、マリアラに優しく微笑みかけた。エルザの放つ暖かな空気がマリアラをすっぽりとくるみ込んだように思えた。
そのとたん、マリアラの雰囲気がガラリと変わった。今し方奇跡を起こしたばかりの偉大な魔女ではなく、ただの、疲れ切った華奢な少女に戻ったように見えた。急に頬が白くなり、足が震えた。気が抜けたに違いない。
エルザは優しく微笑んで、マリアラの腕に手をかけた。
「食事を取らなくちゃいけません。眠ってもいないのでは? 顔色がよくないわ、当然だけれど。休む場所はこの、向かいの寝台がいいでしょうね。でもまずは、食事ですよ。暖かいものを少しでも食べなくちゃ。そうそう、ラスの食事はどうでしょうね。今夜は食べない方がいいのかしら」
「あ、いえ……もう、普通の、病み上がりの人と同じでいいんです。お粥とか……ガルシアの人は、二日ほど高熱で食べられなかった人は、治ったらまずなにを食べるんでしょうか……」
「ああ、じゃあ、ミルク粥を頼みましょう。大丈夫、ラスのことは校長先生にお任せして、今度は、自分のことを考えなくちゃね。まだ夜は冷えるのに箒で飛んでくるなんて、さぞ寒かったでしょう」
「あ」マリアラはカルムを見た。「わたし……あの……箒、どうしましたっけ……?」
「そうだ、俺が預かってる。ここに置いとく」
ポケットに入れたままだった二本の箒を元の大きさに戻して、壁に立てかけると、マリアラはホッとした顔をした。
「ありがとう」
「さ、行きましょう。もう大丈夫。何も心配はありませんからね。積もる話もあるでしょうけど、時間はたくさんあるのだから、明日にしたらどうかしら」
エルザはそう言って、マリアラを抱きかかえるようにして部屋を出ていった。マリアラが小さな声で言うのが最後に聞こえた。
「あの……出来れば……お風呂に入ってもいいですか……?」
「もちろんです。でもまずは、スープを飲んでからね」
「あの子さ」リーダスタがラセミスタに言った。「どんなに急いでも三日って距離、二日足らずで来たんだよ。いい友達だね、ラス」
「ほとんど止まってないらしい。だから間に合ったんだ」
本当に危ないところだったなあ、と思った。マリアラがどこかで一度でも睡眠を取っていたら、間に合わなかったかも知れなかった。ラセミスタは目を丸くして、壁に立てかけられた箒を見た。
「二本の箒、組み合わせて……? ほとんど止まらずに? 嘘ぉ……」
「嘘じゃない」とグスタフが言った。「エスメラルダからイェルディアまで十八時間、イェルディアからフェイダまで七時間、フェイダからここまで十八時間。距離と時間の割合が合ってる」
「そうなんだ……マリアラ、魔力、そんなに強くないはずなのに……すごいなあ……」
ラセミスタは、照れくさそうに微笑んだ。そして、こちらを見上げた。
「今って真夜中、だよね。みんな一緒にいてくれたの? ありがとう」
「いやいや、ただ、いただけだからさあ。まーこれで安心して、課題選べるよ」
リーダスタは笑って、あくびをして、ひらひらと手を振った。
「気が抜けたらなんだか急に眠くなったよ。じゃあねえ、お休み。お大事にいー。明日また、顔見に来るからね」
みんなが口々に見舞いと挨拶を投げて部屋を出ていく。カルムも急にホッとして、自分が予想以上に疲れているのに気づいた。一気に眠くなってきた。今日はようやく寝台で身体を伸ばして眠れる、と思って、ふと気づくとラルフがいなかった。
「カルム」と校長が言った。「この子を【魔女ビル】まで連れて行ってやってくれないかね」
そして、ラルフを抱き上げた。どうやら床に倒れていたらしい。抱き起こされてもびくともせずにすうすう寝息を立てている。カルムは苦笑して、ラルフを受け取った。ぐんにゃりしていてあったかく、意外なほどに柔らかい。
「じゃーな、ラス」
「あ、待って」
ラセミタが言うので、いったい何かと思ったら、ラセミスタは少し恥ずかしそうに訊ねた。
「カルムにもらったお土産、あたし、どうしたかなあ……? あの日着てた服のポケットに入れておいたと思うんだけど……」
グスタフが笑い出し、カルムは呆れた。
「少し良くなったらすぐ甘いものの心配かよ。誰も取らねえよ」
「ち、違うもん。マリアラと一緒に食べたいなって思って」
「ラスは今夜は粥だけだってあの子が言ってたろー」
「大丈夫よ、ラス」アーミナ先生がくすくす笑った。「あなたの服は医局で預かっているわ。ポケットの中身もいじっていないから、ちゃんと入っているはずよ。明日持ってきてあげる」
「わあ、良かったあ。ありがとうございます」
「大丈夫そうだな」グスタフが笑った。「ウィルスは全然残っていなさそうだ」
「全くなあ、さんざん心配かけといて、自分は菓子の心配かよ全く」
「じゃあな、ラス」
グスタフの言葉に、ラセミスタは、微笑んだ。また、ひどく柔らかな声で答えた。
「うん。心配してくれて、ありがとう。……お休み」




