帰り道(4)
*
「……なんだって?」
チャスクが呟いて、ウェルチが応じた。
「誰が会いに来たって?」
「さあ」
「嘘に決まってるよ」リーダスタが決めつけた。「ミンツのやつ、ちょっとあからさますぎるよね。もうちょっとスマートにできないもんかな」
「ミンツのやつも趣味わりーよなー。街歩いただけで疲労困憊なんて、いくら女子でもお荷物すぎね? 俺はごめんだね、ぜってー無理。付き合ってらんねー」
ウェルチはやたらと大きな声で言った。まるで自分に言い聞かせるように。
チャスクが、ぽん、とウェルチの肩を叩く。
「だよなー、山で、知らずにおんぶしちまったんだもんな。そりゃあそういう心境にもなるよなあ、わかるよ」
「……」
ウェルチの沈黙に、チャスクはニヤリと笑う。「ドンマイ!」
「うっせー!」ウェルチはチャスクの手を振り払った。「お前に俺の心理的外傷が理解できるってのかよ!?」
「だからわかるって言ってるじゃん」
「いーやわかるもんか、ぜってーわかるもんか!」
「ミンツのやつも大変だよなあ」チャスクはころりと話を変える。「リデルも参ってたじゃん。貴族の家柄から圧力かけられたらまずいことになるんじゃねーの」
「ミンツはそんなやわじゃないよ」とカルムは言った。「それにリデルはラスをそういう対象にすることはできない。貴族だからな。家柄を何より重視するなら、ラスは論外だ。貴族じゃないどころか、ガルシアの生まれでさえないんだから」
「へえー」
「だからグスタフをあんなに威嚇してたわけか」とチャスクが言った。「山で、リデル相手の時はもうちょっとさりげなかったもんな」
「グスタフも災難だな。かわいそーに」
ウェルチは全くかわいそうなどと思っていなさそうな口調で言った。カルムは感慨深かった。まさか高等学校でそんな話題に遭遇するとは、入学前には思いもよらなかった。先ほどまでの騒動が嘘のようだ。
グスタフは顔をしかめている。だいぶ逡巡した後、グスタフは言いにくそうに言った。
「……そういう話をするんなら、人気のない方にいくんじゃないのか。狩人がまだ捕まっていないのなら……」
気になるらしいとカルムは思う。
正直、過保護だと思った。いくら歩くのが遅く体力がない女子だからと言って、あまりに心配しすぎではないか。グスタフは本当は、ミンツの動向が気になるだけではないだろうか。
しかし今日のところはグスタフに借りがある。
「確かにそうだな。行ってみっか」
助け舟を出すとグスタフは、頷いた。
「確かに保護者じゃないし、確かに関係無い、こと、なんだが……時期が悪いよな」
そう言って寮の方へ足を踏み出した。いくぶん自分に言い訳するような口調に思えた。リーダスタもそう思ったのか、少し楽しそうに言った。
「えー、なに? 邪魔しに行くの? ふうーん?」
「違う。狩人が捕まったのかどうかまだわからないんだろう」
「狩人ね、もうこの辺りにはいないらしいよ。少なくとも敷地内にはいないはずだって、近衛が太鼓判押してったよ。ほんとに大挙して近衛が詰め掛けて、しらみつぶしに捜してたんだ。町中で目撃されたりしてるらしいし。だから大丈夫だよ」
そう言われてもグスタフは納得できないようだ。
こいつはかなり頑固なやつだとカルムは考えた。普段は、グスタフよりもリーダスタやウェルチの方がずっと我を張る印象があるが、なかなかどうしてグスタフも相当、自分の意見を曲げない性格らしい。
まあそうでなかったらあの巨大なマティスに挑むような真似もしなかっただろうし、何より、近衛がカルムを呼びに来たという違和感だけで、ヨルグ少尉の陰謀に気づいたりもしなかっただろう。
「……なんか気になるのか」
それこそ『近衛兵がカルムを呼びに来た』という違和感に匹敵するような何かがあるのか。
訊ねるとグスタフは顔を顰める。
「……俺が狩人だったら」
「おう。狩人だったら?」
「遠路はるばるアナカルシスからガルシアまで、どんなに急いでも四日五日くらいはかかる……そんな距離を来たのに。国王襲撃に失敗したからと言って、手ぶらでは帰れない」
「いや、心情としてはわかるけどさ」とリーダスタ。
確かにそうだとカルムは思う。精神論でどうにかなるほど、ガルシアの近衛は甘くないはずだ。
「魔女を狩るのを生業とするのが狩人なんだろう」グスタフはまだ納得しない。「助っ人を頼まれて国王陛下襲撃に加担したのかもしれないけど、本来の狙いはラスのはずじゃないのか。ラスは魔女の使う道具の性能から弱点まで全て知ってるんだから、狩人にとってはラスは是が非でも捕まえたい相手のはずだ。ついでに手伝おうとしただけの国王襲撃が頓挫したからと言って、本命を諦めて逃げるだろうか。こんなに遠くまでわざわざ来たのに」
しょうがないなとカルムは思った。グスタフのこの頑固さに助けられたばかりなのだ。万一のことを考えたら、行っておいても損はない。ミンツには悪いが、ラセミスタが疲れているだろうことも確かだし、カルムは彼女にも借りがある。
「んじゃまあ、見にいくか。ミンツの邪魔すんのは悪いけど」
「今は逃げるので精一杯だと思うけどなあ」リーダスタはひひっと笑った。「まーミンツの邪魔すんのも悪くないかもね。あんな大騒動納めたばっかなんだから、早いとこラスを解放してやった方がいいだろうしね」
グスタフが足を速めた。カルムとリーダスタが後を追った。ほんとに俺たち、過保護だよねえ、と呟くリーダスタの声に、カルムはうなずいた。全くだ。
あそこまでのもやしっ子じゃなければ、ここまでしないで済むのに。
全く危なっかしいったらないのだ。身を守る手段を何にも持たないくせに、ヨルグとフランドルとの会話を高等学校の構内に大音量で流すなんてことができるのだ。今後この国で陰謀をたくらむ人間がいたら、まず彼女を手に入れるか排除するかの方法から考え始めるだろう。彼女は今日、この国中にその能力を大々的に喧伝してしまったことになるのだから。
白亜棟にたどり着いたちょうどその時、入り口から小さな影が走り出て来た。あいつだ。ラルフという名のあの子供だ。ベネットらしき人影がその後をついてくる。ラルフは闇に目をこらすようにこちらを見て、すぐに駆け寄って来た。アナカルシス語で叫んだ。
〈にーちゃんら! 遅かったね! ラセミスタは!?〉
〈一緒に帰って来たのですけれども、同級生が寮の方に連れていきました〉
答えるとラルフは顔をしかめた。
〈寮!? もー! わざわざこっちで待ってたのにー! 晩飯食いに来るはずだって言ったじゃんかおっさんー!〉
〈だから誰がおっさんだっつの。……食事は取らないのか?〉
ベネットが言って、カルムは首をかしげた。
〈どうでしょう。食べると思います。同級生は、彼女に、エスメラルダから兄が会いに来たから会わせたいと、言っていました〉
ラルフが動きを止めた。〈……兄?〉
〈あなたも知っているのですか? フェルドという名前の、マヌエルであるはず。たしか、そう言っていたと思います〉
〈フェルドが……? ひとりで? え、女の子は? 女の子のこと、何か言ってなかった? もしフェルドが来られたならマリアラが一緒じゃないわけがないよ。フェルドがマリアラを放って来るわけねーもん〉
ベネットは一歩前へ出た。
〈そもそも……ガストンさんの手紙のとおりなら、フェルディナントが穏便に出られるわけねえよ。箒でも、こっちへ来るのにどんなに頑張っても三日はかかる。三日前に出てたら今頃大騒ぎになってるはずだ。俺に知らされないわけがない〉
グスタフが走りだした。カルムは驚いた。今の会話はすべてアナカルシス語だったのだ。リーダスタはさっぱりわかっていないのに、グスタフには内容が分かったのだろうか。
でも、考えている暇はなかった。
嫌な予感がしていた。




