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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
魔女の邂逅
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【魔女ビル】図書館(1)

 途中で好きなお店を覗いたりしながら、のんびりした気持ちで、マリアラは図書館にたどり着いた。

 今日も程よく混んでいた。待ち合わせの時間まで、あと四十分ほど。


 居心地のいいソファをひとつ確保して、図書館をみて回る。目を通さなければならないレポートのことも頭をよぎったが、しばらくは強制的にお休みということになったのだから、少し後に回したとしてもバチは当たらないだろう。――そう思ったのだが、歴史書コーナーに向かう通路の脇に作られた、特集コーナーに目を吸い寄せられた。三日病、という文字が見える。


 図書館の特集コーナーは世相を反映している。三日病という病気は、すでに医局だけで聞かれるものではなくなっているのだろう。


 この病名は、最近聞かれるようになったものだ。少なくともマリアラが子供のころにはなかった病気だ。それは恐ろしい病気だった。子供のころに罹れば、病名どおり三日間高熱が出るだけでけろりと治ることが多い。そして二度と罹らない。けれどある程度成長してから罹ると、魔女の手助けなしでは死を免れることが稀だというものだった。

 症状としては、高熱、痙攣、全身の発疹、脳症。エスメラルダでは最近、思春期以降の人々へのワクチン接種と、子供のうちに集団で罹患させておくという手法が議論され始めたばかりだ。ただ、ワクチンはまだ数が作れないので、公務で国外へ滞在中もしくは滞在予定の人々に優先されるため、国内で接種され始めるのは数年は先のことだろう。


 エスメラルダではそれほど心配することはない。魔女の絶対数が違うからだ。夏に流行する病気なので、去年、医局はてんてこ舞いだったそうだが、治療を受けられない人が出ることはないはずだ。けれどウルクディアを始めとするアナカルシスやレイキアはそうはいかない。アナカルシスではワクチンの研究もエスメラルダほどは進んでおらず、死活問題だということだった。


 ミランダが『かけ落ち』したのはそのせいではないかと、ふと、気づいた。

 シグルドはアナカルシスに住んでいる。最近までエスメラルダに住んでいたのだから、シグルドもまだ免疫を持っていないはず。〈アスタ〉に依頼し元老院に直訴したとしても、レイエルであるミランダがアナカルシスに配属になることはないだろうから、思いあまって出奔したという方がしっくりくる。


 ――それでも、ヴィヴィを置いていったことがどうしても解せないけれど。


 それに、手紙をくれない理由にもならない。

 考えながらマリアラは『三日病の災禍』と冠された本を手に取り、パラパラとめくってみた。

 

〈最も警戒すべきは脳症である。思春期以降の罹患者はほぼ例外なく脳症を併発する。たとえ死を免れても、魔女の手助けなしでは、以前のような精神活動に復帰することは不可能に近い。治療者はまず体力保持のため、水分補給と栄養補給を行い、ウィルスへの抵抗を補助する薬を投与しながら、同時に患者の額に手のひらをおき、魔力にて脳よりウィルスを駆逐するべきである。その際患者の名を呼び、親しい人に呼びかけてもらい、患者自身の精神活動を活発化させることにより治療が進むことが顕著に多い点は特筆に値する。意識を回復するまで続けるべきである。意識を回復したら、名を聞き、いくつかの質問をし、精神活動が完全に回復しているかどうかを確認する必要がある。ここでの治療が不完全だと後遺症を残す恐れがあるため注意する〉


 ――怖いなあ……


 マリアラはため息をついた。左巻きの魔女であるマリアラは、例え罹患してもすぐに自分で治療することが出来るけれど、フェルドや右巻きの魔女はそうはいかないらしい。それに最も恐ろしいのはその感染力の強さだった。


 ――ラスは大丈夫のはずだ。ワクチン接種をちゃんと受けているはずだから……


 少し前に届いた手紙にあった。ラセミスタは一度目のワクチンを接種したが、その後三日ほど体調を崩したために、受験勉強の妨げになることを懸念されて延期になったのだと。

 ラセミスタは今どうしているだろう。今頃、二度目を受けている頃だろうか。最近手紙の返事が来ないのは、入学の前後はやはり忙しいからなのだろうか。——そう考えて、本を棚に戻す。気を取り直そう、と思う。だって今日はお休みなのだ。今からフェルドに会うのだし、今日のところは、楽しいことだけ考えたっていいはずだ。


 4月になっても豪雪が続くエスメラルダだ。郵便が滞ることだってきっとある。ガルシアは遠い。途中にレイキアや、少々治安の良くない国も通らなければならない。ラセミスタの手紙はきっと、そのどこかで足止めを食っているだけ。

 顔を上げた時、少し離れた場所に、小さな子供がいるのに気づいた。

 異様な光景と言える。子供たちが普段いる階ではないし、この図書館は大人が使うためのものだから、孵化していない人には年齢制限が課されるはずだ。社会見学にきているのだとしたら、一人しかいないのはおかしい。それに、どこにも寮母らしき姿が見えない。


 さらに、その子が手に取っていたのは分厚いハードカバーだ。その本にも三日病の文字が見える。小さな子供——五歳くらいの子供が手に取るには、あまりにそぐわない厳つさだ。

 

 男の子だった。優しい顔立ちをしていた。髪は濃い焦げ茶色だ。どこかで見たことがある、と考えてから、違う、とその印象を訂正した。この子に良く似た人を見たことがあるのだ。でも、誰だっけ。

 思い出せないでいるうちに、子供が視線に気づいて、こちらを見た。

 目があって、彼はにこりと笑った。人懐っこい、可愛らしい笑顔だった。


『こんにちは』と彼は言った。『マリアラ=ラクエル・マヌエル?』

「え――うん。どうして……?」

『有名ですから。僕はトール。よろしくお願いします』

「トール?」


 柔らかな声に、人好きのする笑顔。マリアラは自然に、その子に好意を抱いた。そして同時に、ずきりと胸が痛んだ。その子には、ヴィレスタを髣髴とさせる何かがあった。


 ――ミランダは、ヴィレスタを、捨てたのだろうか。


 今まで何とか意識に上らせずに来たその考えを、思い浮かべてしまった。

 ミランダは出奔するまで毎日、ずっと、ヴィレスタに会いに行っていた。話しかけて、髪を整えて、待っているからね、もうすぐ治してもらえるからねと、囁くのを日課にしていたのだ。それなのに突然、本当に唐突に、ヴィレスタを置いてウルクディアへ行ってしまった。

 マリアラの知っているミランダなら、絶対にヴィレスタを連れて行ったはずだ。

 だから説明を聞きたかった。ヴィレスタを待つのをやめたのだとは、どうしても思えないのに、状況は紛れもなくそれを指している。


『よろしく』


 トールがもう一度言い、マリアラは微笑んで、頷いた。


「よろしく、トール」

『医局のシフトのためのお勉強ですか』


 トールは目線でマリアラの目の前にある棚についたポップを示した。マリアラは首を振る。


「ううん、目についたから、ちょっと見ていただけ」

『お休みなのに、真面目なんですね』


 幼児なのに三日病関連の本を手に取る子に言われるなんて。

 マリアラは思わず苦笑した。


「トールも。その本に興味があるの?」

『あります。僕は左巻きの役目を担うことになったので』

「えっ」


 左巻きの『役目を担う』——

 どこかで聞いたフレーズではないか。

 マリアラの目が勝手に下を見た。先ほどからどうも違和感があったのだけれど、その正体に、目が吸い寄せられたようだった。

 図書館の柔らかな絨毯が、トールの足元で、不自然なほどに沈んでいる。


『近々配属されることになったんです』


 トールは相変わらず柔らかな声で言った。五歳の子が発するにはそぐわない、真面目な、しかつめらしい言い方だった。


『右巻きのマヌエルの相棒になるので、僕は左巻きの役割を担うのです。もちろん魔女ではありませんから、治療することは難しいので、人を助けに行くシフトには入れませんが――薬の知識があれば、相棒や研究者の症状を緩和するのに役に立ちますから』


 マリアラは、呻いた。


「あなた——アルフィラなの」

『はい、そうです』トールはにっこり笑った。『僕は特別製なので……【毒の世界】に行っても、毒によって不都合が生じたりしないように設計されているのです。近々【毒の世界】に観測所が作られます。そこへ荷運びやメンテナンスのために赴くことが、相棒と僕の主な仕事になるはずです』


 ――そんな。


 マリアラは必死で、動揺を顔に出さないようにした。


 ——どうして、新しいアルフィラが生まれるの?


 ヴィレスタの体は工房にある。材料が揃わない、ややこしいところが損傷している。ヴィレスタが治らない理由として、イーレンタールはそう言ったらしい。

 それなのに。ヴィレスタはまだ治っていないのに、どうして、新しいアルフィラが生まれるのだ? 材料があるならまずそれを、ヴィヴィに回してくれるべきではないか。


『まだ先の話ですが。でも勉強しておくにこしたことはありません。楽しみです』


 トールは嬉しそうにそう言い、マリアラは曖昧に笑った。ミランダがいなくて良かったと、心底思った。ずきずきと胸が痛んで、気を抜いたら泣き出してしまいそうだった。必死で平静を保ちながら、できるだけ穏やかな声で言った。


「そ、なんだ。わたし、もう行かなくちゃ」


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