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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
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帰り道(3)

 高等学校へ続く坂を上がるのは、想像以上に大変だった。途中で何度も一休みして、呼吸を整えなければならなかった。

 カルムも、初めのうちは黙って待ってくれていたが、半ばほどでついに言った。


「……あっちの近道使わなくてほんとに良かったな。あの斜面上れねーだろ。途中で何度もずりずり落ちて、諦めて、そこでハウス建ててふて寝するだろ」


 その暴言は無視した。我ながらやりかねなくて悔しかった。

 グスタフも言った。


「おぶってやろうか」

「い、いえ、とんでもない、どうぞ、……おかまいなく」


 ラセミスタは膝に手をついて呼吸を整えた。


「はー。…………先行ってていーよ」

「良くねーだろ。もう暗いし、物騒だし」

「狩人が捕まったかどうかも分からないしな」


 確かにと、思う。グールドが野放しにされている状態では、さすがにひとりになるのは怖かった。


「まーさすがに捕まってんだろーけどな。あ、そーそー、ラス、ラルフって子供、知ってるか?」

「ラルフ……?」


 ラセミスタは目を丸くした。思わず息切れを忘れた。


「ラルフ、知ってる。十歳くらいの、すごく可愛い男の子」


 確か本当は女の子なのだという話だったが、パッと見は完全に男の子だったはずだ。


「そうそう、それそれ。祭りで国王が狙撃されたの、あの子が助けてくれたんだよ」

「……って、えー!? なんでここにいるの!?」

「さー? 詳しい話は聞く暇なかったんだけど、リーダスタがなんか、寮の四階で簀巻きにされてたとかなんとか……出る時にはあの、ベネットって人と一緒にいたはずだから、今は【魔女ビル】にいるんじゃねーかな」

「そーなの? わかった。行ってみる」

「あー、やっと来た来た! おーい!」


 坂の頂上、門の辺りにいた人影が、リーダスタの声で叫んで手を振った。ウェルチとチャスクもいた。新入生ばかり、五人はいるようだ。ラセミスタは足を速めた。みんなにまたもやしっ子だとからかわれるのはさすがにごめんこうむりたい。必死で坂を登り切るが、ウェルチはやっぱり容赦なかった。


「おーいラス、ここ山じゃねーよ? 街中だよ?」

「わ、かって、るよ」

「汗びっしょりじゃん、ピクニックですらないぜ」

「うるっ、さいな!」

「いやラス、笑い事じゃない」チャスクまでもが珍しく口を出した。「いくら何でも体力なさすぎ。課題消化とか、ほんとどうすんだよ」

「首都、ファーレンから、出なくていい課題、だけ、選ぶもん」

「首都ファーレンがどれだけ広いか知ってんの? 今日歩いた距離なんか、百分の一もないくらいじゃね? 明日から毎朝走った方がいい、まずは高等学校の敷地内だけでも」

「いや〜走るのも無理じゃねーの」ウェルチは本当に容赦がない。「この程度の坂で疲労困憊とか、老婆レベルだろ。いきなり走ると膝痛めるぜ。まずは歩かねーと」


 言うに事欠いて老婆である。しかし確かに膝が震え始めている。反論しようにも、ぐうの音も出ない。


 グスタフが言った。


「歩くのと同時に、剣術の基本もやった方がいいかもしれない」

「うわあ、そこからかあ」そう言ったのはリーダスタだ。「でも、そうだねえ、それがいいね」

「剣術の基本って?」


 聞いたのはカルムだ。ミンスター地区やメルシェ地区と、首都とでは、身体の鍛え方が違うのかも知れない。


「ああ、首都じゃやんないんだ? 俺の地区じゃ七歳以下の子供がやらされるんだけどね」

「七歳レベルだってさ、ラス」


 チャスクがわざわざ言った。リーダスタは笑った。


「ラス、まず、購買行って、自分の体格に合った木刀を買うんだ。でね、それを構えて、毎日朝と夕方に、正しい姿勢で、呼吸を整えつつ静止する」

「それで?」

「それだけだよ」

「それだけなの?」


 ラセミスタはホッとした。それなら出来そうだ。

 リーダスタは苦笑した。


「初めは結構大変だよ? 最終的には三十分、動かずにいられるように訓練するんだ」

「……三十分!?」

「そこまで来ると必要な筋肉が出来てるってこと。そしたら素振りに入るんだけど。呼吸器も鍛えられるし腕力も背筋も整うから、この程度の坂で息切れすることもなくなってるはずだ」


 三十分。気が遠くなりそうな時間だった。

 それだけの長い時間、自分が魔法道具をいじらずにいられるなんて思えない。

 けれど、みんながこうも心配するところを見ると、少しくらいは歩み寄らなければならないかも知れない。でもイメージが湧かなかった。


「正しい姿勢って……どんな?」

「じゃーまず購買行く? 木刀選んであげるよ。ああもう、心配だなあ。グスタフは身を守れるからいいにしても、ラス、ほんとにやばいよ? 今日一日で国中にその名が轟いちゃったじゃないか」


 ラセミスタは足を止めた。「そうなの?」


「そうだよ! 何言ってんの? あんな大々的に放送しといてさ。この国で貴族制の復活を喜ぶ人間なんかホントにひと握りしかいないからね、大多数の人間は大喜びだったよ。……でもその分、喜ばない方の人間はねちっこいからねえ……逆恨みされてるかも知れないよ、君たちさえ余計なことしなきゃ! ってさ」

「……そっかあ……」

「それにさー、リーリエンクローンの恩人になっちゃったんだしさー。今ラス捕まえればリーリエンクローンがどんな額でも身代金払いそうじゃんか。それに夢みたいな魔法道具の技術がついてくるんだからそりゃ……わー、ごめんごめん。大丈夫だって。いや用心に越したことはないよって言いたかっただけなんだ」


 ラセミスタの表情を見て、リーダスタは慌てて話を変えた。


「……にしてもなんであんなタイミングでカルムの家にいたの? 前々から陰謀があるってわかってたってこと?」

「ああ、というかね、ちょうどいたの。お祭りに行けなくて腐ってたら、カルムが家に連れてってくれたから」

「なにー!?」


 唐突に大声を上げられて、ラセミスタはギョッとした。


「え、何?」

「き、君たちリーリエンクローンの家にお客さんとして呼ばれたってわけなの!? ひどいじゃないか! なんで俺も誘ってくれないんだよー!」

「ええー! だってリーダスタ抜きで首都観光行ったら怒るでしょう!?」

「そりゃ怒るよ! 大激怒だよ! 市中引き回しの上打ち首獄門だよ!」

「……そんなに怒るの!?」

「でも今回のもひどいよー! 祭りが終わるまで待っててくれたっていいじゃないかー!」

「だからお祭り行けない代わりだったんだってばー! 自分はお祭りで屋台巡りしたんだからいーじゃない!」

「それはそれ! これはこれ!」


 きっぱり言われて、ラセミスタはもはや感心した。リーダスタは本当にすごい人だ。


 ガルシアの【魔女ビル】は医局と食堂のある建物【白亜棟】の最上階、つまり屋根裏部屋にある。〈アスタ〉の端末があって、保護局員が数人交代で詰めているだけの場所だ。

 辺りはすっかり暗くなっていて、前方に、【白亜棟】の明かりが近づいてきている。その明かりを見て、帰ってきた、という気分になって、驚いた。


 ここに住んで、まだ数日にしかならないのに。


 ラルフは、と考えた。ラルフはいったいどうして、ここにいるのだろう。マリアラは知っているのだろうか。ちょっとだけ、胸が疼いた。その可能性に、思い至ってしまった。

 マリアラかフェルドが、ラセミスタに連絡を取ろうとして、ラルフにそれを頼んだと言うことは――ないだろうか。


「……まさか」


 それはないだろう。ないはずだ。でも、あり得ないとまでは言い切れなかった。そもそも、違和感があったのだ。だって、イーレンタールがラセミスタに警告をしたときには、既に前校長は亡命していたはずなのだ。それなのに、ラセミスタに辞令が下りた。次に権力を握った副校長も、前校長と同じ判断を下したということだ。


 ――校長はジェイドに化けてマリアラを誘った。

 ――副校長に化けることだって、出来るのではないだろうか。

 ――だとしたら。


 ラセミスタは身震いをした。

 本当にそんなことがあるとして――あまりに荒唐無稽でばかばかしい話だという気がするが、でも、もし。万が一、そんなことがあったとしたら。マリアラがとても危険だということになる。あれから半年だ。もしそうなら、ガストンさん辺りが、事態は何も変わっていないことに気づいているはずだ。もしそうなら、フェルドに警告するはずだろう。マリアラが危険だって。もしそうなら――


 マリアラとフェルドが国外に出るとしたら、行き先はどこだろう。

 ここに違いないと、期待してはいけないだろうか。

 マリアラがここに来ることが出来れば――

 フェルドと一緒に、……ここに来ることが出来れば。


 そんなことを、考えてしまった。


「ラスー!」


 甲高い声で名を呼ばれて、ラセミスタはびくりとした。リーダスタがまだきゃんきゃんわめいていたのを聞き流していたから、業を煮やして叫ばれたのかも知れない。リーダスタを敵に回すと怖い、と言ったカルムの声を思い出したが、でも違った。叫んで、駆け寄ってきたのは、ミンツだった。


「あのっ、ラス! 大ニュース! 大変なんだ! ちょっと来て!」

「え……っ」


「ミンツー」リーダスタがちょっと不思議な声を出した。「もう暗いからさー。ラス疲れてんだしさー。坂上がっただけでへろへろだしさー。気持ちはわかるけど、課題出るまでまだ時間はあるんだから、今日はやめときなよー」

「なっ、何言ってんだよ!?」


 何か思い当たることがあったのか、ミンツが不自然にうろたえた。リーダスタがふん、と言った。


「バレバレなんだよ」

「ちっ、違うよ! そんなんじゃないよ、勝手なこと言うなよ! ――ちょっと来て!」


 手を掴まれて、引っ張られた。ミンツはひどく慌てているらしい。と、背後でグスタフが声をあげた。


「ミンツ、ラスは――」


 ミンツが振り返った。びっくりするくらい険しい顔をして、グスタフを睨んだ。


「ラスは、なんだよ!?」

「いや」グスタフは面食らったようだった。「狩人はまだ捕まってないんだろう。危険じゃ――」

「別に構内から出たりしないよ! 君には関係無いことじゃないか! 君はラスの保護者なのか!?」


 やけに乱暴にそう言うと、「ほら、来て!」ラセミスタの手をつかんで再び走りだした。その必死さに引きずられて、抵抗することができなかった。ミンツは寮へ向かっているようだ。ラセミスタは呼吸を整えようとして、失敗して、喘いで、息を吸って、ようやく、必死で声を上げた。


「あのっ、エスメラルダの友達が待ってるそうなんだけど……!」

「こっちもだよ!」

「へ――?」

「フェルドって言っただろ! 君のお兄さん! フェルドが、君に会いに来たんだ!」


 ――心臓が止まったかと、思った。


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