王宮(2)
〈確認させていただきます。あなたはエスメラルダから来たのですね〉
〈フェルドならそこは、『お前はエスメラルダから来たんだよな』って言うかな〉
〈オ前ハエスメラルダカラ来タンダヨナ。何日かかりましたか〉
〈んーと、十日だったかな。俺たちはエスメラルダからじゃなくて、アナカルディアってとこからだけど。列車でイェルディアまでふた晩かかって……レイキアの【穴】からフェイダってとこまで馬で三日、フェイダからここまで、マティス、だっけ? あの立派な生き物で五日〉
〈お前はマティスに乗ることができたのですか〉
〈あー、うん。最初はてこずったけどすぐ慣れたよ〉
〈いえ、そうではなく。マティスに乗るのは高額なお金を払う必要があります。お前自分で払えたのですか〉
ラルフの表情を見て、カルムは言った。
〈そこがわからない。狩人がその代金も払ってくれたのですね。なぜ狩人はお前の同行を許したのですか。狩人は、魔女の、敵、ですね。お前、魔女の身内なのでしょう。邪魔をするつもりだってわかっていたはずなのに〉
〈……〉
ラルフはしばらく沈黙した。
もう一度口を開いたのは、王宮が近くなって来てからだった。
〈……話せば長いことなんだ〉
〈いいですよ。なぜなら私の気が紛れますから〉
〈暇つぶしかよ……えーと……ルクルスだからさ、俺。エスメラルダじゃあ、隔離されてんだよ、一般人や魔女とね〉
〈……隔離?〉
ルクルスについて話していた時、ラセミスタの言った言葉が思い出された。
――祝福、なの? 呪いじゃなくて?
〈呪われ者って、言われてるんだよ。魔力の素養がないってことは、エスメラルダでは人間扱いされないってことなんだ。学校も行ってねえし、風邪ひいたり大ケガしたりした時も、魔女に治療してもらえない。生まれつきそうなんだ〉
〈なぜですか〉
〈知んない。でも俺、他の場所のこと知らなかったから……アナカルシス以外の国じゃみんなそうなのかと思ってたよ〉
〈ソンナコトネーヨ〉
〈あはっ、うまいうまい〉ラルフは顔をあげて笑った。〈マリアラもフェルドも……ラセミスタもね、他の人達も、みんな、変だって言ったよ。ベネットのおっさんも。エスメラルダの中にも、ルクルスのことどうにかしようって思って、頑張ってくれてる人がいっぱいいるんだって。最近知った。……でね、狩人の中に、【風の骨】って役職の人がいて……〉
〈お前が一緒に来て、リーダスタが目撃して、グールドもラセミスタを襲った時一緒にいたって証言していた。しかし屋上には存在しなかった、フードの男のこと。違いますか〉
〈違いません〉ラルフは沈鬱な顔でうなずいた。〈【風の骨】はずっと、エスメラルダの中にこっそり入って来てね、俺たちルクルスに差し入れしてくれてた人なんだ。悪い奴じゃないんだ。ほんとに……アナカルシス中に、エスメラルダのルクルスに同情してさし入れ用意してくれてる拠点があるらしくて、【風の骨】はそこを回って物資を集めてさ、三カ月にいっぺんくらい、運んで来てくれてたんだ。俺たちルクルスはみんな、あいつに恩を感じてる。……だからね。俺、ほんとにわからないんだ。どうしてウィンが、ラセミスタをさらおうとしたのかが〉
〈狩人の本拠地に連れて帰って、道具を作らせるためではないのですか〉
〈そんなことしそうもない奴なんだ。すげえお人好しだしさ。マリアラは、魔女なんだけど、ウィンは、狩人だけどさ、マリアラのことすげー心配したり……なんていうか、そんな奴じゃない。そう思ってた。そもそも、狩人やめるって言ってたんだよ。なのに……わけがわからない〉
〈そうですか。だから一緒に来たのですか? 理由を、知りたいから〉
〈うん、まあ……あのね、この国の偉いおっさんが殺されかけたろ。十日前に、狩人の偉い人が、どっかからその依頼を受けたらしいんだ。ええと……りーり、りーろーん、とかいう人を殺せって……? で、狩人の偉い人が、ウィンとグールドにその仕事を任せたんだよ。俺、それをこっそり聞いてたんだ。そしたらウィンがね、ラセミスタがこっちに来てるから、ついでにさらって来てもいいかって……言って〉
〈そうですか〉
うなずくと、ラルフは、それで黙った。まだ話すことはあるけれど、どう話していいか分からない、そんな感じだった。
しばらくして王宮についた。ラルフは顔を上げ、口をあんぐりあけた。
〈ここ……にーちゃんち?〉
〈違います〉
〈あ……ああ、そう。……でっけー……〉
〈行きます〉
〈行くの!?〉
〈当然です〉
階段を上り始めると、ラルフは慌ててついて来た。門番が現れたが、カルムを見ると一礼して近づいて来た。
「おはようございます、リーリエンクローン様」
「おはようございます。まだ開宮前だということは承知していますが……交換台へ行きたいんです。通用門から入れていただければ……」
「ああ、それでしたらば、もちろん、結構でございます。恐れ入ります、どうぞどうぞ、こちらへ。そちらのお子様は?」
「連れです」
「さようでございますか。承りました」
門番が先へ行って通用門を開けてくれた。ラルフはおっかなびっくりカルムの後に続いたが、門番がとがめないばかりか、質素な身なりのラルフにまで丁寧にあいさつしたので、すっかり感銘を受けたようだった。
〈すげーんだねにーちゃん。王子様?〉
〈ソンナコトネーヨ〉
〈違うの? すげーな……〉ラルフはきょろきょろと辺りを見まわしていた。〈別世界だ。……わあっ、すげー! 俺知ってる、これ、テイエンって言うんだろ!? あれ、フンスイだろ!? すげえ……! なーなー、あっこから水出るんだろ!? ぶしゅーって!〉
〈出ます。時間になったら〉
〈すっげー……!〉
ラルフは噴水の場所まですっ飛んでいった。開宮前に手入れをしている庭師たちが驚いている。カルムは構わずに右へそれ、庭園の外れに設えられた小さな四阿へ行った。一見すると庭園に趣を添えるために設えられた四阿だが、近づいてみると、森の中に隠されている部分がかなり大きい。これが王宮の交換台だった。この時間でも何人かの人間が出入りしている。覗くと、父の秘書のひとりがいた。彼はカルムを見ると慌てて出てきた。まだ若く、気のいい男だ。カルムと父親が不仲だと思っていて、いつもカルムに同情してくれる。
「まずいですよ坊ちゃん。――ああ、おはようございます」
秘書はそう言い、カルムは苦笑した。
「おはようございます。何がまずいんです」
「フェイダへ連絡が取れたかどうか、宰相閣下が良く覗きに来られるんです」
「あー」カルムは頷いた。「すぐ退散します。連絡、取れたかどうか知りたかっただけなんで」
「ああ、それがねえ、一晩中呼び出してたんですけど、どうも要領を得なくて……【穴】付近にもっと気の利いた人間を派遣して連絡を密にする必要性を、宰相閣下が深くお感じになった一晩でしたよ全く。ガルシア領だったらも少し話は早かったんですがねえ。でも近々改善されると思いますね。あちらまでマティスで、平均十日ですが、箒で飛べば何時間なんでしょうねえ、とにかく、まだ通ってはいないようです。あと一時間もすればもう少し気の利いた人間が出勤するでしょう――そう祈るしかないですね。魔女が通ったと連絡が来たら、高等学校へもお知らせしますよ。医局ですか」
「はい。お手数ですが、お願いします」
「お任せ下さい。――お早く。たぶん登宮前に寄られると思いますよ」
「ありがとう」
カルムはさっさと逃げ出した。大勢の役人たちの前では、父も悪態をつかずに済ませるわけにはいかないだろう。これ以上あの人の神経をずたずたにするつもりかと、母親に言われるまでもなく、出来ればそんなことは避けたいに決まっている。




