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魔女の遍歴  作者: 天谷あきの
ラセミスタの留学
512/783

魔物

 カイルへの襲撃を聞いて、警備の人間が多数こちらに駆けつけてきていた。そして手薄になった国王とヴィディオ校長のいる辺りへ、魔物が乱入したらしかった。広場は大混乱に陥っていた。きしゃあああああ、というような長く尾を引く悲鳴じみた声が、人々の悲鳴や怒号を圧して響いている。

 あれが魔物の声だろうか。


 ──あの白い生き物は無事に帰った。

 ──だったらなぜ、まだ、ここに魔物がいるのだろう。


 胸がざわつく。あの生き物は、魔物の"素"と呼ばれていた。近衛がアナカルシスから密輸したという話だった。

 もし操獣法の時にあの子を逃がせていなかったら──

 今日ここに現れていたのは、あの子だったのかもしれない。


 ならば絶対に放ってはおけない。しかし魔物、という存在は脅威だ。丸腰で立ち向かうのはまずい。

 リーダスタはカイルに言った。


「宰相閣下、ここを動かないでください。俺、ラスが、ええ、ラセル=メイフォードが、こないだ、【毒の世界】で魔物を撃退するための道具をいくつか見せてくれたんです。確かまだ談話室にあったはずだから取ってきます」

「それは頼もしい」


 カイルは落ち着いていた。その態度に、リーダスタは、自分も落ち着いてくるのを感じた。


「弾は回収してたと思うから、えっと……魔力の結晶を、たくさん集めてもらえませんか。結晶で代用できるって言ってたような、気が」

「わかりました」

「お願いします」


 リーダスタは走りだした。カイルが、購買の魔力の結晶を買い占めろ、と叫ぶ声が遠ざかる。すごい、と頭のどこかで考えた。買い占めるなんて、いくらかかるんだろう。

 広場はひどい状態だった。校長と国王が襲撃された──走りながら、事態が少し腑に落ちてくるのを感じた。国王が負傷、と、誰かが叫んでいる。軍の出動を──魔物が──狩人の──誰かが放した──単語や言葉のきれっぱしが後ろに流れて行く。


 狩人?

 今、狩人って言った?


「ラセミスタ――!」


 少し離れた場所で聞き覚えのある声が叫んでいた。ベネットだ。


「ラセミスタ! どこだ!」


 ベネットもラセミスタの居場所を知らないらしい。ラセミスタは祭りには行くなと言われていたから、外にでも行ったのだろうか。

 考えながらもひとけのない寮へ駆け込んで、四階へ一気に駆け上がった。んー! と誰かが唸っている声に気づいたが、まさか行く先で聞こえているとは思いもよらなかった。四階へ上がって角を曲がった時、そこまで這ってきていたらしい袋詰めの誰かに蹴躓いた。「んー!」抗議の声を上げられたが、リーダスタは廊下で一回転して受け身を取って、跳ね起きてまた走った。とにかく魔法道具を回収しなければ。


 あの白い生き物が"毒"に染められて生まれるのが魔物なのだとしたら、

 絶対にこのまま放っておくわけにはいかない。


 ヨルグ少尉は関わっているのだろうか。逮捕されたはずではなかったのだろうか。そう考えた時、談話室にたどり着いた。記憶のとおり、閃光砲も電流芝も残っていた。ほっとして、親指大に縮めて回収した。またきびすを返して廊下に走り出て、彼は初めて気づいた。


 階段に向かう角付近の廊下に、イモムシじみた格好の子供が転がっていた。

 一体何をしたのか、首から下は袋詰めにされてぐるぐるロープで縛られており、唯一出ている首から上は、ご丁寧に猿轡がはめられている。よほど悪いことをしたのだろう。祭りに忍び込んで荒稼ぎしていたスリかも知れない。

 リーダスタは今は子供に構っている場合ではなかったので、とう、とその上を飛び越えた。


「んー! んー! んーんーんー!」

「悪いね、急いでるんだよ」

「んーっっっっ!!!!!!!!」


 とても切羽詰まった声で叫ばれて、つい足を止めた。子供の瞳は藍色だった。その藍色があまりに必死だったので、スリじゃないかもしれない、と思った。


「……急いでんだってば」


 言いながらとりあえず、猿轡だけとってやった。

 ぷはっ、と子供の口が自由になった。当然勢いよくほとばしり出た言葉は、しかし、リーダスタには全く意味不明だった。音楽のような響きの言葉で、


 ──あれ。


 そこで気づいた。一度だけラセミスタがエスメラルダの人間と話しているところを聞いた。あの時も音楽みたいな言葉だと、思ったっけ。


「きみ、エスメラルダの子供?」


 たずねると子供は、こくこくこく、とうなずいた。

 そして叫んだ。


「ラセミスタ! ラセミスタ!! ラセミスター!!!」

「ラス捜してんの? あーもー、でも今はね、俺それどころじゃないの! そ、れ、ど、こ、ろ、じゃ、な、い、の! わかる!?」


 わかるわけがなかった。リーダスタはナイフを取り出して、ロープを数カ所切ってやった。子供がもぞもぞもぞとはい出すのを置き去りにして走った。ラセミスタの知り合いだろうと何だろうと、今はそれどころじゃなかった。





 寮を出たところで、ミンツと、ウェルチとチャスクと鉢合わせした。やはり同じことを考えていたらしい。リーダスタはチャスクに電流芝を渡し、ミンツに言った。


「ミンツ、リーリエンクローンさんが魔力の結晶を集めてくれてるはずなんだ! 俺校長と国王の方先行ってるからもらってきて!」

「あ、わ、わかった!」


 ミンツが慌てて走り去って行く。リーダスタも走りながら、チャスクから状況を聞いた。国王は負傷したが、大したことはないらしい――魔女が駆けつけて、ひとりが国王の治療にあたり、もうひとりが、風を使って魔物の襲来をくい止めているらしい――魔物は二頭いたらしい――魔物を放した男も逃げたらしい――


「つーか魔物がなんでいんだよ」ウェルチが苛立たしげにいう。「あの子も、捕まってたもう一人も無事に帰ったんだろ。なのになんで魔物がいんだよ」

「別ルートから輸入されてたんだろ。今はそれどころじゃない」


 チャスクが言い、ウェルチは忌々しそうに黙る。ウェルチはあの白い生き物に入れ込んでいた。気持ちはわかる。魔物が、あの生き物が"毒"に染められたものなのだとしたら、胸糞悪いことこの上ない。


「国王陛下が襲われる寸前に、リーリエンクローンの当主も襲われてるんだ。そっちの下手人も今逃亡中だってさ。なんか真っ赤な髪をした、派手な外見の男らしい」


 それは俺の見た男とは違う、とリーダスタが思う頃、広場にたどり着いた。


 避難が始まっていた。近所の詰め所から駆けつけた軍隊の人間が続々集まってきており、混乱は収まりつつある。が、魔物は未だ捕らえられておらず、きしゃああああ、という悲鳴じみた鳴き声が上がると、それに応えるようにどよめきと悲鳴も沸き起こった。

 人垣の隙間から魔物の姿が見えた。ひとつはとてもマティスに似ていた。翼はあるが、それを除けば、ほぼマティスと変わらない。大きさも、普通のマティスくらい──操獣法で捕まえたマティスよりは、かなり小柄。もうひとつは蛇に似ていた。長さは三メートルほどで、太さは人の胴体ほどはあった。


 あんなに大きな生き物を、いったいどうやって持ち込んだのだろう。


 ウェルチが顔を顰めている。リーダスタも同じ気持ちだった。魔物はもはや真っ黒で、白いところなどどこにもなかったが、ふさふさの毛皮や大きな翼、利発そうな瞳を見たら、もはやあの子の同族であることは疑いようもなかった。こいつらも元は白かったのだろうかと、考えずにはいられなかった。誰が彼らに毒を与えたのだろう。あんなに美しく神々しかった生き物に、どうやって、そんな仕打ちを。


 二体は暴れ、時折頭を振り立てるようにして悲鳴のような鳴き声を上げた。苦しそうで、胸が詰まる。何かから逃れるように身をよじっては、もがくように暴れていた。体躯はあまりに黒く、光沢がなかった。日の光を浴びても輝かない、禍々しいまでの黒さだった。あの純白の毛皮をもった生き物が、あんな色にさせられるなんて。



 国王陛下は椅子に座っておられ、きゃしゃな感じの男がその前に片膝をついて屈み込んでいた。あれが噂の魔女だろう。黒い制服を着ている。魔女はふたりいて、どちらも男だと聞いていた。陛下は負傷されたとさっき聞いたが、今まさに治療をしているところらしい。もうひとりの魔女がその前に立って、魔物を睨んでいる。リーダスタたちは魔法道具を元の大きさに戻してそこへ駆け寄った。


「避難なさらないんですか」


 国王のそばに校長もいた。校長はどうやら無事だったらしい。でっぷりと太った狸のような、人の良さそうな外見だが、視線はとても鋭く、苦しげにのたうつ魔物を見ている。


「移動しては魔物を呼び寄せるだけだ。魔物は国王陛下と私を──狙わされているようだから」


 狙わされている、という言い方に、リーダスタは少しホッとした。校長先生も、魔物の意志ではないことをご存じだ。

 ウェルチとチャスクが準備を始めていた。ラセミスタから使い方を聞いておいて本当によかった。

 リーダスタは閃光砲、とラセミスタが呼んだ筒を手にはめた。それは、と校長先生が声を上げる。


「それはラスの道具かね? ──ありがたい!」

「はい、談話室に置いてあったのを借りてきました。使い方も聞きました、慣れてはいないですが」

「助かるよ。――エスメラルダの対魔物用の道具です」


 校長が、立っている方の魔女に声をかけた。ガルシア語だったが、魔女には通じるようだった。ラセミスタの話を思い出した――魔女はふたり組で仕事をする――フェルドは右巻き、マリアラとお客さんの護衛役、マリアラは左巻き、フェルドとお客さんのケガを治せる――この魔女ふたりも同じように役割を分担しているらしい。護衛役の魔女がほっとしたようにうなずいた。


「よかった」

「その芝は電流が出ると聞いた。国王陛下の周りに敷いてくれるかね」


 校長が指示を出した。ウェルチとチャスクが言葉に応じて動くのを見ながら、続けた。


「魔女はふたりともイリエルだ。魔物のもつ毒に対する耐性を全く持たないそうで、魔物が近寄るだけで気絶しかねないそうだ。おまけに狩人も未だ捕まらない。治療が済み次第、避難してもらわねばならない」


 そんな、と、言いそうになるのを辛うじて堪えた。魔女の手助けを得られるものだと思っていたのに。


「毒抜きにしばらくかかるという。魔物はこちらを狙っているが、闇雲に襲ってこようともしていない。今兵士が、魔物を放した人間を捕らえようとしている。大勢に目撃されているから、捕まるのは時間の問題だ」

「……兵士が?」


 呟かずにはいられなかった。校長は眉を上げたが、そう簡単に口に出せることでもなかったから、リーダスタは閃光砲の銃身を撫でるために下を向くことでごまかした。暗澹たる気持ちになっていた。魔女は治療を終えたらすぐに避難してしまうというし、構内にいる兵士の、少なくとも一部は、信頼できない恐れがある。魔物を撃退するのに頼りになるのは、高等学校生と教師と、ラセミスタの道具、だけなのだろうか。


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