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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の相棒
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三日目 非番(6)

 日はとっくに暮れた。森の中はとても暗い。

 ラルフはルッツを担いで歩いていた。昨夜と殆ど同じ状態だったが、唯一違うのは、ルッツに意識が戻っているということだ。高熱が続いた二日の間何も食べられなかったから、消耗してはいるけれど、意識があるだけでこちらの負担はだいぶ軽い。


 本当に、魔女はすごい。


 その点だけは認めなければならない。ラルフは、昨日ルッツを助けた若い魔女のことを考えた。予想どおり、彼女はあっさり騙された。無傷のラルフが自分のシャツを引き裂き血をなすりつけただけで、彼女はころっと信じ込んで、のこのこついてきて、高価なはずの薬を惜しげもなく使い、自分の両手も血まみれにしてルッツを助けた。ラルフの思惑どおり。

 エスメラルダの特権階級を引っ張り回して、それのもたらす恩恵を横取りした。ざまあみろ、ってなもんだ。


 そのお陰で状況は格段に良くなった。ルッツは生きている。ルッツの体にはもはや傷はどこにもなく、食べ物も食べ、水も飲む。体は温かく、しかし高熱も出ていない。帰ったら、ルッツはまた、ラルフに読み書きを教えようと躍起になる。それから引き算も。その報酬と引き替えに、ラルフはルッツの分まで魚を獲ってやる。

 なのに、どうしてだろう。昨日の晩からずっと、ラルフは居心地が悪い。


「ラルフ。やっぱり一緒に戻ろうよ……」


 ルッツが耳元で囁き、ラルフは聞こえないふりをした。


「俺こんな真っ暗な夜にひとりで小舟で戻るなんて……怖いよ、ラルフ。一緒に帰ろう」

 ラルフは舌打ちをした。「弱音吐くんじゃねーよ、男のくせに」

「だからだよ」

「は?」

「俺男だもん。友達を一人残して自分だけ家に帰るなんてできないよ」

「……」


 ラルフは憤然と息をつく。これは八つ当たりだ、わかっている。わかっているが、抑えられない。ちくちくと何か小さな針でつつかれているような、焦りのような、居たたまれないような何かが、昨夜からずっとしつこくラルフを責めている。その居心地の悪さに、耐えられない。だからラルフはとげとげしい声で言った。


「弱い奴は足手まといだ。俺一人の方が助かるんだよ。一人で歩けもしねーくせに、大口叩くな」

「うん。……でもさ。でもさ、ラルフ……いくらお前でも、一人じゃどうにもならないことってあるだろ……。できないときは、誰かに頼れよ。昨日はそうしたじゃん。魔女の手を借りて、俺を助けてくれたじゃん。お前が一人で頑張ってたら、俺きっと死んでた。……だから、ありがとう、ラルフ。魔女を頼ってくれて」


 頼ったんじゃない。利用したんだ。

 そう言いたいのに、言葉が出ない。


「頼った方が、きっといい結果になる。だから今も、ラルフ……一人で難しかったらさ、一度帰ってさ、それで……」


 ラルフは黙ってルッツを揺すり上げた。いまいましい。なんて、いまいましい。弱いくせに。チビのくせに。一人でろくに魚も捕れないくせに、ルッツはいつも、ラルフの痛いところを突いてくる。説得、されてしまいそうになる。ルッツは去年、勉強の苦手なラルフに足し算を教え込んだ。今と同じように、ラルフの痛いところを突く形で。穏やかに、粘り強く、説得し続けて。

 その説得に負けたお陰で、ラルフはもう、年長の奴らに、魚の網をごまかされずに済むようになった。


「帰ろうよ、ラルフ。お前一人残して、帰れないよ」


 ああ本当に、ルッツは賢くて、その説得は真っ当なのだ。いまいましい。あんまりいまいましくて、胸がざわつく。


 森を抜けた。南大島の、西海岸に出た。

 岩陰に小舟が隠してある。

 普段だったら間に合っただろう。でも胸がざわざわし過ぎていて、ラルフはいつもより一歩だけ、気づくのが遅れた。


「よう、ラルフ」


 一歩の差は大きかった。ラルフは踏み出した一歩を戻しながらそれを聞き、森に駆け戻りながらアルノルドが片手弓を構えるのを感じた。「動くな。」 鋭い声を聞いたのは、森に紛れる一歩前だった。


「ラルフ……」


 ルッツが囁く。ラルフは足を止めた。逃げたらアルノルドの放った矢がルッツの脇腹に突き刺さっていたはずだ。一歩の差は大きかった。致命的なほどに。


「……ラルフ。お前そのガキ治すために魔女を利用したな?」


 クレメンスの声は、ラルフが舟を隠していた岩場から聞こえた。ラルフは観念して、ルッツを下ろした。クレメンスに向き直る。狩人の姿は、闇に沈んで殆ど見えない。


「そんな足手まとい助けるために、なあ」

「ルッツ。こっちへ来な」


 北から歩み寄ったアルノルドが、片手弓をラルフに向けながら言う。ラルフは一瞬迷った。アルノルドを叩きのめすことは簡単だ。その方がいいのではないか。ラルフの足かせはルッツだけだ。その足かせをむざむざあいつらに渡すのか、おい。

 でも動けないことはわかっている。ルッツは当然よろよろとアルノルドの方へ行く。ルッツは弱いくせに、魚もろくに獲れないくせに、無駄に男らしい。まともに歩けないくらい消耗しているのに、何とか体を伸ばして、アルノルドの片手弓とラルフとの間に入ろうとしている。


「お前根性あるなー、おい」


 アルノルドは言い、ルッツを殴った。ルッツは声も立てずに昏倒した。ラルフはアルノルドを睨んだが、アルノルドは平気でルッツを抱え上げ、まるで絞めたての子羊でも担ぐかのように肩に乗せてぶらぶらと歩いて行く。

 どこに連れてくんだよおい。ラルフは思った。

 そいつにそれ以上なんかしたら殺す。そう言いたいのに、言葉が出ない。


「よおラルフ。お前自分が何したのかわかってんのか」


 クレメンスが凄み、ラルフは黙って見返した。


「昨日の晩、休憩所のマヌエルから通報があったって、“お客さん”がご立腹なんだよ。あんな、何の役にも立たねー足手まといのクソガキ助けるためにお前、よりによって当番の魔女とは。なんつーことしてくれたんだアあ?」


 クレメンスはねちねちと文句を言った。が、意外なことに、ラルフを殴ろうというそぶりはない。殴らないのか、と聞くと、クレメンスは軽く笑った。


「あー、あのガキはお前にとっちゃ家族なんだろ、家族の命救うためにやったことだ、まああんまり怒るのも大人げねえよな」


 嘘だ、とラルフは思う。何を企んでやがる、このクソタヌキ。


「情報抑えておけんのは明日の日暮れまでだとさ。ガストンが既に入り込んで嗅ぎ回ってやがるし、明日の夜の当直は昨日と同じ、あのガキ助けた左巻きと通報した右巻きだ」


 ラルフは唸った。そうなのだ。どうした事情か、あの人の好い新米魔女は、他の魔女に比べて頻繁に南大島の担当になる。

 明日の夜はまた彼女があの休憩所に泊まる。

 ――どうにもならないときは頼れよ、ラルフ。

 ルッツの声が頭の中でわんわんする。

 その囁きに被さるように、クレメンスが言いつのる。


「このシフトを変えることはできねえとさ、それこそ下手に勘ぐられる材料をガストンに与えることになる。なあ、わかったな? 明日の日暮れまでに“猫”とっ捕まえて来い。お前ならできるよなあ、ええ? 同類だもんなあおいケダモノ。いつまでも人間のフリしてねーで、とっとと行ってこいや」


 そう言ってクレメンスは笑った。汚い笑い方だった。

 ラルフは黙って踵を返した。

 狩人は金持ちだ。魔女を殺して、いい暮らしをしている。うまいものも甘いものも食い放題だ。アナカルシスの王様がその生活を保障し、働きを喜んでくれる。いつか狩人になるのがラルフの夢だ。あのしけた小島を出て、アナカルシスに行って、魔女を殺して大金持ちになる。そう心に決めている。


 でも狩人になったとしても、クレメンスのような笑い方だけはするまい。それも心に決めて、森の中に分け入る。虫も鳥も逃げだした、不気味な沈黙に満ちた森の中に。

 あの魔女も今夜はいない、森の中に。

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